復讐編11話 ルナティックゲイト
「あはははは、あれくらいでしてやったりってか。甘いんじゃないの? あはは!」
スルガの顔から表情が消える。
“してやったり”と馬鹿にしていた相手から高笑いを返されたのだ。
そりゃあ真顔にもなるさ。
だが、そういう読みやすい反応しか返せないところに、スルガの余裕のなさが見て取れる。
同時にそれは、現状の心理戦においては私の方が一枚上手ということも暗示していた。
こと舌戦においては頭のキレはもちろんだが、相手の思考判断力を削ぐことも重要だ。
人は怒れば怒るほど視野がだんだんと狭くなって、するといつの間にか、悪手を踏ませ続けられることになってしまうのだ。
憤りの感情の荒波の中でも、心だけは冷徹に、俯瞰して物事を考えられなければ、待っているのは最悪の結果だ。
なぁんて、今の私が言うのもなんだかおかしな話だけどさ。
今まさにニクスオットに怒りを燃やし、大切な存在をまた一つ奪われた私が、だ。
でもさ、私は覚悟していたんだよ。
最悪、アロエが死ぬかもしれないこともわかってた。
その上で、帝国派からの喧嘩を買って出ている。
「いやいや。スルガ、アンタは私の思った通りに動いてくれるんで本当に助かるよ」
「……どういうことかなァ」
スルガは眉をピクピクと動かしていた。
どうも私が思った通りの反応を返さないものだから、若干イライラを募らせているのだろう。
良いね、良い反応だ。
「プライドの高いお前のことだ。魔闘大会でさんざん煽り散らせば大会後に何かしら仕掛けてくると思ったんだよ」
「──と言うと?」
「怒り狂って、私に仕返しをしようとしてくるはずだと思ったんだよ」
そしてそこに、付け入る隙が必ず生まれる。
怒りで視野が狭まっているから、そういう時は致命的なミスをしてしまうものなのだ。
「もしボクが静観を決め込んでいたらどうしたんだい」
そんなもの、考えるまでもない。
「いいや、お前は必ずアクションを起こす。必ず私の不利益になることを企てていただろうよ」
実際、こうやって宿を襲撃してきたわけだしな。
まさか無関係の第三者を巻き込むような暴挙に出ることは想定外だったけど。
その誤算のせいでアロエが死んだのだから、私にも非が……って、あるわけがないか。
例え帝国派の怒りに炎を付けたのが私でも、建物に放火したこいつらの方が全面的に悪いに決まっている。
「そういえばさ、今回の放火はスルガの独断だろ」
「どうしてそう思うんだい?」
「今までみたいな帝国派の策謀じみた匂いが全くしないんだよね。なんていうか、お前個人の八つ当たりのように見える」
帝国派の活動らしきものを振り返ってみると、どこか裏があるというか、むしろ裏の目的のために表の目的が紐づけられているような感じがするのだ。
のちの計画の布石、というイメージ。
ところが今回の襲撃事件は何というか短絡的かつ感情的すぎる。
ぶっちゃけ私みたいな辺境貴族を相手にするのに、ここまで事を大きくするメリットなんて無いはずなんだ。
小娘一人を暗殺するのなんて、せいぜい四、五人の刺客を送り込めば済む話だ。
故に、これはスルガの暴走であると推定したのだがいかに。
「はっはっは、それじゃァまるで、今までの行動はボクの意思ではなかったみたいじゃァないか!」
私は、そんなスルガを鼻で笑い飛ばす。
「そう言ってるんだけど? あれ、分からなかった?」
「……煽るねェ」
スルガが苦虫を噛み潰したような顔になる。
おおお、良いよ良いよ痛快だねぇ。
手紙の一件から、私の中ではマイコ・ニクスオットが黒幕だと直感的に理解していた。
本人たちから確証を得たことはなかったがな。
「どうせ、今までの接触だって家の誰かの指示だろう? そしてそれは多分、母親だ。違うかな」
スルガは苦笑いをしながら、
「確かに母上はよくボクのやることに口を挟んできたけどさァ。母上の言いなりになったことなんか──」
そう言いかけて、はたと何かに気づいた。
「いや、待てよ」
スルガの表情が明らかに変わる。
怒りから訝しみへ、訝しみから動揺へ。
「そうだ……いつだって結局母上の言った通りになるんだ。だからボクは無自覚で……だが、だとしたら今回のことは」
スルガは口を手で覆うようにしてワナワナと震え出した。
多分、彼は母親の指示で行動していたという事実に、気が付いていなかったのだ。
自由意志で動いているつもりが、自分が実は母親の操り人形に過ぎないという仮説が、おそらく正しいという事に思い当たる節があったのだろう。
スルガの中ではまさに今、色々な葛藤が生じている。
目を泳がせながら、彼は私に言った。
「カンナ・ノイド。キミは、今回はボクの独断ではないかと言ったね」
「ああ。……違うのか?」
「こ、今回の襲撃を初めに言いだしたのも、母上だった。今回も、ボクは……ボクは……」
はいはい。自分の意志だと信じていたものが、実は母親の掌の上で転がされていただけだなんて可哀想ですね、マリオネット君。
しかし、今回の放火すらマイコの計画の一つなのか。
ともすれば、やはり何か裏があるということ?
一応警戒しておくに越したことはないが、今はただ、自分の作戦を推し進めるだけだ。
「まあ、詳しい話は後でジーっくりと聞かせてもらうことにしようかな。ね、スルガくん♡ シアノちゃん♡」
「は?」
闘技会中に事故を装ってスルガを殺すという当初の発想を捨てて、私はニクスオット家全体へとターゲットを広げた訳だが、その後の私はスルガの自尊心を傷つける方向で散々動いてきた。
──それもこれも、この瞬間のため。
スルガを拉致する絶好の機会を誘発するための布石だった。
さあ。
仕込みをするだけの時間は会話によって十分に稼げた。
そろそろ張り巡らせた罠を発動させようじゃないか。
「昏睡夢魔」
私が研究して編み出した、オリジナルの精神魔法。
シアノの用いた毒霧と似たような要領で、近接していない相手でも強制的に夢の世界へ誘う、いわば睡眠薬の魔法だ。
さあ、眠ってしまえ。
背後の建物の影でコソコソと様子を窺っている野次馬の残りも全部含めて。
誰も彼も、眠ってしまえ。
「──!! あにうえ、に げ 」
シアノが魔法の発動に気付いたが、タイミング的にもう遅い。
お前は既に私の放った霧を吸ってしまっているのだから。
さあ、種明かしのお時間です。
私達の持つ頭頂眼は、魔法力場の生成に関わる魔法発生装置であり、魔法力場を観測できる感覚器官でもある。
魔法で生成した物体にも魔法力場が残留してしまう為、気を張っている状態ならば、例えば毒霧のように空間に何かを散布するような魔法には気付くことが出来る。
だが、私は魔法力場の特性の裏をかいた。
私はある物を、戦闘中からずっと撒き散らし続けていた。
散布したのは魔法力場を通す前の魔晶粉末──つまり、“術を仕込んだ魔石を細粉化したもの”だ。
瓦礫をぶつける際に。
氷の棘を射出する際に。
炎魔法を放った際に、魔晶粉末を周辺一帯に散布した。
そして風魔法でより広範囲に結晶を散らす。
他の魔法と同時に風魔法を展開していたものだから、敵も目の前の攻撃に気を取られて、本命である粉の散布を察知することは出来なかった。
下処理が終わったら、あとはスイッチを入れるだけ。
魔法は、敵の肺の中で完成する。
──はは、こんなにもうまく事が運ぶとは!
本来はスルガだけの予定だったが、同時にシアノの身柄も確保できたぞ。
私はなんて運がいいのだろう。
神様、ありがとう! ファッキン!
「グ……、 しあ の」
倒れ伏す二人。
しばらくの間何とかして睡魔に抗おうとしていたが、やがてゆっくりと瞼が下りる。
おやすみなさい、良い夢を。
──
─
シアノとスルガの体を引きずりながら運んでいると、背後で敵意無き気配がした。
「ああ、アロエ。ちょっと運ぶのを手伝──」
振り返ってから気が付いた。
アロエはもう、いないのだ。
「なんだ、ビアンカか」
「……二人をどうするつもりデスカ」
そこにいたのは、岩のような大男に抱えられた小さな女。
全身が白い包帯で包まれたような姿なので、夕陽に照らされて全身が橙色っぽくなっている。
「何って、これから“お願い”を聞いてもらおうと思って」
「拷問、デスカ」
「“お願い”だよ」
ビアンカと私の視線が交差する。
彼女の瞳に不安と憤り、そして怯えがミックスされた、複雑な感情が垣間見えた。
ビアンカは何故かシアノにご執心だ。
従姉妹だから、母親に似ているから、とか理由を並べ立てていたが、それも本当かどうかは怪しい。
実のところ、私の中では信用度十五パーセントくらいしかない。
「まあ、悪いようにはしないから安心してよ」
「安心できるわけがないだロウ」
「信じられないのだったら監視でもしていれば。いざとなったらお前が止めに入れば良い」
ビアンカはこくりと頷いた。
自分の監視下ならば安心とでも思ったのだろう、怒りの色が少し引いた様子だ。
不安げな表情は包帯でも隠しきれていないがな。
「それにしてモ……これは凄い状況だナ」
大男の上から、ビアンカは周囲を見渡した。
焼け焦げてボロボロになった宿。
建物の周囲で倒れ、眠りこける野次馬の集団。
状況を知らない人間が見たら、一体何の現場なのかきっとわからないだろう。
火災による一酸化炭素中毒とでも判断するのかな。
「ビアンカにもお願いがあるんだけど」
「何かナ、おねーさん」
実は割と切羽詰まっている。
早くしないと保安隊だとか警備隊だとか何とかが押し寄せてきそうな雰囲気なのだ。
スルガ達を運びつつ、現場の偽装工作もしなければならない。
「その辺で寝ている女の子から私と背格好の似ているのを選んで、焼いといてくれない?」
これくらいの雑務はビアンカにやってもらうのが良いかと思ったのだけど、彼女はぽかんと口を開けたまま、
「ハ?」
と、間抜けな声を出していた。
あれ、上手く伝わっていなかったかな。
「だからさ、眠っている野次馬連中の中から、適当な人間使って私の死体を偽装してよ」
ビアンカの表情が歪む。
包帯で大部分を覆われているものの、目つきが険しくなり、口もひくひくと引きつらせている。
明らかな嫌悪を示されたため、逆に私が困惑する。
「おねーさん、正気で言っているノ?」
「……? え、割と正気のつもりだけど」
だって、この方法が一番効率が良いのだ。
少なくともニクスオット本家には“カンナ・ノイドは死んだ”と錯覚させたい。
そのためには死体が必要だ。
忽然と姿をくらませただけでは色々と勘繰られるから。
適当な人間に死んでもらって、スルガたちがカンナ・ノイドを返り討ちにした、という風に仕立てるのである。
「あれ、意外と殺しに抵抗あるタイプだった? それなら私がやるけど」
ビアンカはため息をつきながら半目で睨んできた。
何故だ。私は悪いことはしてない。
「火災現場から、黒焦げの死体を持ってくるのではダメかナ。死者が変に増えると騒ぎになってバレるゾ」
「頭いいね! じゃあ、それで」
騒ぎになるという意見に、確かに、と納得した。
私は本当に詰めが甘い。
二人を眠らせるのに必死で、移動させたり証拠を隠滅したりを全く考えていなかった。
敵味方どちらに転ぶか未だにわかんないけど、ビアンカがいてくれて助かった。
「あー、畜生。こういう時に人手があればな」
エックスのおじさま以下《カナデ推しコミュ》の面々とのホットラインは早めに形成しておくべき案件だったか。
割と便利そうなんだよな、彼らは。
ああ、でも変装グッズは火災で灰になってしまったから、今彼らに頼ると漏れなく正体がバレてしまうか。
エックス個人は私の素顔を見ても何も反応しなさそうだけどさ。
「とにかく、こいつらだけでも移動させてしまおう」
スルガ達の体はとりあえず近くの林の中へ隠しておくことにしよう。
頃合いを見計らって、湖のほとりにあるエックスのコテージにでも運び入れようか。
勝手に使うことになるが、後で弁明をすればいいだろう。
さあ、忙しくなるぞ。




