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復讐編09話 休戦協定

「はぁ、まったくしょうがないネ」


 敵が近づいてくる。

 戦闘の構えを解いたかのように無防備な空気を(かも)し出しながら、スタスタと歩み寄ってきた。

 一方の私はまったく動けない。

 蛇に(にら)まれたカエルのように、敵を前にして身動きが取れなくなっていた。


 恐れているのではない。

 先ほどの植物魔法の影響で意識が飛びそうなのだ。


 早く右腕を治したいところだが、私が治癒魔法を使うには傷口への集中が必要となる。

 ロキのように治癒魔法を扱いながら別の何かに神経を注ぐなど、私には出来ない。


「右腕、出してヨ」

「は?」


 ビアンカが半ば強引に私の手を取り、彼女の頭頂眼の方へ近づけていくのを、私はただ見ている他なかった。

 どのみち抵抗したところで反撃される。

 ビアンカが何を考えているのかわからない以上、しばらく静観しているしかない。


「癒えなサイ、傷よ……“クアラティオ”」


 治癒魔法。腕を治す気なんだ。


 そう気づいたのは、情けないことに全ての治癒が終わってからだった。

 右手を見ると、多少の痕は残っているものの、問題なく動く。

 痛みのレベルはものすごく辛い筋肉痛、程度に収まっていた。


 ──敵であるはずの私の傷を癒した。

 これは一体……。


「どういうつもりだよ」


 私は戸惑いながらもビアンカに尋ねる。

 ビアンカは思いっきり呆れたような表情で大きく溜息を()いた。


「言ったでショ、おねーさんの仲間にしてほしいってサ」

「本気、だったのかよ」


 誰だって罠だと思うじゃないか。

 だって、目の前にいるのは帝国派の急先鋒、暗殺の実行部隊のリーダーだぞ。

 ロキの、仇なんだぞ。


「おねーさんがロキト・プロヴェニアの件であたしを恨んでるのはわかったヨ。でもでも、あたしの本来の目的は彼ではなかったのサ」

「なに……?」

「“クローラ・フェニコールの捕縛”。殺害ですらない。あたしはただ、上からクローラ・フェニコールを拉致するよう言われただけダ。それをロキト・プロヴェニアは暗殺部隊だと勘違いして戦闘になった。もちろん、戦闘中は殺す気で戦ったことは認めよウ。油断すればこちらが殺されるところだったンだからサ」


 私の心の中に、再び怒りの炎が灯る。

 こいつの言っていることは、単なる言い訳にしか聞こえなかったからだ。

 ロキの勘違いが原因でロキが死にました、だから許してね……そんなふうに聞こえたのだ。


「落ち着きなって、カンナ・ノイド。恨みを抱くのはイイ。でも今は、互いの利益で考えようじゃないカ」

「……利益? お前を仲間にして、どんな利益があるんだ」


 そう言うと、ビアンカは腰に手を当てて堂々と言い放つ。


「もちろん、ニクスオットの打倒サ」


 もう、わけが分からない。

 ビアンカだってニクスオットの家の者じゃないのか。

 だからこそ命を受けてクローラを拉致しようとし、結果ロキを死なせたのだから。

 明確な敵であるはずなんだ。


 いや、しかしよく考えろ。

 ビアンカはクローラの拉致に失敗している。そしてロキを死なせてしまった。

 この両方の出来事が、実はニクスオット家にとって不利益を生んでしまったとすれば……ビアンカ・カリームは重い処罰の対象になったに違いない。


 スルガは以前言っていた。

 “プロヴェニアについては問題ない”と。

 つまり、あの時点でニクスオット家はイブとロキを陣営に引き込むべく算段を付けていたということではないのか。

 イブに付いては主君を毒殺させることで、ロキに付いてはクローラごと陣営に引き込むことで、有力な戦力として帝国派に迎え入れようとしていたのではないだろうか。


 その計画を、ビアンカの失敗が台無しにした。

 謎の毒殺事件で終わるはずだったフェニコールの崩壊が、ロキの死によって貴族間抗争によるものだと結論づいてしまった。


「あんた、もしかしてニクスオット家に命を狙われているのか」


 ビアンカが少し驚いた顔をした。


「まだ話の途中だったんだケド、なかなかに鋭いんだネ」

「思えばお前は最初から私に譲歩していたしな。今だって、殺そうと思えば殺せたんだろう?」


 いつの間にか右腕から生えてきた魔法植物。

 あれがもし腕じゃなくて胴体部だったらば、根に臓器を侵食されて致命傷となっていただろう。

 ……ロキの死因も、多分これだ。

 訳も分からないうちに魔法植物に体を侵されて、炎魔法で対応したけど手遅れだったのだ。


 そんな一撃必殺の魔法をわざわざ急所を避けて使ったこと。

 腕を治療してくれたこと。

 そもそも、いきなりの戦闘ではなく話し合いから始めようとしたこと。

 これらすべてが私に差し出した譲歩の結果なんだ。


「その通りだネ。あたしの戦術は初見の相手ではまず防げないカラ、手の内を明かしたって所も評価してほしいところだけどサ」


 彼女は何かしらの方法で植物を操っている。

 戦闘行動の最中に、魔法植物の種を植え付けて攻撃とするわけだ。

 確かに二回戦以後ならばその種の仕込みに注意すれば勝てる見込みは大幅に増えるだろう。


「お前の目論見は分かったよ。でもさ、私に協力を求めることで、お前にどんなメリットがある? それを聞かせてくれないと、信用はできないね」


 こういう話を持ち掛けてくる時点で、何かしらのメリットがあるとみるべきだ。

 それを口にできないようであれば罠の可能性が高くなる、と私は思っている。


「くくっ、直接のメリットという訳じゃないけどサ。おねーさんってマイコ様に狙われているデショ? それを利用できないカナ、ってネ」


 ビアンカの台詞には、嘘偽りが混じっているようには思えなかった。

 向こうは私を利用する気満々であり、言外に、“だから私も向こうを利用しろ”と誘いをかけてきているのだ。

 彼女は、私がビジネスライクに話を進めることを期待し、そしてその通りに振る舞っている。

 さらに裏を返せば、彼女にとっても私と同盟を組まないとやばい状況である、とも取れる。


「私が提供できるのは“状況”くらいしかないぞ。そちらがくれるのは“戦力”か、それとも“情報”か?」

「別に等価交換じゃなくて良いヨ。あたしは、生き延びることさえ出来れば良いんだからネ」


 つまり、戦力も情報もくれるらしい。至れり尽くせりである。

 少し都合が良すぎないか?

 こうもうまく話が運びすぎると、何か裏があるのではと勘繰ってしまう。


「……わかったよ。じゃあ、一時休戦だな」


 私は思考を切り替えることにした。

 いつまでも相手の考えに囚われていては何も進展が無いからだ。

 ひとまず手を組んで、その後の展開によって臨機応変に動けばよいのだ。


「一時ってことは、また敵になることがあるってことカナ?」

「ったりめーじゃん。私、ロキの事絶対許さないからな。だけど、今は目の前の敵を確実に倒すことを優先する。それだけだ」

「う、それで良いヨ!」


 私とビアンカは頷き合い、今をもって休戦協定と同盟は締結された。

 あとは共通の敵を葬ることを考えるだけである。

 私は復讐のため、ビアンカは生き延びるためだ。


「確認だけどさ、あんたは追手がいなくなればそれでいいんだろ。別に、目的が達成されるならばニクスオット家の誰かを消す必要はない、とか?」


 ビアンカは首肯(しゅこう)した。

 そう、この辺りは私達の行動原理の相違によるものである。

 一見するとニクスオット家打倒という共通目標に向かって手を組んだように感じられるが、その実目指すところは全く別なのである。

 そのズレは早々に認知しておかないと、後になって支障が出てしまう可能性がある。


「おねーさんは誰を狙っているのカナ。復讐目的だとすれバ、やはりマイコ様かスルガ様?」


 ニクスオット家を滅ぼすことが究極目標だが、そんなことは言わないでおこう。

 そこまでこの女を信用してはいないからだ。

 ただし、相手の言うことにただYESと言うだけでは、その場しのぎの返答と受け取られかねない。


「マイコとスルガ──そこにシアノも含めてくれ」


 少し補足を入れることで信ぴょう性が増すというもの。

 それくらいはした方が良いだろう。


 しかしビアンカは私の台詞を聞いた瞬間に悲しそうな顔をするのだった。

 飛び出したのは、思いもよらない台詞。


「シアノ様は、見逃してくれないカ」


 あろうことか、シアノを(かば)った。


「……あの娘は人形だヨ。一族の身勝手によって感情を殺された可哀そうな子なんダ」

「へえ、他人を庇うんだ。意外だな」

「私とあの子は従姉妹同士なんダ、心配くらいはするサ」

「いとこ?」


 ビアンカは自らの系譜を話してくれた。


 カリーム家はニクスオットの外戚である。

 帝国時代より諜報や有事の際の特別任務に携わる一族で、数世代に一度、ニクスオット本家より嫁を迎え入れて血の繋がりを保ち続けている。

 ビアンカの母は、そんなカリーム家に嫁いだ、ニクスオット当主テトラ・ロード・ニクスオットの妹であった。

 ビアンカは幼少の頃より戦闘訓練と称した肉体改造のために母の下を引き離され、孤独な日々を過ごしていた。

 しかも、その間に母は死んでしまい、まともな愛情を受ける事が無かったのだという。


 シアノは、かつての母親の面影をどことなく漂わせているらしい。

 故にビアンカはただの従姉妹以上の感情をシアノに抱いているようなのだ。

 同じ従姉妹であるスルガとは、かける思いが違うということだろう。


「──わかった。確約はできないが、シアノの事は考えてみるよ」


 私も出生時に母を失い、その面影を求めていた時期があったので気持ちはなんとなく察することが出来る。

 とはいえ、現状としてはシアノを殺さない確率がゼロから五パーセントに変化した、という程度。

 その辺も成り行きに任せよう。

 万が一シアノが死んでしまったとしても、それが偶然の産物ならばビアンカも諦めてくれるだろう。


 ……ああ、そういえばそこまでビアンカを(おもんぱか)る必要性もないのだった。

 なんだかんだと理由を付けて、彼女ごとニクスオットを滅してしまえばいい。


 お気に入りの従姉妹と一緒に地獄へ逝けるよ、やったねビアンカちゃん。


「……ん? ところで、ビアンカは何歳なんだ? ひょっとしてシアノより年上か?」

「失礼だナ、カンナ・ノイド。レディに年齢を尋ねるなんてサ」


 まさかまさかの私より年上だったりするのだろうか。

 見た目は十歳くらいの子供なんだけどな。

 包帯を取ったら印象が変わるのかも。


 そうやってくだらない話をしていた時だった。




 ──運命の歯車は、前触れもなく急速に回り始める。




「ミヌスタ ビアンカ」


 いきなり声をかけてきたのは、突如として路地裏に飛び込んできた大男。

 話し方も普通じゃない。

 何か、呪文みたいな単語を口にしている。


 身長は二メートル以上もありそうな、岩みたいな男だった。

 筋骨隆々としているだけでなく、肌の色も浅黒くて、かつ顔色が悪い。

 ただの形容では収まらないほど、本当に岩みたいな見た目なのだ。

 白髪交じりの黒髪が岩目模様のようで、余計にそれっぽい印象を強めている。


「──ッ」


 敵が来たのかと思い、咄嗟(とっさ)に攻撃をしようとした私を、ビアンカは片腕で制した。

 そして彼女は、岩男が発したものと同じような謎言語で返答をする。


「キド アサイディド オクト?」


 どうやらお仲間らしい。

 ビアンカは人造人間(ホムンクルス)を率いているということだったけど、この岩男も人造人間(ホムンクルス)なのだろう。


 話している言語は外国語なのか、それとも仲間内だけで通用する暗号なのか。

 この国の魔法学校では外国語を扱わないのでよくわからない。


「──」

「──」


 ビアンカと岩男は二言三言と言葉を交わす。

 それが終わると、ビアンカが真剣な面持ちで振り返り、私を見た。


「彼、なんて言ってたのさ」


 私は尋ねた。

 ビアンカは間を置かず答える。


「おねーさんの泊まっていた宿が燃えているってサ」

「……え」


 何を言われたのか分からず、私は数秒の間、思考停止してしまった。


 宿が、燃えている?

 それがどうしたっていうんだ。

 いや、宿には何があった?

 誰が──いた?


「今すぐ戻ったほうがイイ。宿に何か大切なものがあるのでハ?」

「──ッ!」


 その事実に思い至った瞬間、私は行動を開始していた。

 普段なら目立つから絶対にやらない方法、すなわち風魔法を使った飛行をもって全力で宿の方へ取って返す。

 魔法力場の作用と風魔法の双方を用いて揚力を得るのだ。


 人一人を浮かせるほどの風力は距離によっては台風以上の風速となる。

 そのため片付けの始まっている露店街のあらゆるものを吹き飛ばしていくことになるが、今の私はそれどころではないので完全に無視を決め込んだ。


 大切な人の身が危ないのだ。

 街の被害など、知ったことか。


「アロエ、アロエ、アロエ……!!」


 私は頭のどこかが焼き切れそうになる感覚を味わいながらも、魔法を止めることなく宿へと急いだ。

 空を飛んでいる私の目には、既に見えていた。

 炎に包まれ、焼け崩れていく建物の姿が。

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