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王都編34.5話 幕間「とある元貴族令嬢の回想」Ⅰ

「ラム、入ってもいいか」


 部屋の扉がノックされ、野太い男性の声が扉越しに聞こえてきた。

 私はベッドに下ろしていた腰を持ち上げ、扉を開錠すると、声の主を部屋へと招き入れた。


 野生味(あふ)れる赤髪で鷲鼻(わしばな)で黄金の瞳を持つ、筋肉質な大男。

 気の強そうな顔立ちだが目だけは優しくて、実際このマムマリアに至るまでの約半月、非常に紳士的に私をエスコートしてくれている。

 そんな彼の表情に、どこか暗いものが見える気がする。

 きっと、悪い知らせを持ってきたに違いない。


「良い知らせと、悪い知らせがあるのだが」

「では、悪い知らせから」

「即答かよ」


 決まっている。

 先に良い知らせを聞いてしまうとその後に悪い知らせを聞くことになり、後味が悪いからだ。


「はい。悪い知らせから教えていただけますか、アセットさん」


 私を守るよう依頼を受けている魔闘士、アセット・アミノフはうんと(うな)った。

 きっと悪い知らせの内容を、私に伝えるための言葉を選んでいるのだ。


「なんつーか……心して聞いてくれよ」

「ロックス、いいえ、ロキが死んだのでしょう」


 アセットが息を呑むのがわかる。


「なぜ知ってる」


 私は窓辺へと移動し、出窓の(へり)に身を預けながら外を眺めた。

 相変わらず良い天気だ。今日も暑くなりそう。


「そのくらい、覚悟していましたわ。それ以外に悪い知らせは?」

「い、いや、ないが」

「そ。それは良かったわ」


 言いながら、雲の流れるのを眺めていた。

 覚悟はしていたが、実際に死んだと聞かされると、どうしても悲しみが襲ってくる。

 下を向いたら、涙が溢れる。ロキに怒られる。

 だから、上を見上げるのだ。


 でも、どうしてもあの日の光景が脳裏をよぎってしまう。

 あの日、二人で王都を脱したあの日。

 私が無理にでもアセットを海岸まで向かわせていたら、ロキは死なずに済んだのではないだろうか。


──


「お願い!! 戻って!! ロキが、ロキが死んじゃう!」


 船に辿り着くなり、私はびしょ濡れのままアセットに(すが)りついた。

 ロキを助けてもらおうと懇願(こんがん)していた。

 しかし、アセットは首を横に振るのだ。


「それは無理だ。俺にはできない」

「どうしてです!? なぜ助けてくれないのですか!」


 アセットは水魔法で(ひず)んだ水塊を二つ作り出す。

 その水塊を重ねると、ロキの戦っている様子が鮮明に見えるようになった。

 即席の望遠鏡なのだ。


「敵の中に、厄介な奴がいる。緑色の髪をした、子供みたいな容姿のやつだ。わかるか」

「あれが、なんだと言うのですか。貴方は魔闘士でしょう!? あんなやつ、すぐに倒してくださいな!」


 またもやアセットは首を横に振った。


「そこで伏せて見ていろクローラ」


 言われるがままに伏せる。

 すると先程望遠鏡の役割をしていた水塊のレンズが、分裂しつつ、形を変えていく。

 一つ一つがレンズの形であるのは変わらないが、より凝縮して縦にずらりと並べられていくように見えた。


「光閃銃」


 アセットの指先から発射された光子の束が、レンズによって収束し、非常に細い光線となって海岸まで伸びる。

 技の発動と()()()、私達の乗っている船の壁面が鈍い音を上げてボコリと(ゆが)んだ。

 本当に同時だ。光魔法の生成から船が歪むまでコンマ数秒もないくらい。


「わかるかクローラ。奴はこちらの魔法生成に気づくと同時に反射膜を形成し、身を守ると共に我々を攻撃したんだ。流石にこちらを直接攻撃する手段は持たないみてぇだが、十分化け物だぜ」

「その化け物相手にロキは戦っているの! 貴方が手助けしないとロキがやられちゃう!」


 アセットは私の側までやってくるなり私の肩を両手で掴んだ。

 その姿勢のまま、睨むようにして私の目を見つめた。


「いいかい嬢ちゃん。アイツは、死を覚悟の上でお前さんを助けたんだ。お前の命だけは確実に助かるようにってな」


 アセットは(さと)すような声色で話を続けた。


「俺があの場に戻ったら、勝てる見込みはある。だが、確率は半々。五十パーセントというところだ」

「では、その確率にかけてください! お願いします」


 私はアセットにしがみついて、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら頼み込んだ。

 でも彼は、冷徹なまでに冷静だった。


「いいや、俺にはできねぇ。敵があいつらだけとは限らねぇんだ。……いいか、お前さんは託されたんだ。その想いを踏みにじってまで、リスクを取ることは俺にはできない。すべきじゃないと思う。お前は、百パーセントの確率で生き残らなきゃいけないんだよクローラ。……いいや、ラム!」

「らむ……」

「──お前の、新しい名前だろう?」


 私は頷いた。

 すぐさま、アセットは立ち上がる。


「船を進める。いいな」

「……  ぃ 」


 はい、と答えたつもりだった。

 でも、声にならなかった。

 唇だけがわずかに動いて、肺から出た空気は声帯をかすめただけ。

 覚悟を決めようと思っているのに、心のどこかが最後の抵抗を示す。


「俺を恨め、ラム。何かあった時は、俺を恨めばいい」

「ううぅ……」


 アセットはその後、私に一切の確認をしなかった。

 ただ黙って船を進め、安全域へと離脱したのだった。


──


「俺を恨んでいるのか、ラム」


 部屋の中で、アセットは言う。

 私は首の動きでそれを否定した。


「恨んでなど、いませんわ。私をここまで連れてきてくれたこと。感謝しかありません」

「そうかい」

「ただ……」


 一つだけ、心残りがあった。

 心残りというか、心配事だ。


「カンナちゃんが、心配です。ロキを失ったあの子がどうなるのか」


 アセットは笑いながら答えた。


「それについては大丈夫じゃないのか。キナーゼ様に聞いたが、大層肝の()わった御仁だそうじゃないか」


 そう言うアセットに、私は真剣な面持ちで言い返す。

 笑っていたアセットの表情が一瞬で固まってしまうほどの剣幕で。


「その肝の据わり具合が問題なのです! あの子を怒らせたら何が起きてしまうのか。それが怖いのですよ!」

「そ、そりゃ一体……」


 アセットの喉仏がこくりと動く。

 私の恐怖心に当てられて、彼も動揺しているのだ。


「あの子は……カンナ・ノイドは……」


 その後の言葉は、自分でも驚くほどスムーズに出てきた。

 彼女を表現するのに、これほどピッタリな言葉はないと思ったからだ。

 すなわち。


「悪魔、よ」


──


 十余年前。

 幼き私は当時から仲の良かった少年の家を訪れていた。

 ウキウキしながらドアノッカーを鳴らした私だったが、彼の言葉でひどくショックを受けることになる。


「ごめんクローラ。ちょっと親父の手伝いで領民へ挨拶回りに行かなくちゃならなくなった」


 このところ、なにかとタイミングが合わない。

 学年も違うと行事毎の日程もずれるし、彼は地元領主の子だったから、何かと父親の手伝いが多くなっていたのだ。


「えー、せっかくニコルと遊べると思っていたのにがっかりですわ」


 目つきが悪く、腕白(わんぱく)そうな銀髪の少年、ニコル・ノイドは困ったように頬を掻いた。

 しばらく考えて、彼はハッと思いついたようになって、急に笑顔になった。


「そうだ、それならカンナの相手をしてくれよ! 多分、二時間もしないうちに帰って来れるからさ!」

「カンナちゃんって……あの、無口な子でしょう?」

「そそ。適当にあしらってくれればそれで良いから、な?」


 まあ、あまり喋らない子だし、側について本でも読んでやれば良いかと思い、私は了承した。


「わかったわ、カンナちゃんと二人で待っていますわね」


 この時の私は、これから恐怖体験を味わうことになるのだと、当然知る(よし)もなかった。

 ただ、嬉しそうにしているニコルの顔を、眩しそうに目を細めて見つめるだけだった。


***


 ノイド家のリビングルームへ通されると、そこにはカーペットの上にぺたりと座り、一人で人形遊びに(いそ)しむ少女がいた。

 大きな瞳に小さなお口、まっすぐな鼻筋が特徴の、本人も人形みたいな女の子。

 兄ニコルよりも少しばかり白味の強い銀髪で、左右の目は金色なのに頭頂眼だけ紅い、変わった子。


「こんにちは、カンナちゃん」

「……」


 初めて会った時から、ロクに口をきいてもくれない不愛想な娘。

 それでも好きな男の子の妹さんだから、なんとかして仲良くならねば、とこの時の私は躍起(やっき)になっていた。


「こんにちは!」

「……」

「こーんーにーちーはー!」

「……」

「……」


 何この憎たらしい子は!

 と、イライラする気持ちをなんとか抑えてコンタクトを試みるのだ。

 私は彼女の正面に(ひざまず)くと、彼女の持っていた人形をひょいと摘み上げた。

 彼女の目が人形を追う。それを利用して、私は人形を自分の顔の前へと持っていった。

 こうすることでようやくカンナは私の顔を見た。


「こ、この子の名前はなんて言うのかなー?」


 顔の前で女の子とも男の子ともつかない微妙なデザインの人形を揺り動かしながら、私はカンナに尋ねた。

 七歳の子供に対しては失礼なんじゃないかと思うが、赤ちゃんに話しかける調子の声色になってしまう。

 それくらいカンナは異質な存在だった。


「ねろ」


 カンナは答えた。

 カンナの声は初めて聞いたわけではないものの、彼女が家族以外と話しているのを見たことがないので、それが自分に向けられたものだと気づくとドキリとしてしまう。

 凛と透き通った美しい声だ。

 母親譲りなのだと、ニコルは言っていたっけ。


「ネロっていうのね。じゃあ、この子は?」


 私は続いて別の人形を取り出す。

 くたびれた黒い服の男の子。

 インクをこぼしたのか、口のところが汚れている。


「ひっとらー」


 カンナは答えた。

 ヒットラーというのか。変わった響きだ。


「こっちの子は?」

「すたーりん」


 こちらも変わった響きだが、“りん”の部分が可愛らしい感じがする。

 なかなかのネーミングセンスではないだろうか。


「おねーさん」

「ん、何ですの?」


 初めてカンナから呼びかけられた気がする。

 感涙だわ。こうやって少しずつ仲良くなって、将来ニコルと結婚する際には仲良き義姉妹として世間に認知されるのよ。

 ……なんて、この時の私は考えていたっけ。


 しかし、カンナの放った台詞というのが、これまた強烈だった。


「おねーさんは、私のお人形になってくれる?」

「……はい?」


 カンナはニタリと笑った。

 その表情がなんとも気持ち悪くて、思わず鳥肌が立った。


 ギョッとしたのも束の間、よくよく見てみればとても可愛らしく微笑んでいる美少女がそこにいた。

 幻覚……?

 今のは一体なんだったのだろうかと(いぶか)しみつつも、冷静に返事をしようと深呼吸をしてからカンナに言う。


「お人形ではないけれど、お友達にはなれますわよ」

「……なぁんだ」


 カンナはさもつまらなそうに私から視線を逸らした。

 何か返答の仕方が不味かったのだろうかと心配になる。

 実際、その後どう話しかけてもカンナは知らんぷりを決め込んでしまい、全く手応えがない。

 痺れを切らし、私はついに言ってしまうのだった。禁断の一言を。


「ああもう、わかりましたわ! 人形でもなんでも良いから仲良くしてくださいな!」


 するとカンナはキラキラと目を輝かせ、天使のような笑顔でにっこり微笑みながら、私の手をとって上下にぶんぶんと振るのだった。


「わーいわーい! おねーさん、ありがとう!」


 一変した。

 人格が、真逆になってしまった。

 先程までの異様な空気はどこへやら、カンナはいきなり饒舌(じょうぜつ)に話し始める。


「あのねー、あのねー、こないだカインがねー、炎魔法をおしえてくれたの! そしたらね、マイシィがまねしてね……」


 今まで溜め込んでいたものを全部吐き出すような勢いで、カンナは口を動かし続けた。

 私はただただ頷くだけで、相槌の一言すら言うことができなかった。


 こんな子だったのか、とカンナに対する印象が崩れていくのを感じる。

 きっと、心を許す相手以外には無口なキャラクターを演じているのだろう。


「あ、そーだ! おねーさんに見せたいものがあるの。ついてきて!」

「え、あの……」


 勢いに負けて、私はカンナの後を追った。

 二階に上がり、少しだけ廊下を進んだところにある扉を開ける。

 そこには女の子らしくない、殺風景な部屋があった。

 ベッドに鏡台、椅子のみがそこにある。


「な、何もない、ですわね」

「ううん、こっち」


 カンナに手を引かれるがまま、部屋の奥のクローゼットの前までやってきた。

 ここは衣装をしまうところだ。

 わざわざ見せたいものとは、お洋服なのだろうか。


「私のたからもの、見せてあげるね」


 そうして開いたクローゼットの中。

 吊るされたドレスに隠れるように、おもむろに置かれていた木箱。

 それが開かれる瞬間の光景を、私はきっと一生忘れない。

 

「……!? ぁひ、ヒィぃぃ!?」

「あれー? こんなに干からびてたっけな。まあ、いいや。これこれ、きれいでしょ!」


 木箱の中に入っていたのは、大量の小動物の頭部だった。

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