表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
77/178

王都編31話 彼女の告白

「それで、どうだった。やはり、ロキの子供を?」


 私は頷いた。

 私は生理が重いから、常に周期を気にしていたために早期に気付くことが出来た。


 妊娠一か月。

 やはり私は、母親になったのだ。


「じゃあ、お酒は控えたほうが良いな」

「ああ。そうですね」


 私とイブは、病院の階下にある酒場にいた。

 落ち着くからと理由を付けて、一番角のテーブル席に腰かける。


 酒場はちょっと古臭い内装だが、訳アリ妊婦の隠れ病院の入り口であるため、見た目以上に小綺麗に清掃されていることが分かる。

 使っている木材や備品に年季が入っているだけだ。


 私とイブの二人共が妊婦であるため、アルコールは遠慮しておく。

 二人共、栄養価の高いカンキツのジュースを注文するのだった。


「ここ、ソフトドリンクが多いですね」

「常連の半分は妊婦だからな」

「へぇ」


 運ばれてきたカンキツジュースには、果実の輪切が飾り付けられていて見た目もおしゃれ。

 私とイブはひとまず再会を喜び、乾杯をする。

 乾杯と言っても、日本のようにグラスを合わせたりはしない。

 飲み物を頭頂眼の前にかざし、


「聖アーケオ様の教えに感謝を」


 と、一言添えるだけだ。


 私はジュースを口に運んだ。美味しい。


 しかし一口だけだ。

 かつてそのたった一口に毒を盛られた経験があるから多少慎重にいきたいのだ。


「──それにしても、イブ先輩が実質的に私の義姉になっちゃうんですね。ほら、甥っ子か姪っ子か分からないですけど、ここにロキの子がいるんですよ」

「ああ。だが、いずれそうなるとは思っていたさ」

「父親が死んでしまうとは思いませんでしたけど」

「……」


 父親であるロキはもういない。

 子供ができた事も知らないままに逝ってしまった。

 イブは、それに対して何か思うところがあるらしい。

 彼女は無言のまま、悲しそうな目をしてグラスを(あお)るのだった。


 私ももう一口だけジュースを口に含んだ。

 ゆっくりと口の中で酸味と甘みを味わい、やがて喉の奥へと液体を運んでいく。

 相当新鮮な果汁を使っているのだろう、この店のカンキツジュースは絶品だ。


 日本だとオレンジジュースなどは広く市販されていて殊更(ことさら)にありがたみなど感じることも無いだろうが、物流の制限が多いこの世界では、果実は貴重な存在なのだ。

 魔法のおかげで冷凍保存技術はあるのだけど、やはり鮮度と言うのは味に直結するからな。


「すまなかった」


 唐突に、イブがそんなことを言い始めた。


 唐突って程でもないか。

 私達の間には先ほどから、沈黙が支配を続けている。

 それを打ち破っただけだ。


「何について謝っているのですか」

「それは……すべてだ。お前の毒殺未遂、フェニコール家が没落したこと、そしてロキが死んだこと」

「……ふぅん」


 私はイブの横顔をじっと見つめた。

 その瞳には、やはり深い悲しみの色が浮かんでいる。

 悲しみ? いや、後悔かもしれない。


 私は周囲を見渡した。

 店の中には私たち以外の客はいない。

 時折、病院への隠し階段と店の出入り口を人が往来するくらいだ。

 カウンターにはマスターもいるが、私達の席からは少し離れている。


 念のため、マスターには少しの間外してもらうようにとアイコンタクトを送った。

 元々訳アリな客の多い場所だ。

 マスターは何かを察したようで、店の奥へと引っ込んでいった。


「イブ先輩。一つお尋ねしますが、先輩のお腹の子の父親はどなたですか」

「それは……」


 イブは言い(よど)む。

 目を泳がせて、何と答えたらよいのか分からないといった風だ。

 なので、私は半ば確信をもってイブに言う。


「ジャン・フェニコール様ですね?」


 イブは驚きつつも私の方を見て、少し迷ったのちに、小さく頷いた。


「──家長様に毒を持ったのは、イブ先輩なんですね」


 イブは目を伏せたまま、さらに頷いた。


「そうだ。ジャン様とフロル様を殺したのは、私だ」

「帝国派に(そそのか)されたのですか」


 その質問には、イブは首を横に振った。


「そうじゃない。帝国派には背中を押してもらっただけだ。私の、意思なんだ」


 イブの話はこうだ。


 イブは、学校を卒業して王都に戻った時からずっと、ジャンから性的暴行を受け続けていたらしい。

 暴行とはいっても権力を笠に着た強制性交と言う感じで、暴力を振るわれるといったことはなかったそうだが、それでも望まぬ関係であったことには変わりがない。

 イブは夜な夜な家長に呼び出され、体を好き勝手されてから寝所に戻る、というのを四年間もずっと続けていたそうだ。


「クローラ様はそのことを知っていたのですか」

「知らない。知るはずがない。私が精神魔法で深く眠らせて、その後に家長殿の部屋に行っていたのだから。彼女は朝まで私が近くにいると思っていたはずだ」


 精神魔法ってそういう使い方もあるのか。めもめも。


「家長殿も人前では良い顔をしていたからな。裏の顔を知るものは、奥方くらいなものだ」

「奥方様はご存じだったのですか」


 それは意外だった。

 夫人の立場からすれば、夫が夜ごと別の女と交わっていたわけであり、到底看過できるようなものじゃないはず。

 それを承知の上で日々を過ごしていたのだとすれば、彼女の心理状態もまともじゃない。


「あの夫婦の価値観は狂っている。時には三人で夜通し行為に及ぶこともあった」


 何それちょっとうらやましい。


「しかも厄介なのは、彼らに悪気がないことだ。彼らは子孫を増やすことがフェニコールのためになると本気で考えていた節がある。人造人間以外の使用人は軒並み彼らの毒牙にかかっていると言って良い」


 その点はクローラも似たようなものだな。

 血は争えないということだろうか。


「少し前に、私は妊娠に気が付いた。はじめは気分が悪かったよ。ジャンの子供がこの胎の中にいるのだと考えたら、つわり以上に精神的な意味での吐き気が物凄かった」


 そんな折、イブに転機が訪れた。


「その日は珍しく、フロル様が私に暇をくれたんだ。四六時中クローラ様の側にいるから、たまには息抜きでもしてきなさい、と。おそらく彼女も私の妊娠に気が付いたんだろうな。暗に病院に行けと言われたようだったよ」

「それでこの病院に?」

「当時は別の、もっと堂々と入っていけるような産科病院だったよ。そこでの検診で妊娠が確定し、その瞬間、何故だかふと思ったんだ。“この子を守らなきゃ”って」


 その時のイブは、私と同じような気持ちだったのだろう。

 相手の事は憎くて仕方がないのだが、それよりも我が子を守りたいという本能が一段勝ってしまった状態。

 人間に仕込まれた母性というものの発露(はつろ)だ。


「帰り道、私はとある人物に呼び止められた。その人を見た瞬間、私は当然のように警戒したが、優しい笑顔で手招きをするその人に、何故だか心を許してしまったんだ」

「その人、とは」


 イブは今まで以上に小さな声で、その人物の名を告げた。


「マイコ・ニクスオット。ニクスオット家の奥方様だ」


 マイコ・ニクスオット。

 “シズオカ マイコ”という名前でスルガに封書を持たせたと思われる、日本人の疑いが濃厚な人物である。

 彼女がイブに接触を──?


「気が付けば、私は彼女に事の事情をすべて打ち明けていた。彼女は私の告白を聞き届けると、小さな小瓶を渡してくれたんだ。“この瓶が、あなたの願いをかなえる”と言っていた」

「その瓶って」

「そう、毒物だ」


 イブはそう言うとグラスを煽る。

 カンキツのジュースは一気に空になった。

 妊娠初期は酸っぱいものが欲しくなると言うアレだろうか。

 それとも、私に真実を打ち明けることに緊張し、喉が渇いてしまうのだろうか。


「なんでその毒物がイブ先輩の願いを叶えることに繋がるのですか」


 私が質問をすると、イブは自嘲気味に微笑む。


「ここから先は、私のわがままさ」


 と前置いた彼女の語った内容は、確かに自己中心的なものだった。


 彼女は子供を守るために、フェニコールの悪習を排除しようとしたらしい。

 そのために家長ジャン・フェニコールを殺害した。

 普通はフェニコール家が安泰な方が子供も安心して過ごせると思うはずだが、彼女はそうはしなかった。


 これは私の勝手な憶測だけど、きっとイブは我が子にフェニコールに染まって欲しくなかったのだ。

 自らが受けた性的虐待の日々を思い返し、子供にはこうはなって欲しくないと思ったに違いない。


 思い返せば学生時代、クローラはイブの弟のロキと事あるごとに夜伽(よとぎ)を繰り返していた。

 もしかするとその事も影響を与えたのかもしれない。

 フェニコールの一族は、性に奔放(ほんぽう)であるという認識が、その時に生まれたんだ。


 フェニコールとして生を受ければ、我が子も同じように性に溺れる事を危惧したのだろう。

 彼女は子供の安定よりも、子供の健全を望んだのだ。


「お前たちが屋敷を訪れたあの日、その日だよ、瓶を手に入れたのは。そしてその夜も、同じようにジャンに呼び出された。女子会の途中でクローラ様が眠ってしまっただろう? あれは私がこっそりと魔法をかけたからだ」


 クローラを眠らせ、ガールズトークを強制終了させたイブは、その足でジャンの元へと向かった。


「部屋に入るなり、ヤツは行為を求めて来たよ。妊娠の事実を伝えても、彼は止まらなかった。私は嫌悪感に吐きそうになったが、その時に腹は決まった。こいつを、殺してやると」


 イブは言葉の端々に殺意を滲ませながら、淡々と事実を話す。

 今まで秘めていたものを、私に懺悔(ざんげ)するかのように。


「私は自分の口に毒液を含み、接吻と共に奴の喉奥へと毒を流し込んだ。私はすぐに口内を水魔法で濯ぎ、窓から部屋を脱した。そして、その足でフロル様のところへ向かったんだ」


 懺悔は続く。


「私は彼女を殺す気などなかった。彼女はジャンを(とが)めもしないし狂ってもいたが、私に同情的だったからな。クローラ様のこともあるし、私はフロル様に当主代理としてフェニコールを導いて欲しかったんだ」

「では何故殺したんですか」


 私がそう言うと、イブは涙を浮かべながら首を横に振った。


「わからない、わからないんだ。私はただ、ジャンを殺害した事実を打ち明けて、証拠となる毒瓶を渡しただけ。それだけなんだ。フロル様は私に微笑んで、“今日は眠りなさい”とそう言って、部屋に入っていったんだ。それが、私が彼女を見た最後だった」


 イブは罪を打ち明けて瓶を渡しただけ。

 フロル・フェニコールを次期当主に据えるつもりだったと言っていたし、彼女の発言に矛盾はないように思う。


「ひょっとして、自殺……ですか」

「──おそらく」


 イブは下唇を噛んだ。

 それだけじゃない。涙を流しながら、金の前髪をくしゃくしゃに掻き上げ、その白い指で自分の頭を鷲掴みにするように力を込める。


 激しい後悔の渦に、イブは囚われている。

 ジャンだけでなく、フロルの命も自分が奪ったと思っているのだ。


「私の、私のせいなんだ! 私のせいで、フロル様は死に、結果ロキも……!!」


 イブは既に嗚咽(おえつ)を抑えることができなくなっていた。

 いくら人のいない店内だったとしても、これだけ大きな声で泣いていたら、周囲に声が漏れてしまうだろう。


 私はイブの背中をさすって、頭を撫でて、後ろから抱きしめて……色々とやってはみたものの、それでもイブの涙は止まらない。


「先輩。やっぱり、先輩は帝国派に利用されたんですよ」

「ううう……だと、しても、私は──ろ、ロキを死なせて、クローラ様にも迷惑をかけて、最低だ。最低の騎士だ」


 私はその時になってようやく、イブが帯刀していないことに気がついた。

 どんな時でも剣を手放すことのなかったイブが、だ。

 騎士の資質のないものに剣を帯びる資格無し、ということなのだろう。


【“君の世界に、裏切者がいる──”】


 夢の中で美園(みその)が言っていた。

 その通りだった。

 犯人はイブ。

 彼女ははじめから帝国派に都合のいいように動かされていた──否、自分でその道を選び取っていた。


 でも、それは悪い事なのだろうか。

 苦しんで、苦しみ続け、悩んだ結果選んだ彼女なりの最善。


 ──復讐をすることが、そんなに悪い事なのか。

 いや、そんなはずはない。


「先輩は、これからどうするつもりですか」


 過去に縛られて涙が止まらないのなら、これからの話をしよう。

 未来のことを考えれば心は多少なり救われるものだ。

 それは、私もよく知っている。


 狙い通り、イブは少しばかり嗚咽を交えながらも、落ち着きを取り戻し、未来を語り始めた。


「私は……帝国派として、生きていく。ここまで来たら、もう立ち止まることは許されないからな」


 私は彼女の決意を聞き届けると、逆に宣言をした。


「わかりました、先輩。でしたら、私たちは敵同士です。次に会うときは殺し合いかもしれません」


 イブは(わず)かに表情筋を緩めて、「そうだな」と笑った。

 しかし思い出したように付け加える。


「だ、だがこの子を産むまでは待っていてくれないか? あまり激しい運動はしたくないんだ」


 私も笑った。


「そんなこと言ったら私だって子供が産まれるまではじっとしていたいですよ。だからそれまでは休戦です」

「だな」


 私は自分のカンキツのグラスをグイッと飲み干した。

 それから大きな声で、厨房の奥へと下がっていたマスターを呼んだ。


「すみませんマスター! おかわりください!」


 イブも叫んだ。


「私も頼む! 今度はバラカジュースで!」

「あ、それ私も」


 やがてドリンクが運ばれてくると、私たちは、今度は笑顔で乾杯をするのだった。

 いずれ敵になるのだとしても、今くらいは。

 妊娠初期のママ友達でいたいのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ