王都編29話 王都からの離脱
葬儀の翌日。王都最後の夜。
本来一か月近くを予定されていた修学旅行は、十日ほど短くなり、急遽ハドロス領へと帰還することが決定した。
貴族の抗争が激しくなると予想される為、生徒の保護のためにはやむなしという引率者の判断だ。
「うわ、セラトプシアも大混乱って感じだね」
「そりゃあそうだろうな」
私とマイシィは馬車に揺られ、船に乗るために港町セラトプシアまで下ってきていた。
馬車の車窓から港町を眺めると、商人たちが慌ただしく荷物を纏めていたり、何やら役人と言い争いをしていたり、商人同士で取っ組み合いの喧嘩をしていたりと、行きに通過したときとは比べものにならないくらい物々しい雰囲気であった。
行商人たちは世情に敏感である。
故に貴族間派閥の騒乱に鋭敏に反応し、王都圏から脱しようという動きが方々で見られるのだ。
「これは確かに船の手配は難しかったかもね」
「ああ。生徒全員を移動させるのは困難だろうな」
「陸路も渋滞とか酷そう。リリカちゃん達大丈夫かなぁ」
学校側があらかじめ手配していた便とは全く違う船での帰還となるため、生徒全員が同じ船に乗ることは不可能になってしまった。
ただでさえ空席が少なくなっている状況なのだ。
当然と言えば当然である。
そこでまず、生徒たちは帰りの出発日を三日に分けられた。
さらに、海路組と陸路組に別れて帰郷する運びとなった。
少人数であれば陸路の方が早く、引率も楽になるので当然選択肢に上ってくるのだ。
なお私達は初日の海路組だ。
当事者貴族は真っ先に安全な場所へ、ということだ。
「エメダスティもいるし、アロエはああ見えてしっかりしてるし、大丈夫だろ」
「だと良いんだけれど」
マイシィはどことなく不安げである。
しかし、私達は他人の心配をしている場合ではない。
今でも、どこで襲われるか知れないからだ。
「お嬢様のご友人方には護衛をつけておりますので、どうかご安心を」
「もう。それは何度も聞いたよサリバリウス。それでも心配なの」
私達の護衛はストレプト家使用人筆頭の初老の男性である。
彼も含めて私達の身なりはかなり貧相な古着姿であり、設定上は地方役人の親子旅行、ということになっている。
なお全員が髪の毛を茶色に染髪して色味を揃えたため、多少は親子っぽく見えるはずだ。
──
─
「色々と気を揉んだ割にはすんなりと出港できて良かったね」
船のオープンデッキにて、マイシィは潮風に当たりながらようやく安堵の表情を見せた。
海の上まで出てしまえばしばらく追手の心配はない。
船の乗客に刺客でも紛れていない限りは、大丈夫さ。
「今回は酔い止めも持ってきているし、心地よい船旅になると良いな」
「……そう言えばカンナちゃん行きの時酷かったからね」
「あの時はロキがいなかったら回復してなかったかもなー」
そう。行きの時は船酔いが酷くて、それでロキに精神魔法をかけてもらったんだった。
あの時は幸せだったな。
「あ……ごめんカンナちゃん」
「ん? 何が」
「その、ロキ先輩の事、思い出させちゃって」
「いいや。もう吹っ切れたから良いんだ」
葬儀の時はあんなに大泣きしていたのに、今は不思議と気持ちが落ち着いている。
海が穏やかで、風が心地いいからかもしれない。
多分、今の海は非常に凪いだ状態なんだろう。
船が前に進む時の空気抵抗が、そのまま柔らかな風になって優しく頬を撫でてくれている。
「カンナちゃんは強いね」
「……マイシィだって、強いじゃないか」
私がそう言うと、マイシィは水平線の彼方を泣きそうな顔で見つめるのだ。
「私なんか、全然だよ。本当はカンナちゃんの方が辛いはずなのにね」
「きっと、アロエがいてくれるからだよ。私の帰る場所は、ちゃんとあるって思えるから。……マイシィにとっては二股って絶対悪だと思うんだけど、私は二人を愛せて良かったと思う」
そっか、と小さく小さく呟いて、マイシィはほんの少しだけ笑顔になった。
「それにさ、私にはやりたいことができたんだ。目標があるから、前を向けるのかもしれない」
マイシィは私の方に振り向く。
すごく、綺麗な瞳だ。グレーの、宝石みたいな瞳だ。
「え、なにそれ。目標ってなぁに?」
私はそんな彼女に、とびきりの笑顔を見せてやった。
後ろめたいことなど何も無い、と言わんばかりの純白の笑顔だ。
「ふふ、ひみつ!」
するとマイシィは私の肩を掴んで激しく揺すった。
脳震盪を起こすんじゃ無いかと思えるくらいガックンガックン頭が揺れる。
「ええー!親友でしょー、なんで教えてくれないのー! 」
「ちょちょちょ、わーかったから! 帰ったらちゃんと教えるよ!」
マイシィはわざとらしくふくれっ面を作ると、顎を引いて私を上目遣いに睨む。
「もう、約束だからね」
「ああ。約束だ」
海風が私の長い髪をさらっていく。気持ちが良い。
私はマイシィから視線を逸らして波間を見つめた。
今は心安らかに、この静かな夏の海を眺めていたい。
私は嘘をついた。
地元へ帰っても、私はマイシィに私の目的を話すつもりがない。
だって、言えるわけがないじゃ無いか。
──ニクスオット家の連中を皆殺しにしたい、だなんて。
「あ、ねえ! 見て見てカンナちゃん」
「ん?」
急にマイシィがデッキ内の方向を指差すから、何かと思って振り返る。
暑い日差しを避けるように天幕の陰に入りながらも、海を見せようと必死に子供を抱えている親子の姿がそこにあった。
抱えて、じゃなくて掲げて、の方が表現としては合っているかもしれない。
大人の男性が、赤子と呼んでも良いくらいの小さな子供を両手で抱いて、腕をいっぱいに伸ばして高く高く持ち上げている。
「子供、可愛いね。何歳くらいかな」
「一、二歳くらいじゃないか? それにしても静かな子供だな」
子供は、泣くでもなく、笑うでもなく、ただ興味津々といった感じで目を丸くしていた。
普通声の一つでも上げておかしくないと思うのだが、じっと船の先端の方を見つめている。
むしろ掲げられている子供よりも、男性の足元でうろちょろしている五、六歳くらいの少年の方が何かとやかましい。
少年を諌めるように、うら若い女性が少年の頭を撫でている。
親子四人での家族旅行か何かだろう。
「あ」
マイシィが声を上げたのは、あちらさんとバッチリ目が合ってしまったからだ。
「ど、どうも……」
マイシィは少し気まずそうに会釈をして目を逸らした。
いくら子供がかわいいからと言って、ガン見するのは良くないぞ。
あちらサイドの男性も、同じように会釈をして視線を外そうとした──が、今度は私と男性の目が合ってしまう。
すると、男性は少し目を見開いたようになって、子供を抱えたまま小走りでこちらへと近づいてきた。
え、何だろう。私何かしたかな。
男性は近くで見ると、引き締まった体つきに端正な顔立ちが目立った。
東洋アイドル的なベビーフェイスのイケメンとは真逆の、彫りの深い、筋肉質のハリウッド的イケメンである。
黒い短髪に黒い瞳。
西洋的なビジュアルには若干そぐわないようなミスマッチ感がある。
ああ、そうだ、ダビデ像を黒髪で短髪にしたら近いかもしれないな。
あまりに体格がカッコいいのでちょっとだけ抱かれてみたいなんて思ったりもしたが、ロキの顔を思い浮かべて邪念を払った。
男性はさらに近寄って来る。
流石にここまで急に接近されると私もマイシィも、陰から見守っている使用人筆頭も、警戒をせざるを得ない。
いよいよ、船の中にも刺客がいたのかもしれない。
「あの、君はもしかしてニクスオットの関係者か何かかな」
男性が私に声をかけてきた。
──ニクスオット。その言葉は、今の私達には禁句だ。
私は瞳に殺気を込めて男を睨んだ。
「おおっと、怖いなぁ。そんなに睨まないでくれよ。僕は敵じゃない」
男は両手を挙げた。
何も武器は持っていないとアピールしているのかもしれないが、逆効果だった。
何故なら男は子供を空中で放し、魔法力場を用いて宙に浮かせ始めたのだ。
その時点で、ただものではないと分かる。
子供とはいえ人間を浮かせるほどの強力な力場を生み出せるという証明を自らしてしまったのだ。
「ちょっとあなた! アルカから手を離さないでっていつも言っているでしょう!?」
「うわっと、ごめん、ごめんよメイサ。つい」
少し離れたところにいる奥さんに叱られて、男は再び赤子を腕に抱いた。
その様子を見て、私は警戒を緩める。
マイシィ達はまだ警戒を解いていないみたいだけど、叱られたときのあの慌てっぷりは本物だ。
なんとなく悪い奴じゃないってわかる。
「あー、いやぁごめんね。実はね、船に乗る前に青い髪の少年から手紙を預かったんだよ。赤い頭頂眼に黄金の瞳の女の子がいたら、渡してくれってね」
私は男から封筒を受け取る。
差出人の名前はスルガではなかったが、なんとなく手紙の主はヤツなのだろうと思う。
と、言うことは、私達の行動など筒抜けだったということなのだろうな。
「青い髪って、ニクスオットの家系だよね。君は、彼らと何か繋がりがあるのかい?」
男は不思議そうに尋ねてくる。
それもそうだろう、今の私達は端から見れば庶民そのもの。
むしろ若干貧乏な感じに見えるように変装している。
船だって、雑魚寝のスペースを借りているのだ。
そんな奴がニクスオットに手紙を送られる、この状況は怪しいったらないだろうな。
私は彼の質問に答える。
「私の知人が、ニクスオットを頼って身を寄せているらしいんですよ。私達は彼女に会いに王都へ出かけたのですが、何やら貴族間で騒動が起きているらしくて、会うことはできませんでした。ですので、ひょっとしたらニクスオットのどなたかが、私達を気遣って手紙を託したのかもしれませんね」
男は「そうかい」と肩の力を抜きながら微笑んだ。
彼も内心、帝国派貴族と関わり合いになるのが嫌だったのかもしれない、と私は思った。
「まあ、僕が言うのも何なんだけどね、あまりニクスオット家を頼らないほうが良いと思うよ。彼ら、敵が多いみたいだから」
「そうはいっても、既に知人が頼ってしまっているので何とも……でも、ご忠告ありがとうございます、おじさん!」
私は悪意のない笑みを作って男性に礼を言った。
しかし、彼は神妙な面持ちで顔を引きつらせている。
「ありがとうございます、お、おにいさん!」
私がそう言い直すと、彼は二カッと気持ちのいい笑みを返してくれるのだった。
──
─
手紙の内容はこうだった。
“今年の魔闘大会でキミに会えるのを楽しみにしている”
たったそれだけの簡易な手紙。
マイシィや使用人の男性にも確認してもらったが、それ以外に細工も暗号もない。
しいて言えば、名前がスルガではなかったところに意図がありそうだ。
いや、間違いなくある。
しかしそれはマイシィ達には決してわからない仕掛けだ。
「“マイコ・シズオカ”って差出人だけど……マイコってスルガ君のお母さんだよね」
「そうですな。しかし、彼女の旧姓はヴィラズマで、シズオカではありません。単に偽名だったとしても、母親の名前を入れる意味が……」
二人は一生懸命に頭をひねるのだけど、結局は“言葉通りの意味に受け取るしかない”と結論付けていた。
スルガが私に執着しているのは、きっと魔闘大会の場にて本気で戦いたいからだと考えたらしい。
しかし、私には彼が私に執着する理由は別の所にあるのではないかと思える。
むしろ、執着しているのは彼ではなく。
「シズオカ マイコ──くそっ、日本人……なのか?」
彼の母親は、私の正体を知っているのだろうか。
知っていて、この手紙を……?
考えていても仕方がない。動かなければ。
やはり、地元でただ魔闘大会を待つのは性分に合わない。
──戻るのだ、王都へ。
私として、俺として、奴らとケリをつけるために。




