王都編28話 瞳、涸れ果てるまで
私が目を覚ましたのは、ロキの死亡が確認された日の翌日だった。
もう少し早くに目を覚ましていたなら、ロキの死は防げたかもしれない、と考える自分がいる。
別に自信過剰と言うわけではないが、彼の中に私と言うピースが足りていたならば、未来は変わっていたようにも思えるのだ。
クローラの両親の葬儀の時は、私は取り調べの真っ最中であったから行くことはできなかったが、ロキの葬儀にはきっちりと参加した。
黒い装束をストレプト家に用意していただいて、葬列に並んだ。
参加者は非常に少なくて、復権派の人達は一人だって来ることはなかった。
薄情な人たちである。
クローラの亡命に加担して死んだのだから、復権派として、どういう顔をして葬儀に行けばよいのか分からない、ということなのかもしれないが。
それでも一人くらいは来てくれたっていいのに。
「君が、ロキの恋人のカンナさんだね」
葬儀の直前、一人の紳士に話しかけられた。
白髪交じりの金髪に碧眼、背が高くて整えられた口ひげが特徴の男性だ。
瞳の色こそ違うが、私は一目見て彼が誰なのか分かった。
ロキやイブの父親だ。
彼の側に控えている使用人の女性──彼女の顔立ちや赤い瞳がロキやイブにどことなく似ている。
きっと、彼女が母親なのだろう。
私は簡易的に頭を下げて礼とした。
葬儀の場では華々しさの象徴である正式な作法などは逆に不躾であろう。
「こんな形でご挨拶をすることになってしまい、残念です」
「──本当にな。まさかこんなことになるなんて」
ロキは、正式に婚約したら両親を紹介するのだと楽しそうに話していた。
こんな悲しい日に会いたくはなかった。
「実は、ロキから手紙を預かっている」
「え」
ロキの父親の下に一通の手紙が届いたのだという。
差出人は不明だが、筆跡を見るにロキだろうとのこと。
たぶん、出発前に父親に宛てて書いたものだろう。
そこには私やイブ宛の手紙も同封されており、後日渡してほしいと書き添えてあったという。
「すまない、念のため確認させてもらったが、どの手紙も書いてある内容はほとんど同じだ。クローラ様を連れて亡命すること、マムマリア王国を経由して第三国に向かうこと、新しい名前を名乗っているということ」
私は話を聞きながら、ロキの直筆の文字に目を落とした。
そこには、彼が希望と共に出立したことがよくわかるくらい、実に生き生きとした文体で今後の予定などが書かれていた。
一部、詳細はぼかしてあったが、この文の内容のままに行動しているのだとすると、今頃クローラは西方の第三国に逃れているはずだ。
──と、ここで私は衝撃の文面を見つけてしまう。
「はいィィィ!?」
「……ああ、アレを読んでしまったか」
ロキの父親は、気まずそうに眉根を寄せつつ口角を持ち上げた。
「クローラと子作りを……」
「やはり、ショックを受けるだろうな。全く、我が息子ながらよくも……」
私は、クローラがフェニコール再興を目指している事、そのために優秀な血を受け継ぐ子孫が必要なことを理解した。
そして私がその考えに理解を示してくれることをロキが期待しているということも理解した。
その上で、言った。
「ざっけんなよ、あのバカ! なんで私が賛同してくれると思ってるんだよ。なんで私の気持ちを分かった気になっているんだよ」
私は、無性に叫びたくなった。
「畜生、その通りだよ! 私はそれくらいで怒ったりしないんだよ、そうなんだよ! それくらい私の事を理解してくれているのに、なんで……」
私は、自分の声が震えていることにようやく気が付いた。
私はロキの死を聞いてからも、遺体を目にした時も、一切泣いたりしなかったのに。
なのに。
「なんで、生きていてくれないんだよ! バカやろおおおお!! 私は、お前に生きていてほしかったんだ! なんでそれをわかってくれなかったんだよ畜生!!」
私はひたすらに叫び続けた。
天にまで届くくらいの大声で、ロキに語り掛け続けた。
だって、文句の一つだって言ってやらないと気が済まないからだ。
今はどこにいるのか分からないロキの魂に向かって、私はただ叫び続けた。
そうして、文句の台詞も尽きてしまうと、私は彼氏のご両親の面前で年甲斐もなく大泣きしてしまうのであった。
──
─
この世界における聖アーケオ教の葬儀は、実に簡易なものだ。
人は死ぬとすぐに魂が肉体を離れ、“魂の世界”へと旅立つのだそうだ。そして“時の大河”に魂が溶け込んでいき、やがて世界の一部へと還っていく。
故に、死後の肉体にはそれほど意味はなく、式と言うよりはお別れ会のテイストが強い。
……だが、いくら魂がそこに無いとは言っても、遺体を目の前にすると心が締め付けられるものだ。
もうロキは二度と目を覚まさないし、二度と笑わないし、頭を撫でてもくれないのだ。
マイシィにとってはこの修学旅行中二度目かつ三人目の葬儀である。
私達が王都に来てからというもの、人の死に触れることが多すぎる。
なんだか、彼女は私以上にやつれてしまったように感じるよ。
そうそう、ここに来て修学旅行の中止が決まったんだ。
王都にて貴族同士の抗争が始まったことが明確となった以上、生徒を王都に留まらせるのは危険だという、まあ、常識的な判断だよね。
実際自分のとこの生徒が巻き込まれているわけだし(むしろ当事者側だけど)、もう少し早くに判断しても良かったのではないかとも思う。
「なあ、アロエ」
「なぁに、カンナ」
ロキの埋葬の後、教会で祈りを捧げる。
そんな折、私はアロエにふとこぼした。
「私、王都に残りたい」
アロエと私は二人並ぶようにして教会の石段に腰掛けている。
アロエは私の台詞を聞くと、無表情のまま石段へと目を落とした。
無言。
引き止めるでも無く、理解するでもない、私達の間に曖昧な時間が通り過ぎていく。
「カンナは、残って何がしたいの」
「復讐」
「即答じゃん。ウケる」
考えるまでもない。
私の願望など初めから一つしかない。
“私の世界”を傷つけたヤツに鉄槌を喰らわす、それだけだ。
二人して教会の前の通りを眺める。
石畳の舗装路を行く人たちは、今日もいつも通りの日常を生きている。
国の行く末に関わるような派閥抗争が起きたとしても、彼らの生活に直接的な影響を与えるものではないのだ。
彼らには、私の深い悲しみなど、到底理解できないんだろうな。
「ねえ」
「なに」
アロエは私に目を向けることなく、ただ虚空を見つめながら呟いた。
「ウチ、何すればいい」
私は目を見開いてアロエの方へと視点を移した。
聞き間違いじゃないかと思ったのだ。
「なんだって?」
「ウチ、付き合うよ。カンナの復讐に。だから……どうすればいい?」
彼女の目は真剣だった。
私の方を見てはいないけど、決して嘘でも気休めでもない。
本気で私のために何かしたいと考えている、そんな感じだ。
私は、アロエにはそんな顔はしてほしくなかった。
アロエには、いつもの調子で笑っていてほしい。
「何もしないでくれ」
私は、そう言い切った。
アロエが驚いたような、悔しいような、悲しいような顔で私の方を見た。
「なんで」
「なんでって、そりゃあ」
私には、何と答えたらよいのか分からなかった。
もしかすると私の一言がアロエを傷つけてしまうかもしれないと思ったからだ。
私は最愛の恋人を亡くし、少々思考判断力が鈍っていた。
普段なら“こう言えば相手はこう反応する”、“こう言ってあげると喜ぶ”というイメージができるのだが、今に限ってはそういう想像力が全く働かない。
何か言えば逆の意味に捉えられてしまうのではないかと、怖くなってしまったんだ。
「ウチだって、カンナの役に立ちたいよ。なのに、どうしてそんなことを言うの」
今回に限っては、何も言わないのは大不正解であった。
私の態度が、彼女を傷つけてしまう。
私は、アロエの本気を見くびっていたんだ。
「ごめん。でも……」
「“でも”……なんなの?」
私が考えている事。それは。
「アロエには、死んでほしくないんだよ。だから、ハドロス領で待っていてほしい。王都に残らないでほしい。すぐに、離れてほしい」
今回の私の復讐の相手は、巨大すぎる。
この国の貴族の一派閥を相手に、個人でできることなどたかが知れている。
だからこそ、私の復讐は酷く自滅的なものになるだろう。
自己犠牲をも厭わないような苛烈な手段に出るだろう。
そんなものにアロエを巻き込んではダメだ。
彼女は魔法に秀でているわけでもなければ、体術に優れているわけでもない。
頭が良いわけでもないし、美人だが絶世の美女と言うわけでもない。
彼女の武器は“体”しかない。それも、下劣な意味での“体”だ。
そんなものを武器に戦わせることは、今の私にはできない。
──かつて、アロエをそういう道具にしようと画策していた自分が、恥ずかしくもあり許せなくもある。
ロキを失った今、その気持ちはより一層大きなものとなった。
アロエは、彼女だけは守り抜きたいんだ。
唯一、私の帰る場所なのだから。
彼女はそっと目を伏せると、「わかった」と言った。
そして、また無表情に戻る。
顔を逸らして、地面とにらめっこをする。
私の側から、これ以上彼女の感情を伺い知ることはできない。
「じゃあ、さ」
アロエはおもむろに口を開く。
彼女は地面と見つめ合うのをやめて、今度は青雲を相手ににらめっこを始めた。
あるいは、その相手は雲間を飛び交うあの鳥の群れ、だろうか。
「……やっぱり一緒に帰ろうよ、カンナ。あんた、酷い顔してるよ」
「──ッ!」
私は、頬を伝う熱い雫の存在を知覚した。
左の側は何ともないが、右側にだけ、一筋の水の線が描かれる。
しかしそれ以上は、どんなに頑張っても出てこない。
もう、私はすっかり涸れ果ててしまっているのだ。
「ううううううううッ」
それなのに、声だけは押さえることが出来ない。
本当は叫び出したいんだ。
叫んで叫んで、この王都中に恨み言を振りまいて、それでも物足りないだろうから海の向こうまで駆けていって、事の発端となったクローラを罵倒してやりたいんだ。
でも、できないんだ、そんなことは。
だから、私はせめてみっともない醜態はこれ以上晒さないように、頑張って声を抑えなければ。
「うううんんんーーーーーぅぅッ」
叫び出したい気持ちを、唇をかみしめることで抑え込む。
さっき、ご両親の前でさんざん泣いたのだ。
もう、悲しい涙はいらないのだ。
「カンナ」
そんな私に、アロエは両腕を広げて見せた。
「ほら、おいで。ウチの胸の中だったら、どれだけ叫んでも大丈夫。もっと泣いて良いんだよ」
「あ、ろ゛えぇぇぇえええ」
「ふふ、カンナはウチの胸、好きっしょ?」
瞬間。私の我慢の堰が切られた。
「ああああああああああああ!!」
私は彼女の腕の中で、叫んだ。
叫んで叫んで、それでも足りなくて、でもアロエは私の気が済むまでずっと抱いていてくれた。
気持ちが、良かった。
そうだ、良いんだよね。
今日くらいはどれだけ泣いたって、良いよね。
今日一日は泣きに泣きまくって、それからハドロス領に帰ろう。
準備を整えて、仲間を増やして、それから必ず奴らに目にもの見せてやる。
“帝国”の残滓を、片っ端から消してやるのだ。
だから。
いつかその時が来るまで、私は泣こう。
私が人であるうちに、涙は流しきっておこう。
──復讐の鬼になるのは、その後だ。




