王都編26話 全身全霊をかけて
二日が経過した。
世界歴九九九〇年の五ノ月の十七日。
その日の夜は、ストレプト家にて立食パーティが行われた。
表向きはクローラを元気づけるための会。
実際は我々のお別れ会である。
ただし、我々が亡命する事実を知っているのは当主のキナーゼ、それから魔闘士のアセットだけだ。
マイシィはきっと明日もクローラと話ができると思っているに違いない。
しかしながら、それは幻想だ。
食事の後、皆が寝静まったのを確認してから我々は屋敷を出る。
二度と、戻っては来ない。
クローラは異国の地で再起を図る気でいる。
だから、次に魔法国に戻ってくるときは再び貴族の令嬢として。
大きくなったマイシィと、堂々と顔を合わせるのだとクローラは息巻いていた。
だが再起が叶わなかったなら、今日の夜が今生の別れとなる。
そんな特別な夜だ。
「カンナ、入るぞ」
私はパーティの会場を抜け出し、いまだに目を覚まさない恋人の部屋にやってきた。
私が彼女の顔を見られるのは、今宵が最後かもしれない。
そう思うと愛おしくなって、私はひたすらにカンナの髪を撫でつけるのだった。
「お前は、打算的な女だ。私が四大貴族お抱えの存在でなくなったと知ったら、お前は私を捨ててしまうのだろうか」
思わず弱音を吐いてしまう。
が、私は自分の台詞がおかしくなって、ついつい笑ってしまうのだ。
何故ならば、私の吐いた弱音など、カンナは気にも留めずに鼻で笑い飛ばすに決まっているからだ。
四大貴族の一画で無くなったのであれば、まずは貴族としての再興を目指す。
叶わなくとも、別の枠組み、例えば全く別の業界でのし上がれるように計画を立て、実行する。
カンナはそういう奴だ。
「いずれにしても、しばらくの別れだな」
寂しいが、辛くはない。
今までだって遠距離での付き合いを続けてきた。
ならば、きっとこれからだって耐えられるだろう。
しかし、今までと違うところもある。
私はクローラの描く未来を見てみたい。
だからこそ彼女についていくわけだが、同時にフェニコールが一族として返り咲くためには後継者が必要不可欠になってくる。
フェニコールの弱かった部分はそこだ。子孫が少ないのだ。
本家がクローラ一人になってしまった段階で、他の貴族たちは「フェニコールは後の時代に続かない血脈だ」という印象を抱いてしまった。
それが今回の失脚の原因の一つである。
だから、私はクローラを抱いたのだ。
フェニコールの血と、プロヴェニアの血。
二つを掛け算することで、我らの子孫は歴史的にも由緒ある血筋として喧伝できる。
それこそが再起のきっかけになると、私もクローラも信じている。
「私はきっと、これからもクローラと肌を合わせることになる」
それは、本当は誰にとっても辛いことだ。
一人の心も救われない、自分自身を含めた全員を裏切る行為だからだ。
「お前は、きっとわかってくれるだろうな。わかってくれると信じているから、余計に辛いんだ」
カンナは、そういう事情になるとかなりドライな考え方をする。
愛欲と肉欲を分けて考える人種だからだ。
その二つがようやく一つになったのは、つい先日の事だ。
そんな折に私が他の女と行為をしたとなれば、カンナの中の愛の定義は再び揺らいでしまうかもしれない。
「けど、私はお前の事を一番に考えている。いつだって、愛している」
私は、眠っている彼女にそっと口づけをし、離れた。
「必ず迎えに来る。そのころまでには、ちゃんと目を覚ますんだぞ」
私は一方的に約束を交わし、部屋を後にした。
扉が閉まる時、今度は振り返らなかった。
絶対に帰ってくるのだから。
永遠の別れではないのだから。
女々しくもその姿を目に焼き付けなくとも、再び巡り会えるのだから、私は彼女の方は見ないでいるのだ。
私は前だけを見て歩き出した。
月明かりが、廊下を鮮やかに切り取っていた。
***
「さて、そろそろですわね」
屋敷の中が、街が、世界が静まり返った頃。私達はストレプトの屋敷を脱することにした。
クローラのお供はこの私と、アセットだ。
「本当はイブも、連れて行ってあげたいのですけど」
イブを救い出し、貴族としての格を取り返す。
それが理想なのは間違いない。
しかしクローラはイブを助け出すことをリスクと天秤にかけて、結果、亡命することを選んだのだ。
アセットの協力もあり、たった二日で手筈を整えることができたのは幸いである。
それと同時に、準備が整った段階で、イブのことは諦めるということもまた確定となったのだ。
今更何を言っても手遅れである。
「イブは強い。きっと、一人でもなんとか生きていてくれるさ」
「そうね……」
願わくば、たとえ帝国派の中で立ち振る舞うことになったとしても、カンナたちとは敵対せずに生きていってほしい。
「さあ、行こうか。ラム」
私はクローラに手を差し出す。
彼女は私の手をとって、こくりと頷いた。
私は彼女を抱き抱えると、窓から屋敷を脱出した。
一瞬だけ屋敷の方へ目をやると、私は全てを察した。
「あ、あの……ロキ」
「ああ、わかっている」
屋敷の二階の窓から、マイシィがお辞儀をしていた。
あの子は、わかっていたんだ。
今日がクローラと過ごす最後の一日になることを。
知っていて、黙っていてくれたのだ。気づかないフリをしていたのだ。
私は一度クローラを降ろし、二人そろって屋敷に向かい、敬礼をした。
あまり間を置かず、再び彼女の身体を抱きかかえる。
「行こう、ラム」
「ええ、よろしくねロックス」
私達はお互いの新しい名前を呼び合った。
これより向かうはセラトプシア南岸の浜辺。
先にアセットが向かい、船を用意してくれている。
合流ポイントまではノンストップで走り続けるのだ。
私が本気で走れば三時間ほどで辿り着けるはずだ。
──
─
こうして二時間半をかけて海に到着した。
予定よりもずいぶん早い。
普通は馬車で半日近くかかる道のりを、なるべく一直線上になるよう最短ルートを取ったとはいえ五倍ほどのスピードで駆け抜けたのだから、流石に疲労困憊である。
「ロキ……じゃなかった、ロックス」
腕の中のクローラが声を掛けてくれる。
「はぁ、はぁ、な、なんだいラム」
「ごめんなさい、私──」
彼女はおもむろに地面に降りると、フラフラと私の下を離れていった。
なんだ、私を労ってくれるのではないようだ。
彼女は浜辺を波打ち際まで歩いて行き、波が被るか被らないかくらいの位置で、──盛大に嘔吐した。
どうやら、労わなければならなかったのは私の方らしい。
私は彼女の側まで歩いて行き、背中をさすった。
その時、視界の端にチカチカと光る物が映った。海の方角だ。
顔を上げると、遠くから漁船が一艘、こちらに近づいてくるところだった。
目を凝らせば、筋骨隆々とした赤い髪の男性が手を振っているのが見える。
「ラム、迎えの船だぞ」
私は彼女の背中をなおもさすりながら、なるべく優しい声色を意識しながら声をかけた。
彼女の吐き気は、私のスピードに酔っただけではなく、心理的緊張からくるものかもしれないからだ。
「ラム、これから──」
私は、クローラへの声かけを中断した。
嫌な予感がして、浜辺に面した堤防の方を見る。
「……ロックス?」
クローラが心配そうに声をかけてくるが、私は彼女の方を見る事ができない。
なぜならば。
微かに感じたのだ、魔法力場の震えを。
今も感じるのだ、溢れんばかりの敵意を。
潜んでいるのだ、私達に敵対し、その行動を妨害しようとする者が。
「ラム、すまない」
私はクローラの体を再び抱き抱える。
「きゃあ!?」
彼女は戸惑ったように声を上げて手足をばたつかせるが、私はそれに構う事なく海に向かって走った。
背後の刺客たちが、慌てて動き出す気配を感じる。
……まずいな、このままクローラを抱えて逃げ切れる気がしない。
すまない、と心の中で詫びつつ、私は最終手段に出ることにした。
「あああああああッ!!」
渾身の力と風魔法を込めて、彼女を船の方へと投げ飛ばしたのだ。
「きゃあああああ!?」
「飛べぇぇ、クローラぁぁ!」
空中で我に帰ったクローラは、自分でも風魔法を使い、体勢を立て直した。
おそらく、私の意図に勘付いたのだろう。
魔法で飛行することは難しい。
人間一人を空中に浮かせる風力、その状態を維持する持続力が必要だ。
しかし、短時間ならば滞空することはできる。
クローラは少しでも船に近づけるように懸命に風を放っていた。
──行け。そのまま船へ。
飛べなくなったら泳いででも、船へ近づけ。
──生きろ。
這いつくばってでも生きろ、クローラ。
「こいつらは、私が引きつけておくから──ッ!」
そう言って、私は振り返る。
クローラが船の方へと投げ出されたのを見て、慌てた様子で飛び出してきたのは五人だった。
皆一様に黒い衣装に身を包んでいる。
その衣装というのが不気味で、ボディラインがくっきりと浮かび上がるほどに肌に張り付いていて、まるで裸体に黒いペイントを施してあるよう。
口元を覆うように布が巻かれており、顔の特徴はやや分かりづらい。
一人は、骨が浮き出るほどに痩せ細り、毛髪や眉が一切存在しない小柄な男。
一人は、成人男性の平均身長くらいで、程よく鍛えられた体つきのボサボサの黒髪男。
一人は、浮浪者じみた白髪交じりの長髪に、布を巻いていても隠しきれていない長いひげを持つ老人。
一人は、豊満な肉体を恥ずかしげもなくさらけ出した茶髪の女性。
もう一人は、性別不詳の子供だった。
碧がかった髪の色を見るに、ニクスオット家の縁者だろう。
彼らは私のことなど見向きもせず、まるで視界にも入らないように無視をした。
彼らは魔法の力で宙へと浮き上がり、逃れようとするクローラを追い始めるのだった。
が、そんなことは私がさせない。
「雷鳴裂光!!」
私の身体から放出された膨大な本数の稲光が、空中に飛び上がらんとする五人の身体を撃ち抜いた。
彼らは飛び上がった勢いのままに落下し、浜辺へと衝突した。
しかし致命傷ではない。
空中放電は見た目の派手さとは相反して威力が低いのだ。
ほとんど絶縁状態の空気の層を貫通するのに随分と電圧を持っていかれてしまう。
「クッ……ロキト・プロヴェニアか。邪魔をするナ!」
吠えたのは、ニクスオットの縁者であろう子供だ。
彼、あるいは彼女は 墜落の際、ギリギリで体勢を立て直し、地面に激突はせずに踏みとどまっていた。
中性的な声質のため、声を聴いてもなお性別の判別は不能である。
他の者は声ひとつ発せず、不気味にゆらりと立ち上がる。
影がひとりでに動いたような気持ちの悪さを感じる。
「やらせない──この私の命に代えても、彼女は守り抜いて見せる!」
私は自分を鼓舞するためにも、大きな声で宣言した。
発言の内容に嘘や誇張は無い。
私は、私の全生命を賭けて、クローラを守り抜くのだ。




