王都編25話 折り重なる
宿に戻った瞬間“やられた”と思った。
たった数分、彼女の下を離れただけなのに。
「クローラ様!」
「う……ロ、キ」
私は部屋でうずくまっているクローラに駆け寄り、そっと肩を抱く。
クローラはずっと震えていた。
暗い部屋に一人きりで、震えて私の帰りを待っていた。
──私達が手配した宿は、既にめちゃくちゃに荒らされていた。
梁や柱はえぐり取られたような傷が何か所も見受けられ、床には割れたガラスや花瓶、ボロボロになったベッドの破片などが隙間なく散乱している。
石壁に至っては、隣の部屋まで貫通する大穴が空いてしまっている。
また、二箇所ほど床が抜けて一階まで続く落とし穴のようになっているのが分かる。
かなり激しい戦いがあったに違いない。
「い、いいイブが、つつ連れていかれてしまいました」
「イブが……」
クローラの息が荒い。
過呼吸になりかけているのを精神力で堪えているのだ。
私は彼女の背中をそっと擦ってやった。
それでも彼女の震えは収まる気配を見せない。
「いきなり、男が二人入ってきたんです。ま、窓を蹴破って、襲い掛かってきました」
「それで戦闘に?」
「ええ。ですが、彼らは二人とも恐ろしいほどに強くて、イブは私を守ることに必死で、反撃が出来なくて……」
二人がかりとはいえ、あのイブを抑え込むとはなかなかの手練れだ。
私たち姉弟は、伊達に切り札と呼ばれているわけではない。その実力は魔法国一二を争うほどだと自負していた。
そのイブが、防戦一方になってしまうなんて。
「か、彼らの狙いは、はじめから私じゃなくてイブだったんです。彼らはイブに取引を持ちかけました。わ、私の命と引き換えに、帝国派に加わるようにと」
「そ、それでイブは帝国派について行ってしまったのですか……ッ」
くそっ、なんということだ。
イブを引き抜かれたのでは三大派閥のパワーバランスが一気に狂うことになる。
いよいよもって復権派は終わりかもしれないと覚悟した。
リーダーを失い、戦力を奪われ、残された者たちの足並みも揃わない。
これらすべてが帝国派の策略の結果なのか。
この国の力関係を一気にひっくり返し、帝政復古に向けて動きを加速させる気なのだ。
「カンナを生かしておいたのは……私を彼女のもとに向かわせて……それで」
今になって思う。
私は、まんまと罠に嵌ったのだ。
「ええ。きっと貴方を私から遠ざけるためのトラップでしょうね」
本命は、イブだった。
これはもう疑いようもない。
そのためにカンナを襲い、心配をした私がクローラの傍から離れるように仕向けたのだ。
……くそ、やり方がどこまでも卑怯すぎる。
卑怯で、巧妙で、狡猾だ。
私達がどんな行動をとっても帝国派の利益の方へ転がってしまう気がする。
幸運なのは、今回の襲撃では誰も命を落としていないことだ。
クローラもイブも無事、カンナも命に別状はない。
だから、損害は最小限。
こうなれば、なんとしてもイブを取り戻す算段を付けなければ。
「クローラ様。今からストレプトの屋敷に参りましょう。彼らは今回、クローラ様に協力的でした。魔闘士の方を護衛につけていただけるような話も出ていました。きっとまだ何とかなります」
「──そうね。ここにいても、再び襲われるかもしれない。それよりは少しでも味方の多いところにいたほうが良いものね」
私とクローラは移動を開始した。
──
─
ストレプトの屋敷についてからは、私はずっとクローラの側にいた。
本来の騎士であるイブは攫われてしまっているのだから、代理の自分が頑張らないといけない。
四六時中クローラと共に過ごしているから、カンナとはほとんど会うことが出来ていなかった。
時折クローラと一緒に見舞うくらいである。
そして二日が経過した。
カンナはまだ目覚めない。
スープを口元に運ぶとなんとか飲み干してくれるから、しばらくは大丈夫だろうが、このままでは心配だ。
麻痺毒にやられて脳の機能が破壊されてしまったのではないかと不安になる。
もう、二度と彼女と話をすることはできないのだろうか。
──
─
そしてクローラを取り巻く事態はさらに悪化していく。
騎士であるイブを失った事や、国王派のストレプトに匿われている事などから復権派内でクローラを見限るものが増え、我々を放逐する動きが加速。
ついに派閥の中で密かに味方してくれる者達をも失ったのだ。
今日になって、国王陛下に呼び出されたクローラは、朝から浮かない表情を浮かべている。
「陛下は一体、何のお話をするつもりなのでしょう」
「わかりませんわ。少なくとも、良い話ではなさそうです」
フェニコール家の人造人間に着付けをされたクローラは、心の中に重しをつけられた状態のまま、王宮に向かうことになった。
──
─
……ああ、そういえば悪い話だけではなく、良い出会いもあったな。
「よう、俺様がアセットだ。アセット・アミノフ。中級魔闘士だ。よろしくな!」
王宮へ向かう直前に現れたのは、私よりも身長の高い大柄の男だった。筋骨隆々で、程よく日焼けした肌を持つ、赤い髪の大男。
鷲のような鼻、鷹のような目、黄金の瞳。
雰囲気が少しだけキナーゼに似ている気もする。
各部がベルトで留められているグレーの装束は、魔闘士が好んで着る戦闘服だ。
魔法力場を散らす効果があり、ある程度攻撃を受け流してくれるらしい。
魔闘大会で身に付ける、闘技服の強化版のようなものだな。
「自分の力場も乱されるから、ある程度魔法力のあるやつじゃないとこいつは着れねぇのよ!」
魔法力場を散らすというのは厄介で、例えば私がこれを着たとしても逆効果になる可能性が高い。
自分自身の肉体に魔法を行使することが多いから、それを乱されるのは非常に困る。
これは、私がやるような小細工を要しない、本当の意味での魔法の天才のみが身に着けることのできる装束なのだろう。
「へっへ、と言うわけで、道中は俺様がしっかり守ってやるから安心してくれよお嬢さん!」
「よろしくお願いいたしますわ」
アセットは小気味の良い笑い方をする男だった。
初対面だというのに、その笑顔を見れば途端に全面的な信頼を置いてしまうような、頼れる兄貴分だ。
キナーゼは笑いながら、アセットについて教えてくれた。
「がっはっは、アセットは元々儂の騎士をやっておった男よ。魔闘士になりてぇって言うから試験を受けさせてみれば、なんの、たった一年で級を上げやがった。本当に頼りになる奴だから、何かあっても大丈夫だ! がっはっは!」
「はっは! キナーゼ様よ、そんなに褒めてもなにも出ないぜ? はっはっはっは!」
キナーゼとアセット。二人がそろうと、それだけで宴会場に迷い込んだのかと錯覚してしまうくらいに場が明るくなる。
色々と嫌なことは続いているけれど、この二人と巡り会えたことには、私は幸せを感じずにはいられないのだった。
──
─
──調子なんてのは上向いたと思ったら、叩き落されるもの。
アセットという良い存在に出会えたことで気持ちが上向きかけていた私達に、さらなる試練が降りかかる。
王宮に赴き、王に謁見し、彼から告げられた一言はクローラの今後に絶望を与えるものだったのである。
“宙星級の称号のはく奪、天空級に格下げ。”
それは実質的に四大貴族の一画を降ろされたということだった。
さらに領地の一部を返上し、次なる宙星級貴族へと移管させるという達示が続く。
「そんな、あまりにも酷すぎます! 陛下、次なる宙星級とは誰の事なんです! どうして、こんな」
「控えなさい、ロキ」
「しかしッ──」
食い下がる私に、クローラは語気を強めて言い放った。
「──控えよッ! 王の前ですよ、失礼ではありませんか」
「く……っ」
クローラは、こんな時でも堂々と胸を張っていた。
四大貴族として生まれたその矜持を、資格を失ってなお保とうとしているのだ。
ならば、私がその矜持を汚すことがあってはなるまい。
私は王の前に跪き、最敬礼の姿勢をもって先ほどの無礼を詫びた。
深く深く、頭を下げる。
王は、玉座から立ち上がると、その大きな体を揺らしながら私の近くまでやってきた。
そして私の側でしゃがみこむと、跪く私と目線を合わせようとして顔を覗き込んできた。
白いひげを蓄えた、優しい瞳の老人だ。
凛々しい表情は、先王陛下譲りの男前さを引き立てている。
「ロキトよ」
「はっ」
「王たるもの、常に状況を読み、国にとって最適な判断をせねばならんのだ。復権派が乱れたままでは、それこそ内政の歪みとなろう。今のクローラは信用を失っておる。故に、トップを挿げ替える必要があるのだ。許せ」
「……はっ」
言葉では許せと言っているが、表情はピクリとも動く気配はなかった。
王の立場では、こうするのが最善なのだと、信じているからだ。
これが最善だと確信しているから、罪悪感など僅かだって感じてはいないのだ。
むしろ、そんな瑣末事に心を砕くような男なら、到底王としては不適だろう。
長年魔法国の王として君臨してきただけはある。
……分かっているさ。
だが、当事者側に立つ人間としては到底納得ができるものではない。
私はこのとき、何としてでもフェニコール家を復活させようと心に決めていた。
いつか、クローラが政界の長として我々を導いてくれる、そんな未来を信じて。
どんな手を使ってでも、必ず成し遂げると決めたのだ。
──
─
帰り道、クローラは終始無言であった。
さぞ落ち込んでいるのだろうと表情を確認してみれば、そんなことはない、逆に何かを覚悟しているような真剣な面持ちであった。
「フェニコールの屋敷に帰る」
彼女がそう呟いたのは、ストレプトの屋敷までほんの一区画まで迫ったときだった。
危険を承知で急遽自宅に戻ることを決断したクローラの目は、いつの間にか輝きを取り戻していた。
馬車にて実家に戻ったクローラは、その足で自室へ直行した。
私も黙って彼女のあとに続く。
「アセットさんは、部屋の前で待機していてください」
「ああ、了解っと」
つまり、私には部屋に入れと言っているのと同じだ。
私はそのとおりにするだけ。
クローラが部屋に入るのに続く。
彼女は目配せで扉を閉めるように指示した。
やはり、そのとおりにする。
クローラは徐ろに棚の前まで歩いていくと、ぬいぐるみの合間に置かれていた写真立てを手に取った。
彼女は目を閉じて、その写真を胸に抱く。
──知っている。あれは、彼女の想い人の写真だ。
やがて私の義理の兄になるであろう、辺境貴族の長男の写真だ。
一分くらい経っただろうか。
クローラは写真立てを元の位置に伏せた状態で戻すと、私の方へと向き直った。
「ロキ、私は今から酷いお願いをします。聞いていただけますか」
真剣な面持ち。
迷いのない眼差し。
聞かないはずがないだろう。
私は貴女の護衛であり、友人でもあるのだから。
「私は、他国へ逃れようと思います」
「なッ──亡命、ですか」
クローラは頷いた。
なんとなく、そういう流れになる気がしていた。
しかし、それではフェニコール家は永遠に……。
「その上で、フェニコール家も立て直します」
「どうやって……」
クローラは迷いのない眼差しのまま、真剣な面持ちのまま、コルセットの紐を緩め始めた。
ドレスを脱ぎ始めた。下着を脱ぎ始めた。
無言で作業は続く。
私は何も言えずに黙々と彼女の姿を見つめる。
そうしてついに、彼女は生まれたままの姿で私と正対する。
恥ずかしがることもなく、ただ、覚悟の表情で私を見つめる。
「ロキ、貴方がカンナちゃんと正式に交際を始めてから、私とは一切交わることはありませんでしたね。それは、貴方のカンナちゃんへの誠実さの顕れだと思います。でも──」
私は、クローラから目が離せない。
彼女の考えが、分かってしまったから。
そして私自身も、それに答える覚悟を決めたからだ。
「フェニコール家の未来を紡ぐために、ロキ……私と子を作ってくれませんか。貴方の血脈が、きっとフェニコール再興の鍵なのです。カンナちゃんを裏切ることになるかもしれない。だけど、私に種を撒いていただきたいのです」
この期に及んでも、彼女はカンナのことを気にしていた。
甘い、甘いぞクローラ。
「貴女はカンナのことを舐め過ぎだ。彼女なら、貴女の立場を理解し、私にこう言うでしょう」
私はスカーフを取り払った。
礼服のボタンを解き放った。
「“クローラ様のために、全力で抱きなさい”」
それを聞いてクローラが笑った。
「ふふ、本当に言いそうね」
私はクローラに覆い被さった。
これは必要な儀式だ。
私達の未来を確定させるための、重要な──。




