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王都編20話 カナデのじっけんしつ

 王都、聖アーケオ裏通りにある連れ込み宿。

 逢引宿って言ったほうが良いのか? 要はラブホテルだ。


 私は今、恋人以外の行きずりの男とそんな場所に来ている。

 部屋に入るなり、私は男にベッドに押し倒された。


 まったく、この気弱な童貞野郎はムードというものを知らないのだろうか。

 もう少し会話を楽しんで、少しずつかつ自然にボディタッチが増えて、視線が通い合って、唇が近づいて……そんなの一切無視! って具合にいきなり服を脱がしにかかる。


 まあ、下着くらいなら見せてもいいけどさ。

 減るもんじゃないし。


 ドレスを乱雑に剥ぎ取られ(高かったんだぞ、アレ!)、ブラとショーツ、ガーターストッキングのみのあられもない姿になってしまう私。

 ちなみにこの世界のブラは、どちらかというとコルセットが小型化したものだ。

 故に胴体部分の肌の露出面積はそれほど多くは無い。


「あはは、おにーさん動物みたいに(さか)っちゃってるー」

「ハァ……ハァ……ねえ、キスして良い?」


 ……うわぁ、想像以上に気持ち悪いわ。コレ。


 好きでもない男にキスされるのを想像したら一気にげんなりした。

 無論、私はそこまでさせてやるつもりはない。


「だーめ、もうちょっとがまんしてからの方が、きもちーよ♪」


 男はこれから訪れる快感に期待して、音が聞こえるくらいの勢いで唾を飲み込んだ。

 まったく、本当に野獣じゃないか。


「ねえ、おにーさん下になって。カナデが気持ちよくしたげるね」

「か……カナデちゃん」


 やっべーー。

 鳥肌を隠さないと。


 前世の名前の奏夜(そうや)(もじ)って“カナデ”を名乗ったが、変に自分の本名に関連付けないほうが良かったな。

 これは、なんだか魂まで犯されているような気分になる。


 まあいい。さっさと済ませてしまおう。


 私は男をベッドに横たえると、ポーチの中に隠し持っていた布切れを取り出す。

 そいつで男の血走った目を塞ぐように結びつける。


「えっと……? カナデちゃん、これは一体」

「んー? 知らないの? 目隠しするとね、肌の感覚とかが敏感になって、すっごく気持ちいんだよ」


 あー、テキトーだ。

 肌の感覚とか、知らんわ。


 次いで私はベッドシーツを引っ張り、男の身体を覆うように巻き付けた。


緊縛(ロック)


 そして氷魔法で端を封印する。

 これで、男は身動きがとりづらい状況になった。


 さあ、始めようか。快楽の夜を。


「下半身を隠したら気持ちよくなれないんじゃ……」

「だいじょーぶ。すっごいことになっちゃうからさ、期待しててねおにーさん」


 私は男に馬乗りになると、彼の額の頭頂眼に、自分の頭頂眼を近づけた。

 そしてシーツの下からその存在を主張してくる男の欲望に、そっと指を()わせる。

 下半身に触れるのは、いわばフェイクだ。

 私が()()()()()()()()が、性的快楽の極致によるものだと勘違いさせるための。


「ふふ、いっくよー」


 私は、呪文を唱えた。

 何をしているのかがバレてしまうと非常にまずいので、心の中で、だがな。


 ──満たせ、満たせ、満たせ。神の惠よ、この者を快楽の海へ突き落せ。催淫の女神(アフロディージア)


 瞬間、男の体が大きく跳ねた。

 急速に脳内を満たした快楽物質に、思わず()()ったのだろう。


「お゛っごぉおおあアアアああああイィッ!!」


 訳の分からない叫び声をあげて、男はよがり狂った。


「──ンんああッ!!?」


 同時に、私の頭の中にも、脳をぐちゃぐちゃにかき回されたような不快な気分が襲い掛かってきた。

 船酔いの三倍くらい酷い感覚だ。

 なるほど、こいつは確かに反動がデカい。

 易々(やすやす)と使うような魔法ではないな。


「はぁ……はぁ……ごめんね。これじゃあ強すぎたかな。じゃ、もう少し弱めた感じで行くねー」


 気分の悪さに耐えながら、私は再び魔法をかけた。


「や、やべでッ……イィィィアあああッぐうゥウう」


 既に実験動物と化した若い男は苦悶(くもん)の声を上げ続ける。


 そう。これは実験だ。


 ロキが私に掛けてくれた精神魔法を修得するための研究。

 無断での使用がバレれば死刑になる禁忌の呪文を、私のモノにするための──人体実験。


「うッ──おえぇぇっ」


 視界がぐるぐる回る。

 耳鳴りが止まない。

 一回魔法を使う度に、頭がバグっていくのがはっきりわかる。

 今の自分の姿を俯瞰(ふかん)して見る事はできないが、きっと(よだれ)を垂れ流した視点の定まらない無様な女の姿がそこにあるのだろう。


 私は襲い来る吐き気に抗いきれず、ふらつく足取りでトイレに駆け込んだ。


「はぁ……ハァ、うッ──」


 一通り胃の内容物を戻したあと、男の元に戻った。


 おもむろにブラを脱ぎ、上半身は裸になる。

 万が一吐いてしまったら、下着を汚してしまうからな。


「さ……っきのは、まだ強かっ……たかな。はぁ、それとも、最初にきついのイッちゃったから、はぁ、体がおかしくなったのかな」

「フーーーーーッフーーーーーーッ」


 男は息を荒くするだけで、もはや言葉を理解できているようには見えなかった。

 獣。

 捕獲された野生の獣がこんな感じだろうか。


 人格の崩壊間近。

 だが、良いデータは取れていると思う。

 どの程度に力を()めればどの程度の効果が見込め、どのくらい反動が来るのか、経験値が蓄積されていく。

 と、いう訳で、まだまだこの男で経験を積んでおかなければ。

 私は額の汗を腕で(ぬぐ)いながら、もう一度男に(またが)った。


 もう男の下半身に触れてやることも無い。

 どのみち、既に何が起きておるのか彼には理解できていないだろうから。


「いく──よッ」


 私は三度、精神魔法をかけた。


「──あ゛ああァァあッ♡」


 叫んだのは、私だった。

 私が魔法をかけた瞬間、集中が途切れたせいだろうが、自分にも精神魔法の効果が直接的に(およ)んでしまったのだ。

 子宮の奥から突き上げるような性的絶頂とはまた違う、脳髄から染み出すような悦楽に体が支配される感じ。


 そして気付く。

 魔法発動の際の不快感をあまり感じなかった。これは良い発見かもしれない。

 精神魔法を自分にも少し流してあげれば、アドレナリンか何かでハイになって反動をキャンセルできるのだ。

 もっとも、そんなことを続ければ後が怖いのだけど。


 男の身体はなおも痙攣(けいれん)を続ける。

 これは拘束をきつくしないとまずいかもしれない。


 すぐに体全体を氷で覆い、動かないようにした。

 こういう時の氷魔法ってホント便利。

 あまり長い時間拘束を続けると凍傷になっちゃいそうだから、そこだけ気を付けないとね。


「今度こそうまくヤるぞ! すーーーーはーーーー。よし、落ち着いた」


 四度目のチャレンジ。男性の声にならない叫び。

 今度は体全体が拘束されているので、程度が分からない。


 いけない、失敗だ。

 いっそ、どれくらい気持ち良かったのか本人に聞いてみようか。


「ねえおにーさん。気持ちいい?」

「ヒッ……も、もう無理だ……何しているのかわからないけど、これ以上はやめてくれぇぇ」


 お、会話が成立した。

 いい感じの具合に威力を抑えれられているのかもしれない。


 私は男の目隠しを取ってあげた。

 恐怖におびえる瞳。

 あー、これは快楽に堕ちた顔ではないな。


「ごめん、おにーさん。私がうまくできるまで、付き合ってね!」

「う、うわああああああ」


 精神魔法の実験は、二時間も続いた。


──


 すっかり汗だくになってしまったから、部屋に付随されているシャワー室を借りた。


 元々“恋人同士”や“娼婦と客”の関係で訪れる場所だからか、シャワー室とベッドルームの間の遮蔽(しゃへい)環境は無いに等しい。

 安物の、色がついていて分厚さにムラのあるガラスの壁が、シャワー室を覆っているだけだ。

 故にベッドルームからは私の一糸纏わぬ姿がぼんやりと見えているだろう。


 私は全裸のままベッドルームへ戻った。

 どのみち全てをさらけ出してしまっているから、隠しても今更、だ。

 ベッドの上からシーツで()巻きにされた男性がこちらをじっと見つめていた。


「めちゃくちゃ見るね、おにーさん」

「せ……せめていいものが見たくて……」


 まあ、あれだけ地獄を味わった後だから、少しでも良い思い出を持ち帰りたいんだろうね。


 で・も♡


「あれれー? おにーさん、もしかしてあれで終わりだと思ってるぅ?」

「へ」


 瞬間、男の身体は細かく震え始めた。


「もういやだやめてくれ死にたくない死にたくないやめてくれ怖い怖い怖い助けてくれ助けてくれ俺はもういやだぁあああああああ」


 安心したまえ、若者よ。

 もう精神魔法の実験は終わりなんだ。

 続いての実験は……。


 私はポーチに忍ばせていた小瓶を取り出した。

 それは、美術館で確保したシアノの毒魔法を、ちょうど良いサイズの入れ物に移し替えたものだった。


 むしろ、私が男を誘惑して実験に強制参加させた主目的はこちらだ。

 先ほどの精神魔法の練習は前菜に過ぎない。

 ここから先がメインディッシュである。


 シアノの使った毒魔法とやらの、生成された化学物質の成分が気になる。

 何かを析出したり試薬を用いたりという本格的な設備は無いし、そもそも知識が無いから、せめて人間に投与したらどうなるかくらいは調べないとな。


 動物実験でも良いのだけど、それでは人間に作用した時にどうなるか分からない。

 だから、この世から消えても大丈夫な人間をずっと探していたのだ。

 消えたところで社会には何の影響をも及ぼさないような、矮小な存在を求めていたのだ。


 もっとも、カンナ・ノイドとしての殺人処女を捧げる相手がこんな小物なのは嫌だから、細心の注意を払うのだけどね。万が一ってこともある。


 私は魔法力場を生成し、液体に直接触れないよう細心の注意を払いながら毒液のほんの一部を取り出す。

 シアノが私にしようとしていたように、まずは目の中に浸透させてみよう。

 果たして、何が起こるのかな──?

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