王都編19話 夜を奏でて
性的な事象を匂わせる描写があります。
お読みの際は、周りに画面を見られないような環境でお楽しみください。
(R-18描写はありません)
そこから数日は平和そのものであった。
無事に学校のグループと合流し、修学旅行を再開できたのだ。
最初、私達が戻ってきた時には、生徒だけでなく先生の中にも泣き出す者がいた。
余程心配をかけてしまっていたようだ。
“良かったね、良かったね”と号泣しながら担任の先生がハグしてきた時にはちょっと気恥ずかしかったけど、嬉しかったのは間違いない。
ああ、私にも人の心があったんだ。
こんなことで感動してしまうとは。
それから数日は、いつメンの四人で行動した。
……まあ、後ろからストレプト家の雇ったであろう護衛さんが付いてきていたので、本当は四人行動ではないのだけど。
護衛さんはむしろ堂々と姿を見せて、警戒中である事をアピールしていた。
敵も手を出しづらいだろうな。
なので、日中は危険を感じる事は全く無かった。
「ねえ、私アロエちゃんと交代しようか?」
同室のマイシィは、夜になるとそんな事を言い出した。
「いやいや。ここは一応スイートだし、貴族用だろ。むしろアロエと一緒にいたいなら、私が向こうに行くべきだよ」
「でも四人部屋だし、向こうに行っても二人きりになれないよ?」
マイシィは恋人なんだから二人でいたいだろうと、私達に気を遣ってくれているんだ。
それはわかる。
確かに一緒にいたいさ。
だけど、私は出来るだけ優しい笑顔で彼女にこう言った。
「いいんだ。私とアロエは、これからも一生側にいるんだから」
本当は、ロキとの結婚を機に一度は離れてしまうかもしれない。
私が力を付けて、その後から一緒になるという話だ。
だが細かいことは、話の本筋ではない。
「……そっか。そうだよね」
マイシィは納得したように微笑んだ。
彼女の安心した顔を見ると、私も気が和らぐよ。
私達はお互いにまだ少しギクシャクしていたが、この日は眠りにつくまで語り合い、随分とわだかまりが解けたと思う。
やがて二人とも欠伸の回数が増えてきたタイミングで就寝する運びとなった。
おやすみマイシィ。良い夢を。
──
─
さて、今は真夜中。俺の時間だ。
夜を、奏でる時間だ。
私はポーチの中に小瓶が入っている事を確認すると、宿の部屋をこっそりと抜け出した。
***
王都レクス中央区の聖アーケオ通り。
王宮から南へ真っ直ぐに伸びている大路は、夜になると数多くのガス灯で煌びやかに彩られる。
平民区画はガス灯だが、貴族区画なんて電灯だ。
意外や意外、電気が通っているんだ。
より強い光量を放っていて、城門の外から内側を仰ぎ見れば、まるで貴族区画全体が夜の闇の中において一際輝いて見える。
一方で平民区画をさらに南へ下り、王都南区方面へ歩を進めると、通りは次第に歓楽街の様相を呈してくる。
一本裏通りに移れば、そこには客引きの若い男や鮮やかなドレスに身を包む化粧の濃い女が縄張りを主張するが如く立ちはだかってくる異質な空間が広がる。
やっぱりあるんだな、色の街が。
私はその裏通りを歩いていた。
身に纏う漆黒のドレスは昼間適当に見繕った店で、先ほど購入したばかりのものだ。
一見すると露出は少ないように見えるが、至る所がレース生地になっているので、私の肩や背中、太腿の辺りは垣間見ることができる。
扇情的なデザインだ。
「ねえねえ、お姉さん。凄く綺麗だね。もうどこかの店で働いてるの?」
「……。」
「うちの店、稼げるよ。どうかな。どこにも決まっていないなら是非おいでよ」
客引きの男がしつこく絡んでくるも、私は無視して歩き続けた。
しばらくすると男は急に諦めたようになって、元いた場所まで戻って行った。
なるほど、この交差路から先は別のグループのテリトリーなんだろう。
区画ごとに元締めが変わり、区画を跨いで営業活動をすれば命の保障がない、という感じだろうか。
よく観察すれば、交差路を跨いでの客引きは一件も無いことがわかる。
故に私の見立ては間違っていないだろう。
「さて、と」
この街の元締めなど関係のない私は、そろそろ男でも引っ掛けてみようか。
裏組織の邪魔にならない程度に、こっそりと、ね。
私が狙うのは、いかにも幸薄そうな若い男。
女を買いたくてもなかなか買えないような、貧乏な雇われ商人あたりがいい。
そして出来れば、地方から来たばかりで右往左往しているような──そうだ、あそこに立っている青年のような奴がいい。
私はターゲットとなった男の方へ向けて歩き始めた。
そして彼の右後方から近づいていくと、追い抜きざまに声をかけた。
「おにーさん♪ どうしたのー、そんなところでキョロキョロして」
「え!? えーっと……」
彼はただでさえ気の弱そうな顔付きを、さらにおどおどした表情に染めて、私の方を見た。
目が合った瞬間、彼の口はひとりでに開いて、目も大きく見開かれた。
どうしたんだい、そんな急に美しい女神でも見たような顔をして。
あ、そうか。女神が話しかけたんだから、そりゃあビビるよね。
「おにーさんこの辺の人じゃないよね。今日はどうしたの。観光?」
「あ、ああ……。そ、そうなんだ。観光、だ」
「ふふ、そんなこと言って。ほんとーは女の子を買いに来たんでしょ」
青年は、赤くなって俯いた。
色白だからだろうか、顔色の変化がわかりやすい。
つーか女を買うつもりが微塵も無いのにこんなところに来ている客はレアだろう。
それしきのことを言い当てられて恥ずかしがっているようじゃ、まだまだだぞ青年。
「はは、観光なのは本当だけどね。一度、こう言うところを経験してみたくてね。でも、どの店も高くて手が出せないんだ。フリーの娼婦達は病気持ってそうで嫌だし」
おいおい、まるで店の女は性病に罹っていないような口振りだな。
お前に江戸時代の遊郭と梅毒について語ってやろうか?
東京の風俗街とクラミジア、淋病について語ってやろうか?
「あたしもフリーだけど、病気はないよ?」
「え」
男は本気で驚いた顔をしていた。
なにか? 私が病気にかかっているようにでも見えたならお前の方が病院に行くべきだよ。頭のな。
「き、君も娼婦、なのかい」
ああ、そっちか。
「うん。あれ? 見えなかった?」
「あ、ああ。化粧も薄いし、清楚な感じだし、違うかと思った」
私が珍しく化粧をしているのは、額の傷を隠す為と、顔の印象を誤魔化すためなんだがな。
それさえなければすっぴんの方が綺麗だ。
あと、私のどこを見たら清楚に見えるのか。
この男、マジで女を見る目が無いな。あるいは女に幻想を抱いているタイプか。
いずれにしても、
──良い、獲物だ。
「ねえ、おにーさん? あたしを抱けるとしたら、いくら出せる?」
「き、君を抱くのかい」
「うん。だって、したくない? えっちぃこと」
男の喉が上下に動くのがわかった。
ちょっと涙目になって、眼球が細かく揺れている。
瞳孔がみるみるうちに開いていく。あはは、おもしろーい。
あえて回りくどい言い方をしないのがポイントだ。
自分に対する感情が嫌悪の方に傾いていなければ、こういった台詞は自分の方へと気持ちを一層引き寄せる効果がある。
ストレートな言い回しをしてドン引きされるようだったら、深追いせずその時点でスパッと切ってしまえば良いのだ。
「に、二百ディオスくらいなら」
青年は答えた。
……いや、やっす。安いな私。
二百ディオスといえば、貧乏一人暮らし一ヶ月分の食費くらいじゃないか。
王都の書店で面白そうだと手に取った学術書がこのくらいの値段だったな。
私イコール学術書、と考えるとなかなかに趣がありそうなものだが、ドレス代の半額にもなりやしない。やっぱ安いわ。
「あ、そ。じゃあいいや。バイバイおにーさん」
「ま、待って!」
私が颯爽と立ち去る素振りを見せると、彼は慌てた様子で私を呼び止めた。
うん、君なら呼び止めると思ったよ。
だって、私を逃したら今夜は誰も相手をしてくれないだろうからさ。
「……なぁに」
私がわざと冷たい視線を投げると、彼は決死の形相で五本の指を目一杯に広げてみせた。
真剣な表情で、玉のような汗を鼻の頭に滲ませて、震えた声で私に言うのだ。
「ご、五百ディオスなら、どう?」
やはり、値段を釣り上げてきた。
私は顎に手を当てて考える。
物価から考えるに、娼婦達の相場は三から四百ディオスくらいだと思う。
五百は私にしては安すぎるが、及第点と言った感じかな。
とはいえ彼の様子から察するに、五百ディオスというのは彼にとって相当な金額のはずだ。
最初に提示した二百ディオスの時点で、かなり頑張ったに違いないのだ。
「その五百ディオスって、もしかしておにーさんの帰りの旅費も入ってる?」
「う……うん」
「ふーん。そっか」
つまり、持ち金を全部使ってでも私を抱きたいと言う感じね。なるほど。
「やっぱ最初の二百ディオスでいーよ」
「ほんとうかい!?」
男の顔がパッと明るくなった。
そんなに私が欲しいか。
「うん、もちろんだよ。そのかわり」
私は口元に手を添えて、若者の耳元に顔を近づける。
鈴の音のような囁き声で、彼の期待値をぐっと上げることにしよう。
「そのかわり……中に出しちゃだめだよ?」
「う、うん! わかった、わかったよ」
はは、鼻の下を伸ばしちゃって滑稽だな。
いいぜ、ならばくれてやろう、最高に快楽に塗れた夜にしようじゃあないか。
二度と現実に帰ってこれないような爛れた夜に、おひとり様、ごあんな~い。
嫌な予感がした方は……たぶん正解です。




