王都編11話 華麗なる一族
「はっはっは、楽しそうで何よりだね」
「父上!」
私達が再会を喜び合い、お互いの衣装についてあれやこれやと盛り上がっていたところ、前置きもなしに扉が開き、一人の中年男性が現れた。
傍らに奥方であろううら若い女性を引き連れたその男は、明らかに高級な繊維で織られたと思わしき衣装に身を包んでいた。
少し後退気味のブロンドの髪はオールバックでまとめられ、切れ長の碧い瞳はそれだけでクローラの血縁だということを知らせるものだ。
柔和な表情を浮かべた紳士、しかしあれは間違いなく、クローラの父、ジャン・フェニコールその人である。
彼の登場から一呼吸も置かずして、私たち全員がかしこまった姿勢を取る。
場の空気が一変した。
私やマイシィは間もなくお辞儀をし、従者三人もワンテンポ遅れて礼をした。
ジャン・フェニコールのにこやかな表情は、一見優しげだがその実何を考えているのか分からない怖さがある。
なんといっても宙星級正一位、つまり国王より与えられた位の中で最上位に位置する者。
貴族復権派の代表である。見た目通りの優男であるはずがない。
きっと物凄い数の修羅場をくぐってきたハズだ。
「本日はお招きいただき、誠に感謝いたします。また、このような格好でのご挨拶となってしまった事をお詫び申し上げます。わたくしがキナーゼ・ストレプトが長女、マイシィ・ストレプトでございます。こちらはハドロス領マイア地区長の娘、カンナ・ノイドでございます。また、彼らは当家の従者でございます。一時の滞在を、どうかお許しください」
マイシィは挨拶が終わると、再びお辞儀をしようと胸に手を当ててスカートの端を摘まみ上げた。
するとジャン・フェニコールはマイシィの肩に手を置いて笑いかけるのだった。
「そのまま、そのまま。固くならなくて良い。遠路はるばるよく来てくれたね、ストレプト家のご令嬢よ。今夜は当屋敷にてゆるりと過ごすが良い」
「はっ。お心遣い感謝いたします」
「それにしても、クローラからは町娘の恰好で来ると聞いていたが、給仕服とは。いやはや、どんな服を着ても気品というものは隠せないな。実に麗しい娘さんだ」
「そ、そんな……勿体ないお言葉でございます。ほ、本当に失礼でなかったでしょうか」
ジャンは軽く笑いながら、マイシィの頭の上にポンと手を置いた。
「この時世だ。仕方あるまいよ。帝政復古の連中に睨まれるのは我々としても嫌だからね。これが当主同士の会談であればむしろ堂々としていられるのだが、娘の個人的付き合いを政治に使われる可能性も否めない以上は仕方のないことだ」
「はい。クローラ様とは、今後も仲良くできたら、と、思います」
マイシィが非常に硬くなっている。
傍から見ている私としては、なんとか彼女の緊張をほぐしてあげたいが、何ともしがたい空気だ。
それに、これはある意味でマイシィの外交デビュー。
下手に口出しはせずあえて見守った方が彼女のためだろうな。
それにしても、このジャン・フェニコールという男。
復権派の代表というだけあって、ナチュラルに私達を見下してきた。
──なに? 不自然には感じない?
いやいや、彼がねぎらいの言葉をかけたのは中央貴族であるマイシィに対してだけだ。
辺境貴族の私などはそもそも視界に入ってすらいない。
やはり、ただの優男ではない。
差別意識に芯まで染まった、根っからの貴族様だ。
「フロル、君も挨拶をするといい」
「ふふ、そうね」
私は奥方の声を聴いてピンときた。
この人には、会ったことがある。
ほんの少し掠れているような、しかし真っ直ぐに耳に飛び込んでくるくらい澄み渡っているような、妙な声質だ。
「私はフロル・フェニコール。当家家長ジャン・フェニコールの妻です。クローラの継母ね。よろしく」
「あ、貴女は……」
ようやくマイシィを含めた全員が彼女の正体に気が付いたらしい。
彼女こそ、私達をこの宮殿内を案内した使用人だったのである。
今は変装をすっかり解いて、本来の姿であろうドレス姿の貴婦人と化している。
この姿を見て、あらためて化粧の仕方から髪の色まで随分と変えていたのだと気付かされた。
フロルの見た目はどことなくクローラに似ていて、随分若い。
クローラの姉と言われれば納得してしまいそうだ。
違うのは髪の色が少しオレンジがかった金であることか。
継母ということは後妻だろう。
クローラにそっくりということは、元妻の縁者を娶ったという感じだろうな。
「ふふ、カンナさんはよく人を観察しているのね」
「──!? え、あの」
私は一言も発していない。
そんなにじろじろと見つめたつもりもない。
しかしフロルには何かを察知されてしまったようだ。
「私が若く見えること? それともクローラに似ている事? 気になったのはどちらかしら」
「……どちらもです」
凄い。この人は、ある意味で家長ジャン・フェニコールを凌駕する才覚の持ち主ではなかろうか。
こと観察眼においては主人であるジャンより一枚も二枚も上手である。
ジャンはマイシィの外見しか見ていないが、夫人は個々人の目線の動き、姿勢その他諸々を視界に収めているようだ。
出会いから今に至るまで、表面上の親しみやすさとは別に底知れない雰囲気があった。
「私はね、クローラの母親の妹なのよ。だから本当は、クローラの叔母に当たるわね」
「どうりで、クローラ様とお顔が似ていらっしゃると思いました」
マイシィよりも若い叔父のいるストレプト家といい、姉妹双方を娶るフェニコール家といい、中央貴族というのは複雑な家庭環境が当たり前の世界なのだろうか。
「カンナちゃん、私と母上はね──」
その後、クローラの口から語られたのは、フェニコール家の内情だった。
フェニコール家は本来家督を女系継承しているようで、クローラの生母が存命であれば、彼女こそがフェニコールの当主として政界に顔を出していたそうな。
しかし、彼女はクローラが五歳の折に奇病にかかり亡くなってしまう。
そこでフロルが後妻としてジャンに嫁ぎ、クローラが成長するまで当主代理を務める運びになったらしい。
フロルは言う。
「でも、私は当主って柄じゃないし」
「はぁ」
そこで夫であるジャンが家の代表として家長を名乗り、当面の政治活動を引き受けることになったという流れらしい。
するとジャンは元々の気質から復権派をどんどん盛り立てていくようになり、クローラが成人した今も家長をやっているということだそうだ。
一連の話を聞いたマイシィは言う。
「あの、今の話って私が聞いても良かったのでしょうか。一応、私は国王派のストレプト家の者ですので、内情を知ったらまずいんじゃ」
マイシィの心配ももっともである。
普通、敵対勢力に身内の事情はあまり知られたくないはずだ。
付け入る隙があると知れれば潰されるのが貴族社会。
それを明かすということは、裏があるのではと勘繰りたくもなってしまう。
これにはジャンがにこりと笑って返答をした。
「大丈夫、問題ないさ。こんな事情など、貴族界にはとうに知れ渡っているからね」
「さ、左様でございますか」
そんなお家問題を他派閥に知られていながらも、復権派代表として一大派閥を率いているジャンという男もまた、底が知れない存在である。
フェニコール本家の血筋ではないただの配偶者が、それでもこの殺伐とした世界を渡り歩いてきたのだ。
笑顔という仮面で本心を覆い隠し、その実“我は貴族だ”という強烈な自負を持って生きている。
そんな風に見えた。
「……」
そんな彼は、私の方をチラリとみると、途端に真顔になった。
目が合ってしまい、私は慌てて顔を伏せた。
ちょうど会釈をするような動作で、失礼のないように目線を外したつもりだった。
「君はマイシィ殿のご友人だね。カンナ・ノイドといったかな」
「はっ。仰せの通りでございます」
私はなるべく短く返答をした。
下手に何か言葉を繋げれば“平民格如きが私に話しかけるなど無礼な”と怒られる可能性もあるので、返事は最小限にとどめておく。
おっと、平気でそんな台詞を吐いていた人が今や私の彼氏という事実もあったな。
「君は、辺境貴族だというのに随分とクローラに親しげだ」
「いえ、滅相もございません。私とクローラ様ではお立場が違いすぎます」
ジャンは、私の肩に手を置いた。
「いや、良いんだよ。クローラは君の話をよくするからね、きっと将来は傑物になると期待しているよ」
「ありがたきお言葉、感謝いたします」
「せいぜい我々に敵対することのないことを祈りたいがね」
私の言葉に半ば被せるような形で、ジャンは釘を刺してきた。
どうしよう、どう返答するのが正解だ?
あるいは沈黙を返事の代わりにするか、いや、敵対することを肯定と受け止められたらまずい。
「私も、将来はクローラ様のお役に立てればこれ以上の誉れはないと考えております」
「ほぅ」
彼は、私の台詞をどのように受け取っただろうか。
願わくば“復権派に味方することを約束した”とは受け取られないことを信じたい。
不用意な物言いは、今後の人生における余計なトラブルの呼び水になりかねない。
苦労塗れの人生は、嫌だ。
「ジャン・フェニコール様」
助け舟を出したのは、私の恋人(男の方)であった。
「どうしたんだい、ロキ」
「はっ。実は、私とこのカンナ・ノイドはかねてより交際をしております」
「なんだ、そうなのかい? はっはっは、君も隅に置けないね」
台詞に反し、ジャンは対して驚いている風でもなさそうだ。
従者の情報は一通り仕入れているな、これは。
「私は彼女を、将来の伴侶にしたいと考えております。正式な婚約はまだですが、彼女も受け入れてくれています。ですので、旦那様の危惧なさるようなことは、おそらく」
「無い──か、そうかそうか! それならば良かった!はっはっは!」
ジャンはこれまでにないくらい大きく笑った。
本気で何かに安心したような、そんな屈託のない笑い方だった。
「それじゃあ、邪魔をしたね。後は学友同士で気楽に話をすると良い。食事も用意させるから、皆で食べなさい。あちらの、使用人のふりをしているお友達も一緒に、ね」
マイシィは顔を真っ赤にして俯いた。
友人を連れて来ていると看破されていたので気恥ずかしくなったのだろう。
ジャンはそんなマイシィの反応と私の表情を見比べると、私の方へ歩み寄り、私にだけ聞こえるような声でこう告げるのだった。
「毒見ならば、私の小間使いを当てがいなさい。万が一の時、ストレプトのご令嬢が悲しむのはダメだよ」
ああ、この人はすべてを見透かしているのだな。
フロルより格下だとか思ってしまってごめんなさい。
「畏まりました。ご厚情痛み入ります、ジャン・フェニコール様」
彼は満足そうな表情で、部屋を後にすべく扉の前に歩いていく。
使用人が扉を解放し、暗い廊下の奥へと吸い込まれるように消えていく。
すぐに夫人も後を追うようにして、扉へと歩を進めた。
出ていく直前に私達の方へ振り返ると、柔和な顔で“ごきげんよう”と一言だけ添えて、やはり暗闇の中へ消えていくのだった。
部屋の中の緊迫感が一気に和らぐ。
特に平民勢の緊張たるや、全員が冷や汗で服を濡らすほどであったから、その解放感は半端ではないはずだ。
汗だくなのが遠目からでもわかるほどなので、彼らはそろそろ着替えが必要だろう。
それにしてもだ。
──ジャンは私に、何を恐れていたのだろうか。
ロキの一言で安心したのはいったい何故か。
……私の存在を気にしていたのは何もジャンだけではないな。
王都に来てからというもの、私は貴族という貴族にその力量を測られている気がする。
マイシィの父、キナーゼ・ストレプト。
帝国派の御曹司、“なんとか”・ニクスオット。
そして屋敷の入り口で変装まで披露したフロル・フェニコールに復権派代表、ジャン・フェニコール。
彼らは全員、私を値踏みするような目で見てくるのだ。
心の内面に悪意があるのか善意があるのか、はたまた恐怖や不安があるのかはそれぞれだが、彼らの気にしている点は、たぶん一つだけだ。
“こいつは、誰の味方になるのか”
それを、推し量られているんだ。
なぜ私が。
──その疑問は間もなく答えを得ることになる。
私という存在がいかにして生まれたのか。
私に高い魔法適性がある理由。
すべてはある一点に起因するものだったのだと、私はこの後に知ることになるんだ。




