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王都編10話 変装

 美術館を後にした私達は、学校のツアーグループとは別行動を開始した。

 無論、事前に先生方の許可は得ている。

 貴族サイドの事情も、学校側がある程度汲んでくれているのだ。


 今回は、アロエとリリカ、エメダスティを使用人代わりで連れて行くことにした。

 ストレプト家と違い完全にアウェーとなるから、いざという時の小間使いは必要だからだ。

 礼儀作法を仕込む時間はあまりないので、最低限の所作だけを叩き込む。

 まあ、あまり頼らないようにはしよう。


 また、私個人としては最悪、身代わりとして彼女達の命を消費することも視野に入れている。

 もちろんこんなことはマイシィには言えないけどな。

 彼女ならきっと、自分の命と他人の命を天秤にかけたとき、他者を優先するだろう。


「うわぁ、あたしこんなドレス初めて着たよ! 本当に借りても良いの、マイシィちゃん」

「良いよ良いよー。あ、アロエちゃんも支度(したく)終わった?」

「うっ……コルセット、きついんだけどここまで締めるもの? ヤバいんですけど」


 アロエとリリカは派手なドレスに身を包み、対照的に私とマイシィは使用人の姿であった。

 これはもちろん、フェニコールの屋敷に入ったのが誰なのかを分かりづらくするためだ。

 ロキにも変装して来いと言われていたし、このくらいはしておいた方が良いだろう。


「ってゆーか本当にウチらで良いの? マイシィちゃん家の使用人さんじゃダメなの?」

「ダメだ。私はお前達に来てほしい。それに、王都に来て四大貴族の屋敷を訪れるなんて機会は今後ないかもしれないぞ」

「それはそうだけどさぁ。痛っ、も、もう少し緩く……」


 本音を言えば、ストレプト家の使用人の中に帝国派の間者(スパイ)がいる可能性を考えたのだ。

 また万が一の事があった際、貴族の使用人から犠牲者を生むよりは、平民格から犠牲者が出た状況の方が後に遺恨を作らないと思ったのだ。


「お、誰だ?」


 コンコンコンと扉を三回ノックする音。

 扉越しにエメダスティの声がした。


「マイシィ、車の準備ができたって」


 マイシィも扉を挟んで返答をした。


「ごめん、もうちょっと待って。アロエちゃんのコルセット巻き直してるから!」

「わかった、でも急いでね。先方をお待たせしちゃうから」


 私達は今ストレプト家にいる。

 そこから魔動車を使い一度街外れに出る予定だ。

 郊外で適当な(つじ)馬車をチャーターしてフェニコールの屋敷に向かうのだ。

 面倒だが、これくらいはしないと“敵”に有る事無い事勘繰(かんぐ)られてしまう。


 今日、美術館でニクスオットと遭遇した(むね)は既にマイシィも承知している。

 結局彼らは私の前だけに姿を見せ、マイシィにはノータッチだったようだ。

 が、帝国派の動きは要警戒。

 ありとあらゆるパターンを考えねばなるまい。


「──よし、こんなもんかな。うん、アロエちゃん凄く綺麗だよ! 姿見で見てみて」

「うわぁ、これウチ!? すごく嬉しい! いつもと違うメイクだから不安だったけど、どう見てもウチら貴族のお嬢様じゃん、すごっ」

「わあ! アロエちゃんもすごくカワイイね! あたしの衣装も見て見て~」


 アロエとリリカはご満悦の様子だった。

 この後に待ち構えているであろう極度の緊張状態の事を思えば、少しでも楽しんで貰えたならこちらとしても喜ばしいことだ。


「さあ、すぐに出発しないと。手土産も忘れないようにね」

「了解」


──


 ストレプト家を出たのが夕刻間際の十六時半ごろ。

 フェニコール家までは最短距離で三十分ほどかかるそうだが、今回は大回りしてたっぷり一時間半をかけた。

 ここまでしても追跡されていたら意味ないんだけどな。


 そうしてようやく十八時をとうに回った頃合いにフェニコールの屋敷に到着した。

 屋敷というか、そこはもう宮殿と呼んでも差し支えないくらいであった。

 日本の小中学校の敷地面積(グラウンド込み)がこれくらいじゃないだろうか。


「ようこそおいでくださいました。ハドロスよりのお嬢様方。どうぞ、クローラ様がお待ちでございます」


 入り口に立っていた使用人の女性に案内されて、宮殿の中に足を踏み入れる。


 凄い、一体何部屋あるのだろう。

 重厚な石の壁に無数の扉が列をなし、逆側の壁面は大きなガラス窓が何か所も据え付けられている。

 外は日も随分傾いて薄暗くなり始めているため、すべての燭台にはろうそくの明かりが灯っている。


 ストレプトのお屋敷と比べると随分と古めかしい石材を使用しているが、多分こちらの風合いが本来の石材の味なのだろう。

 あちらは少々コンクリが吹き付けられていたからな。


 私としてはホラーゲームの洋館を探索しているような気分になり、少し楽しい。

 一方で他の四人はその雰囲気に圧倒され、緊張しきっている様子。


「こちらのお部屋でお待ちください」

「あ、あの──」


 ぺこりと頭を下げる女性を、マイシィはあわてて呼び止めた。


「実は、ロキト・プロヴェニア様より変装をしてくるように伺っておりまして、こちらの者たちは本当は従者なのです。このままの恰好(かっこう)でお会いしても失礼に当たりますので、服を着替えても良いでしょうか」


 すると女性は、ふふ、と少し笑うとこう言った。


「クローラ様も、皆様方がどのような変装をしてくるのか楽しみにしておりましたよ。ですから、お召し物はそのままで結構です。ぜひそのお姿をお見せしてあげてください、マイシィ・ストレプト様」


 あ、この人には誰が誰なのか正体がバレていたらしい。

 考えてみれば、髪の色でストレプト家であることは分かってしまうのかもな。

 本気で変装するのであればウィッグをするか染めるかはしないといけなかったか。


「それから、カンナ・ノイドさんですね。衣服は侍女の恰好ですが、所作で分かってしまうものですよ。貴族の娘さんは幼少時よりマナーを(しつ)けられますからね」


 なんだろう、この人の声は凄く胸にくるものがある。

 ハスキーなんだけど澄んでいるような、不思議な声色。


「なるほど、そういう見方もあるのですね。ご進言いただき感謝いたします」


 私は女性に対し、礼をする。

 いつもより、少しだけ丁寧に。


 女性は再び、ふふ、と笑うと部屋を出て廊下の奥へと歩いて行った。

 その姿が見えなくなるまで、私は彼女を見送った。


「……ふーん、あれがお手本って訳だ」

「どうしたの、カンナちゃん」


 私はマイシィ達全員の顔をぐるりと見渡した。

 どうやら、事態に気付いているのは私だけのようで、皆不思議そうな顔で私を見つめていた。


「あの人、使用人じゃないよ。たぶん、フェニコール家のご令嬢だ」


 所作で見極めろ、か。

 なかなか粋なことをしてくれるじゃないか。


──


「あははは! なんですの、その恰好。ふふ、似合わないものですわねカンナちゃん」

「……」


 久しぶりに会ったクローラに、私は名指しで笑い飛ばされた。

 私だけが、笑われた。何故だ。


「マイシィちゃんはまだ“妙にかわいらしい使用人さん”といった塩梅(あんばい)ですけれど、貴女(あなた)はもう、顔と服が一切合っていませんもの! あはは、あー可笑(おか)しい」

「ちょっと言いすぎじゃないですか」

「そうかしら? 本心を言ったまでですわよ、カンナちゃん?」


 クローラは、全然変わっていなかった。

 とても小さな背丈、豊かなバスト、ウェーブのかかったブロンドの髪。

 顔は凄く大人びていて、シックな赤いドレスが良く似合っている。

 想像した通りの、二十三歳のクローラ・フェニコールだった。


「まあ、貴女以上に似合わない格好の子がいますけれど」


 クローラの目線の先にいたのは、一人の女性であった。


 長く、色素の薄い金髪は光の反射によって白く輝き、彼女の(まと)う蒼のドレスに良く映える。

 紅の瞳はどこか不安げで、気恥ずかしそうに地面に目を落としていた。

 クローラも美人だが、彼女はそれを凌ぐほどの美しさだった。

 その腰に、不釣り合いな長剣を帯びていなければもっと綺麗だったろう。


「あれって、もしかしなくても」

「そう、イブよ!」

「くぅうう……ッ」


 名前を呼ばれたイブは、顔を真っ赤にしながら俯いた。

 むしろ体全体を縮ませるように背を丸めていた。

 その姿はまるで母猫に(くわ)えられた子猫のようである。


「わぁ! イブ先輩、可愛い!」

「み、見るなッ! は、恥ずかしすぎて死ぬ、死んでしまうッ」


 わたわたと手を振るイブ。

 ああ……私の中でイケメン枠に入れていたイブがあんなになってしまった。

 あれはあれで……良き!


「して、どうしてあのような格好を?」

「フン、そんなもの、貴族の令嬢として当然の身なりでしょう。いくら騎士だからと言っても、彼女も貴族界に身を置く者なのですから」

「──で、本音は?」

「可愛いイブも見たいじゃないですかっ!」


 私はクローラと硬く手を取り合った。シェイクハンズ!


──


 そうやってワイワイと騒いでいる貴族令嬢グループを、遠巻きに眺めている者達がいた。


 一つは平民グループ。

 アロエとリリカは緊張のあまりガッチガチに固まってしまい、建物に入ってからというもの、一言だって発せずにいる。

 エメダスティはマイシィとのやり取りで一言二言は話すものの、やはり緊張して口数が極端に少なくなっている。


 そして、遠巻きに眺めているだけの存在がもう一つ。

 我が恋人ロキである。


 彼は平民グループに話しかけるでもなく、かと言って貴族令嬢の会話に割って入ることもせず、ただひたすらに辺りを警戒していた。

 彼は帝国派の動きをかなり気にしており、今にも襲撃されるのではないかと疑っているのだ。


 こと国王派の中核となるストレプト家の令嬢と復権派の代表が会する場において、少なくとも情報収集くらいの動きを見せてもおかしくないと彼は踏んでいる。

 私はこの時点でニクスオットと接触したことは伝えていなかったが、勘が働いていたのだろう、普段のロキよりも一層慎重な姿勢を見せていた。


「まったく、女どもは衣装一つであんなに騒いで」


 誰にも聞こえないような声で一人呟くロキ。

 たまたまだが、私の地獄耳はその声を拾ってしまった。

 私が声のした方を見て軽く微笑むと、彼も一瞬だけ微笑み返してくれた。

 そしてすぐに警戒モードに移る。

 たぶん、イブが今こんなだから、自分がしっかりせねばと張り切っているのもあるんだろうな。


 しばらくして、かちゃりとドアノブの動く音がした。


 扉が従者によって開かれると、この国で王の次に権力を持つ男の一人が姿を表した。

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