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王都編09話 毒の花弁

 修学旅行の四日目と五日目(王都到着より二日目と三日目)。

 この日は、王都の観光名所や裁判所の見学、魔法国の儀礼的な立法機関である貴族院の見学をツアー形式で行った。


 王都の時計塔、“帝都の二重螺旋”はその名の通り帝国時代の史跡でもある。

 五十メートル近くはありそうな石塔に、巨大な二本の樹が螺旋状に巻き付いている。

 樹は元々生きていた本物の植物で、現在は腐敗を防ぐために樹皮や枯れ枝を取り除き、防腐処理を施した後に塔に戻されモニュメントとされたのだという。


 また、門前までであるが王宮も見ることができた。

 宮殿を取り囲むように深い堀が巡っており、どことなく日本の城を想起させた。

 門の造りなんかは洋風だけどな。


「はえー、なんつーか流石(さすが)歴史の街って感じだな」

「王宮の門の装飾とか綺麗だったでしょう? あれはね、かつての皇帝ティタヌラウス・アウレリアの戦勝祝いに従弟のハドロス・アウレリア様が贈ったものなんだよ。そのモチーフとなっているのは神話に出てくるドラゴンで──」


 私が“歴史”という単語を口にした瞬間リリカのスイッチが入ったらしく、うんちくが止まらなくなった。

 ツアーに添乗(てんじょう)しているガイドよりも詳しく建築やモニュメントについての解説をしてくれるのはありがたいのだが、いささかマニアックすぎてついていけない。

 これにはマイシィもアロエも苦笑いであった。


 なんだかリリカの意外な一面を見た気がする。

 ただの男好きだと思っていた。その実歴女であらせられましたか。

 この後の美術館でもひたすらリリカの独演会が開かれそうだな。

 なんたってあの場所は……。


 私達の馬車は王宮前広場をかすめ通り、北西へ進む。

 道の先にあるのは先王陛下のお墓だ。ただしただのお墓ではない。


 先王は、自分の墓を訪れる人々に悲しみより喜びを感じてほしいという願いを込めて、生前より自分の墓を美術館とすることを計画していた。

 先王の死後、その場所には魔法国の成立に関わるものが各地より取り寄せられ、また花や絵画で美しく飾り立てられた。

 こうして出来上がった先王墓(せんおうぼ)美術館は歴史的価値の高い国宝級の美術品、刀剣などが揃えられている魔法国随一の歴史博物館でもある。


「ここが先王様のお墓だって、信じられないよね」


 美術館を見上げて、マイシィが(つぶや)いた。


「さっきの王宮より、よっぽど宮殿っぽいじゃん! やばー!」

「アロエちゃん、よく気が付いたね! この王墓を設計、デザインしたのはかの美の巨匠、キャシィ・マーモットなんだけど、帝国時代の宮殿を参考に──」


 ああ、案の定リリカの長文解説が始まってしまった。

 長いから割愛。要は帝国の建物を規模を変えて再現しましたというだけだ。

 昔一度だけ訪れたルーブル美術館にどことなく雰囲気は似ている気がする。

 あれは宮殿をそのまま美術館に転用したものだったな。


 美術館の中に入れば、いきなり巨大な彫刻がお出迎え。

 若かりし頃の先王様の像だ。

 さらに、壁面にはずらりと美しい絵画が並んでいる。

 入り口付近は比較的最近の画家による作品が多いらしい。


「おい、見ろよタウりん! 女のアレの絵だぜこれ!」

「うげぇ、なんでこんなもの描こうと思ったんだろ。っていうかなんで堂々と展示してんの!?」

「これが芸術だっていう人もいるってことだねー」

「……お前、なんでそんな冷静なんだよダスティ」

「──はは、秘密」


 男子どもは女性器のどアップみたいな絵画の前で大はしゃぎだ。

 ああ、私も前世で似たようなのを見たよ、あれもフランスだったかな。

 世界が違えども同じ感性の持ち主はいるってことかな。

 私にはあれを芸術と言い張る精神が分からないが。


 私が生暖かい目で男子たちの様子を見ていると、マイシィが近くに寄ってきて、そっと耳打ちしてきた。


「ねえカンナちゃん。アロエちゃんがリリカちゃんに捕まっちゃってるからさ、救い出してあげなよ」

「あの状態のリリカから? 無理だろ……」


 リリカは美術品に添えられているプレート一つ一つを指さしながら、アロエに対して作者の生い立ちだとか交友関係だとか、美術品には直接関係ない情報をマシンガンのように話し続けている。


「リリカちゃんのことは、私に任せて。それにさ、折角(せっかく)なんだからアロエちゃんと美術館デートしてきたらどうかな?」


 ああ、マイシィなりに気を使っているのか。

 馬車の席位置の時もそうだが、マイシィは私達が恋人関係だと知ってからやけに二人を横に並べたがる。

 私達はどちらかというと愛欲よりも肉欲で結ばれているのだけど。


「……折角だからな。そうするか」


 たぶん、マイシィとはこうやって美術館に足を運ぶ機会はいくらでもあるだろう。

 お互い貴族だからな。交友関係が途切れることはまずないと思うんだ。


 でも、アロエとは今日を逃したら一生こういった機会は訪れないと思う。

 早ければ来年、卒業式を迎えた後は離れ離れになってしまうかもしれない。

 彼女と私の生きる世界は違いすぎる。


「じゃ、リリカのことは頼んだぞ、マイシィ」

「くれぐれも美術館内でヘンタイ的なことはしちゃだめだからね?」


 マイシィに釘を刺されてしまったが、人目を忍んで手を繋ぐくらいは良いだろう。

 私はマシンガントークモンスターに絡まれている我が恋人に向かって、救いの手を差し伸べるのだった。


──


 それがどうしてこうなったのだろうか。


 私の目の前には一人の美少女が立っている。

 アロエではない。彼女は今、私の側にはいない。

 目の前の美少女に見つめられた瞬間、彼女は心臓を射抜かれたように胸を押さえ、鼻から赤い雫を滴らせながらこう言ったのだ。


「ごめんカンナ、ウチ、頭冷やしてくるわ」


 そう言って私の元をそっと離れて、ふらふらと立ち去ってしまった。


 これで私の周りからは少女以外の誰もいなくなった。

 彼女の周りは、不思議なことに誰一人としていなかったのだ。こんな観光地に、一人も。


 本来ならばアロエに付き添いながら介抱してあげるのが彼氏(?)である私の務めなのだろうが、無理だった。

 私は足が(すく)んでしまい、身動きが取れなくなっていたのだ。それは何故か。


 理由は二つ。一つは、目の前の少女があまりにも可憐であったこと。

 初めて、私は「負け」を感じた。

 美しさ、可愛さで私以上の存在を見たのは生れて始めてだった。


 身にまとうは漆黒のドレス。

 ところどころがレースで飾り付けられ、フリル一つ一つが花弁のよう。

 物憂げに瞳を隠す長い睫毛、細く滑らかな鼻筋、みずみずしさを放つ小さな唇、口元の小さなホクロ。

 紫色の瞳、サラサラの長く──青い髪。


 身動きができなかった二つ目の理由がこれだ。

 青い髪。帝国派貴族、ニクスオット家の証。


「シアノ・ニクスオット」


 ロキに見せてもらった新聞記事、そこに載っていた敵対勢力の娘。


「……なに」

「へ?」


 彼女の小さな唇が小鳥のような美しい声色をもって私に問いかける。

 はじめ、私に掛けられた声だとは気付かないくらい、すっと耳を抜けていく風鈴のごとき澄んだ声。


「わらわのなまえ……よんだ」


 ああそうか。私が思わず口走ってしまったのだ、彼女の名を。

 人の名前を覚えることが出来ぬ呪いに掛けられているはずの私が、一瞬にして記憶に焼き付けたその名前。


「す、すみません。新聞でお見かけしたもので、つい」


 私は貴族の礼をもって頭を下げた。

 目の前の相手が四大貴族の一人であることは忘れてはならない事実だ。


 だが妙だ。四大貴族であれば、護衛の一人や二人くらいいても良さそうだ。

 クローラにロキとイブが付いていたように、彼女にも誰かが側に控えているべきではないのか。


「あの、おひとりでしょうか」


 彼女は不思議そうな表情で、こくりと頷いた。

 表情といっても、彼女は僅か数ミリ単位でしか表情筋を動かしてはいない。

 生き人形。そう形容しても誰も不思議には想わないだろう。


「さっきまで、兄上といっしょにいた。いまは、ひとり」

「左様でございましたか」


 兄……の方は名前を覚えてはいないが、魔闘大会で優勝したというあの男だろうか。

 それとも別の兄弟がいるのか。


 ごくり。

 私は唾をのんだ。これは、行けるのでは。


 私は初めてその存在を知った時から、この娘を自分の人形コレクションに加えたいと考えていた。

 今一人きりでいるのなら、お近づきになって懐に入り込むことが出来るのではないだろうか。

 またとない絶好の機会。

 これを逃す手はない。


「良ければ、一緒に美術館を巡りませんか。わたくし、実はハドロス領の──」


 瞬きをした。

 ただそれだけだった。


 そのコンマ何秒の間に、私の目の前に──目の前というのはこの場合、「目」のすぐ近くという意味だ──小さな水塊が形成されていた。


 少しでも顔を前に出してしまえば、その水塊は目の中に入り込んでしまうだろう。

 あるいはこれが水玉ではなく氷の針であれば、目に入った瞬間に私は片目を失っていただろう。

 圧倒的な魔法力だ。


「わらわは、ひとりがいい」


 ああ、こいつはダメだ。

 私のモノになる器ではない。存在が大きすぎる。


 こいつは化け物だ。

 おそらくロキやイブと同レベル、あるいはそれ以上の怪物。

 私にはきっと手に負えない存在に違いない。


「あの……この水は一体」

「そいつはねェ、毒魔法、だよォ?」


 少女の後方から声がした。

 まるで耳元を舐めまわすようなねっとりとした声色で、私に話しかけてきた。


「あ。……あにうえだ」


 少し遅れて奥の部屋より歩いてきたのは、貴族の礼服に身を包んだ青い髪の青年だった。


 シアノと同じくらいさらさらとして光沢のある髪。

 顔もどことなく似ている。

 私はかつて女の子のような顔立ちの男を見たことがあるが、この男のそれは、次元が違った。

 “中性的な顔の完成形”。

 そういっても文句を言うやつは一人だっていないだろう。

 この男の顔も、新聞記事で見たことがある。


「こんにちはァ、カンナ・ノイドさん。まさかこんな所で会えるなんてェ、思ってもみなかったよ」

「私をご存じで?」


 私は男の方を半分(にら)むような感じで見つめた。

 自分としては平常心を保とうと努力しているのだが、まさか自分の存在が知られていたとあって、この時私は動揺していたんだ。


「もちろんだよォ! キミはあのロキト・プロヴェニアの愛弟子(まなでし)だろォ? 年末の魔闘大会で会えると思ってェ、楽しみにしていたのさ」

「すみません、私は大会に興味がないもので」


 ロキは大会に出なかったことを怒っていたけどな。

 もしかすると、ロキはこの男と私を戦わせたかったんじゃないだろうか。

 帝国派の御曹司を打ち負かせるだけの実力者がクローラ派に揃っているのだとアピールするために。


「興味がない? キミがァ? 馬鹿を言わないでくれよ。キミはとォっても好戦的な目をしているのにさ」


 どうでもいいがこの男の話し方はムカつく。

 裸に剥かれた上で全身を舌で舐められているようだ。

 特に何だあの不快な語尾は。

 いちいち母音を伸ばす感じが、人を小馬鹿にしたような妙なリズムを生み出しているんだ。


「……あの、私はこれにて失礼いたします。では」


 (きびす)を返す。

 ダメだ、この場所にとどまっていてはそれだけで毒気にやられる。

 この二人は、私にとって猛毒。

 常に致死量の何かを肺へぶち込まれているようなイメージ。


 しかし、そう簡単に逃がしてくれるわけもなかった。


「待って待って。もっと言葉を交わさないとォ。折角出会えたんだからさァ、仲良くしようよ」

「──仲良く? 私が、あなたと?」


 男はにっこりと笑う。

 あんなに嫌な話し方なのに、顔だけは一級品。

 その美しさに、思わず見惚れてしまう。


「そうだ! よかったら今夜ァ、ウチにおいでよ! パーティーを開いてあげるからさァ、夕食を共にしながらゆっくり話さないかい?」

「残念ですが先約がありますので」


 これは本当だ。

 日程の都合ですぐに訪れることが出来なかったが、今日の夜は再び学校のスケジュールからは離れて別行動をすることになっている。


「もしかしてェ、フェニコールの家に行くのかい?」

「……その通りですが」


 すると、男の目が細くなる。

 目は笑っているのに、口元が微動だにしない奇妙な表情。


「それにはァ……マイシィ・ストレプトも一緒かな?」

「!!」


 こいつ、マイシィにも目を付けていやがる。

 私達が修学旅行で王都に来ていることを、きっと知っているのだ。

 あるいは、この美術館でマイシィにも会ったのか。


 ──待て。この出会いは偶然か?

 奴らは、私たちがここを訪れることを事前に情報として聞いていたのでは。

 だとすると、今この部屋に誰もいないのは……私を罠にかけるためだったりするのだろうか。


「忠告しておくけどさァ、フェニコール家には近づかないほうがいいよォ」

「それは、帝国派として都合が悪いからでしょうか」


 男は再び、目元だけで笑った。


「違う違ァう、そうじゃないんだよ。そうじゃない。別に君たち如きが復権派と仲良くしたってェ、ウチには全く影響がない。ボクはねェ、キミを心配しているんだよォ、カンナ・ノイド」

「何をおっしゃりたいのか分かりかねますね」


 男は口の前に拳を当てて口元を隠し、肩を揺らして笑っている。

 気持ちが悪い。この男の一挙手一投足が(かん)(さわ)る。


「──明日になればわかる。せいぜい、巻き込まれないことだね」

「あにうえ。わらわ、次のへやにいきたい」


 シアノ・ニクスオットは男の服の裾を引っ張った。

 礼服にしわが寄る。


「わかったよォ、そんなに引っ張らないでおくれよシアノ。……残念だけどォ、今日はキミとのおしゃべりの時間は終わりのようだ。さようならカンナ・ノイド。またいずれ……ね」

「ごきげんよう、おねえさん」


 私は無言で礼をした。

 二人の足音が奥の部屋へと消えていくのをじっと待つ。

 そうして毒の気配が消えたのを見計らって、私は逆側の出口へと急いだ。

 一刻も早く、ここを離れたい。


「あれ、カンナどうしたの」

「アロエ……ちょっと休めるところに行かない?」


 展示室を出ると、ちょうどアロエが戻ってきているところだった。

 鼻に詰め物をしているあたり、相当な勢いで出血したんだろうな。


 一方の私は動悸が収まらなかった。

 今更になって汗が噴き出る。心臓がはち切れんばかりに拍を打っていた。


「ちょ、いきなり何? 休めるところって、エッチなんですけどー!」

「違う、そうじゃない。普通に、休憩がしたいだけだ。──ああ、あとそれから」


 私は掌を掲げて見せた。

 手の上で浮かぶようにして保持してあるのは、小さな水塊。


「こいつを、入れておく容器が欲しいんだけど、何かない?」

「えー? 薬湯の空瓶で良い? っていうかこれ何よ。水の玉?」

「あーっと、それ触んないで。たぶん毒だから」

「はああああ!?」


 そう。私はシアノが作り出した毒魔法を、こっそりと魔法力場で維持しながら持ち帰ったのだ。


 実に良いものを手に入れた。

 これからじっくり成分を解析してやる。


 毒魔法だと? 興味をそそられるじゃないか。

 私は真似が得意だからな。

 きっとこいつもモノにしてやろう。


 ああ、ありがとう神様!

 私に武器をくださって、本当にありがとう、ファッキン!


「──あのさ、カンナ? 顔が怖いですけど」

「いつも通りだよアロエ。いつも通りの美しい私だ!」

「はぁ」


 さあ、少し休憩したら美術館デートの続きをしよう。

 アロエとの最初で最後の美術館デートの、だ。

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