王都編06話 王都からの遣い
「やーーっと陸地だ! これで揺れから解放……え、嘘、揺れてるんだけど。船から降りたのに、揺れてるんだけど!?」
港に着き、タラップを降りた私は、自分がまだ波に揺られているような錯覚に陥っていた。
「船に乗ってる時の感覚に慣れちゃったのかもね」
マイシィの冷静なツッコミ。
確かに二日目の朝からは船酔いはずいぶん軽くなって、空腹時以外は割と平気だったけどさ。
まさか船から降りてさらに酔うとは思わないじゃないか。
私は念のためマイシィから貰った酔い止めの残り一錠を水魔法で流し込む。
飲み込む際に軽く上を向いたら、朝の直射日光に当てられて、思わずくしゃみが出そうになった。
天気は快晴、暑くなりそうな予感がする。
私は寒いのも駄目だが、あまり暑いのも駄目だ。溶けてしまう。
氷魔法で対策をしておこうかしら。
「ここからはまたしばらく馬車だっけ?」
ここまで海路でやってきたわけだが、実にところハドロス領から王都レクスまでは陸路で行ける。
しかしハドロス領より西にちょっとした山脈があり、生徒を大人数引き連れての移動の場合、山越えよりも時間をかけて船で大回りしたほうが楽なのだ。
修学旅行では例年、海路で西の港町まで移動し、そこから平坦な道を北に進んで王都へ向かうのがお決まりのコースだった。
しかし港町から王都までは近いとはいえまだまだ距離があるため、どのみち馬車を使うことになるのだ。
「道が荒れていなければ夕方には着けるはずだよ」
「半日以上かかるじゃん」
私はため息しか出なかった。
馬車道が続くと腰が痛くなりそうだし、何より帰りもこのルートを辿ることを思うと非常に憂鬱な気分になる。
ロキはこう言った旅を何度も何度も続けているんだろうと考えると、出張帰りの旦那様は労ってあげなければ、と心から思えるのだった。
国内であれば大体の場所に一日以内で行くことのできる世界、っていうのは素晴らしかったんだな。
私にもう少し権力があれば、この国に新幹線くらい通してあげるのに。
魔法科学で新幹線が作れるのかは知らんけど。
まあ、無理だろうな。
なまじ頭頂眼による魔法力場の生成という便利なものを持って生まれる世界だ。
その便利さに甘んじていたのか、技術の発展はかなり遅くなっている。
多分だけど半導体の研究がまるで進んでいない。
電子制御など夢のまた夢みたいな感じだ。
少なくとも私の生きているうちは、できないだろうね。
「ないものねだりをしても意味ないか……」
「……どしたのカンナ」
「何でもないよ、アロエ」
私はアロエには異世界からの転生者であるという話はしていない。
する必要がないと考えるからだ。
私は、どうせ彼女とは長続きしないと思っている。
ロキに迎え入れられて王都に行けば、物理的に会うのが難しくなってしまうし、何より同性愛だ。
この世界で同性愛を受け入れている人はかなり稀であり、おいそれと口外しようものなら異端者として爪弾きにされる可能性が高い。
故に、一時の関係。性欲処理のためのラブドール。
そんな彼女に、私の真実を伝える必要がどこにあるのだろうか。いや、無い。
しかし同性愛の部分に関しては、一昨日ついにマイシィには気付かれてしまった。
彼女とは宿泊も同じ部屋──食事はほかの生徒と合同だが、部屋は特等だった──だったため、夜通し質問攻めにあったのは言うまでもない。
私は一年生の時から隠れてキスするようになったことや、三年の時に正式に交際をするようになったことを洗いざらい話す羽目になった。
流石に情事の話は伏せたし、そこまでは聞かれなかったから良かったものの、マイシィからの好感度は下がったような気がする。
性別がどうこうではなく、二股であることを気にしていたからである。
実はロキにもアロエにも二股は認めてもらっていると話したら、マイシィは開いた口がふさがらなくなっていた。
きっと理解し得ない世界なんだろうな。
「さぁて、ここからが長いぞ~。皆気を引き締めるように! 座面クッションが必要ならば馬車の案内所の所でレンタルできるから各自購入しなさいね~!」
先生が生徒たちに呼びかけている。
クッションを借りるのはアリだな。
風魔法で体を浮かせ続ける術を練習したとはいえ、魔法行使を続けると疲れるからな。
しかしレンタルといってもこの大所帯、全員分は足りるのだろうか。
私が心配していると、一台の大型馬車が私達の方へと近づいてきた。
黒光りするボディは曲面が中心となって構成されていて、所々に金の装飾が施されている。
いかにも高級そうである。
馬車は生徒たちの近くで止まり、御者の方と先生とで話を始めた。
しばらくすると、先生は私達の方へと向き直り、再び大声で生徒たちに呼びかけた。
「みんな~! 座面クッションなんだけど、こちらの方が無償で貸してくださるそうです! フェニコール家とストレプト家の方々の差し入れだそうです!」
フェニコールとストレプト!?
私はその名前を並列されたときに驚きを隠しきれなかった。
フェニコール家はクローラの家で、復権派代表。
ストレプト家はマイシィの実家で、国王派の筆頭格である。
相反する両家からの差し入れ。これはもちろんマイシィの交友関係のなせる業だ。
「サリバリウス!」
マイシィは御者の方へ駆け出した。
豊かな白ひげを蓄えたご老人は、御者台からゆっくりと地上に降りると、胸に手を当てて一礼をし、優しい笑顔でマイシィを迎え入れた。
「お久しゅうございます、お嬢様」
「サリバリウスも、お久しぶりね。お髭もこんなに伸ばしちゃって」
「はは、孫が引っ張って喜びますのでな」
御者とマイシィは知り合いのようであった。
ということは、あの馬車はフェニコール家ではなくストレプト家所有の物なのか。
そうと気付いた時、既にエメダスティも御者の方へと寄っていって挨拶をしていた。
そうか、彼もストレプトの縁戚。あの御者の方と付き合いがあってもおかしくはない。
「カンナちゃん、こっち!」
マイシィに呼ばれて、私も老人の元へ。
胸に手を当て、スカートの端を摘まみ上げて膝を折る。
「お初にお目にかかります。ノイド家長女、カンナ・ノイドと申します。この度は学生たちのための差し入れ、感謝申し上げます」
すると老人も私に礼をして、言った。
「ああ、貴女がマイシィ様の文によく出てくるという……。私はサリバリウス・コーカスと申します。御覧の通り、ストレプト家の御者及び世話役となっております。お見知りおきを」
コーカス……どこかで聞いたことがあるような。
「ああ、カイン先輩の家名もコーカスだったね。でも、関係のない家柄だよ」
「ふぅん」
私が記憶を手繰り寄せていると、その前にエメダスティが教えてくれた。
そのカインって奴のことを私はあまり覚えてないんだけどな。
でもどこか懐かしい響きがする。
忘れたってことはどうでもいい存在ということだろうけど。
「サリバリウスは私を迎えに来たの?」
「左様でございます。差し入れの後は修学旅行の行軍に加わるように、とご当主様より仰せつかっております」
やった、この高級馬車ならばきっと何時間座っていても疲れないくらいフカフカの座席になっているだろう。
夕方までの長い道のり、こういった配慮は本当にありがたい。
ところが、マイシィは即答せず、うーんと考え込むのだった。
「これ、何人乗れる?」
「座席は七人までなら座れます。二頭立てですので、立ったままで良ければもう十人は可能でしょうな」
「さ、流石に全員は無理だよね」
全員て、まさか八十人の生徒を全員乗せる気だったんじゃ。
いくら馬二頭で引く大型馬車でもそいつは無理ってもんだぜ。
この世界の馬はサイみたいな筋肉してるから、引くだけならばギリいける可能性はあるが、キャビンに乗りきらないだろう。
「私、やっぱりみんなと一緒に乗りたい。折角の修学旅行だもん。みんな一緒にお尻を痛めるのも思い出じゃない?」
「ええ……」
マジかよ、嘘だろマイシィ。
だって、こんないい車滅多に乗れませんよ。
あ、ノイド家みたいな貧乏貴族じゃないからマイシィにとっては特別感とかいらないのか。
「みんなの荷物だけ載せてもらえると助かるかな。馬車一台一台が軽くなれば、到着時間も早まるでしょう」
それは良い考えだ。
では、荷物の管理は私が責任を持って──
「あら、良い考えね。それじゃあ、教師二名ずつ交代で荷物番ってことにしようかしら」
ぐぬぬ、制帽を被った担任の教師に先回りされてしまった。
この女の弱味をチラつかせて、席を譲ってもらおうか。
うーん、でも一人だけ別の馬車というのは嫌だな。
ここはマイシィの言う通り、皆と同じ苦行を思い出に変えてしまおう。
折角クッションも頂けたしな。
だが、これだけは先生に言っておかなければなるまい。
先生の思惑など、全部まるっとお見通しなのだ。
「せんせぇ♡」
「あら、な、何かしらカンナさん……?」
この女には現在三つの弱味がある。
一つ目は先輩教師との不倫関係にある事、二つ目は行為中の写真から判明した彼女の性癖、三つ目は教師でありながら作家としての収入も得ているという点だ。
その作風というのがこれまた“不倫”をテーマにしたもので、おそらく実体験であろうエピソードが盛りだくさんなのだ。
この三つ目を明らかにするだけで残りの二つも暴露されるというとんでもない爆弾だ。
そして、先生は私が満面の笑みを浮かべると、途端に表情が引きつる。
これまでにも何度かこの手法で無理やり協力させたからな。
「見張りの先生が二人なのって、理由があるんですかぁ?」
「ひ、一人だと生徒の物に手を出す人がいるかもしれないでしょう。三人だとほかの馬車に先生を配置できないわ」
それも理由の一つではあるんだろうね。でもさ。
「語学教師の先生と、二人きりなりたいとか、そう言うこと考えたんじゃないんですね?」
「……ウッ。そ、そんなわけないじゃない」
「王都で美味しいもの、食べたいなぁ」
「ううう……。わかったわよ。着いたら何か買ってあげるから」
いやあ、本当にこの担任の先生は美人だし優しいなぁ。
名前をこれっぽっちも覚えてはいないのだけど。
──
─
こうして私達修学旅行生は九台の馬車に一台の豪華荷物用馬車を加えて、十台という長い車列をもって王都へと進軍を開始した。
私はマイシィに気を使われたのかアロエの隣の席になった。
本当はマイシィの隣が良かったんだけど、小声で「彼女にヤキモチ妬かれちゃうから駄目」と言われたので何も言い返せなくなった。
本当にマイシィに知られたのはマズったなぁ。
「ねえ、見てよカンナ! 規模がデカすぎてウケるんだけど!」
「んぁー? うわ、すごっ」
車窓には港町であるセラトプシアの街が広がっている。
幾多もの水路でつながっている水運の街。
自然と商売人が集まるようになり、発展度合いで言えば王都を凌ぐと言われている。
馬車は町の中心部を避けるようにして進んでいるが、それでもひっきりなしに荷馬車が行き交い、露天商が商品を掲げ、大規模な焦点の前では客が列をなしている。
ハドロス領では見かけることの少ない三階建て以上の建物が、この街では最低限の高さですと言わんばかりに並んでいた。
私は何となく、大阪の街並みを思い出した。
道頓堀川の両側に密集する建物、電子看板、客引きの男たち。
はぁ、たこ焼きが食べたい。お好み焼きもだ。
ハドロス領で流行らせたから、帰れば食べられるのだけどな。
そうこうしているうちに、馬車は堤防沿いの車通りの少ない街道までやってきた。
後は川に沿って北上を続け、王都を目指すのだ。
ふと窓の外を見ると、馬車の脇を早馬が駆け抜けていくところだった。
早馬用の馬は、なんとなく前世で見たサラブレットを髣髴とさせる、細身なタイプだ。
たてがみはないが、角があって、これはこれでサイに似ていた。
私は馬よりも、その乗り手の方に目が行った。
一瞬。
ほんの一瞬であったがその鮮やかな髪の色に目を引かれたのである。
海の色をそのまま閉じ込めたような、深い深い青い色。
思い返せば、彼はすれ違いざまに、笑っていたような気がした。




