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王都編03話 蒸気船、良機転、上機嫌、超危険

「ううー……きもちわるい……」

「大丈夫、カンナちゃん?」


 デッキにて、風に当たりながらマイシィに背中をさすられる。

 時は修学旅行初日。

 私は大層な船酔いに苦しんでいた。


 ハドロス港までは魔動車で移動し、そこから大型の蒸気船に乗船したのだが、この蒸気船というのがまた揺れる揺れる。

 海は穏やかで、白波などもあまり立っていないように見えるが、その代わりにうねりが凄い。

 前世では大型のフェリーや小型の漁船に乗ったこともある私は完全に油断していた。

 体が違うと、こうも感覚が変わるものなのかと今更思い知らされる。


 生理明け間もないというのも影響しているかもしれない。

 私は割と、重い方なのだ。

 世の男性諸君よ、生理で苦しんでいる女性にうんと優しく接するだけで好感度はハネ上がるぞ。覚えておくが良い。

 ……ただしちょっとでも気が利かないと好感度は自由落下するがごとく下落するので、諸君も肝に銘じておくが良い。


「ああ。酔い止め持ってこれば良かった」

「誰か薬持ってないか聞いてこようか」

「うん、お願いするよマイシィ」


 マイシィに薬をお願いした私は、とりあえずそばにあったベンチに腰掛けることにした。

 空を見上げると、白い雲に混じって、途切れ途切れの蒸気が頭上を流れていた。

 船は今、全力で水を温めながら、その圧力でパドルを駆動させているに違いない。


 技術的には、幕末の黒船に近いのだろうか。

 魔法を動力に組み入れているところがこの世界の蒸気機関の特徴なんだが、乗っている分には違いはあまり感じられないな。


 夏の強い日差しをデッキに張られた天幕が遮り、程よい影を作り出す。

 潮風が気持ちいい。

 この、上下に大きくゆっくりと揺らされるのを除けば、最高のロケーションだ。

 恋人を隣に(はべ)らせて乳繰(ちちく)り合いたい気分である。

 アロエを隣に呼びたいが、彼女は他人に自分の同性愛を知られるのを嫌がるから、こういう場所ではイチャイチャできない。


「カンナちゃん」


 不意に、声をかけられた。

 声変わりを済ませ、大人びてきた男性の声。


 声の主に対し、目線だけを向ける。

 そこには背の高い、少し丸みを帯びた体躯(たいく)の青年が立っていた。

 ついでに馬鹿っぽい顔の二人の男子もそばに控えていた。


 丸みを帯びた青年はエメダスティだ。

 マイシィの親戚であり、最近急激にモテ始めたマスコット系優男。

 縦に伸びた分、横が少し引き締まってきたようで、後輩女子からの人気を独り占めにしているらしい。

 にわかには信じられないが。


 あー。そうそう、エメダスティの後ろに控えるは“ダスティのおこぼれにあやかり隊”こと私の同郷の馬鹿コンビ。

 兄と同じ名前のニコちんと、あとは──なんとかって男だ。

 二人ともリリカの毒牙にかかって以来、彼女もできずに悶々とした日々を送っているようだ。


「大丈夫? マイシィが慌てて船酔いの薬を探し回ってたけど」

「あー、そうだな、とにかく気持ち悪くてさ。初日から最悪だよ」

「オチャ、飲む? 少しは気分が落ち着くと思うよ」


 オチャ──ああ、薬湯(やくとう)か。

 この世界の薬湯は向こうの世界で言うお茶みたいな作り方だからな。

 私が時々お茶と呼んでしまうのが、いつの間にかエメダスティにも伝染してしまったらしい。


 私は礼を言ってエメダスティから薬湯の入った瓶を受け取ると、瓶のままコクリと一口分を喉へと流し込んだ。


「あ、今のってさ、間接キスかな♡」


 私がニヤリとしてエメダスティに言うと、彼は苦笑しながら


「もう、そう言うのはいいから。今更気にするような仲じゃないでしょ」


 と、完全に受け流してきた。

 なんだか、私の扱いに慣れてきたような気がするが、これはこれでムカつくのだ。


「それに、それはついさっき買ってきたばかりのやつだから、僕は口をつけてないよ」


 ち。なんだ、口をつけていないんじゃあ、さっきみたいなつれない対応だったとしても仕方がない。

 売店で売っているようなラッパ飲みできるタイプの容器だったから、いじればいい反応が返ってくると思ったのだけどな。


 しかし、自分でも手をつけていないようなものを、持って歩くか?


「……え、てことは私のためにわざわざ買ってきてくれたの?」


 エメダスティは何も言わずに微笑みで返答した。


 この世界で薬湯は割と高い。

 学校では学生割引なのかは知らないが比較的安く買える。

 私も午後のティータイムは毎日の楽しみにしているしね。


 だがここは船の上。売店があるにはあるが、全体的に値段が高い。

 商品を保管するための設備にコストはかけられないから、品数を抑えて値段を上げる他ないのだ。


 イベント会場で買う妙に値段の高いドリンク、そいつの三倍の値段を想像するといい。

 手は出ないこともないができれば買いたくないという、庶民にとってはギリギリの値段だ。

 たかだかコップ一杯の緑茶に千円以上出せますか。


「たまたま持ってただけだよ。それよりどう? 気分は落ち着いた?」


 彼は恩を着せるでも鼻にかけるでもなく、偶然と言い切る。

 優しい笑顔で、私を気遣ってくれる。


 きゅんっ。


 ……いや待ておかしい。

 何だ今のは。何だ、私は今、エメダスティにときめいてしまったのか。

 悔しい、むかつく、イライラする。

 何だって私が、こんな気分にならなくちゃいけないんだ!


 しかし、何故こんなにイライラしてしまうのだろう。

 エメダスティはおそらく下心とか無しに、純粋な親切心で薬湯を買ってきてくれただけだ。

 だというのに私はどうして、彼に心惑わされてしまうのだろう。


「おいカンナ―、顔赤ぇぞ!」

「これはアレかな。ダスティに惚れちゃったとか? 残念だったなニコル。お前はエメダスティに敗北した」

「うっせーわ、タウゼル! 俺達はどのみちリリカ敗北組なんだからよ、もう誰に何回負けても悔しくないねー!」

「……絶対悔しいやつじゃん」


 あれ、私顔赤いのかな。

 それをよりにもよってニコちんに気付かれるなんて。


 ──オーケー、冷静になろうぜ私よ。

 いや、ここはあえて俺と言おう。

 俺は男だ、男に(ほだ)されてどうするんだ。


「馬鹿コンビ、ちょっとうるさい。いいからお前ら全員向こう行ってくれよ、ただでさえ気分が悪いんだからさ」


 よし、良い感じの冷たい声が出た。

 これでこいつら三人を追い払って、あとはマイシィが戻って来るまでベンチで休んでいれば──


「ごめん、僕しばらくカンナちゃんの様子見てるからさ。後で二人に合流する感じでいいかな」


 は、はあああああああ!?

 いやいや違うよ、そうじゃない。

 私は一人になりたいんだ、ナニユエお前だけ残ろうとする。


 ははーん、さては私のご機嫌をとって少しでもお近づきになろうという算段だな。

 って、この男に限ってそんな打算的な行動をするはずがないか。ロキや私じゃあるまいし。

 良く言えば実直、悪く言えば愚直なのがエメダスティの長所であり短所でもある。


「分かったよ、ま、お二人でごゆっくりー」

「うん、ごめんねニコちん。マイシィが戻ってきたらすぐ僕も二人のところに行くから」


 馬鹿コンビは小声でヒューヒュー言いながら、その場を立ち去った。

 あの二人は昔から変わらないな。

 ほんの少し空気が読めるようになったのは成長ってことだろうか。

 今回に関しては要らぬ節介だがな。


「カンナちゃん、横になったらどうかな」

「部屋で寝てたんだけどダメでさ。どうしても揺れに慣れないから風に当たりたいんだよ」


 私がそう言うと、エメダスティは少しの思案の後、私の隣に腰掛けた。

 そして自分の太腿を手で二回ほど叩いて私の方を見て言った。


「どう?」

「どうって、お前の膝を枕にしろってこと?」


 エメダスティはコクコクと小刻みに頷いた。

 その表情は照れているわけでもなければ恥ずかしがっているわけでもない。

 至って大真面目であった。

 真剣に膝枕が最良の手段だと思っているらしい。


「まあ、お前の太腿なら気持ちよさそうだよな」


 そうまでされたら私が気にしすぎるのも変だ。

 ここは素直に膝を使わせてもらうことにしよう。

 失礼しますよっと。


「あ、気持ち良いわ」


 横になった瞬間、ふっと気持ちの悪さが薄れたような気がした。

 ちょうど良い高さに、程よい柔らかさのクッションを置いたような心地良さ。


 加えて、先ほどまでは嫌がらせのように感じていた海のうねりも、今はゆりかごのように私を心地よい眠りへと誘うのだ。

 若干ぬるかった海の風は、今度は人が頭を撫でるような温もりを伴った母の手へと化ける。

 膝枕、たったこれだけのことで世界がこんなに変わるとは。

 それとも薬湯が良い効果を発揮したのだろうか。

 いいや、多分両方だな。エメダスティの優しさが、私を最悪の気分から救ってくれたのだ。


 ああ、さっき私がこいつにムカついた理由が分かったかもしれない。


 この男の優しさは、私にそっくりなんだ。

 私、いや俺が女に接するときの偽りの優しさに。


 優しく笑いかけ、体を気遣い、頭を撫でて、じっと見つめ合い、そして心まで溶かしきったところで利用するという俺の行動に少し似ているところがあったんだ。

 それを、この男は悪意もなしに、純粋な心で実行していたから苛ついたんだ。

 自分には決して真似できないものだから、だ。


「はぁ、極楽極楽」

「カンナちゃん、おじさんかな?」


 エメダスティは苦笑いした。


「ああ、オヤジだよ。私の中身は三十なん歳の中年男だ。今の年齢を足したら五十歳くらいかな」

「……何の冗談?」


 冗談じゃないんだけどなー。

 本当に中身は五十のおっさんだ。

 前世の記憶の一部と、年相応の十七歳の精神年齢を持つ変な存在なんだよ、私は。

 そんなこと、こいつに言ったって信じてはくれないのだろうけど。

 今のところ、私が転生者であるのを知っているのは恋人であるロキだけだ。


「あー、こんなところをロキに見られたら私は殺されるなー」

「別に浮気してるわけじゃないでしょ」

「でもさ、膝枕だよ。普通恋人同士じゃないとやらないっしょ」

「……!!」


 あ、エメダスティったら今更赤くなってやんの。

 自分が今どういう状態にあるのかようやく認識したらしい。


 あれ。そういえば膝枕って女性から男性にするものだっけ。

 あまり関係ない?

 この世界では、どうだっけか。


 色々と日本とは風俗が違うんでたまに忘れてしまうよ。

 それでハッと思い出してあたふたしてしまうんだよな。

 やれやれ、これも私の悪癖(あくへき)、かな。


「ねえ、カンナちゃん」

「んー?」

「カンナちゃんはさ、ずっとカンナちゃんだよね」


 急にどうしたんだいエメダスティ。

 質問の意図がいまいちわからないぞ。


「一年生の、あの時から……カイン先輩との戦いの後からカンナちゃんは変わってしまったように思えるんだ。なんとなく達観しているというか、ただでさえ大人っぽかったのが、より子供らしくなくなったというか」


 確かに、あの戦いの最中から前世の、大浅 奏夜(おおあさ そうや)の記憶が復活したんだからな。

 そりゃあ人格にも影響するさ。


「気のせいじゃないかな。私は昔からこんなだぞ。変わったとすれば、お嬢様らしさを捨てたってことかな。ほら、私の顔こんなだし」


 私は自分の額から鼻筋にかけてできた大きな傷を指で示した。


「それでもカンナちゃんは綺麗だよ」


 エメダスティには珍しい、直球どストレート。

 不思議と、嫌な気持ちはせず、素直に受け止められた。


「ありがとう、エメダスティ」


 どういたしまして、と聞こえた気がするが、私は目を閉じて、浅い眠りの(ふち)へと吸い込まれていくのだった。


──


 と、ここで終わっていたなら綺麗にまとまっていたと思うのだが。


「……おい、カンナ」


 ん。あとごふん。


「カンナ・ノイド。貴様一体何をしているんだ」


 もう、今やっと眠れたところなんだからさ。

 邪魔しないでよ。


「あ、ああああのッ、こ、こここれはちち違くて!」

「黙れ、平民風情が。そいつは私の──」


 どこかで聞いたことのあるような声が、すぐ近くから聞こえる。

 というか、言い争っているようだ。誰と、誰が?


 恐る恐る目を開けてみる。

 目の前で立っていたのは、高級そうな衣服に身を包んだ長身の男性。

 金色の髪はその色素の薄さから白く輝いて見える。

 赤い瞳、白い肌、整った顔立ち、眉間に刻まれた峡谷よりも深いしわ。


 思わず飛び起きた。


「ろ、ろろろろろロキ!?」


 私のダーリンが、目の前に立っていた。

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