入学編35話 命の雫
【!注意!】
今回は非常に残虐なシーンを含みます。
苦手な方は◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
より下までスクロールしてください。
気がつくと俺は、暗闇の中にいた。
何も見えない。何も感じない。ただ、冷たかった。
俺の姿勢は……横になっている状態だ。
真っ暗なのは、目隠しをされているからか。かなり分厚いもので瞼が覆われているようだ。
(ここは……どこだ?)
俺は身を捩り、起きあがろうとして、出来ないことに気がついた。
理由の一つは、体を何かで拘束されているからだ。
岩か氷か、それとも金属か。何か硬い物で押さえつけられているように感じる。
理由の二つ目は、肘から先、膝から先の感覚が全くないからだ。
感覚を感じないどころか、動かそうとしても筋肉が反応しないというか、そもそもそんな物は無かったかのような強烈な違和感。
いや、これは間違いない。
俺は今、四肢を切断されている。
「う、うわああああ!?」
声は出た。何かの部屋の中にいるのか、俺の声は虚しく反響してどこかに吸い込まれた。
「あ、目が覚めたね」
少女の声がする。よく知った女の声。
毎日のように耳にして、その心を揺さぶるような美声に色欲を掻き立てられたものだ。
魂をくすぐる声なのだ。
「カンナ!? これは一体……」
問いかけて、思い出す。
そうだ、俺は先程までカンナと戦っていたのだ。
彼女とマイシィを力づくでモノにしようとして、戦闘になったんだ。
それが今こんなことになっているということは、俺はきっと敗北したのだ。
自分より四つ……今は三つか。それくらい年下の少女に呆気なく負けたんだ。
俺は焦っていたんだと思う。
ちょっと前まで自分の手の中にあると思っていたものが、指の隙間からこぼれ落ちていく。
少し気を引こうと行動した結果、取り返しのつかない事態になっていった。
最初は、ちょっとした悪戯心だったのに。
それが何故かマイシィとクローラの結託に繋がって、学校総出での犯人探しが始まった。
もう逃げられない。
ならばいっそ、力に任せてみよう。もう後には引けないから。
──それがこのザマか。
俺は負けて、両手脚まで失って……ああ、今更痛むなんて。頭頂眼も、潰れている。
これはカンナの意趣返しだろうか。俺がまさに二人にしてやろうと思った姿に、俺自身がなっている。
「……カンナ、気が済んだかよ。俺はもう、生きていても仕方のない木偶人形になっちまった。こんな姿になって、このまま生きていても仕方がない。まるでボロ雑巾だ。……いっそ殺してくれれば良かったのにな」
俺は自嘲気味に笑った。
こんな結末になるなんて。考えうる中で最悪と言っていい。
これならば男子寮での傷害の罪で捕まった方が遥かにマシだ。
「あんたさぁ」
カンナが口を開く。
もう、なんとでも罵ってくれよ。俺は何を言われても仕方がない男だ。
野望も潰えた事だし、どんな暴言も、どんな恨言も受け入れよう。
さあ、言ってくれ。
「なんで殺されないつもりでいるんだよ」
「──は?」
何を言っている。
殺す? この俺を?
いや、待て待て。そんな事をしたらカンナだって保安隊に捕まるぞ。
俺に対する復讐だけで、人生を棒に振る気か、こいつは。
「何焦ってんだよ。お前が言ったんだろう、殺してくれれば良かったのにな、ってさ」
俺を小馬鹿にするように口調を真似して、カンナは言った。
いやいや、あれは冗談というか、だってほら、カンナは既にここまでの事をしているんだぞ?
これ以上の事があるとは誰も思わないじゃないか!
「俺はお前を殺すよ? 考えうる中で最ッッ高に嫌な方法でさァ!」
カンナは部屋中に響き渡るくらいにケタケタと笑った。
俺の目は今何も見る事ができないが、あいつが腹を抱えている姿が簡単に想像できた。
しかし、その目の前のコイツは本当にカンナか?
何か別の存在なんじゃないかという気すらしてくる。
「お、お前──」
「ほぉら、耳を澄ませてごらんよ」
背筋が凍りついた。
耳元で甘美に囁くカンナの声は、少し熱を帯びていた。
荒い息遣いを無理に抑えているような、まるで自慰行為に耽っているような──。
「あれぇ~? ちょっとー、ナニをおっ立ててるのかな? へんたーい♪」
違う。そうじゃない。
耳元で熱い吐息を感じて興奮しただとか、そういった類のことではない。
生存本能だ。
俺はコイツに殺される──そう自覚した時、体が勝手に、せめて子孫だけでも残そうと奮い立っただけだ。
ああ、やばい。
やばいやばいやばい。
俺は、なんていうモノに手を出してしまったんだ。
なんという恐ろしい化け物に、恋をしてしまったんだ。
体が震える。
心まで凍り付くんじゃないかと言うくらいに寒い。
歯がカチカチと鳴って止まらない。俺は───
「んグッ」
カンナに口を押えつけられた。口だけじゃない、鼻もふさがれた。
息が、息ができない。
「静かにしなよ、じゃないと死ぬのが早まっちゃうよ? 良いの? ほら、聞いてごらん。命の滴る音が聞こえるよ」
無理に呼吸をふさがれ、だんだんと苦しさが増してくる。
やめてくれ、どうしてこんな。
こんなことッ……ハッ──ハッ───なんだ、何か聞こえる。
ぴちゃり
ぴちゃり
ぴちゃり
ぴちゃり
何かが滴る音。
カンナが言っていた、命の滴る音ってやつか?
これは一体何の音だ。
ぴちゃり
……待て。
なんだか、腹のあたりが暖かいような。
ぴちゃり
俺の腹から、何かが溢れている?
何が、何が起きているんだ。
くそっ、目隠しを取ってくれ。
せめて見せてくれ。
何が起きているか分からないじゃないか!
怖い。
怖い。
こわいこわいこわいこわい。
何だよ、俺の腹、どうなってるんだよ!
「教えてあげるね、お兄ちゃん♡ 今ね、お兄ちゃんのお腹から血がポタポタ垂れてるんだよ。少しづつ少しづつ、血が滴っているんだよ。穴を開けておいたからね、しばらく止まることはないんだよ。たぶん、死ぬまでこぼれ続けるよ♡ 自分の命が消えていく音、どうか最期まで楽しんでいってね!」
ぴちゃり
い、嫌だ。
嫌だ、なんだよ、怖ぇよ。
何だってんだよ。
ああ、寒い。
寒い寒い。
暗い。怖い。恐ろしい。
ああ、おとが大きくなった。どうしよう、どうしよう。
息が、くるしい。せめていきを、させて。
たすけてくれ
ぐる……じぃ
し……ぬ……
「ッぷはぁぁぁぁッ!! んんッ───!?」
一瞬だけ酸素が供給されて、思考が戻ってくる。
相変わらず腹のあたりには嫌な感触。嫌な音。俺の死ぬ音。
こんなに惨めに死ぬくらいなら、何もしなきゃよかった。
後悔しても遅い。でも、後悔しか無い。
「そぉだ、良いこと思いついたよ。ゲームをしようか。お前が死ぬ前に、誰か助けを呼んで来られたらお前の勝ち。先に死んだら俺の勝ち。そうしよう、きっと楽しいぞぉ☆」
カンナがそういった直後、俺の呼吸は再開される。
酸素がいっぱいに脳を満たす。
満たしてしまう。
その代わり、雫が滴る音が大きくなる。早くなる。
ドクン、ドクン。
ぴちゃり、ぴちゃり。
ああ、心音とリンクしてやがる。
俺の鼓動が早くなれば、俺が死ぬのも早くなるんだ。
でも、助けを呼ばなければ確実に死ぬ。やるしかない。
「助けてくれええええええええええええええ!! だれか!! 俺を助けてくれええええええ!!」
俺は叫んだ。
ただひたすらに、懸命に、喉が擦り切れても、血反吐を吐いても叫び続けた。
「だすけで!!! だれか、おねがいたすけてえええええええええ!!」
「頑張れ、頑張れ、ファイトだごーごー!」
「───けてッ! だれか───ど、なたか」
叫びすぎて酸欠になる。
でも、叫ぶのはやめられない。
誰かに、誰でもいいから俺の声を聞いてくれ。
お願いだ。助けてくれ。
「もう少し! さあ叫ぶ!」
「───っああああああ!! だすげてぐれええええええええ!!」
びちゃびちゃ
だんだん体が冷たくなっていく。
だというのに腹の所だけが暖かくて気持ち悪い。
ああ、だんだん冷えて、冷たくなっていく。
何も、考えられなくなってくる。
「あれー? もう疲れちゃったのかなー?」
「ぁ……ぁ……」
意識が遠のく。ああ……やっぱり駄目だったか……おれは、こんなおわりを
「あ、ごっめーんお兄ちゃん。実はさー」
次の瞬間、俺は目隠しを外された。
「ここ、 完 全 防 音 になってたわ! ごめんねー」
目の前に広がるのは氷の壁。どこに目をやっても壁、壁、壁。
隙間が無い。
隙間がない。
隙間がない。
隙間がない。
「あ……あああ……」
「無駄な努力ご苦労様です! えーっと……」
「ああああああああ!!」
「名前……何だっけ、お前」
こうして俺は意識を手放した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
私は男を放置して、氷の室から出た。
奴は気を失った。深い深い絶望の中、ついに意識を手放した。
満足だ。面白いものが見れた。
なるほど、この方法ならば身体的苦痛を伴わずにショック死させることも場合によっては可能だろう。
「はぁ……本当は殺したかったんだけどな……」
私は大きくため息をついた。
私は奴を殺してはいない。
奴には自分が死の瀬戸際にいると錯覚させただけだ。
手足も切断などしてはいない。
ただ鬱血するほどきつく縛り上げた上に氷で拘束して感覚を麻痺させただけだ。
魔法で抵抗されると嫌だから、頭頂眼は潰させてもらったけどね。
腹も少しだけ切らせてもらったが、あれは致命傷にはならない。
傷口に人肌程度にあたためた湯を一滴一滴垂らしていって、あたかも血液が溢れているように知覚させたのだ。
体が冷えていく感覚も、単純に氷でできた部屋に全裸でいたからそうなっただけ。
全部まやかしだよ。あーあ。
「気は済んだのか」
私は目の前にいた長身の女にそう尋ねられ、口をとがらせて抗議した。
「……なんで殺しちゃダメなんですか、イブ先輩」
イブは、小さく息を吐きながら目を閉じた。
私の態度に呆れているのだろうか。
でも、本当は殺しても殺したりないくらいに怒っていたのも事実なんだ。
私は、マイシィを追い詰めた相手に対して、本当にさっきの方法を実行して殺害する腹積もりだったんだ。
「お前が笑いながらカインの頭頂眼を潰しているのを見たときはゾッとしたぞ」
「それくらいしないと反撃されるじゃないですか」
「……本当にお前は、クローラ様の言う通りの奴だな」
クローラが、何か言ってたっけ。
私は視線をイブから外して、馬車の残骸があった方へと目を向ける。
そこでは、クローラが一生懸命に治癒魔法を施している姿があった。
その側ではエメダスティがマイシィの手を取って声をかけ続けている。
また、兄もぐったりしているものの、心配そうにマイシィの側に座って祈りをささげていた。
「私も治癒が使えたら応援に行けるんですけど」
イブが首を振る。
「医者なら複数人で治癒を施すノウハウを持っているが、素人にはどのみち無理だ。お互いの力場が干渉して逆効果になる」
「そういうものなんですか」
イブはこくりと頷いた。
彼女も、本当ならクローラに変わってマイシィの治癒に入りたいのだろう。
なぜならクローラ自身も毒にやられてようやく動ける程度まで回復したところだからだ。
しかし、この場において最も治癒が得意なのはクローラだ。彼女がやるしかない。
「む。来たぞ」
イブが指を差す。
そこには、街の方から近づいてくる明かりが複数。
カンカンと音を鳴らしながら、走ってくるのは緊急用の魔動車だ。
「終わったな」
「ええ、終わりました」
こうして、数刻の後にマイシィ・ストレプトは病院へ緊急搬送され、なんとかっていう男の人は逮捕された。
私も重要参考人として保安隊に連れていかれ、こっぴどく叱られることになるのだが、叱られただけで済んで良かったと思う。
もし私が人を殺めていたら、過剰防衛で刑務所行きは免れなかっただろう。
そうすれば、マイシィは悲しむ。危なかった。そうならなくて良かった。
マイシィは緊急手術後二日経って昏睡から目を覚まし、事件はこれにてひとまずの結末を迎えた。




