入学編34話 逆弓の月
その男の思考は、私のものとよく似ていた。
私には家族も友人もいない。
普段は便宜上そのような言葉で区別はするものの、私にとって彼らは自分という世界を構築するための素材であり、私の所有物だ。
今までは無自覚だったが、なるほど、こうやって言葉にするとすごく腑に落ちる感じがする。
この認識を教えてくれたのは、たしかクローラだったか。
彼女は第三者目線から私を見て、その内面を知ったらしい。
どうやってそれに気付いたのかはわからないけど。
目の前にいるこの男も、同じ世界観を生きているようだった。
自分を慕う者は自分の所有物。自分の望むように動かない者は敵対者認定。
目的達成のためならば何だってする。
例えそれが人の命を奪うような事であっても。
ああ、そっくりだ。
私とこいつは瓜二つ。
しかし、決定的に違う点が二つある。
一つは、おそらく私は生まれ持った気質が常人とは既に異なっているのに対し、こいつは成長段階の環境に影響を受けて性格がねじ曲がったという点だ。
彼をフォローするつもりはないが、これには私という存在が彼の幼少期に深く入り込んだことが影響を大きくした可能性もある。
私が彼を“自分のモノ”として無意識に扱ったことが、彼の勘違いの一歩……かもしれない。知らんけど。
そうそう、彼と私が異なる点がもう一つあるという話だが、それはとにかく私は美しくて、彼はそうでないという事だ。
美しさは自信となり、私は先天的な異常を抱えているのにも関わらず、割とまっすぐに成長した。
ところが奴の場合は見た目からの劣弱意識からどんどんと心を歪ませ続けた。
こうして、二人の異常者が出来上がる。
周囲を自分のモノとして認識し、彼らの好意を利用し、時に惑わせて、自らを常に恵まれた環境に置き続ける異常者。
周囲を自分のモノとして認識するも総てを取りこぼしていき、やがて無理矢理にでも所有権を手にしようとする異常者。
それがこの戦いの真相である。
***
「どうしたカンナ! 避け続けるだけか?」
私は、カインの猛攻をなんとか避け続けている。
奴にこれ程までの体術が使える事は正直想定していなかった。
奴とは今までに何度も魔法の訓練をしてきた。
その際に模擬戦闘も数え切れないくらい行っている。
それなのに私の記憶には奴がここまで動けると言う情報は刻まれていない。
「あんた、なんでそんなに動けるんだよ! 特に武道はやってなかったでしょ!」
「……親父が拳闘の師範の資格持ちなんだよ。知らなかったか? それに、最近は教師の奴らが俺に特別訓練をしてくれているからな!」
カインは四年生での魔闘大会出場という、あまり例のないことをやろうとしていた。
その為に学校側が特別にサポートをしているという話は小耳に挟んだ事くらいならあったかも知れない。つまり、よく知らない。
「おっと」
「──チッ」
カインは腕部装甲の刃を加熱させて、右に左にと大きく薙ぎ払う。
私はそれを後方に飛び退くことで回避し続けていた。
「焼夷弾!」
回避しつつも魔法で応戦する。
カイン直伝の高出力炎魔法を何発も撃ち込むが、全てを回避、もしくは魔法力場を乱すことで散らされる。
「今まで手加減してくれてたって事!?」
訓練の時に体術を使わなかったのは、力を隠すためか、それとも加減してくれていたのか。
今となってはどちらでも良いが、目の前の相手が生半可な魔法だけで倒せない事は明白だ。
だからこその自信。
魔法持続時間の問題を抱えつつ、それでもなお大会に挑もうとする根拠がフィジカルの強さ、体の使い方をずっと訓練してきたところにありそうだ。
「……ッェイ!!」
カインは高速踏み込みからの刺突で私の脚を狙う。
再び後方へ逃れようとして、瞬間、妙な違和感に咄嗟の横回避を試みた。
すると、コンマ何秒の差でカインの腕の剣が伸びた。
奴は金属の形状を変化させられるのだった。
精神力の続くうちは金属魔法も併用してくるというのは忘れてはいけないな。
「甘いぜカンナ」
カインの腕の側方から炎が勢いよく噴き出す。
炎は刺突せんと前に突き出した腕の勢いを強制的にベクトル変換し、私を薙ぐための腕の振りに攻撃の種類を転じさせた。
刃が私に迫る。私の四肢を切断しようと、赤い光の残像を伴って。
「緊縛」
私はやむなく自分の右腕に氷の拘束具を出現させる。
誰かを則座に拘束できるように練習しておいた、人の腕部や脚部に氷を貼り付かせるという技。これを、防御に転用する。
直後、氷塊に黒鉄の刃が打ち当たる。
甲高い衝突音を響かせながら氷の砕ける感じがした。無論、鉄の塊に氷程度が勝てるわけがないのは承知済み。しかし腕が直接斬られるより遥かにマシだろう。
──おい俺。衝突の勢いを回避に活かせ。そのままだとどのみち腕が一本死んでしまう。
──ああ。分かっているさ、私。
「気流!! 噴射!!」
実際には両方の詠唱を叫べたかはわからないが、ともかく私は風魔法と炎魔法のミックスでその場を離脱。
氷が一瞬だけ攻撃を弾いてくれたのを存分に利用し距離を取った。
勢いを着地の際の受け身に転用、身を起こすと則座に脚に電流を流す。
脚が瞬時にバネのように跳ね、私の体は大きく空中へと投げ出される。
同時に地上ではカインが先程まで私がいた場所に体当たりを仕掛けていた。
「……うまく避けるな」
カインが空中にいる私の方に目をやった。
これはチャンスだと私は直感する。
真下にいるなら、あれが使えるはずだ。何度も見た自然現象。
「雷撃!」
私のいる空中から直下のカインへ、紫に輝く光の筋が描かれる。
耳をつんざくような轟音がして、カインの体がビクンと硬直した。
電流を受けて筋肉が強張ったのだ。
時間にしてコンマ何秒という短い時間だが、確実に通電した。行ける!
「あ……ッちぃな畜生!!」
カインは、私の予想を裏切って即座に動いた。
怒りの眼を私に向けたかと思った次の刹那、私の腹部を重い痛みが襲う。
私は衝撃を受けて地面に叩きつけられた。
体中が痛い。
吐き気もする。
体を起こせない。
何が起きたんだ。
必死の思いで敵の方へ目を向けて、状況を理解する。
奴は腕の剣を振り抜いた姿勢で固まっていた。肩で息をして、硬直している。
私は、薙ぎ払われたのだ、あの剣で。
(あ、これ死んだかも……)
恐る恐る自分の体に目を向けると、上半身と下半身はまだ繋がっているように見える。
両腕で胴体に触れてみる。
触るだけで、めちゃくちゃ痛いものの、切断されたという感じは全く無い。
たぶん、運良く刃ではなく剣の腹の部分に打ち倒されたのだ。
面積の広いところで打たれたから、ダメージを受けた範囲は広いが、衝撃は分散しているはずだ。
もしこれが剣の刃の部分であったら体は斬り裂かれ、もしこれが剣でなく鉄の棒だったら内蔵をぐちゃぐちゃにされていたに違いない。本当に運が良かった。
「──ヴッ……ォェええッ」
しかし吐き気が止まらない。
私は胃の内容物をすべて吐き出す勢いで嘔吐をしていた。
やがて口の中に生臭い味と匂いが広がり、私は自分の吐いていたものが胃液でなく血液であると知った。
そんな私を、奴は嬉しそうに眺めていた。
「良かった……斬り殺しちゃったかと思った……。危なかったよ、咄嗟だったからさァ」
そう言うと奴はゆっくりと近づいてくる。
なぜ動ける? さっき雷を思いっきり落としてやったはず。
短時間だがその電圧は筋繊維をズタズタにしたはずなんだ。なのになんで。
ガシャリ……ガシャリ……
男の足音が近づいてくる。
脚の強化装甲は肉抜き穴が空いているとはいえ金属の塊だから、とても重そうだ。
戦いの初めはそれでも軽々と動き回っていたから、アレは見た目以上に軽いのだろうか。
だとすると、今動きが鈍いのは、雷によるダメージはちゃんとあったということを示唆しているのか。
ん……? 脚にダメージ? そうか、そういうことか。
エメダスティが昇降機の説明をするときに言っていたな。
雷魔法は金属を伝って駆動装置を作動させると。
電流は金属を伝う性質があるんだ。奴の表面を覆う装甲に電流が逃げて、脚から地面へと電気が吸われたんだ。
だからダメージが少なくて、一番負荷のかかった脚だけが損傷しているんだ。
「……ロキの技だろ、さっきのは。何で他の男の技を真似するんだ、カンナ! 人がせっかく殺さないように殺さないようにって動いてやってるのに、お前まで俺を裏切るんだな」
くそ、役立つものを真似して何が悪いんだ。
だいたいお前の技だってさっき使ってやったじゃないか。
金属魔法でも真似してやったら満足するのかよ。
それはそれで“俺の技を盗んだ”と言って怒りそうだ。
さて、この状況をなんとかしないと。
私は腹を負傷していて、恐らく内臓に出血がある。
奴はマイシィとエメダスティの奮闘のおかげで体の至る所に刺し傷、それから先程の電撃による熱傷。
ダメージ的には五分……と思いたいな。
私の中の勝利の方程式は、既に組み上がっている。が、不確定要素が多すぎる。しかし、やるしかない。
「火球」
私は小さな炎の塊を射出する。
小さな炎魔法だが、触れれば確実に大火傷。しかし、避けようと思えば避けられるが防げないこともない、という絶妙なサイズ感。
普段のあいつなら、このくらいの火球は、自分で作り出した魔法力場で散らしてしまうだろう。
その攻撃を、今のこいつは──。
「……ふんッ」
腕の強化装甲で受け止めた。
避けるでも散らすでもなく、受け止める事を選択した。
「石飛礫! 氷結弾!」
私の放つ魔法全てを、奴は全て装甲で防御した。
「なんなんださっきから! 小さい魔法ばっかり使いやがって、もう力場を練る気力も無いのか?」
その通りだ。私にはもう大きな魔法を使う気力はほとんど無い。
これ以上休憩も無しに魔法を使えば割れそうなくらいに頭が痛くなりそうだ。
だから、次の一回に全力を出す。それしか無い。
一方で奴も恐らく魔法の限界に達している。
持続力がないからな。だから魔法力場で魔法を散らさないし、全部を受け止めようとするのだ。
いくら装甲とはいえ金属なんだから炎を防いだら熱が伝導するだろうに、それでも受け流す事を選択しなかった。
出来なかったからだ。
全く、よくこんなので魔闘大会に挑もうと思ったな。初見殺しではあるけど、回を重ねるごとに対策されそうだ。
「……もういいや。お前は終わりだ、カンナ」
来た。奴が私を切り裂こうと刃を構える。
次の一瞬が勝負だ。
どこを狙ってくるか。
命を取りに来るなら心臓だ。
しかし、奴の狙いは私の体。
肉欲を満たすために、体はなるべく綺麗なままでとっておきたいはず。
すると、狙いは──。
「……お前は俺の物だ! カンナぁぁああああ!」
奴の刃が私の頭頂眼目掛けて振り下ろされる。
私の魔法人生を奪うために、額を目掛けて剣を振る。
あるいは、そのまま頭部を破壊するため?
いや、それはない。だから。
私は寸前の所で左に一センチ避けた。
「なッ──」
頭頂眼のすぐ右側の皮膚を、敵の凶刃が薄く切り開いていく感触。
これは跡が残るなぁと心の中でため息をつきながら、私は最後の攻勢に出る。
「放電!!」
私は渾身の電撃を放った。
金属なんだろ?
通電するんだろ?
そして感覚的に、接触している物の方が電気を流しやすい。
私の皮膚を切り裂くその刃が、私の攻撃の導線になる。
奴の右手から腕部、肩部と抜けた電流は体の表面の強化装甲に多少逃げつつも確実に敵の体内を焼いていく。
体内を焼き切った電流は、敵の脚部を伝って地面へ。
「ああああああああッ!!!」
私は叫んだ。
この一撃に全力を込める。
奴が再起不能になるまで、電撃を浴びせかけるのだ。
「───ッ!! ───ッ!?」
敵の体はビクンビクンと跳ねまわるが、不思議と右腕は私の額に張り付いたままだ。
筋肉が硬直して、引きはがすための挙動すら取れないのだ。
これなら、勝てる!
「おわああああッ!!」
そうして私の精神力が尽きるまで、電流を流し続けた。
やがて電力が供給できなくなると、奴の腕は私の腕から離れ、そして奴は膝から崩れ落ちた。
「……やったか!?」
ああ、やったさエメダスティ。
──やってやった、ぞ。
……もう、あいつは、起き上がって、来れ───まい。
ああ、 私も いしき が ……。
バチン!!
───と、私は自分の両の頬を叩いた。
何をやっている。
ここで意識を失うわけにはいかないだろう。
なぜなら私には、やるべきことがあるからだ。
ずっと計画していたある事を、ここでやらなくていつやるんだ。今でしょう!?
私は全身の力を振り絞って立ち上がり、ふらつく足で、しかし確実に倒れ伏す敵の元まで歩みを進めた。
今はちょっと魔法力場生成が難しいが、数分休憩を挟めば少しは魔法が行使できるはずだ。いや、してみせる。
「───ふ」
奴は今、完全に伸びてしまっている様子で、口から泡なんか吹いちゃったりしている。
好都合だ。今のうちに準備を進めてしまおう。
「──ふふ」
私は着ていたローブの端の、戦いの中ですこし破れてしまった部分に小石をあてがうと、一気に引き裂いた。
そして帯を作ると、敵の顔を持ち上げ、その帯で目を覆い隠すように縛り上げる。目隠しの完成だ。
「ふふふ」
ああ、ダメだ。どうしても笑ってしまう。
これから起きる事を想像すると、興奮しすぎて、あらやだ、鼻血だわ。
ああ、なんてはしたない娘なんでしょう、こんな事で劣情を覚えて、胸がギュンギュンに高鳴って。
「あははははは!」
さあ、はじめましょう。
さあ、踊りましょう。
今宵は宴。
逆弓の月の明かりに照らされて、狂いましょう。
「お仕置きの時間だよ、おにいちゃん♡」




