入学編32話 宵闇の戦いⅡ
「マイシィちゃんに、さわるなああ!!」
僕はありったけの創造力を込めて、カインに氷弾を撃ち込んだ。
けど、マイシィちゃんを抱えた左腕側を避けて攻撃していたからか、すべて簡単に避けられてしまう。
「……危ないだろエメダスティ! マイシィに当たったらどうするんだ!」
なんて身勝手な言い方だろう。
カインがこんなことをしなかったら、誰も攻撃などしないのに。
自分は全く悪くないみたいな顔をして、カインは僕の方を見ていた。
「何でですか! なんでこんなことをしたんですか!」
すると彼はちょっと首を傾げながら、
「……親衛隊の時は殺し損ねたからな。前もって鋼線を仕掛けて一撃で首が飛ぶようにしたんだ」
しれっとそんなことを言う。
「そんなこと、聞いたんじゃ……いや、でも」
カインは言った。“親衛隊の時は”、と。
──つまり。
「カイン先輩が、全部やったの?」
「……全部とは?」
「マイシィちゃんの大事なものを壊したのも、親衛隊を襲ったのも、全部あなただったんですか!」
「……大事なもの?」
カイン先輩はにやりと笑った。
その笑みは、今まで見たこともないような邪悪な表情だった。
「……あのペンダントか? あんなくだらないモノを大事にしやがって。お前は俺の物だろうが、マイシィ」
最後は、腕の中のマイシィちゃんに囁きかけるように。
そしてカインは、ゆっくりとマイシィちゃんに顔を寄せ、彼女の首筋を舐めた。
「うううッ」
マイシィちゃんが身を捩らせながら呻く。
だが、逃げられない。カイン先輩はマイシィちゃんの首筋から耳元、耳の中、そして頭頂眼までを舌で犯していく。
舐められるたびにマイシィちゃんが暴れるが、カイン先輩の片腕だけでそれらの動きはすべて封じ込まれている。
カイン先輩は右腕をマイシィちゃんの制服の内側へと滑り込ませる。
瞬間、マイシィちゃんが目を見開いた。案の定、その瞳は既に濡れている。
「……マイシィ、胸が膨らみ始めたんだな。……ああ、すまない。強く揉んだら痛いよな」
これは、これは本当にあの優しいカイン先輩なんだろうか。
今僕が見ているのは、悪夢ではないのだろうか。何かの間違いでは……。
カイン先輩はマイシィちゃんの顔を覗き込む。
マイシィちゃんの顔は既に恐怖で引きつってしまっているのに、たぶんカイン先輩にはそんな彼女の表情は見えていない。
「……キスをしようか、マイシィ。俺が、お前のファーストキスを奪ってやる」
それを聞いた瞬間、僕は走り出した。
それと同時に、マイシィちゃんの瞳に少しだけ意思が戻る。
「ファーストキスなら」
彼女の口が薄く開かれる。
「一昨日カンナちゃんに奪われました。残念でしたね、ゲス野郎」
ゲス野郎。
まるで貴族の令嬢とは思えない下劣な言葉だけど、マイシィちゃんがはっきりとした口調でカイン先輩を罵ったんだ。
僕は内心「よく言った」とちょっとだけスカッとした気分になった。
しかし、カインはそれを上回るぶっ飛んだ思考をもって、驚愕の受け答えをするのである。
「……カンナも俺の女だ。だから許してあげるよ、マイシィ」
「は?」
何を言っているんだコイツは、と思った。
と、同時にカンナちゃんもコイツの毒牙にかかったのではないかと言う不安が頭をよぎった。
「……あいつの初めてのキスも俺が相手だ。しかも、俺に処女もくれるって宣言してくれたんだ。その時は、三人でしような、マイシィ」
カインの唇がマイシィちゃ──マイシィに迫る。
マイシィが首を横にして唇を避けようとするが、カインは右手で彼女を無理やり正面に向けさせ、強引に──。
僕は走った。走ったけど、体が重くて、間に合わない。
もう少し、あと少しなのに!!
「うッ──」
その刹那。マイシィが大きく上半身を揺らしたと思った、次の瞬間。
……彼女はカインの顔面に向かって、思いっきり嘔吐したんだ。
「う、うわあ!?」
カインは慌ててマイシィの体を離した。と、いうより放り投げた。
僕は慌ててマイシィの方へ飛んだ。
その体を受け止めて、自分がクッションになるつもりで。
でも、僕の体はそこまで運動神経が良くないから、結局マイシィは勢いのままに地面を転がった。
僕は彼女に後から追いすがって、体を起こしてやることしかできなかった。
今すぐにもマイシィを抱えて逃げ出したいけど、僕も既に全身が痛くて、動けそうにない。
マイシィを庇うようにして抱きかかえ、カインの方を睨むことしかできない。
「くそっ、マイシィ、お前なんてことを、気持ち悪い、くそっ!」
カインは水魔法を使って吐しゃ物を流そうと苦戦している様子だ。
しかし、魔法の勢いが弱い。
先ほどから連続して魔法を行使しているためにスタミナが切れているのか、それとも焦っていることでうまく現象のイメージができていないのか。
「ハァ……ハァ……好きな人の、汚い、物も受け入れられないの?」
「ああ?」
マイシィは吐しゃ物まみれのカインに向かって、息を切らしながら話しかけた。
体はもう限界に近いだろうに、心だけは折れていないようだ。
強い子だ、と僕は思った。僕もマイシィのように強い子でいなくてはダメなんだ。
そしてマイシィは、ダメ押しとばかりにカインにとある事実を告げた。
「それに、カンナちゃんの、ファーストキスの、相手は、カイン兄じゃないよ」
その一言に、カインの動きがピタリと静止した。
「……なんだって」
マイシィが、ふっと笑った気がする。
「おい、どういうことだ。カンナの初めての相手は、誰だって!?」
僕も知っている。カンナちゃんの初めてのキスの相手はニコル先輩だ。
カンナちゃんがうんと小さいときに、何をトチ狂ったのか自分からしてしまったんだと聞いたことがあった。
しかし、その名前を口にすることはできなかった。
今ここで名前を言ったら、きっとカインはニコル先輩にとどめを刺しに行ってしまうかもしれないから。
マイシィもそれをわかっているから、それ以上は何も言わないのだ。
だから、その代わりに彼女のとった行動は。
「俺の女と言う割に、そんなことも、知らないんだね。カワイソウな人」
最大限の挑発。
カインを激昂させるには十分すぎるくらい、存分に悪意を込めた言葉の弾丸。
マイシィが僕を掴んでいるその手に力がこもる。
彼女は、この後起きることを予期しているのだろうか。
相手を怒らせた結果、何が起きるのかを予測できているのだろうか。
いいや、大丈夫だ。こういう時、マイシィは意外と──。
───ずるがしこいのだ。
「マイシィイイイイ!!」
カインがこちらに向かって走ってくる。
彼の頭頂眼は激しく明滅する光を放ち、彼の周りに落ちていた金属塊を再び赤熱させる。
彼は金属を従えると、先端のとがったスパイクのような形状に変化させた。
あれで、僕たちを貫くつもりなのか。カインの体はもう一歩のところで僕らに迫る。
しかし。
マイシィの仕掛けたトラップが、発動する。
「あいしくる・すぱいく!」
カインの目の前に突如として無数の氷の棘が出現した。
それら一本一本は二十センチにも満たない小さなものだが、それらが面をなして出現したのだからその威力は跳ね上がる。
加えて、カインが怒りに任せて突進してくるので、氷の棘は射出するまでもなく、カイン自身の勢いによってどんどん突き刺さり、皮膚に食い込んでいく。
ドドドッという音が生々しく僕の耳にも届いた。
「ぐああああああっ!?」
カインは氷の罠に気付くと瞬時に減速を試みたものの、すべてを回避することはできずに何発もの刺突をその身に受けた。
彼の魔法力場が急速に弱まったのか、操っていたはずの金属塊はコントロールを失い、流血するカインと共にその場で崩れ落ちる。
「──イブ先輩に、教わって、おいて……良かった」
マイシィはそう言い残すと、そのまま意識を失った。
僕は慌ててマイシィの体を揺さぶる。
起きて、起きて。そう願いながら、何度も体を揺らす。
でも、目覚めない。今の魔法で、気力が全部持っていかれちゃったみたいだ。
きっとイブ先輩から緊急用に教わった護身の魔法は、今のマイシィにとってはオーバースペックだったのだ。
ひょっとすると本来は射出用の技だったのかもしれない。
でも、マイシィは展開するので手一杯で、カインが向こう見ずに突っ込んでくれなければ効果はなかった。だからわざと怒らせたんだ。
「お前ら、いい加減にしろよ」
カインは、まだ倒れてはいなかった。
全身から血を流しながら、ゆらりと立ち上がる。
ふらふらとした足取りで、しかし着実に距離を詰めてくる。
僕は、マイシィを力強く抱きしめた。僕の大きな体で、なるべく全部隠れるように包み込んだ。
「どけよ、エメダスティ! マイシィをわたせぇぇ!!」
腹のあたりに、腰のあたりに、背中に、首に、頭に。
何度も何度も衝撃が襲ってきた。
骨のきしむ音など何度も聞いた。
骨の砕ける音、ひしゃげる音。体中が悲鳴を上げる。
それでも僕は、マイシィを離したりしない。
僕が、この子を守り抜くんだ。
だって僕は、そのためにいるのだから。
痛い。
痛い、痛いよ。
もうどこが痛いのかもわからないくらい。
だんだんと、からだのかんかくがなくなっていく。
でも、これでいいんだ。
ぼくは、そのために、 、イシィ めに。
っと まも
ああ。
なんだか、昔、同じような光景を目にしたことがあるような気がする。
僕はあの時、何をしてたんだっけ。
あれ。
さっきから、体に衝撃が来ないぞ。
痛くない。
そうか、僕は……死んだのか。
せめて、最後くらい、カンナちゃんに、会いたかったな。
ん。
視界が、少しずつ戻ってきた……?
目の前に、なんだか白いものが見える。
目の前に、白い髪の少女が立っている。
敵は、遠くまで吹っ飛ばされている。
「よく頑張ったな、エメダスティ」
よく知った声。
よく知った姿。
死の瀬戸際で僕が思い浮かべた少女。
僕の目の前に、カンナ・ノイドが立っていた。




