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入学編31話 宵闇の戦いⅠ

 宵闇(よいやみ)の中を馬車は進んでいた。

 道の状態はそこそこ良い。


 魔法学校からマイア地区を抜けて街道に至るその道は、馬車や魔動車(まどうしゃ)の往来が激しい。

 道路をならしても日が経てばだんだんと(わだち)の跡が目立ってくるほどだ。

 今は数日前におじいさんたちが岩石魔法で作業をしてくれたおかげで、馬車の揺れは大きくならずに済んでいる。

 これが一か月後ともなれば馬車はガタガタと揺れて、速く走らせることもできないだろう。


 病人が二人いる今、道が整備されていたのは幸いだ。

 きっと揺れる馬車内ではより一層気分を悪くしてしまうに違いないし、揺れるのを気にしていたら病院へ行くのも遅くなってしまう。


 空はすっかり暗くなっていて、山の端が少しだけ明るさを残しているくらい。夕日が名残(なごり)惜しそうに西の空へと姿を隠し、代わりに夜を連れてきた。

 いつもならもっと早い時間に帰ることができるから、車窓から、これからまさに生長しようと待ち構える麦の畑が見られるのだけれど、今はそんな光景も夕闇に溶けて真っ黒に沈んでいる。


「それにしても、二人も体調不良だなんて大変なことになったね」


 僕は──エメダスティ・フマルは後部座席に腰かけているカイン先輩に声をかけた。

 彼は彼の隣で苦しそうに眼を閉じているマイシィちゃんに毛布をかけ直して、優しく髪を()でてあげている。その視線はとてもやさしくて、マイシィちゃんをとても大事に扱ってくれているのが分かる。

 マイシィちゃんはカイン先輩の(ひざ)を枕代わりにして横たわっていた。目を閉じて、眠っているようだが肩で息をしていて、顔はだんだんと青ざめていた。


「まだ、苦しそう」

「……ん、そうだな。まだしばらくは熱は引かないだろう」


 カインはまだ、マイシィちゃんの髪を撫で続けている。

 なんだか女の子の髪を撫でているというより、ペットの猫を()でているような触り方だ。まるで毛並みを確認しているかのよう。

 カイン先輩は微笑(ほほえ)みすら浮かべている。


 カイン先輩はマイシィちゃんのことが好きなのだろうか。

 でも、カンナちゃんと一緒にいることの方が多いみたいだし、やっぱりカンナちゃんのことが好きなのかな。

 マイシィちゃんはニコル先輩のことが好きなはずだし、じゃあやっぱり、カンナちゃんのことが──?

 ああ、もうなんだかよくわかんないや。


「カイン先輩は、カンナちゃんとマイシィちゃんどちらが好きなの?」


 僕は思わずそんなことを口にしてしまっていた。

 これには僕の隣でぐったりとしていたニコル先輩も苦笑いだ。


「おいおいエメダスティ。お前、いくら何でもそりゃあ直球すぎだろう」


 彼も顔色はあまりよくないが、何とか会話くらいはできているし、肩を貸せば歩くことはできている。

 でもやっぱり本調子ではないからか、客車の壁にもたれかかるようにして、僕らの方を笑って見ていた。


「でも、気になりませんか? カイン先輩そういう話あんまりしないし」

「はは、女子のランチ会じゃねぇんだから。男は黙って愛を貫くんだ。なあ、カイン」


 ニコル先輩の言葉にカイン先輩も(うなず)く。

 カイン先輩は普段から口数の多い方じゃないから、本当に黙って愛に準じる、なんてことがありそうだ。

 一方でニコル先輩は、口ではそういうことを言うけれど、根は軽そうというかなんというか。


「……愛、か」


 ふと、カイン先輩が(つぶや)いた。


「……そろそろだな」


 カイン先輩はおもむろに身にまとっていたローブを脱ぐと、それをくるくると巻いてマイシィちゃんの頭の下に差し入れて枕にした。

 先ほどまで膝枕状態だったから足が痛くなったのかもしれない。そのあとすぐに彼は立ち上がる。急にどうしたのだろうか。


「……エメダスティ、ちょっとここへ来い」


 カイン先輩が手招(てまね)きするので、僕も席を立ってマイシィちゃんのいる方へと歩いた。

 そして後部座席の前に来ると、彼は僕にこう指示した。


「お前、ちょっとマイシィを支えてろよ」


 そうして、カイン先輩は車内をそろりと移動した。

 車の前の方、御者(ぎょしゃ)台に近づいていく。

 彼が御者のおじさんに何やら声をかけたと思った次の瞬間。


「うわっ!?」


 激しい衝撃。

 揺れる車内。

 急に馬車の速度が落ちた、いや、何かにぶつかって停止した。


 体の支えがなく、横になっているだけのマイシィちゃんが、座席の下に転げ落ちそうになる。僕は体を突っ張ってそれを受け止めていた。

 でも、僕が席を立ったことで隣に誰もいなくなっていたニコル先輩は、衝撃で床に倒れてしまった。

 鈍い音。とっさのことで手をつくこともできずに、どこかにぶつけてしまったのかもしれない。頭だったら大変だ。


「せ、せ先輩!」


 僕はニコル先輩の方へ手を伸ばそうとしたが、その前にニコル先輩は──何者かに頭を踏みつけられた。

 木製の床に硬いものが打ち付けられた時のような、そう、例えば水の入った(おけ)を床に落としてしまった時のような重い音が車内に響いた。


「ぐあっ!?」


 と短い叫び声が聞こえたが、間もなく沈黙した。

 ただでさえ弱っていたニコル先輩はその一撃でピクリとも動かなくなってしまう。


 だれが、誰がこんなことを。

 なんて、本当は分かっている。

 この車内にいる人間など限られている。


 でも、信じたくないんだ。

 ひょっとして、敵の正体は……。


 恐る恐る顔を上げた。

 見上げれば、そこには能面(のうめん)のように無表情な、カイン先輩がいた。


「カイン先輩、何を──」


 言い終わる前に、僕はカイン先輩に胸ぐらをつかまれた。そしてそのまま放り投げられる。

 僕はカンナちゃんとは違い、空中で魔法を使って姿勢を変えるなんて芸当(げいとう)はできない。

 だから、なす(すべ)もなく御者台への扉の所へ体を打ち付けるしかなかった。


「いったぁ……」


 僕の体は天然の緩衝材で包まれているものの、その分重いので衝撃は同じだ。

 体の芯まで響くような痛みが衝撃の後から追いかけてくる。


 ふと、御者台の方が目に入った。

 ()()を見た瞬間、僕は。


「うわあああああああああ!!?」


 僕は、恥ずかしいのだけど、失禁してしまったんだ。

 そこには、無かった。首が、無かったんだ。

 馬の首も、御者のおじさんの首も。


「くび……ッ、へっ……? なん──で」


 ガタンと音がした。

 そして、僕の(ほお)を熱い空気が(かす)めた。


 カイン先輩の方を見ると、彼はマイシィちゃんを片手で抱きかかえた状態で、車内の金属と言う金属を魔法で溶かし始めた。

 当然、シートなどは赤熱した金属に触れて発火し、そこかしこから火が上がる。


 炎の中、真っ赤な金属がカイン先輩の周りに集まっていく。

 それらは空中で渦を巻くようにしてカイン先輩にまとわりついていくように見える。


 何が起きているか分からなかった。

 何をすればいいのか分からなかった。

 でも、最低限の動きをしなくてはダメだということは理解できていた。


「み、水!!」


 僕は水魔法をカイン先輩の方に向けて放った。

 赤熱する金属を冷やすことはできないと直感ではわかっていたが、車が燃えるのはまずい。

 せめて、周りの火だけでも消さなくちゃ。


「……無駄なことを」


 カイン先輩はそう言ったのだけど、直後、僕も予想していなかったことが起きた。


「わっ」

「……!?」


 僕の放った水魔法は、カイン先輩の金属に触れた瞬間に湯気(ゆげ)となり、一瞬にして馬車の車内を白く曇らせたのだ。

 ──今だ。今動くんだ。


 僕はありったけの力でカイン先輩の方へ突進した。

 火は完全には消えたわけじゃない。だけど、そんなものを怖がっていたら、誰も助けられない。

 自分でもよくわからない()たけびを上げながら、カイン先輩に迫った。


「うわああああ!!」

「……鬱陶(うっとう)しい!」


 僕の体はカイン先輩には届かず、彼の放った強力な()りによって再び御者台の方へと弾かれた。

 またしても体に鈍くて鋭い痛みが走る。

 でも、僕は今度は止まらなかった。そのまま側方の扉の方へ体当たりをした。


 ──両腕で、ニコル先輩を抱えて。


「で、できた! 作戦成功だ」


 僕はカイン先輩に突撃をしたふりをして、ニコル先輩の体を掴みに行ったのだ。

 カイン先輩にもう一度攻撃を受けたら、今度は車外へ飛び出すという算段を付けていた。


 今度は、マイシィちゃんを助けなきゃ。


 正直、カイン先輩の突然の凶行の理由など全く思い当たらなかったし、何が起きているのか全く理解できないままだ。

 でも、カイン先輩が僕の知っているカイン先輩ではなくなってしまったことは明白だった。


「……お前、エメダスティ!!」


 ニコル先輩の体を引きずって、燃える馬車から少しでも遠ざけようとしていたところに、カイン先輩がマイシィちゃんを抱えたまま外に出てきた。


 マイシィちゃんは、震えている。

 目は閉じているが、眠っていたわけではないのだ。

 一部始終を、知っている。だが逃げられない。


「マイシィちゃんを離せ!!」


 力いっぱい叫んで威嚇(いかく)する。

 なんとかしてカイン先輩──カインの(すき)を作って、マイシィちゃんを助け出さなければ。

 今この場で動けるのは、僕しかいないのだから……!

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