入学編30話 鍵
私が応接間に帰ってくると、なんだかクローラがぐったりしている様子でソファにもたれかかっていた。
私が帰ってきたのに気づくと途端にシャキーンとキレイに座り直して、グラスに入った飲み物を優雅に一口。
「おかえりなさい。ご苦労だったわね、カンナちゃん」
「あの、それ、私のジュースです」
「──ぶっ」
私が指摘してやるとクローラはわたわたと慌て始めた。まあ、一度も口をつけていないのだから良いのだけどね。
いや、むしろ口をつけておいたほうが良かったのか?
私はクローラに「間接キスしちゃいましたね、今度は直接いかがですか」といって迫ることができるではないか。しまった、飲んでおくんだった。
「カンナ・ノイド。顔がにやけてますわよ」
「ふえー?」
いかんいかん、目の前のこのお美しいご令嬢は決して触れてはいけない禁断の果実。
私などが手を出せば文字通り消し飛ばされてしまうほどの猛毒なのだ。
「クローラ様は少しお疲れですね。あ、そのジュースは口をつけていないのでどうぞ」
「そ、そう? ありがとう。……そうね、流石に慣れない作業は肩が凝りますわ」
「ではクローラ様の分は私が引き継ぎますね。少し休んでください」
私は先ほどまで自分が扱っていた資料と、クローラが扱っていた資料とをまとめて自分のスペースの前に移動させた。
なるほど、結構進んでいる。
絶対に犯行が不可能な者のリストアップは既に五年生まで終了しているようで、犯行を実行できた可能性が高いもののピックアップ作業中か。
イブは六年生の犯行不可能者リストアップ作業をやっている最中、と言った感じだな。
さて、ざっくりと目を通してみると、やはり一年、三年、四年は怪しいと思う。
年齢的には一年を除外したいところだが、可能性の話だ。
魔法の実践演習の時間はロッカーと更衣室の移動だけでなく、ちょっとしたことで授業から離れることはままある。
例えば怪我をしただとか、衣服が燃えてしまって着替えに戻るとかだ。そういう生徒は私のクラスからは出なかったように思うが、一年はなにぶん人数が多いからな。
そして三年と四年はフィールドワークで外出していた。自由活動時間に人目に付かないところに移動することは正直容易だ。目下ここが一番怪しい。ある意味、下僕の会や親衛隊メンバーも容疑者としてカウントすべきだったと今更思う。
そうやって推理をしていたところに、ココッ──と控えめなノックの音が聞こえた。
「あ、私出ます」
中央貴族様にお手を煩わせる訳にいかないので、率先して動くのは下っ端の私だ。
応接間の扉を少し開くと、そこにはエメダスティがいた。
「か、カンナちゃん。やっぱりマイシィの体調が優れないから病院に行くことにしたよ。カンナちゃんも付いてくる?」
やはり、横になっているだけではだめだったか。明らかに症状が重かったからな。
「私はもう少し作業をしていくよ。後から病院に寄るから、できればエメダスティは待合室かどこかで待ってて」
エメダスティは、わかったと言って踵を返そうとした。が、ふと足を止める。
どうかしたのかと訝しく思った私だったが、振り向いた彼の顔はどこか嬉しそう、いや、誇らしげであった。
「カンナちゃん、僕のことを信用してくれてありがとう。最近はちゃんと名前も呼んでくれるし、僕も自信がついてきたんだ。もっと君の役に立てるように、頑張るね!」
「うん、大事な仲間だからね。もう名前は忘れないよ、エメ……ラルド?」
「──もうっ! 絶対わざとじゃん!」
元から丸い顔が一段と膨れたところで、私は彼の体を掴んで背を向けさせると、そのままポンと押してやった。
「行っといで。マイシィを頼むよ、エメダスティ」
彼は大きく頷いて、そのまま駆けていった。もう日が落ちて暗くなっている校舎の中を、光魔法を使いながら去っていく。
(──あっ……)
なんだか彼がそのまま闇に溶けていってしまいそうな気がして、手を伸ばした。
私の指は彼の輪郭を捕らえることができず、そのまま彼の姿は見えなくなった。
……なんだろう、今の感じ。私は彼がいなくなって、寂しいのかな。
「まあ、お熱いこと」
ソファに座って様子を見ていたクローラが、そんなことを言い出した。
彼女はソファから立ち上がると、イブの横に腰かけなおす。
イブから資料を受け取って、目を通し始めたので作業に戻るということなのだろう。
結局私はクローラから仕事を引き継ぐと言っておきながら、何もできていないな。
まずはそれを詫びないと。
「──ハァ……ハァ」
いや待て。クローラの様子がおかしい。
「クローラ様!? 体が、熱い!」
イブがクローラの体を両腕で支えていた。気が付けばクローラはイブに寄りかかるように身を委ね、そのまま動けないでいた。この症状は……。
「マイシィと、同じ──?」
どうしてだ、なんで急に。
確かにクローラは疲労を感じて少しの間休憩していた。
だが、倒れるほどの疲労には見えなかった。
それに、この短時間で状態が急変しているのも妙だ。
何か、何かきっかけとなるものがあったのでは。
……ある。確かにある。
クローラの容態が変わる少し前に彼女がとっていたいつもとは違う行動。
「まさか!」
私は先ほどまでマイシィがいたスペースに目を向けた。
そこには私が飲もうとしていたのと同じ、カンキツのジュースのグラスが置かれたままだった。
ジュースを飲んだら、体調が悪くなった可能性……つまり。
「毒だ!! ジュースに毒が入れられていたんだ!」
「何!?」
イブがクローラを抱えて立ち上がる。
とりあえずと言った感じでソファにクローラを寝かせたイブは、頭頂眼をクローラの額に近づけて、魔法力場を形成させた。
力場が生み出す疑似的な光が部屋全体の影と言う影を浮かび上がらせるほど眩く輝いた。それだけの力場を生成しないとまずい事態と言うことだろう。
マイシィよりも少ない量で中毒になったということは、私のグラスの方が毒素が多かったということだ。マイシィと私のグラスで何が違うのか。
「おそらく、瓶の中のジュースに毒が入っていたんだろう。そしてそれは、溶け切らずに沈殿していた。後からグラスに注いだお前の方に毒が多く入ったのは、きっと偶然だ」
イブは私の考えを読んだかのように先回りして発言をした。きっと同じことを考えていたのだ。
しかし、いったい何故ジュースに毒が。私を、殺そうとした……?
瞬間。私はあることを思い出した。
このジュースを手渡したのは誰かを。
いや、しかし……そんなことがあるはずがない。
彼が、あの優しい少年が、こんなことをするはずがない。
『───これ、僕の分はいらないから、マイシィちゃんたちで分けてよ───』
あの時の光景がフラッシュバックする。
くそっ、考えたくない。考えたくない。考えたくない!!
私はハッとした。
そうだ、リストを確認するんだ。
リストの中に、彼の名前はあったか?
犯行不可能者の中に、彼の名前は……ない。
では彼はその日一体どこに――。
あ。
【ペンダントのチェーンは何か所も切断され、ペンダントトップの貝殻は破壊され、金属部分もひしゃげていた。】
金属がひしゃげるなんて、どんな怪力かと思った。
【だって鍵を開けたら知らないものが増えてるんです。びっくりです。】
マイシィはあの日、鍵を閉め忘れていたはず。ならばなぜ、鍵を開けることができたんだ。
【あ、俺、保安隊員から“全部施錠されてた”って聞いた!】
外部からの犯行ならば、どうして施錠されていたんだ。施錠する方法があったのか。
【おいらは魔法じゃなくて、刺されたらしい。ほら、ここに刺し傷あるし】
その刺し傷が、その傷こそが。もし、魔法によるものだとしたら。
私がたどり着いた結論。それを裏付けるためには少々確認しなければいけないことがある。
「イブ先輩……お聞きしたいのですが、金属を操る魔法はありますか」
「金属を……? 岩石魔法の要領で、浮かせたりぶつけたりはできるはずだ」
違う。そうじゃない。
「金属の、形を変えることができる魔法はありますか!」
「無理だ。金属は固すぎるから形状変化はできない。岩石魔法ですら形の変化をさせようとすると砂のようになってしまうんだ」
そう。それならば……。
「金属が、柔らかい状態だったらどうですか。例えば、炎でドロドロに溶かされている状態だったら」
そう、金属の融点を知っている者が。
「──可能だ。まさか!!」
確定した。
敵の正体が分かった。
分かったなら、いますぐに動かなければ最悪の事態になってしまうかもしれない。
なぜならあいつは今頃──。
「カンナ急げ!! 奴を」
イブが叫び出す頃には、私は既に走り出していた。
彼女の台詞を最後まで聞いている余裕など既に無いのだ。
玄関まで回っている時間ももったいない。
魔法でガラス窓をぶち抜いて、私は一気に外に躍り出た。
足の筋肉に、最適なタイミングで電流を流す。
刹那、私の脚はバネのような跳力をもって私の体を風の速度にまで引き上げる。
風を纏う。
炎を噴射する。
私が考えうるすべての魔法でもって私は夜道を全力で駆けた。
そして叫ぶ。
「マイシイイイイイィィ!!」
『カイン先輩からもらったんだけど、これ、僕の分はいらないから、マイシィちゃんたちで分けてよ───』
敵の正体は、カイン。
鍛冶屋の息子、カイン・コーカスだ。




