入学編29話 信用
五日が経った。
私は今、学校の応接間にいる。
私は革張りのソファーに腰掛けながら、蒸留酒を片手に、下僕の会から上がってきた情報の束に目を通している。
そしてひと通りを把握すると物憂げな視線を窓の外に送るのだ。
酒のグラスを傾け、風味と氷の音を味わう。
そうして私はニヒルな笑みを浮かべるのだ。
フッ、つまんねぇ仕事を寄越しやがって。
「黄昏れているところ悪いんだけど」
「あ、はい、なんでしょうクローラ姉様☆」
私はいつのまにか正面に立っていたクローラの方へと向き直る。蒸留酒、じゃなくてカンキツのジュースをテーブルに置いて、そのまま背すじを伸ばして直立の姿勢をとった。
「貴女、それでも貴族の娘ですか! まったく、田舎者は作法もなっていないようですわね!」
ちょっと気取っていたら怒られた。
最近ちょっと慣れてきたせいか、目の前の相手が四大貴族の一角をなす存在であると忘れてしまうことがある。
しかも派閥のトップ家系、本当なら決して逆らってはならない娘なのである。
クローラは長いブロンドの髪をさっとかき上げると、私のいるソファまで、わざとらしくヒールの音を鳴らしながら歩み寄ってくる。
──ああ、叩かれる!
私がそう思ったように、イブもまたクローラが手を上げることを警戒したようで、咄嗟に一歩、前に出て叫んだ。
「クローラ様、お待ち──」
クローラは鋭い視線をイブに向けその動きを制すと、私にそっと顔を近づけて耳元で囁くように、こう言うのだ。
「カンナちゃん、貴女先程このジュースのグラスを蒸留酒か何かに見立てて遊んでいましたわね?」
「は、はい……」
私が返事をした次の瞬間! クローラはいきなり私のジュースのグラスを鷲掴みにし、私の頭の上までそれを持ち上げ、そして──。
「このようにした方が、サマになりますわよ!」
グラスのカーブを手で包むように持ち、氷を揺らしたのである。
「く、クローラ様……」
それをイブが呆れ顔で見ているのである。
「クローラ様、最近カンナちゃんに悪い影響受けてないかなぁ」
マイシィはそう言うものの、私が思うにクローラは元々親しみやすい性格なのだ。
貴族令嬢としての矜持、プライド、そしてその立場にのしかかるプレッシャーが、彼女をとっつきにくい性格に見せていただけなのだ。
さらにロキの考え方がああなので、より一層自分にも他人にも厳しくしなければ、と自らを追い込んでいったのだろう。
ロキがいない分、クローラは以前よりマイルドに見える。ただそれだけの事。
彼が帰ってきたら、私達の関係は元通りだ。
馴れ合いもしなければ、争いもしない。今は一時的な協力体制に過ぎない。
「しかし、発表の効果は大きかったですね」
「そうね。あれから協力してくれる生徒が増えましたものね」
昨日は事前の計画にあった通り、先生にお願いして緊急全校集会を開いてもらい、マイシィとクローラが現在協力体制にある事やロキは冤罪の可能性が非常に高い事、真犯人を探している事を公にした。
すると事前に下僕の会の行っていたアンケートの本当の意味を理解した生徒たちは、今度は記名式でのアンケートを自ら企画してくれるようになったのだ。
また、初めは私達と関わることを渋っていた教師陣が、生徒たちが積極的に協力するのを見て態度を改めたのは大きい。
私達は今日、正確な授業の出欠の記録を参照できるようになった。ちなみに弱みを握ることに成功した一部教師からは、担当クラスのみとはいえ既にデータを流してもらっていたのは秘密である。
ともかくこれで情報の質は格段に高まった。
一方で、真犯人にこちらの動きを警戒させることになった可能性もまた否めない。
放置すれば国家クラスの問題になりかねない以上、こればかりはしょうがない。
「でも私すっごく緊張したんですよ。まさか、クローラ様じゃなくて私から発表するなんて思ってなかったです」
「私が言うよりマイシィちゃんが言った方が説得力がありますもの」
クローラの台詞を補足すると、ロキの派閥でない者がロキを庇う方が、そうでない場合よりもより真実味が増すだろうと言う判断が一つ。
あとは単純にマイシィの無垢な感じに懸けたというのである。
「緊張したからか、あれから少し体が重いんですよね」
「──生理?」
私がそう言うとマイシィは私に向かって小さな氷弾を何発も飛ばしてきた。
「痛い痛い! マイシィごめんって!」
「もー、そんなにはっきり言わないで。それに、まだのはずだし、私そこまで重くないし」
重くないのか。羨ましいな。私なんか昨日までお腹の痛みに苦しんでいたと言うのに。
「子供のうちは狂う事も多いからな。気をつけた方がいい」
イブお姉さんのありがたい忠告に、マイシィと私は「はーい」と明るく返事した。
──さて、そろそろ本気を出して調査結果に目を通さないと。
──
─
さて、現状把握をしないといけない。
まず、犯人が教師と言う線はゼロではないがかなり薄くなったと思う。と言うのも保安隊関係者からの情報提供によると、全員にアリバイがあったそうなのである。
例えばロッカー事件の時は多くの先生が授業に入っており、待機組の方々も誰かしらと行動を共にしていたらしい。
それにしても予想以上に教室を抜け出た生徒がいたのには驚いた。
大抵はお手洗いに席を立っただけで、五分ほどで教室に帰ってきたようだ。
この“お手洗いで抜ける生徒”と言うのは教師からの出欠表には記録がないので生徒アンケートのみが頼りになる。
教室を抜けた生徒はリストアップし、親衛隊調べの当日の授業場所データと照らし合わせていく。
ロッカールームとの往復が時間的に不可能な生徒は犯人候補から外すことができた。これは大きな進展だ。
一方で三、四年生には手を焼いた。当日のフィールドワーク中は誰がどこにいたのか引率の教師でも把握しきれていないのだ。
ただし集合時間に点呼を取った際には全員がそろっていたことが確認できている。
「あああ、頭痛い。何なのよ、このデータの量は」
クローラは既に音を上げそうになっている。
生まれてこの方貴族令嬢として過ごしてきた彼女にとって、この地道な作業を行うことは地獄のような気分に違いない。
一方でマイシィやイブは黙々とリストアップ作業を進めていた。本当は親衛隊や下僕の会に作業させたいところだが、教師データを使用する条件に我々貴族チームだけが情報を扱うことが含まれていたために、自分たちで作業をせねばならなくなったのだ。
本当は兄にも頼みたいところだが、クローラとの関係を考慮すると、これがなかなか頼みづらい。よっぽど煮詰まった時には声をかけよう。うん、それがいい。
「……はぁ、はぁ」
マイシィ頑張ってるな。ちょっと息が上がっているみたいだけど。
「……ハァッ──ハァッ」
ちょっとちょっと。艶めかしい声を出しちゃって、一体どうしたんだろう。
「マイシィ?」
「う、うん。なぁにカンナちゃん」
マイシィを見ると、少し顔が赤くなっていて汗もかなりかいているようだった。
疲れがたまっているというし、熱でもあるのかもしれない。
「マイシィ、医務室に行こう」
「え……? でも、これを片付けないと……」
私はそういうマイシィの手を取ると、無理やり力を込めて立ち上がらせた。
よろけるマイシィにすかさず体を入れて支える。
「いいから、行くよ。クローラ様、ちょっと外します」
「ええ。──大丈夫? 本当に顔色が悪いですわよ。よければイブに抱えさせますが」
確かにイブならマイシィを楽々抱え上げられそうだ。
「良いですよ、私、歩けますから。イブ先輩はクローラ様の騎士なんですから、そばにいないとですし」
「そう……ですけれど……」
クローラとイブはとても心配そうにマイシィを見つめている。
マイシィを想う気持ちはありがたいが、今は良くない。
少しでも早くデータをまとめないといけないのに、手が止まってしまっている。
「私が責任をもってマイシィを連れていきますので、先輩方は作業をお願いします」
二人が頷くのを見届けると、私はマイシィに肩を貸しながら応接間を後にした。
──
─
医務室へ移動している間にも、マイシィの体調はみるみる悪くなっていった。
汗の量がすごい。これは生理ではないな。
ストレスによる心因性のものの可能性もあるが、普通に病気を疑ったほうがいいかもしれない。ただの風邪だと良いのだけど。
幸い応接間から医務室まではそんなに遠くない。同じ棟だし階も跨がない。すぐそこに扉がある。あともう少し──。
あ、と思った時には既に医務室の扉は開いていた。私が扉に指をかける前に、ひとりでに開いたのだ。
そこに立っていたのは男子の制服に身を包んだ少年。顔を上げてみると、それは良く見知った人物であった。
「あ、カイン」
「……おう、カンナか」
顔を合わせるなり赤くなるカイン。私もつられて顔が熱くなってしまう。
私は先日、半ばカインの告白を受け入れてしまった状態になっているからだ。
魔闘大会優勝なんて絶対あり得ないとは思っているけど、カインの事を悪くは想っていないことを堂々と宣言した形だ。
だが、私個人の事情でマイシィを放置するわけにはいくまい。
「カイン、ごめん。マイシィがヤバいんだ」
「……顔が赤いな。熱か?」
カインはマイシィの顔を覗き込むと、これは自力で歩かせるわけにはいかないと判断したのか、彼女の体をひょいと持ち上げた。
あまりにも軽々と持ち上げるものだから、あっけにとられてしまう。
なんか、王子に抱かれるお姫様みたいで、なんか、こう、モヤッとした。
──私も、いつかああやって抱っこされるのかな。そんなことを考えてしまった。
「……エメダスティ、そこのベッドを空けてくれ」
「うん。って、マイシィちゃん!?」
「……早くしろ」
医務室にはなぜかエメダスティもいたようで、マイシィをベッドに寝かせるために、掛け布団を一旦除けてくれていた。
そこへカインがマイシィを横たわらせる。
……あ、カインの奴、今ちょっとマイシィのお尻触っただろ。これはあとで問い詰めなければなりませんなぁ?
「うわ、これ結構熱高いよ。どど、どうしよう、さっき学校医の先生帰っちゃったばかりだし」
エメダスティが慌てているが、カインは冷静だ。
「……とりあえず市販薬の解熱剤なら使ってもいいだろう。ニコ兄、それ取ってくれる?」
え、なんでそこで兄の名前が。と思っていたら、マイシィ寝かされたのとはの隣のベッド、仕切りのカーテンの向こうに兄の姿を見つけた。
心なしか、少し青い顔をしている。愛しのマイシィの突然の病に心を乱したのだろうか。
しかし、そういうわけでもなさそうだった。兄のベッドサイドテーブルには薬が置かれており、水の入ったグラスと共に一包消費した痕跡があった。
兄は自分が飲んだ解熱剤の残りをカインに手渡したというわけだ。
「え? ニコ兄も熱を出したの!?」
兄はこちらに目をやると、口を横に広げて笑顔を見せた。
しかし、どう見ても空元気である。
「あー……なんだ、ちょっと風邪気味かもしんねぇ。なんか急にめまいがして、横になってた」
マイシィと兄が体調不良か。ちょっとまずいことになったかもしれない。
実は、彼ら地元三人衆には私とマイシィの護衛として学校に居残ってもらっていたのだ。
この一週間近く、カインは護衛についてくれていたが、昨日の集会以降はより一層警備体制を強化しようと兄にも声をかけた。
心許ないけど、いないよりましだと思ったからね。
それが、二人潰れた。
既に日は傾いて、そろそろ暗くなり始める頃合いだ。
二人も病人を抱えているうちに襲われでもしたら……。
これは早めに馬車で帰らせるか、病院まで送ってもらったほうがよさそうだ。
「……カンナは体調はどうだ。昨日まで少し辛そうだったろ」
「うん。私は平気。それよりもマイシィが心配だよ。ニコ兄も顔色が悪いし、早めに帰してあげたほうがいいかもね」
「確かにな」
カインは私の意見に同調した。すると、今度はエメダスティが意見を言う。
「病院には連れて行った方が良いかな?」
「……場合によってはその方がいいな。だが、今すぐ馬車ってのはきつそうだ。……もう少し様子を見て、解熱剤が効き始めたら移動を開始しよう」
私とカインが頷き合い、エメダスティもそれに同意する。
やや遅れて、部屋の奥の方から力ない声で同意見だと言う声が聞こえた。無駄に素敵な兄の声は、本当に力を無くしてしまっている。
いったい二人とも急にどうしたというのだろう。
ともかく、今はカインとエメダスティが頼りだ。
戦闘面はカイン、介抱はエメダスティが得意そうだからな。
特にエメダスティは自慢の肉布団で、マイシィを馬車の衝撃から守ってくれるに違いない。
「じゃあ、私はそろそろ戻るよ。まだまだやらなきゃいけないことがあるし」
「え? か、カンナちゃんは帰らないの?」
「──少しでも、進めるべきだと思うんだ。私は強いからね、敵もそう易々と襲ってはこないさ」
心配そうなエメダスティ。カインも眉根を寄せて、私のことを気にかけている様子だ。
私はそんな二人に対して明るい表情を作ると、
「カイン。エメダスティ。二人とも、信用してる」
そう、言ったんだ。




