入学編28話 カイン
ちょうど病院の売店で月ノ帯が売っていたので購入した。
身体の成長具合的にはそろそろかと思っていたが、まだ準備も何もできていなかったので参ったな。薬局に寄って薬も買わなければ。
経験者たるアロエに聞いたところ、二日目とか三日目の方がヤバいらしい。
うわぁ、気が滅入っちゃうね。
薬局に入ろうと思った時、ふと視界の隅に見知った人物が写り込んだ。
そちらへ目線を送ると、ちょうど黒髪の少年が病院を出るところであった。
私は小走りで彼の後を追う。
「どこにいくの、カイン?」
「……おお、カンナか。もう話は終わったのか?」
私が呼び止めると、カインはこちらを振り向いて少し笑った。
笑顔を見せることが少ない人だから、たまに見せるその表情がより一層可愛く見える。
「マイシィ達はまだ話してるよ。私の知りたいことは知れたからもういいんだ」
私は初めからロキが犯人じゃないって思っているから、彼らの証言にはその裏付けを期待していたんだけど、難しそうだった。
ただし、彼らの証言のみでロキを犯人と決めつけることはできないという事実は、使いようによっては有効打となるのかもしれない。
そうそう、有益な情報と言えるかは分からないが、犯人がなかなかの手練れであることは間違いなさそうだ。
なにせ被害者の中には五年生の先輩もいる。風魔法で対抗したあのなんとかっていう人だな。
その先輩を体術のみで圧倒したらしいのだから、かなりの強敵だと考えてよいだろう。
「カインが護衛でも、その敵に会ったら成す術もないかもね」
「む。それは、俺が弱いってことか?」
「そんなわけがない。カインは強いよ。なんたって──」
「……お前の、師匠だからな」
くそっ、私の台詞を先回りして盗られた。
カインお得意の炎魔法は、持続時間に問題があるものの、最大火力は私よりもはるかに高い。
私がロキとの戦いで使った技も、カインの劣化コピーみたいなものだ。
練習の時よりはマシな使い方ができたと思っているが、水を纏うことで対処される程度の威力だったということだ。
カインが本気を出したら、あの水のバリアくらいは蒸発させられるかな。
「カインはもうすぐ魔闘大会だっけ」
うんと頷くカイン。
「そうだな……その話もあるからさ」
首をくいっと傾げてベンチの方を示し、
「……ちょっと座って放さないか」
と言った。
「うん。いいよー」
私は何の警戒もなしに同意し、カインと共に屋外に設置されたベンチに向かって歩き始めた。
そう、ここで私は警戒しておかなければならなかったのだ。
何故なら、彼は私の事を……。
──
─
私達が座ったベンチと言うのは、病院の玄関からは少し離れたところにある植木と植木の間に設置されたものだ。
南向きに置かれていることもあり、日向になっていて暖かい。
今はかなり西日になってしまっているけどね。
「よっこらしょと」
私は木製のベンチに飛び乗るように座った……ら、思いのほか勢いがついて腰を強打した。
「いっったぁぁ!」
「……お前はバカだなぁ」
カインが私の頭を撫でながら、私の横に腰を下ろした。
病院の玄関方面と私との間に入るような格好だ。
途端に私の体は、病院からは死角になる。
なぜ彼がその位置に座ったのか。
後になってから考えると良くわかる。
「……はい、これ羽織るか膝に掛けとけ」
カインは学校を出たときと同じように自分のローブを私に掛けてくれた。
本当に優しいな。なんでこんなに優しくしてくれるんだろう。
「それでさー、魔闘大会の事なんだけど──カイン?」
「……ん? ……ああ、聞いているよ」
なんか、心なしかカインが惚けていたような。
「やっぱり七年生とか八年生って強いんでしょ? 何か秘策でもあるの?」
「……秘策……秘策か。……あるにはある」
「へぇ、どんなの?」
私の質問に、カインはフンと鼻で笑ってこう返した。
「……秘密にしておくから秘策なんじゃないか」
少しだけ目を細めたカインは、少し兄に似た悪戯っぽさを感じさせた。
なんか、良いなぁ。カインはまるで私の第二のお兄ちゃんだ。
ニコ兄の見た目で、目だけはカインに差し替えて、筋肉質なのもカインと差し替えて、性格はまんまカインだったら私は間違いなく惚れていたと思う。
そうなると私はブラコンか?
「……」
「ん? なぁに?」
カインが急に押し黙ってしまった。
私の顔をじっと見つめてくる。
やだな、なんか恥ずかしいな。
「あのっ──、その、あんまりじっと見られるといくらカインでも緊張しちゃうっていうか」
すると、カインの柔らかそうな唇が薄く開いた。
「……ぁ──」
何かを言おうとして、言えないでいるような。
勇気が足りなくて、いま一歩踏み込めないでいるような、そんなじれったさをカインの中に感じる。
ま、まさかこれは愛の告白──
「……カンナ。お前、俺の事好きって本当か?」
「……」
「……」
──は?
「え、ちょ、ちょっと待って。どういうこと? なに、いきなり。オーケー、ちょっと落ち着こうか」
「……いや、お前が落ち着けよ」
「え、や、でもッ」
そ、そうだ。さっきからカインは落ち着いている。焦っているのは私だ。
シズマリタマエ~シズマリタマヘ~、私ッ!
そう、大きく息を吸って、吐いて、吸って、吐いて。
「落ち着いた」
「いや早いな」
落ち着いたのは良いが、カインの発言の意図が全く分からなくて困る。
突然すぎるだろう、いきなりなんだって?
カインが私の事を好きだという告白じゃなくて、私がカインの事を好きだって?
いやいやそんな──……待てよ。
そう言えば今日のお昼ごろにカインがどうとかっていう話を友人たちとしていた。
その時、マイシィやアロエはカインの事が好きなんだろうと勝手に邪推して盛り上がっていたんだった。
「もしかして、お昼ごろカフェテリアにいた?」
「……まあ、いたな」
魔法学校の生徒の六割近くはカフェテリアを使い、残りのうち三割は購買で簡単な軽食を買い、あとは弁当だったり自宅から持ってきたサンドウィッチだったりする。
あ、会議室を高級レストラン風に改造している貴族様もいたな。
カインは購買派なのだが、友人に誘われたときはわざわざカフェテリアに移動して購買のパンを食べていることもあるし、気分でカフェを利用することもある。
「──なんか、聞いちゃった?」
「ん。……まあ、な」
そうか、あのガールズトークを聞いてしまったか。
盗み聞きかよとツッコミたい気持ちもあるが、ああいう話って自然と声のボリュームが大きくなっちゃったりするんだよね。
だからカインを怒ることはできない。もう少し周りに気を配ればよかったのだ。
私自身は気を配っていたつもりだったんだけどね。
しかし、中途半端に聞かれてしまうと、確かに“カインの事が好き”と言う感じに捉えられなくもない会話だった、と思い返す。
「あ、あれはね……」
「……好きなんだ」
「──はい?」
カインは、私の方をまっすぐに見つめながら、はっきりと言った。
「俺は、お前のことが、好きなんだよ」
え……
うそ、でしょ……
やだ……心臓が……
へ……
一瞬、何を言われたのかが分からなくて、頭の中が真っ白になった。
いや言っていることは判るんだ。
判るんだけど解らないんだ。
ようやっとカインの言葉の意味を理解した時、私は、自分の心音がはっきり聞こえるほどに高鳴っているのを感じた。
ドッドッドッ……と、体の真ん中から、髪の毛の先端まで血液が運ばれていくような錯覚に陥った。
周りの音など、とうに聞こえなくなっている。
周りの風景など、とうに見えなくなっている。
ただ、目の前にあるカインの瞳の奥が光って揺れている。
きれいな黒の瞳だ。
これだけ近づくと、本当は黒ではなくて、とても深い赤色なんだと分かる。
あれ、ちょっと近すぎでは──。
「ちょっと、カイ──んッ」
直後、私の唇はもっと柔らかい何かに押し当てられていた。
とてもやわらかで、暖かい感触。
カインの、唇の感触。
「ん……」
思わず、目を瞑ってしまった。
なんだか、この感触をもっと味わってみたくなった。
心地よい。
心地よいのだ。
何か、すべてを預けられるような、そんな気持ちになる。
アロエとの欲にまみれたキスとは違う。
もっと情に訴えてくるキスの味。
あ……もう、離れちゃうの……?
まだ、舌も入れてないよ……?
「カイン……」
目を開けて、私は驚いた。
なんでかって言うとね。
「何で泣いてるんだよ、カイン──」
目の前にあった深紅の瞳が、大粒の涙で覆われていたからだ。
拭っても、拭っても、彼の想いがどんどんと溢れてきて止まらない。
どうして?
私はまだ、まだフッてないよ?
勝手にキスしたのだって、怒ってないよ?
「……ごめん、ごめんよカンナ」
「どうして泣くの? 嬉しかったよ? 私」
カインは大きく首を振る。
涙で湿った前髪が私の頬をちょっとかすめた。
「……そんなわけないだろ。……お前が、俺を好きになることなんてないんだから」
あれ、どうして、そう思ったんだろう。
昼休みの会話を聞いて、私がカインの事を好きだと思ったから唇を奪ったのではないのか。
「……俺が醜いのなんてわかってるよ。……俺じゃお前に釣り合わないことだって。……でもさ、昼間のお前らの会話聞いたらさ、ちょっと期待しちゃったんだ。……絶対にありえないってわかってるのに、俺は、期待しちゃったんだ」
「カイン」
彼は、コンプレックスの塊だ。
男よりも女に近い見た目。
声だけはようやく声変わりして男性らしくなったが、身長は同い年と比較してもまだ低い。
豊かなまつ毛にやわらかな唇、どう見てもチャームポイントにしか思われない目の下のホクロ。
そんな彼に与えられた評価は──“可愛い”である。
誰に聞いても“可愛い”と言われる。
彼はそんな自分の容姿を前々から気にしていた。
だから。
「……俺は……カンナとは一緒になれない」
「カイン……」
私は彼に、なんて声を掛けたらいいんだろう。
一つ言えることは、私はカインと付き合うつもりはないということだ。
それをはっきりと告げたら、逆にカインは諦めがついて立ち直るだろうか。
いや、彼の性格上それはないだろう。
きっと落ち込んで、もう笑顔を見せなくなってしまう。
「あのね、カイン。聞いて」
「聞かない」
喉に引っかかったような話し方をするカインにしては珍しくバシッと言い切った。
「俺は、お前が好きだ。だから、俺がもし魔闘大会で勝ったら……その時には返事を聞かせてほしい。それまでは……俺に、期待をさせておいてほしい」
期待をさせておいてほしい。
そんな風に言われたら、頷くしかないじゃないか。
カインは卑怯だ。
勝手にキスしておいて。
勝手に私の心を決めつけて。
──いや、あんまり間違ってなかったけどさ。
でも勝手が過ぎるよ。
私を甘く見すぎだ。
「カイン」
私はすっと立ち上がって、カインの方を見据えた。
そしておもむろに右手を自分の顔の前に持って行って、親指と、薬指と、小指をおっ立てた。
意味するところは、“ファッ〇”である!
「カインさんよー、魔闘大会で優勝してみなよ! そうしたらきっと私はカインの事が好きになってしまうに違いないからなー! キャーカイン様かっこいーってなって、きっと胸もキュンってなっちゃうこと間違いなし! そしたら私の処女でもなんでもくれてやるよ! 私の全部をお前にやるよ!」
カインの反応は……。
「……ぷッ」
──噴き出していた。
「あはははは! ……なんだそれ、そんな返事ありかよ!」
「ありだね! ありよりのありだね! 私はもともと、“カインは十年後くらいに期待だなー”って考えてたんだからな! それが早まるだけさ、どんとこい!」
カインは涙を流して笑っていた。
こんなに笑う彼を、初めて見た。
私もつられて大笑いしていた。
今日一日の気分の悪さなんて吹き飛んでしまうくらいに、笑って、笑った。
そして──。
──カインと笑い合うのは、それが最後になった。




