入学編25話 星と砂時計
放課後、クローラの所に顔を出そうと思った。
話をさせたいのでマイシィも一緒に連れていく。エメダスティは自分が平民と言うことで遠慮していたため、校門の前で待機してもらうことにした。
私の体調は再び悪化してきていた。
昼食は結局あまり喉を通らず、ただ空腹だけが続いている。腰もなんだか重たい。
しかし、クローラの前でつらそうにするわけにもいかないから、医務室に行って再び薬を飲んだ。
そうやって時間を取られたからだろう、七年生の教室には既にクローラの姿はなかった。
その後、クローラ一派の占有している高級レストラン風の会議室にも足を運んだがおらず、給仕に話を聞くと、どうやら授業が終わるのと同時にさっさと寮に引きこもったようである。
そこで私達は女子寮に出向くことにした。
学校の裏手の山──と言っても学校の時計塔よりはずいぶんと低い──の中に学生の寮がある女子寮は男子の進入を防ぐためか、やや奥まったところに位置していて、男子寮よりやや遠い。
「寮の人たちも帰ってきているみたいだね」
マイシィの言う通り、寮生たちはロキの逮捕を受けて学生寮に戻ってきていた。犯人が拘束されたのだから安全と言う考えだ。
「真犯人は、まだ捕まっていないというのに」
「その、ロキ先輩が犯人じゃないって話は本当なんだよね?」
「──ああ、マイシィには詳しく話す機会が無かったっけ」
歩きながら、マイシィにクローラの考えや行動について軽く教えておく。
当然、クローラとロキが夜を共にしていたという事実は伏せたが、ロキが真犯人ではないという根拠はある、とは伝えておいた。
「そっか。じゃあ、やっぱりあれはクローラ様からの……」
マイシィは、少し悲しそうな顔で笑うのだった。
「カンナちゃん、着いたよ」
女子寮の見た目は、フマル家の少し似ていた。土壁づくりの古めかしさがありながらも、よく手入れされているところがそっくりだ。ただしサイズがかなり大きい。学校の本館と同程度くらいはありそうな気がした。
「ここ、旧校舎なんだって」
「へぇ。それで」
中に入ると確かに“学校”と言う感じがした。どこか初等学校を思い出させるような風情がある。
寮の受付にてクローラの名前を出したら、係の中年女性は驚いた顔をしていた。
まあ何か事情があるのだろうと汲んでくれたのか、あっさりと部屋の前まで案内された。
彼女はぺこりとお辞儀をすると、帰りの際にまた声をかけるように言って、受付まで戻っていった。
「ちょっと、緊張するね」
「う、うん」
私が部屋の扉をノックすると、返事はなく、しばらくして美男子にしか見えない長身の女性が顔を出した。
彼女は廊下に出るとすぐに扉を静かに閉めた。
扉の閉まる直前に少しだけ中が見えたが、やはり高級な調度品に彩られていたほか、若干改装してあるようだった。
「イブ先輩、ご、ごきげんよう」
私が挨拶のために貴族式の礼をすると、イブは少しだけ表情を緩めて言った。
「かしこまらなくていい、カンナ・ノイド。マイシィ・ストレプトもよく来たな」
「ええ、こんにちはイブ先輩」
マイシィもスカートをひらりと持ち上げ優雅に礼をした。
彼女は所作のお稽古も欠かしていないため、挨拶一つ見てもやっぱりサマになっている。
私も貴族と関わることが増えているので、そろそろお稽古の回数を増やさないといけないかもしれない。
一方のイブは男装に近い見た目のため、ズボン履きである。故に、スカートを持ち上げるふりというか、本来ないものをつまみ上げているような格好で礼をした。
個人的に、男性の敬礼をしてほしいと思う。
彼女にもう少し男の色気があったならば、きっとすれ違う女子が皆卒倒するくらいの逸材になるだろう。
いいなーかっこいいなー。
私もイブみたいな男性にだったら抱かれてみたい。その、ハグ的な意味でね?
そんなイブだったが、弟が逮捕されたこともあり、少しやつれているようだ。
やや疲れた表情で、私たちに告げる。
「申し訳ないが、クローラ様は今、人に合わせられる状態ではない。授業には、なんとか出席したのだが……」
「そう、ですよね」
側近中の側近が捕まったのである。しかも、復権派の切り札とまで言われる人物だ。このことがきっかけで中央貴族界隈は大きく揺れることになるだろう。
「でも、早期解決をせねば事態はより悪化しますよ」
このままいたずらに時だけが過ぎてしまえば、その間にロキは無実の罪で裁かれてしまうかもしれない。
このまま無駄に時間を過ごせば、復権派に亀裂が入り、国政に関わってくるかもしれない。
このまま何もせずに手をこまねいていたら、マイシィ達国王派にも火の粉が降りかかるかもしれない。
「そんなことは分かっているさ。だが……」
「イブ先輩。クローラ様を説得してください」
そう、立ち止まるわけにはいかないのだ。落ち込んでいるのは分かる。途方に暮れる気持ちもわかる。でも、こうしている間にも真犯人は足跡を消しにかかるかもしれないのだ。
イブは押し黙る。何も言わずに私の目だけを見つめている。私もイブの目を見つめ返す。目を逸らしたら負けだ。ここは絶対に引いてはいけない局面なんだ。
「我々が足踏みをしてどうするのですか。いつまでも落ち込んでいる場合では──」
私がそう食い下がると、部屋の扉が薄く開いた。
イブがそれに気づき、体をドアの側から離すと、すき間からブロンドの髪の美女がこちらをのぞき込んでいるのが見えた。心なしか目が落ちくぼんで見えるが、そんなことはどうでもいいのだ。
「クローラ様、お話を──」
「そういう、人の感情を無視して突き進むところが嫌いなんですよ、カンナ・ノイド」
今日は不機嫌なのか、カンナちゃんとは呼んでくれなかった。
しかもなんだかクローラの言い方にイラっと来てしまった。
こっちだって初潮を迎えてて体のバランスがいろいろおかしくて、薬がないとやってられないくらい腰が重くてつらくて不機嫌なのだ。
「お言葉ですが、事態は深刻で一刻を争いますよ。ロキ先輩を助けたくないのですか」
「そんなもの……」
瞬間、扉が勢いよく開いたと思ったら、物凄い衝撃を頬に受けた。
ああ、クローラに叩かれたのだと気づいた時には、私はバランスを崩して転んでいた。
私は上目遣いでクローラを睨んだ。
「そんなもの、助けたいに決まっているでしょう!? ですけどね! 人間なんですからいつでも万全なわけじゃない、泣きたいときに泣いて、なにが悪いの!!」
クローラは溢れる涙を拭おうともしないまま、思いのままに叫び続ける。
「だいたい、すべての始まりは貴女じゃないですか!! マイシィ・ストレプト!! 貴女の抱えたトラブルじゃないですかッ……私達は巻き込まれただけなのに!!」
「クローラ様」
イブが止めに入ったが、もう遅い。それは、言ってはいけない奴だよ、クローラ。それを言ったら、私は再びあなたを敵として扱わなければならなくなる。
マイシィのせいだって? そのマイシィがひどい目に遭ったのも、始まりはあなたが入れさせたプレゼントではないか。あれがなければ何事もなく平和だったかもしれないのに。
「カンナちゃん、だめだよ。抑えて」
マイシィは、私が何かを言い出しそうになるのに勘付き、先回りして制止した。
「クローラ様。私はあなたとは争いたくありません。カンナちゃんとケンカするところも見たくありません。どうか今だけは、お怒りをしずめてはいただけませんか」
マイシィは僅かに声を震わせながら、しかしはっきりとした口調でクローラに物申した。
彼女にとってみれば、クローラはまだまだ得体の知れなくて恐ろしい存在だろうに。
「あの、これ……」
マイシィは恐る恐ると言った感じで、懐からあるものを取り出した。
それを見て、驚いた。私が、ではない。
クローラは、切れ長の目を真ん丸にしていた。
──ボロボロになった、お守りの袋。破れた布切れから覗くのは、ストレプト家の家紋、星と砂時計。
「これをくれたのは、クローラ様なんですよね? わたし、ほかの物は荒らされたときに処分してしまいましたが、これだけは捨ててはいけない気がして。お守りって、誰がくれたものでもやっぱり大事な想いが詰まってると思うから」
知らなかった。マイシィがそんなものを大事にとっているなんて。
しかし、そのお守りをなぜ今持っている?
ロッカーに入れられていた物が実はクローラからの贈り物だったという話は、今さっき女子寮に向かう途中で初めてしたのだ。
あ、いや、ロキとの戦闘中に口走ってしまったような覚えもあるが、詳細を話したのはつい今しがただ。
もしかするとイブによって家まで送り届けられている間に、贈り物についての詳細は聞いていたのかもしれないが──だとしても、マイシィはそれを知る以前にお守りを保存しておくことを選択したという事になる。
お守りの送り主がクローラだとは知らずに、ひょっとしたら悪意の象徴であるかもしれないのに、彼女はお守りに込められた想いを受け止めることを選んだ。
言ってしまえば彼女にとっては異物であるものを、後生大事に持っていたのだ。
そして、今ここにあるという事はきっと──。
「持ち歩いて──いたのですか」
そうだ。きっとそうなのだ。
「ロッカーに入れて置いたら、また壊されちゃうと思ったんです。だから、大事なものはずっと持って歩くようにしていました」
「どうして……あんなに怖がっていたではありませんか……」
「はい、怖かったですよ。だって鍵を開けたら知らないものが増えてるんです。びっくりです。でも、私はそれを捨てようとは思いませんでした。私にとって気味は悪くても、誰かの想いがそこにあるから──」
だからこそ、壊されたときに一層悲しくなったのだとマイシィは言う。
自分の事を想って贈り物をしたプレゼントの主は、今度は自分のことを恨むようになって、贈り物を壊したと思ったのだそうだ。
「エメ君はお守りも処分しようとしたんですよ。でも、やっぱり最初の贈り物がこれだったので、その人の最初の想いだけは受け止めなきゃって」
「そう……そうだったの……」
クローラの流す涙は、いつの間にかその意味を変えていた。
彼女は悲しさと悔しさをなお滲ませつつ、加えて歓びの色を取り戻しつつあるように見える。ほんの僅かだが、口元が緩んだように感じる。
でも、まだ迷っている。クローラの心は未だ迷子だ。
「この家紋、“星と砂時計”の意味をご存じですか? 星は空にあって永久に変わらず輝くもの。対して砂時計は、大地の一部を瓶に閉じ込めて、わずかな時間を刻むもの。私たちの命は有限で短いけれど、その想いはあの星のようにずっと受け継がれて輝き続けるんだ───そういう、願いの込められたシンボルなんです」
マイシィはクローラの手を取った。そして指を広げて優しくそれを包み込む。彼女の小さな掌では、クローラのすべてを包み込むにはすき間だらけだ。それでも、一生懸命に指を広げて握ろうとするのだ。
「ありがとうございます、クローラ様。私、一生大事にしますね!」
「ああ……ああああ……」
見つけた。クローラはこの瞬間、光を、見つけたのだ。
クローラは感極まって、今度はマイシィを抱きしめた。マイシィのローブがくしゃくしゃになるくらいに、力強く泣きしめた。
「ごめんね……ごめんなさいねマイシィちゃん……わた、わたしが勇気を出せずに人任せにしたせいでこんなこどになったのに、私……あだたのせいに……ううう」
「いいんです、いいんですよクローラ様。今一番つらい目に遭っているのは私じゃありませんから。クローラ様たちが、今、一番つらいんですから」
やっぱりマイシィは優しくて、強い子だ。
誰だ脆いなんて言ったやつは。ロキだ。あの男、やっぱり見る目がないじゃないか。
いちばん脆くて守らなければいけないのは、お前のお姫様だろう。
何で捕まってるんだ。今すぐこの場に来て二人に詫びろ。詫びろ詫びろ詫びろ!
「マイシィ」
呼びかけたのは私ではなく、クローラだった。
「作戦会議よ」
「───はい、クローラ様!」
マイシィはクローラに招かれ、部屋の中に入っていく。
だけど私はまだ、その場を動けないでいた。
「……カンナちゃん?」
マイシィが気づく。一向に動けないでいる、この私に。
私にはやらなければならない事があったのだ。このままクローラの部屋に立ち入ることはできない。いや、許されない。
「あの、クローラ様」
「何かしら、カンナ・ノイド」
クローラは無感情な眼差しで私に相対する。
「……数々の暴言、申し訳ございませんでした。クローラ・フェニコール様」
そう、私とクローラのわだかまりはまだ解消していない。
私は、彼女に最敬礼をして謝罪せねばならなかったのだ。それを受け入れてもらわない限りは、きっと円滑に話し合いができる訳がないから。
だから、通常よりも角度を深く。深く頭を下げた。
そんな私の謝罪を見たクローラは、フンと鼻を鳴らした。ウェーブのかかった髪をさっとかき上げて、私をその場に残し、部屋の奥へ。
ああ、ダメだったか。
「──何をしているの、早くいらっしゃい。貴女がいなくて、どうやって作戦を立てるというの。ね、カンナちゃん?」
「クローラ……様……!」
こうして、私達はクローラの部屋へと招き入れられた。私達は、完全に和解したのである。
いやー、クローラが単純で良かった。




