入学編21話 犯行時刻
体の中に、何かあたたかいものが注ぎ込まれている。
心の中が、何かここちよいもので満たされていく。
ぽわぽわしてて、気持ちがいい。
“幸せ”をじっくり煮込んであたたかなスープにしましょう。
それをゆっくりと飲み干せば、きっとこんな気持ちになれるでしょう。
ああ、私は生きている。
ぬくもりにつつまれて、生きている。
ほら、はやくお目覚めなさい。
あなたの事を待っている人が、そこにいるから───。
──
─
「……」
「……」
あれ? なにか変な夢を見ていた気がする。
なんだっけ、幸せをスープにして飲み干せ、だっけ?
うわ、恥ずかしい。なんていう意味の分からないフレーズなんだ。まあ、夢だからそんなものか。
「……」
で、さっきから私の目をのぞき込んでいる、この女の人は誰だろう?
おでことおでこがくっつくくらいの距離で、ちょっと頑張って首を伸ばせばキスできそうな距離で、私を見つめるあなたは誰?
「……なにか言いなさいな」
「おはようございます……クローラ様」
そう、クローラだった。
──え? なんでェ?
クローラは私から顔を離すと、額から流れる汗をハンカチで拭って、ため息を漏らしていた。
同じハンカチで今度は私の肌をぬぐう。ちょっぴりくすぐったい。
クローラが額を離した瞬間から、先ほどまで感じていたあたたかな感覚が消えてしまった。
どういうことだと思って体を起こそうとしたが、全身が痛くて立ち上がれない。
「ああ、まだだめですわ。治療が終わっていませんもの」
クローラに押しとどめられて、私は再び脱力して天井を見上げた。
「すいません、記憶があいまいで……私は何故ここにいるのですか?」
見覚えのある天井だった。きっとここは、学校の医務室だ。医務室の一番奥のベッドに、私は寝かされているんだ。
クローラは私の側に椅子を持ってきて、そこに腰かけているといった状態だ。
「ロキにこっぴどくやられたようですからね」
「……ロキ先輩?」
そうだ。私はロキと戦って、それで……死んだ、はずでは?
「私は何故生きているのでしょう」
「そんなもの、ロキが手加減したからに決まっているではないですか」
あれで手加減していたのか。私は全力を超える力で立ち向かったというのに。
──恐ろしい力だった。あれで長身姉弟の姉の方より弱いというのだから、姉は相当な化け物なのだろう。
「クローラ様が私の治療を?」
クローラは小さく頷く。
「ええ。私の得意魔法は治癒魔法ですから」
そうだったのか。知らなかったな。
だったら、マイシィの指の傷も早く治してほしかった。
ああ、血が苦手なんだっけか。
「なんだか、今日はクローラ様のお顔がとても穏やかに見えます」
「私はいつも穏やかですわよ。貴女の事が嫌いだから険しくなるだけです」
「面と向かって嫌いと言われると、いくら私でも泣きますよ」
おおよそ子供らしくないと言われる私でも、泣きたいときはあるのだ。
「子供の頃は、私の方がたくさん泣かされましたわ。ですので、お返しです」
クローラは私の額を指ではじいた。デコピンってやつだ。
「痛いッ! 目が痛いぃぃッ!」
クローラの指は私の第三の目──頭頂眼にクリーンヒットした。
ひどいッ! ひどすぎるわッ!
「子供の頃の貴女に、これを何度もやられたのですよ。どうです? 痛いでしょう?」
「な、なんかすみませんでした」
子供の頃の自分、馬鹿!
「そうだ、マイシィやエメダスティはどうしていますか? 姿が見えないのですが」
「二人なら家に帰しましたよ。ご迷惑をおかけしたので、明日お詫びに行かなければなりませんね」
クローラは私の髪を撫でながら答えてくれた。
「そうか……無事ならよかったです」
結局、あの出来事は何だったのだろう。
マイシィが口説かれてて、エメダスティが抗議して、私が戦って……あれ?
「ロキ先輩は?」
彼は今どうしているだろうか。全ての事件の黒幕だと、そう言っていた彼は。
その彼が手加減してくれたというのも分からない。
何もかも分からない。
誰か、この私に事のすべてを教えてくれ。
「ロキならそこにいますわよ」
「へ?」
私の視点から何も見えないが、クローラが私の体を支えて起き上がらせてくれたことで、ようやく何が起きているのか知ることができた。
ロキは、地面に膝をついて平伏していた。いや、させられていた。
両膝をつき、両の腕をクロスして頭を下げるのが最敬礼であり、その姿勢のまま地べたに張り付くように体を倒すのが平伏である。
その意味は……言わなくてもわかるだろうが、最敬礼の最上級、みたいなものである。どちらかと言えば大昔に奴隷階級の人たちを躾けるために取らせていた格好である。
それを中央貴族であるはずのロキがさせられている。
「つまり、クローラ様に躾けられているのですね!」
「その通りですわ!」
「くぅぅん……」
ロキは少しだけ顔を持ち上げると、悲しそうな眼差しでクローラを見つめていた。
「ロキ! 反省!」
「はっ!」
クローラの一言で再び平伏するロキ。ちょっとかわいい。
「……すいません、今のロキ先輩の状況はよくわかりましたが、どうしてこうなったのかという状況が全く分かりません」
クローラはやれやれ、と言った具合でため息をついた。
「話すと長くなりますよ?」
と言うことらしいので、少しクローラの語りが長くなるが、ぜひ聞いていただこう。
「まず、ロキからどう聞いているか知りませんが、彼は事件の犯人ではありませんわ。ロッカーが荒らされていたという時も、ペンダントが破壊されたあの日も、私と彼は一緒に授業を受けていましたから。」
「でも、ロッカールームにクローラ様はいらっしゃいましたよね」
クローラは首肯する。
「ええ。授業が終わってからすぐに移動し、見張っておりました。誰かがマイシィちゃんのロッカーを荒らしに来る可能性がありましたので」
あれ、この人マイシィのことをちゃん付けで呼ぶ人だっけ?
「時系列順にお話ししましょうか。始まりは、入学式でした。」
「クローラ様の身長が足りなかった──」
「ごほん! そ、その話はしないでいただけますか! え、とですね。そう、壇上に上がった時、まず初めに探したのは貴女の姿でした。あの憎らしい小娘が、いったいどんな姿に成長しているのかと思ったのです。貴女の髪は非常に目立ちますからね、すぐに見つかりました。でも、次の瞬間、私の胸に電流が走ったのです!」
ああ、電流が走ると、ドン、てなるよね。
「貴女の隣に、お人形のようにかわいらしい女の子がいるではありませんか! まあ、なんて愛らしい、式典が終わったら声をかけてお持ち帰りしましょう、なんて考えていました」
「クローラ様もなかなかにぶっ飛んでいらっしゃいますね」
「気持ちはわかるでしょう?」
「すっごくわかります」
クローラが、にっと笑った気がした。
「ああ、あの子はなんというお名前かしら。上品な佇まいだったからきっとこの辺りの貴族の子に違いないわ。……などと考えていたら、あの子が新入生代表として壇上に上がったではありませんか。残念なことに、彼女は私の家とは対立する一族の出です。私は、彼女こそがマイシィ・ストレプトだとそこで初めて知ったのです。」
名前は知っていたけれど、顔は知らないというパターンだったわけだ。
マイシィからもクローラの顔は知らなかったという話をされたことがある。
対立家系の重要人物の顔の写真くらい見ておけばいいのに、とも思ったが、二人とも中央から疎開してやってきた立場なので、そう言った写真などは手元になかったのだろう。
「私は彼女と仲良くなりたくて、でも、どうしても父上の顔が脳裏にちらついて。どうしていいか分からずに二か月も過ぎてしまいました。」
入学式が秋のはじめの七ノ月だから、二か月と言うと九ノ月か。
ちょうど、カフェテリアでクローラに会ったのがそれくらいだから、その話かな。
「気が付いたら貴女とマイシィちゃんにはファンクラブなるものができていて、大勢の男子生徒が群がっている状況でした。私は何故だか悔しくて、毎日歯がゆい思いをしていました」
「何で私にはファンクラブがないんだってぼやいていましたよね」
「あれは嘘なんです。私は嫌われ者ですから、とうに人気取りなど諦めていますよ」
それは……なんだか悲しいな。こうして話しているクローラはとっても優しいのに。
「私が悔しかったのは、その、マイシィちゃんのファン第一号は、私なのに……という想いに駆られていたからです。あのファンたちの中に私も混ざれなかったのが悔しいのですよ」
すみませんクローラさん。
マイシィのファン第一号は こ の 私 なのでこれだけは絶対にお譲りできませんことよ。
「それで、こっそり贈り物をすることにしました。マイシィちゃんのお友達の、あのおさげの子にお願いして、隙を見てロッカーに入れておいてくれと。はじめはお手紙も添えようかと思ったのですけれど、敵対する家の娘からの贈り物だってわかったら嫌じゃないですか。ですので、何も書かず、何も言わずにお渡しすることにしたのです」
「マイシィはストーカーの仕業だと勘違いしていましたけどね」
クローラは苦笑した。
「そうなのです。やり方がまずかったですわね。こっそりロッカーに、ではなく差出人を伏せて手渡しにしてもらえば良かったです」
ここまで聞いて、思った。やはりクローラに悪意はない。と言うことは、嫌がらせの犯人は別にいるのだ。
それがロキなのかもしれないと思ったが、クローラは先ほどそれを否定した。
ならば私もそれを信じるしかないだろう。
「私の贈り物が、何者かにめちゃくちゃにされていたという話を聞いた時はショックでした。いいえ、私よりもマイシィちゃんの方がショックなのはわかっていますが、彼女の受けた衝撃と、私の感じた悲しみは別方向のものです。彼女は贈り物の主と、破壊した者が同一人物だと思っていたようですし」
クローラの目に光るものがあった。
私はそれを指で拭おうとして、しかし、痛みで手が持ち上がらなかった。
クローラはそんな私のちょっとした動きに気付いて、少し頬をほころばせた後、ハンカチで目元をおさえていた。
「ですので、私たちは犯人を探し出すことにしたのです。休み時間中、できる限りの時間をロッカーの見張りに費やしました。本当は授業中も見張りに行きたいくらいの気持ちだったのですが、中央貴族が授業を無断で休むわけにはまいりませんから、休み時間になるとすぐに玄関ホールに行き、様子をうかがっていました」
それであの場所にいたということか。マイシィ達が調べて判明した、ロッカーの周りでクローラ一派がうろついている、と言う話もこれで真相が明らかになったわけだ。
……いや、何かおかしくないか。
クローラたちは休み時間中ずっとロッカーを見張ってくれていた。
なのに、マイシィのロッカーにはカミソリの細工がしてあって、ペンダントは破壊されていた。
「貴女も気が付きましたね。マイシィちゃんのロッカーに仕掛けを施したのは、いったいいつなのかと」
「授業中に仕掛けるしかない」
そう、犯行時刻は絞り込まれた。
十弐ノ月の二日、午前の授業中だ。




