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入学編18話 足跡の先に

 マイアの“馬車駅”に到着し、私は乗合馬車を降りた。

 ずっと座りぱなしだったので腰が痛い。久々の地面の感覚を味わいながら、私はぐっと背伸びをした。


 駅があるのはマイア地区の商店エリアである。

 私はこの町で生まれ育ったから、商店街といえばこのくらいの規模を想像する。しかし先程までいたコリト地区は、ここよりもずっと大きくてずっと建物の密集した街並みになっていた。改めて我が町の田舎(いなか)具合(ぐあい)にうんざりする。


 例えば、コリトでは駅近辺に(つじ)馬車の乗り場があり、街の外から来た人でも簡単に乗り継ぐ事ができる。

 一方のマイアではそのようなものはない。基本的に駅に着いたら徒歩移動である。

 全く、マイア地区の領主、というか地区長様は町を発展させる気がないのだろうか。顔を見たら文句の一つでも言ってやろうかと思う。まあ、うちの父なのだが。


「さて、と……うう、寒ッ」


 辺りを見回すと、もうすっかり日が暮れて、通りは夜闇(よやみ)の中にあった。

 月は、その周囲を(おお)う円盤がはっきり見えるほどに明るく、幸いにして歩くのに不都合な暗さではない。まだ溶けきっていない雪が月明かりを反射して、道は(ぼう)とした光を(まと)っているほどだ。住宅から()れる(あか)りも加わって、幻想的な光の共演を見せていた。


灯火(トーチ)


 光魔法の方が前方を照らすのに適しているが、とにかく寒いので炎魔法を選択。指先に小さな火を(とも)す、簡単な魔法だ。


 私は自分の家の方へは行かず、自然とフマル家の方面へと歩き出していた。馬車の駅から、実は目と鼻の距離なのだ。まずは今日仕入れた情報を共有し、整理しないと。

 もちろんアロエとの約束があるので情報の出どころは伏せるが、クローラは敵ではないことは、マイシィも早めに知っておくべきだ。


 歩き出して間もなく、商店街を少し外れると、マイシィの住むフマルの家が見えてきた。土壁(つちかべ)造りの古い家だ。年季は入っているが、丁寧(ていねい)に管理されてきたことがわかる、良い家である。


「……?」


 玄関まわりに、真新しい足跡がいくつかあった。

 なぜ新しいとわかるのかと問われれば、うっすらと積もった雪の中に足跡がくっきりと浮き出ているからだ。おそらく一度溶けて土が露出したところに少し雪が(かぶ)り、その後に足跡の主が歩いたために、足跡の部分だけが再び土の色になったのだ。振り返って自分の足跡を見てみると、確かに同じようになっている。


 足跡の向かう先は、学校の方面だ。この先をしばらく行くと民家が途切れ、畑が広がる区域がある。当然人通りも極端に少ない場所だ。そんな場所に何しに行ったんだろう、あの子達は。


「さ、さ、寒いけど追いかけないと」


 私は駆け出した。

 足跡のサイズ的に、足跡の主はマイシィとエメダスティだ。そして、家に戻る足跡は無かった。

 つまり彼らは今家にはおらず、この先のどこかにいる。


「あ」


 駆け出してすぐに、人影を見つけた。私よりも一回り大きいくらいの、丸いシルエット。


「え、エメダスティ!」

「カンナちゃん!? どうしてここに」


 振り返った人影は、やはりエメダスティだった。まあ、シルエットを確認した時点でエメダスティであることは分かりきっていたんだけど。

 彼はランタン片手にしっかりした毛皮のコートを着ていた。服を着ていなくても暖かそうなのに、今はさらに暖かそうな格好だった。


「か、カンナちゃん制服? 家に帰ってなかったの?」

「あ、うん」


 そうだった。私は学校からそのままコリト地区へ行った帰りだった。学校からは外出をしないように指導されていたのに、随分(ずいぶん)とこの格好で歩き回ってしまった。先生に叱られるかもしれないな。


「そんなことよりエメダスティ一人? マイシィはどこ?」

「そのことなんだけどさ」


 彼の言う事を要約すると──

 日が落ちてしばらくした時に窓の外を眺めているとマイシィがこっそり家を出ていくのが見えた。外出しないように言われていたし、そもそもこんな時間にどこへ行くのだろうと気にかかったので追いかけている。

 ──ということらしい。


「マイシィってば(あか)りも持たずに出ていっちゃったんだよ。僕らはまだそんなに魔法を持続させられないのに、危ないよね」

「隠れて出かけたいところがあったのかな……エメダスティも足跡を追ってるんだよね?」

「うん」

「行こう」


 私たちは小走りで足跡を追った。


 マイシィ親衛隊が大怪我(おおけが)を負ったのだって今朝の話だ。マイシィが隠れて何か行動するとしたら、きっと事件絡みだろう。

 そうでなくてもこの寒い雪の中、灯りもなしに出かけるのは心配だ。月明かりだって森に差し掛かれば遮られてしまうし、雲が出てこないとも限らない。


「カンナちゃんストップ!!」

「何?」

「見て、足跡が増えてる」


 エメダスティが示した先、ちょうど学校の方面からこちらに向かってくる足跡があった。

 その先は木立(こだち)に囲まれた場所で、そもそも昼間に雪が溶けなかったのか、足跡は木々(きぎ)の中から突然現れたように見える。

 近づいて調べてみると、マイシィの足跡と、木立(こだち)から現れた足跡は合流して森の方へと進んでいくように見えた。


「マイシィちゃん、ここで誰かと待ち合わせてた?」

「そうみたい。……だけどこれは……」


 マイシィと合流したであろう足跡は、どう見ても大人の男性のものだ。


「お兄様……! まさかマイシィと駆け落ちを!?」


 なんという事でしょう。あの二人がそんな関係になってしまうなんて!?

 今頃二人は逢引宿(あいびきやど)でしっぽりと──。


「……カンナちゃん、変なこと考えてない?」

「カンガエテナイヨ」

「……今日のカンナちゃん、ちょっと変だよ。家にも帰らずどこかに行ってたみたいだし」

「──新たなる恋の扉を開いてしまったからね」

「!?」


 私は今日、大人への階段を一段登ったのだよエメダスティ君。

 ふっ、悪いな。君が私に告白してこないからこうなってしまうのだよ。


 ……っていう冗談は置いといて。


「方向的にニコ兄ではないよね。ということは」

「ロキ先輩……かな」


 あの中央貴族たちは学校の寮(しかもスイートに改造された個室だそうだ!)で寝泊まりしているはずだ。事件後に寮生は別の宿に移ることになると言っていたはずだが、貴族達のレベルに見合った宿がこの近辺でそうそう見つかるとは思えない。

 他の寮生はともかく彼らはまだ学校にいるのではないだろうか。そう考えれば学校方面から足跡が伸びているのも辻褄(つじつま)が合う。


「そういえば今日の朝、学校から帰る時にマイシィちゃんロキ先輩に話しかけられていたような」

「そういうことは早く言おうかバカダスティ」

「あ! また僕の名前間違えた!」

「わざとだよボケナスティ!」


 私達は走った。足跡の続く、森の方へ。


***


 森の中は真っ白だ。やはり木陰(こかげ)陽光(ようこう)(さえぎ)られていたおかげか、雪が溶けずに積もったままなのだ。

 月明りは木々の輪郭(りんかく)をはっきりと雪の大地に(えが)き出す。

 時折、風に揺られた針葉樹(しんようじゅ)の葉からどさりと雪が降ってくる。それ以外の音をほとんど感じさせない、静寂(せいじゃく)の世界。


 私とエメダスティは大量の雪が積もる森の中を、確かな足取りで歩いていた。

 この先には見晴台(みはらしだい)と呼ばれる丘がある。家を建てる際の建材採取のために森の一部を伐採(ばっさい)した場所で、見晴らしがよいだけで何もない。

 何もないがゆえに、今夜はきっと絶景が見られる予感がある。


 私達が雪に足を足られないのは、そこに階段があるからだ。階段と言っても即席のもの。氷でできた階段だった。雪道を歩くために、魔法を使って作られたものに違いない。


 氷というのは表面が乾いていればあまり滑らず、逆に溶け始めると立ってはいられないほどに摩擦(まさつ)が少なくなる。この即席の階段が作られてからどれくらい経過したのか分からないから、念のため氷魔法で冷やし直しながら進んだ。


「きれいだね」


 エメダスティが言う。


「うん、とってもきれい」


 私も答えた。


 私は寒いのが苦手だ。暑いのも苦手だが魔法が使える分いくらか平気だ。

 暑い夏の日に水魔法で体の表面が冷えていくのは心地よい。でも、寒い日に炎魔法で体の表面だけ温まっても物足りない。だから冬は嫌いだ。


 でも──雪を眺めるのは好きだ。(みにく)い私の心を白く染めてくれる。だから冬が好きだ。


(カンナちゃん、あれ!)

(うん、見えてるよ)


 頂上付近に差し掛かった時、そこに一組の男女がいた。黄金の輝きの髪を持つ長身の男性と、葡萄酒(ぶどうしゅ)ような深い光沢の赤い髪を持つ少女。

 男性は膝丈(ひざたけ)ほどの派手な装飾の入った白い外套(がいとう)を身に(まと)い、腰には儀礼(ぎれい)用の短剣を()びている。

 それに対して少女は質素な革のコートに毛糸のマフラー、白い耳当てをしていた。

 対照的な二人。ただ静かに、月を見上げていた。


(何をしているんだろう)

(しっ……静かにして)


 ()いだ空間。耳をすませば、二人の息遣(いきづか)いまで聴こえそう。

 ──というのは盛りすぎだが、会話くらいなら聞き取れそうだ。

 それでも何も聴こえないということは、本当に何も言葉を発していないのだろう。


「月が──」


 そんな事を考えていたら、男が口を開いた。


「月が綺麗(きれい)ですね」


 これ、知ってる。有名な戯曲(ぎきょく)、“灰(かぶ)りの森の姫”の一節だ。

 ドラゴンとの戦いの後、焦土(しょうど)と化した森の中で、唯一(ゆいいつ)月だけが変わらぬ姿であったことから、それを引き合いに出して姫に愛の告白をするシーン。

 このことから、一部の貴族の間では告白の際の常套句(じょうとうく)として用いられるという。


「そうですね」


 少女が応える。


「……」


 そして、再びの無言。穏やかな時間の中で、しかし空気だけがピンと張りつめている。

 声に出してはいないのに、二人の間では無限に想いが交差している感じがする。


 私達がこの場に到着するまでも、こんな感じのが続いていたのだろうか。

 私だったら耐えられない。今だって、この場から一刻も早く離れたい。当事者ですらないのに。


「マイシィ」

「──はい」

「返事を……聞かせてくれるかい」


 なんということだ。もう既に告白は終わっていたというのか。

 それでこれほど気まずい雰囲気だったということか。

 しかし大丈夫。マイシィには兄がいるからな。あんな性悪(しょうわる)貴族の物になんてならないさ。


「申し訳ありません、承知(いた)しかねます」


 ほら見ろ。


「お前はあの、親衛隊と名乗る烏合(うごう)(しゅう)の方が良いというのか?」

「いいえ、そういうわけでは……そもそも、彼らを私の騎士にしたつもりはありませんし」


 あれ、なんの話だろう。愛の告白の場面では無かったのか?


「では何故、私を騎士にしてくれないのか」


 ああ、そういう話なのか。ロキ先輩はマイシィの騎士になる事を申し出たのだ。

 しかし、それではクローラの事はどうするのだろう。彼はフェニコール家からクローラに充てがわれた護衛だったはずでは。


「私が──姉に(おと)るからか?」

「違います。(おと)るとかそうでないとかは関係ありません!」


 確かにクローラの側用人(そばようにん)で、帯刀(たいとう)しているのは女の方だ。

 ロキ先輩にはそれがコンプレックスだった? 少しづつ状況が見えてきた気がする。


「私が騎士になってほしい殿方(とのがた)は、一人だけだからです」


 よく言ったマイシィよ。

 しかし我が兄は頼りないぞ、良いのか?


「それに……本当はこんな風に考えたくはないのですが、家柄はあなたの方が上です。私なんかに仕えるべき人じゃないはずです」

「それでも私はお前に仕えたい。お前の側にいたいんだ」


 マイシィは目を伏せた。

 顔は良く見えないが、まず間違いないのは嬉しそうな表情ではないだろうということだ。

 それが怒りの表情なのか、悲しみの表情なのか、困惑の表情なのかは伺い知ることはできないが。


「なぜ、そこまでして私なんかに」

「愛しているから、じゃあ、ダメか」


 ──あれ?


「お前の年齢では、愛と言われてもピンと来ないかもしれないな。それじゃあ、シンプルに──」


 ちょっと……待て待て!?


「──好きだ。マイシィ」


 ロキは、その髪の毛と同じくらいに顔を真っ赤にしているマイシィを抱きしめた。

 身長差もあるため、片膝(かたひざ)を立てるような姿勢になり、マイシィを包み込むように腕を回している。


 マイシィは──なんと、ロキを抱き返した。嘘……でしょう?


「ううううううう……ッ」

「どうして泣くんだ、マイシィ」

「だって……」


 マイシィは鼻をすすりながら、嗚咽(おえつ)しながら、何とかその想いを伝えようと頑張っていた。


「わだしッ──疫病神(やくびょうがみ)だんですよッ」


 ──は? 何を言っているんだ、マイシィ。


「親衛隊のみんだも……ッわだしが、居なかっだら、こんな、こと、にッ」

「よしよし、落ち着け。落ち付いて話してくれればいい」


 ロキはマイシィから体を離すと、ハンカチを取り出してマイシィの涙をぬぐってやった。


「私の……私の近くにいる人は、みんな傷ついていくんです」

「それは、どうしてかな」


 ロキは再び片膝(かたひざ)をつくような姿勢になって、マイシィに目線を合わせてやっている。

 その表情は、非常に穏やかなものに見える。普段私に見せていた冷酷な上級貴族様の顔つきではない。


「私が、いけない子だから」

「そんな事はないさ。マイシィが何をしたと言うんだい」


 マイシィは(かぶり)を振って、


「違うんです。……何も出来なかったから、です」


 そうして再び涙を流し始めた。

 今度は静かに。必死で(こら)えていたものが、ほんの少し(あふ)れてしまったように。


「入学してから色々なことがありました。私は、皆を巻き込んじゃいけないって思って、一人で抱え込んでいました。だけど、そのせいで余計に皆に心配をかけて、嫌な思いをさせてしまいました」

「マイシィは一人で戦おうとしたんだね。でもそれができるって事は、君はすごく強い人だ」


 そして彼女の顔を両手で包み込むように触れて、額と額を、くっつけた。

 それはダメだろう。

 それは、もう恋人の距離感ってやつだ。


「でもね、君は弱い人でもあるんだ。いいや、人間はみんな弱い生き物だ。だから、誰かに頼ってもいいんだ」


 言っていることは正しい。正しいが、しかし、その場所は私のものだ。ロキは嫌だ。


「ねえ、マイシィ」

「はい」

「私に、君を守らせてはくれないか。騎士がだめというのなら──」


 マイシィは(うる)んだ瞳で、すぐ間近にあるロキの顔を見ている。

 既に耳まで真っ赤に染めて、とろけるような眼差しで、ロキを見つめている。

 吐く息の白さが、彼女の体の熱量を物語っていた。


「私と、結婚してほしい」


 あ。

 本当にダメだ。

 あの顔は、ダメだよ。


 私はつい数時間前、あの顔を目撃していた。

 キスをする直前の、アロエの顔。

 好きがあふれる時の、恋の顔。


 ロキとマイシィの唇が近づいていく。

 マイシィの方から、近づけていく。


 見ていられない。

 目を背けたい。

 嫌だ、そいつとだけは──。


「やめろおおおおおおおおおおお!!」


 その声に、マイシィの動きが止まる。

 その声に、男の瞳に怒りが宿る。


 その声と共に、エメダスティが立ち上がる。

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