入学編17話 彼女の真実
「それで? 誰に、何を言われて、何をした?」
一時間ほど経っただろうか。ひとしきり泣いてようやく落ち着いたアロエの頭を撫でながら、私は尋問を開始した。アロエは一瞬だけ身体をびくっと反応させたが、すぐに落ち着いて話を始めた。
「ウチは一か月か、もう少し前に、ある人に頼まれてマイシィちゃんのロッカーにプレゼントを入れておいたんだ。はじめはお守り。マイシィちゃんのために、専門の職人に作らせたって言ってた。次は髪飾り。カンナちゃんの渡した髪飾りをずっと付けてるのが気にくわなかったんだって。それから、ぬいぐるみ。これは単純に、可愛かったからあげようと思ったんだって」
アロエはマイシィのロッカーに入れたものを、正確に記憶していた。マイシィから聞いていた内容とも合致する。
つまり誰かに言わされてる線は消え、やはりアロエこそが実行犯と言うことになる。
「誰からの指示なの?」
私の問いかけに、唇をきゅっと閉めて迷いを見せるアロエ。相当な圧力がかけられているようだ。
私は撮影機から現像された写真を数枚、手の中でめくりながらアロエに言った。
「おおー、この写真少し見えちゃいけないものが写ってるぅ」
「だ、だめえぇぇ」
アロエが必死で手を伸ばしてくるが私は軽くいなした。
「──で、黒幕は誰?」
「黒幕というかー、ウチにいろいろ言ってきたのは……クローラ様」
……ここに来て再びクローラだ。兄はクローラはそんなことをする奴じゃないと言っていたが、クローラが何もしていないと考えるのも不自然だから、予測の範疇ではある。
不自然なのは、むしろその内容だ。
「マイシィに、プレゼントをしただけ?」
アロエは小さく首肯する。
「……本当のことを言わないと、その膨らみかけのお胸を皆に見てもらうことになるよ」
「ほほ本当だって! マジでウチはそれしかやってないし!」
「うーむ」
まだ、情報が足りない気がする。アロエから引き出せる情報は、すべて引き出しておかないと。
「どうやってロッカーに物を入れたの? 何かでこじ開けたとか」
その質問には、予想の斜め上の回答が返ってきた。
「それねぇ、実はマイシィちゃんってよくロッカーのカギ閉め忘れるんだよ。ウケるっしょ」
なんと答えは単純にして明快。マイシィ自身のミスにより、誰でもロッカーを開けることは可能と言うことだった。
と言うことは、犯行を行えた可能性のある者がかなり増えてしまうではないか。
私は今までこう考えていた。
犯人はカギを開ける手段を何かしら持っており、マイシィのロッカーに見知らぬものを入れておいたり物を壊したりすることで恐怖心を煽った。
完全に心を折って学校から追い出したと思ったら、親衛隊を引き連れて普通の学校生活を取り戻したので親衛隊を襲った、と。
それが、ロッカーを開ける手段は完全に無視できるとなれば、プレゼントを入れた思惑、ロッカーを荒らした思惑が別物であると考えることができてしまう。
いや、はっきり言おう。それが正解だろう。
「クローラはマイシィの事を嫌ってはいない……? そして、マイシィに嫌がらせをしている奴は、ほかにいる」
「ウチもそう思うよ。カミソリの事とか、ペンダントの事とかにはウチは関係してないし」
と、なれば。私は大馬鹿だ。
「本当に……無関係だったのに……」
「カンナちゃん?」
手が震え出す。
自分のしてしまったことの罪深さが、やっと理解できた。
もし何か一つでもタガが外れていれば、取り返しのつかないことになっていたのだ。
私は本当に全くの善意の人物を拷問にかけてしまったことになるのだから。
私は──。
「え、ちょ、カンナちゃん!? 泣いてるの!?」
気付けば私の頬を熱いものが伝っていた。
だって私は、下手をすれば自分自身で“自分の世界”を壊すところだったのだから。
「ご、ごめんなさいアロエ……私、関係のないあなたに……ひ、酷いことを」
親衛隊の事件があったからか、私はかなり思い込みの激しい心理状態にあったと思う。
私の取った尋問の方法は、かなり黒幕に近い人物への対応であり、今回のように善意で協力していたと疑わしい人物に行う手段では無かった。
「大丈夫だよ……って言いたいところだけどさ」
大丈夫と言い切って欲しかった。できるなら許して欲しかった。
しかし、今度はアロエも目に涙を浮かべていた。やがて想いの丈は瞼では支えきれなくなる。
「こわかったよぉ……! カンナちゃん、とても怖かったぁぁ」
それが、本心。当然だ。
自分は何も悪いことはしていないのに、玄関を開けたらいきなり魔法で襲われて、恥ずかしい写真をたくさん取られて危うく人間の尊厳を無くす一歩手前まで追い込まれたのだから。
私と今普通に話してくれているのだって、彼女が優しいからに他ならない。
それを、なんで私は、上から目線で。
本当にクズだ。
私は───クズなんだ。
「うわぁぁぁああ!! ごべんなざい!! ほんどうに……うううう」
「ガンナぢゃぁぁん」
今度は、私たちは二人して泣いた。
子供のように、泣きじゃくった。
いいや、実際に私達は弱冠十一歳の子供なんだ。自分の力の使い方もわからない。
誰に相談すべきなのかも、どういう対処が正解なのかもわからない。
今更謝っても遅いんだ。
私はもう、取り返しのつかないことをしてしまっている。
周りが完全に見えなくて、盗みまで働いて。どこまで行っても愚か者。
貴族の娘だからなんだ。
他人より多少魔法の修得が早いからなんだ。
そんなものは、好き勝手に行動して良いという免罪符たり得ない。
私は最低の人間だった。
私は、私は──。
──違う。俺は、こんなことでは折れたりしない。
私は……いや、一旦落ち着かなければ。
事態はまだ何も解決してはいない。罪を償うのはすべてが片付いてからだ。
「……ぐすっ。ごべん、ちょっと取り乱した」
「──ッう゛う゛。ズズッ……ううん、大丈夫。ウチも、本当の事ずっと黙っててごめん」
アロエは私に謝った。本当に酷いのは私なのに。
──
─
それからしばらくは二人して謝り倒しだった。
どれだけ謝っても足りないから、何度も何度も謝って。
途中から、「キリがないね」ってなって、二人で笑った。
アロエが台所に行って湯を沸かしてくれたので、それをいただいて少し落ち着く。
その間はマイシィやリリカの恋愛話など、当たり障りのない話題になったが、頃合いを見てアロエが話を切り出した。
「クローラ様には誰にも言うなって言われていたんだ」
「マイシィに贈り物をしたこと?」
「うん、ぶっちゃけ今も訳がわからないよ。あの二人の家ってケンカしてるんだよね?」
そうだ。
それも謎の一つじゃないか。
どうしてクローラはマイシィに贈り物を?
それもわざわざ人を使って、自分は陰でコソコソと行動して。
「なんかね、それこそ貴族にしかわからないことがあるんだってさ。ド平民のウチにはマジで何も話してくれなかったよ」
「政治的な何かがあるってことかな」
ともかくアロエがクローラに頼まれたことは、“マイシィがロッカーを閉め忘れたことに気付いたら、どこかのタイミングで贈り物を入れておく”、この一点だけのようだ。
何故アロエなのか。それはマイシィの友達であり、ロッカーの列がマイシィと同じだから。ただそれだけのようだ。
さらに、彼女はクローラに脅されていたわけでもないらしい。
姉の酒場の経営はうまくいっているものの、建物の経年劣化が激しいのでそろそろ立て直しをしなければならない。だからいうことを聞いてくれたら酒場の改装資金をフェニコール家が負担してくれる。そういう取り決めになっていたようだ。
「げ。それなら私、本当に余計なことをしたわ」
私が無理矢理にアロエの口を割らせたことで、資金提供の話が流れてしまうかもしれない。ノイド家が代わりに負担することもできなくはないと思うが、資金力の違いから思い通りの設計にできない可能性もある。
「あはは、そのへんは心配してないかな」
「え? でも──」
アロエは、私の唇を彼女の細い指で触れながら言った。
「ウチが喋ったってこと、秘密にしてくれる約束っしょ?」
きゅん。この子可愛いわ。
マイシィほどじゃないけど、食べちゃいたいくらい可愛いわ。
っていうか半分既成事実作ったみたいなものだよね?
っていうか、今だったらロキ先輩の名前も教えてもらえるんじゃなかろうか。
元々拷問で聞こうと思っていた内容の一つだしね。
「ねえ。アロエならロキ先輩の……」
言いかけて、やめた。
それは、あまりに都合が良すぎないかと思った。
あれだけのことをしておいて、聞きたい事は全部聞いて、それはいくらなんでも自分本位が過ぎるというものだ。
アロエが、私に取ってどうでもいい存在、例えば名前もわからないクラスメイトのままだったら、私は躊躇なく利用し尽くしただろう。
でも、アロエは私の中ですでに大切な友達の一人に数えることができる。私は私の掌の上にあるものを手放したくはないのだ。
「ごめん、これは私が解決すべき問題だった。アロエにこれ以上頼ったらだめだね」
「カンナちゃん」
アロエは私の眼をまっすぐ見つめると、私の手を取って、人差し指で手の甲をなぞり始めた。
「──! これって」
すぐに、何をしているのかが分かった。
一文字ずつ、丁寧に、間違いのないように、指でなぞっていく。
一通り書き終わった後、念のためにもう一回。
今度は私が無言のままでアロエの手を取り、同じように手の甲に指を這わせた。
無言の儀式が済んだ後、アロエは笑顔で言った。
「ウチ、何も言ってないよ?」
その通りだ。
私は何も聞いていない。
誰の名前も呼ばれてはいない。これで、誰にも文句は言えまい。
私は腰を下ろしていたベッドから立ち上がると、床に跪いた。
腕を胸の前でクロスさせて、自分の体を抱くようにして、アロエに頭を下げた。
このポーズを同格以下の者に対して行うことは、自身にとって最大の屈辱だと言われている。
しかし、目上の人間に対する最大限の敬意を示す姿勢でもあり、謝罪の意思を示す姿勢でもある。
出来れば相手の名前を添えて。
気持ちに魂を吹き込め。
私は今、彼女を同格以下だとは思っていない。
だから、最大限の敬意をこめて、この姿勢をとるのだ。
「あなたに心からの感謝をいたします。アロエ・フェロックスさん」
アロエは泣き笑いみたいな顔になりながら、
「ウチの名前、ちゃんと覚えてくれたんだね。ありがとうカンナちゃん」
最後にはにっこりと笑った。
***
余談。
アロエの家を出ることになったのは、結局十五時を過ぎたころだった。
まだまだ日没までは時間があるものの、コリト地区とマイア地区とはかなりの距離があるため、乗合馬車を使うと二時間はかかる。まして積雪がまだ随分と残っているため、倍近くの時間がかかる可能性もある。アロエともっとお話ししたかったのだけれど、もうこの時間に出立しないと到着する頃には夜も更けてしまい、危険なのだ。
まだ学校の事件を起こした犯人はわかっていないからね。
「それじゃあ、私はもう行くね。今日は本当にありがとう。そして、聞き飽きたかもしれないけど本当にごめんなさい」
「ううん、なんか今日はぁ、カンナちゃんとやっとお友達になれたって気がするんだよね。むしろぜんっぜん気にしなくて大丈夫っていうか!」
アロエはへへっと笑いながら鼻の下を指でこすった。なんかカインみたいな仕草だ。
「それに……」
アロエは少しだけ目を伏せて、かと思えば私の顔にグイッと自分の顔を寄せてきた。
「お願いがあるの、カンナちゃん」
私は突然ゼロ距離になったアロエにたじろぎながらも、
「な、なに?」
と聞き返した。
すると、アロエは顔を真っ赤にしたと思ったら、とんでもないことを言うのだ。
「最後にもう一度だけ、キスしてもいい?」
「へっ?」
私はうんともいいよとも何も答えなかった。
答える暇もなく、気が付いたら唇を重ねられていた。さっき私がしたことへのお返しとでも言わんばかりに、私は吸われて吸われて吸われまくった。
もう、あれだよ。腰に手は回されるわ、お尻を撫で繰り回されるわ、制服のボタンをを開けられて胸をもみくちゃにされるわで何も抵抗ができないまま五分くらい好き放題にされた。
「……っぷはああ!!」
父がィエールを一気飲みした後みたいな声を上げて、ようやく唇を解放してくれたアロエは、私の顔を見ながら舌なめずりをして言った。
「カンナちゃん」
「ひゃ、ひゃい」
「ウチ、もしかしたら、女の子が好きなのかも」
……どうやら私は、起こしてはいけない獣を、眠りから解き放ってしまったらしいです。
余談でした。
余談で終わってくれるといいな。
***
追記。
よく考えたら、私、たぶん男女関係なく両方イケる。これって無問題じゃね?
いや、でも私にはマイシィという人が……困った。




