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入学編13話 √

 妙な夢を見た。

 目の前に広がるのは目も(くら)むほどの暗闇。

 足元を流れるのは溶けた鉄のように粘性(ねんせい)を帯びた泥の大河。

 喧騒(けんそう)(あふ)れた静寂(せいじゃく)混沌(こんとん)とした虚無(きょむ)矛盾(むじゅん)さえ許容(きょよう)する異質な世界。


 ああ、この空間は知っている。

 知っているが、ここはその場所ではない。

 これはフェイク、嘘の世界だ。本物であれば、あの大河をこんなにも見つめる事などできない。

 だからきっと夢なのだ。


 手の届きそうなところに鏡があった。

 手鏡(てかがみ)かと思ったが、手にとって見るとそれは巨大な姿見(すがたみ)であった。

 三面鏡(さんめんきょう)であり、万華鏡(まんげきょう)であった。

 少しの挙動(きょどう)で世界全体のバランスが乱れる。

 変な方向に進めば、きっとそのまま帰って来られない気がする。


 鏡に映るのは生まれたままの姿の自分。

 二次性徴(にじせいちょう)を迎える前の、凹凸(おうとつ)もなくつまらない少女の身体(からだ)だ。

 髪の色が銀色なせいか、なんというか、全体のイメージは白だ。

 真っ暗な空間に真っ白な自分が浮いている気分。


 鏡の中に、男の人がいた。額に傷のある、年齢がよくわからない男。

 少年に見えなくもないし、もっと中年に近い気もする。

 これは、私だ。

 鏡の中にいるのだから、これも私なんだ。


  なあ、俺。


  なんですか、私。


  このままで良いのか?


  良いわけがないです。


  俺は良心に(しば)られすぎている。


  私は良心に(とら)われすぎている?


  解き放て。 手段を選ぶな。


  しかしそれでは許されない。


  認められる必要はないさ。


  そうでしたね。


()は、きっと異常者(サイコパス)なんだから」


 そうして、目を閉じる。

 世界が緩やかに反転する感覚。


 遠くの物ほど引き伸ばされ、近くの物ほど重たくなる。

 回転の中で脳が()き回される。

 ある時は朝で、ある時は■■。

 薄く(まぶた)を開いて見れば、そこは宇宙の深淵(しんえん)たる深い光。

 全ては存在せず、(すべ)てが用意されている時空間。


 純白の世界に、俺は立っていた。

 何も身に着けていない俺と背中合わせになるように、一糸(いっし)(まと)わない私がいる。


  ねえ、私。


  なんだよ、俺。


  私はそれで良かったの?


  悪くはなかった。


  全部壊れてしまうよ。


  俺が選んだのだから受け入れるさ。


  私はどうしたい?


  俺はどうする?


  私は“私の世界”を守りたい。


  “俺の世界”を壊すものは排除しなければ。


  “私の世界”を乱すものは放逐(ほうちく)しなければ。


 そうして再び眠りについた。

 四角が三角になる世界から、五角(すい)が円柱になる世界から、理論整然とした現実の世界へ。


 目を覚ますと、窓枠のところに鳥がいた。

 黒い鳥だ。額に傷のある、黒い鳥。


「おはよう、クロウ」


 鳥は、小さく(うなず)くと朝日の中へと飛び立って行った。

 こうして私は、十弐ノ月の十三日を迎えた。


***


 その日、実に十日ぶりにマイシィが学校に来た。

 前日の休校日に私はマイシィのところにお見舞いに行ってたから、今日から復学する事は知ってたんだけど。

 昨日聞いた話だと、


「そろそろ学校に行きなさいって、お父様に怒られちゃったよー。えへへ」


 ということらしい。結局、やはりストレプト本家には話が伝わってしまっていたようだ。

 事件の後は数日落ち込んでいたマイシィだったが、ここ数日は元気を取り戻している。私は毎日のようにマイシィに会いに行っていたものの、彼女を立ち直らせたのは私ではない。


花蜜蟲(カミツムシ)の蜜を採ってきたら途端(とたん)に元気になったよ」


 とはエメダスティの談。

 結局食べ物か! 女の子は甘い物が好きだからな。その甘い物を求める先がフルーツでなく虫由来(ゆらい)なのがマイシィらしい。


「そ、それに、ペンダントはカイン先輩が直せないか試してくれるって。」


 いくら鍛冶屋(かじや)の息子でも、あの精巧(せいこう)細工(さいく)を直せるとは思えないけど。それでも一縷(いちる)の望みがあるのとないのでは随分(ずいぶん)と心持ちが違うはずだ。ナイスアシストだ、カイン。


 そして今日。──私は盛大に寝坊した。


 学校に遅刻するほどではないにせよ、マイシィと一緒に学校へ行くにはちと遅い。一週間ほどマイシィが居なかったから、体が遅い時間に慣れてしまったのか。それとも昨日見た妙な夢が原因なのか。

 ともかく、優雅(ゆうが)に目を覚ました私は時計を見て青ざめた。


「お父様、ニコ(にい)! な、なんで起こしてくれなかったの!?」

「そりゃあお前」

()すっても水()けても氷漬けにしても炎で(あぶ)られても全然起きねぇんだもん」

「チッ」

「チて……」


 私は家族に文句を言いながら制服に着替え、侍女(じじょ)の用意してくれたパンを(くわ)えたまま寝癖(ねぐせ)だらけの頭のままで外に飛び出した。髪の毛先が(こげ)げて(ちぢ)れて“見せてはイケナイ毛”みたいになっているが気にしてはいられない。


「いっけなーーい、ちこくちこくぅ☆」


 って、実際にやってみると非常に心臓に悪いのでお(すす)めしない。パンも(のど)をなかなか通ってくれないし、飲み物もないから()まった時は激しく()せて大変だし。

 とにかく私は先に行ってしまったであろうマイシィ達に追いつくため、魔法を全力で駆使(くし)して道を()け抜けた。


 頑張った甲斐(かい)あって、段々(だんだん)とマイシィ達の馬車が見えてきた。

 追いついたらキャビンに乗せてもらって、少し休もう。そんなふうに考えていた。

 しかし馬車に近づくにつれて全貌(ぜんぼう)が明らかになった、その異様な光景に戦慄(せんりつ)した。


 学校までの道は広い畑や小高い丘の景色が続き、農家の家が数軒(すうけん)あるだけの閑静(かんせい)な通りになっているのだが、普段は通行人の姿もまばらなその場所に、十名ほどの集団がおり、馬車を囲んでいたのだ。彼らは馬車を囲んで小走りで並走し……いやむしろ馬車を先導しているようにも見える。


「これは一体……」

「おお、カンナ会長だ!」

「会長! おはようございます!」


 一体何が起こっているのかわからず困惑する私に、客車の中から顔を出した人物が笑いかけた。


「カンナちゃんおはよぉー」

「マイシィ、これはどういう事?」


 マイシィが私をちょいちょいと手招(てまね)きするので、私は馬車に飛び乗る。馬車の中にはマイシィとエメダスティが二人並んで座っていた。私は迷わずエメダスティを押し退()けてマイシィの隣の椅子(いす)に腰掛けた。


「説明を……」

「えーっとね、私もよくわからないんだけど、ファンクラブのみんなが護衛するって」


 ほう、久々のマイシィの登校と聞きつけて、ファンクラブが集まったというわけか。

 しかし、押し退()けられて前の座席に移動したはずのエメダスティが、わざわざこちらを振り向いてマイシィの発言を訂正にかかった。


「違うよ、彼らはファンクラブ改めマイシィ親衛隊。参謀(さんぼう)は僕で、会長がカンナちゃん」

「はぁ?」


 まったく、疑問符しか頭に浮かばない。


「今ここにいるのは一番隊で、学校の寮で生活している人達だね。いつも近くにいるから、困ったことがあったらすぐに駆けつけてくれるよ」

「なるほどね」

「すぐそこにいる人が一番隊の隊長さん」


 エメダスティが馬車の客室のすぐ脇を歩いている男を指して言った。


「そう! 私こそが! 一番隊隊長のサ───」


 ぴしゃり。なんか(さわ)がしいから通気口を閉めてやった。名前とかどうだっていいし。何だったら番号で良いよ。


「オーケーわかった。親衛隊ね。私が会長なのはすごく良い。エメダスティが参謀(さんぼう)なのもまあ良いでしょう。でも、どうして急に護衛だなんて」


 理由を尋ねると、エメダスティがいろいろと経緯(いきさつ)を話してくれた。


 彼らはクローラ襲撃(しゅうげき)事件(?)の際、遠巻きにマイシィを見ている事しかできなかった。それが悔しいのだと、後日エメダスティに涙を流しながら訴えてきたらしい。あのクローラに一言でも物申(ものもう)せたエメダスティを見て、自分達の不甲斐(ふがい)なさを自覚し、自分達もマイシィの役に立ちたいという思いが強くなったのだという。

 なんというか、積極性の無い気色の悪い集団だと思っていたやつらだが、一皮むけて頼もしくなったな。


「あ」


 ふと思いついたことがあるので、さっそく実行してみることにした。通気口を再び開いて、一番隊の隊長と名乗る男に声をかける。


「ねえ、隊長さん」

「なんでしょうか会長! 私は一番隊隊長のサ───」

「ロキ先輩のフルネーム教えて」

「……」


 ……いやそこなんで黙るよ。教えてよ、隊長でしょ?


「ご、護衛はしますがフェニコール家に目をつけられるのは」


 ぴしゃり。通気口を再び閉めた。

 外から見えない角度で、私は親指と人差し指と小指を立てた。ファッ⚫️なの。


 はあ、しかしやはりダメか。誰に聞いても教えてくれないんじゃお手上げだ。これ以上関わるなという意味だったのかな、あれは。だったらそう言ってくれればいいのに。


「カンナちゃん名前覚えるの苦手だもんねー。まさかロキ先輩の名前も知らないとは思わなかったけど」

「僕も(いま)だに名前間違えられるくらいだからね……はは」


 エメダスティがガチで(へこ)んでいた。そういえばお前は私が好きだったんだよな。しかしビビって告白すらしてこない男を私が認める事は決してないのである。まる。


 続けてマイシィは言う。


「私も黙っていないとお父様に(しか)られちゃうしなぁ」


 うわー、中央貴族様の耳にも入ってしまっているのか。

 それもそうか。貴族経由(けいゆ)で民衆に圧をかけた訳だから、派閥(はばつ)違いとはいえストレプト家にも情報は行くよね。むしろそのせいでマイシィの抱える事情があちらに知られたのかもしれない。


「なんか、余計にややこしい事態になっちゃってごめんね」

「いいよ。悪いのはカンナちゃんじゃない。人に嫌がらせをしてくる犯人が一番悪いんだよ」

「マイシィは強いな」


 本来、一番落ち込んでいるのは彼女のはずなのに。


「ううん、みんなが支えてくれるからこそだよ。本当にありがとうね」


 本当に、彼女は強い。


──


 私達が学校に到着すると、ちょっとした騒ぎになった。貴族の令嬢二人が小太りの従者と大勢の護衛を引き連れて学校に馬車を横付けたのだから、さぞかし目立ったことだろう。(わる)目立ちと言い変えてもいい。

 私はここ数日の朝練には参加していないものの、相変わらず先輩方は朝早くから学校に来ている人が大勢いるので、目撃者の数は相当なものになったはずだ。

 昼休みに新聞部が掲示板に貼り付けた記事の見出しは、【ついにストレプトとフェニコールが全面戦争か?】とある。そんな訳があるか。貴重な紙資源を無駄なことに使わないでいただきたいものだ。


 こんなハプニングじみた事は朝に少しあったものの、あとは特に何も無かった。その日は久々にいつメンでのランチタイムを迎えることができたし、マイシィの機嫌も終始良さそうだった。先生方も胸を()で下ろしたようでイラついてもいない。

 授業中に騒ぎ出すような、兄と同じ名前の馬鹿は風邪をひいて休みだった。馬鹿は風邪をひかないということわざがあったような気がするが、あれは嘘だな。

 まさに理想的な平和な一日であった。入学してからの五か月の中で最も平和だったと言っても過言ではない。




 しかし、この平和な十弐ノ月十三日こそがその後に起きる大事件の起点となる日だったのである。

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