序章2話 サイコパス覚醒
反社会性人格障害。
犯罪者に多い精神疾患の一つだと言われている。
アニメやゲーム、ドラマの影響やSNSを通じて診断アプリが広まったことからよく知られる存在となった。
曰く、人の心に共感ができない。
曰く、非常に自己中心的でよく嘘をつく。
曰く、協調性に欠ける。
曰く、衝動的に行動し、後先考えない。
猟奇的犯罪者の二割程度はこの傾向がみられるという一方で、歴史的偉人や政治家、優秀な経営者の中にもサイコパスは多いとみられている。
有名どころだと、織田信長やヒットラーあたりがそうではないかと言われている。
不思議なことに、前述したような異常性を持っていながらも、周囲の人間の目には彼らがとても魅力的な存在に映るのだという。
***
そして俺は今、無職ニートである。
ヒモ、というのを職業として認めていただけるのであれば、俺は即座にヒモニートにクラスチェンジできる。働くのは疲れたでござるよ。
俺にはどうも、先を読む力や経営をする力はまるでないらしいのだ。
悪友に誘われるがままに大学を中退しコンサルを始め、その友人を騙くらかして会社を乗っ取ったまでは良かった。
あれよあれよという間に業績は悪化。
ギリギリのタイミングで顧客に会社を高値で売りつけたから何とかなったが、あのまま会社にしがみついていたらどうなっていたことか。
その後は趣味を事業化しようとしたこともあったが、基本的にはいろいろな人の元を転々としながら養ってもらう生活を続けてきている。
そして現在の寄生先は、地方都市のはずれにある南向き八階建、最上階の1LDKである。
都会住まいの皆様方に置かれましては八階はそこまで高く思えないかもしれませんが、この街は昭和の時代の古臭い文化住宅が多く、南部には田んぼが広がっている場所すらあるので眺めはすこぶる良いのであります。
……しかし海岸沿いの工場地帯から煙が流れてきて、空気はそれほど良くないのが難点。
天気の良いときほど熱気と臭いが混ざりあってエグイことになるので洗濯を干すのも大変だ。
まあ、俺が干すわけじゃないのでどうでもよいのだが。
そうして俺はゴロゴロ。
昼のワイドショーから浴びせられる無駄なトレンド情報を右から左へ聞き流しながら、瞑想に耽っていた。
正午近くになると最新のニュースコーナーに変わる。
人は良さそうだが頭の弱そうな司会者が、アナウンサーの原稿読み上げにちょいちょい口を挟んでくるのがなんとも鬱陶しいと思いつつ、そのまま視聴を続けていた。
「ねえ奏夜」
「……」
「奏夜ってば! おーい、大浅 奏夜さーん」
長座布団を敷いて寝転がっている俺の背後から女の声がした。
「なんだよサヤカ」
「サヤカって誰だし。私はユカ! もう、このくだり何度目だよ」
上半身だけ起こして後ろを振り向くと、そこにいたのは背が高く、丸みを帯びた顔の輪郭、それ以外にたいして特徴のない女。
部屋の中だというのに化粧はバッチリで、上半身はスーツでバシッと決めている。一方で下はスウェットなのが滑稽だ。
きっとリモート会議をしていたのだと想像はできるが、どうせなら下までスーツに着替えればよいのにと思う。
知ってるか?
女のスーツ姿はパンティラインがセクシーなんだぜ。
女はやれやれとため息をつく。
彼女が俺の宿主、つまりこの部屋の主である。
「ごめんごめん。反応が見たくてつい、な」
「違う女の名前呼ぶとか心臓に悪いんだから、やめてよね!」
ぶっちゃけ名前を覚えていないというのが正しい。
昔から興味のない人間の名前を覚えるのはどうも苦手なんだ。
「それで? なんだっけ」
「あ、えっとね。 ご飯できたから呼んだだけだよ」
「お、そっか。ありがとう。配膳手伝うよ」
俺は立ち上がり、テーブルの上に置きっぱなしになっていた書籍とタブレット端末を片付けた。特に汚れているわけではないが、布巾でテーブルを拭いておく。
一方、女は鼻歌交じりでテーブルの上に料理の入った器を置いていく。
今日は機嫌が良いらしい。
立ち込めるチャーハンの香り。
「おお、うンまそう! 仕事も忙しいのに、ちゃんとご飯まで作るなんて偉いなぁ、ユカは」
「ふふ、どんなに忙しくても自炊するのが私のぽりすぃだからな」
「ナイスぽりすぃ!」
本来であれば無職ニートの俺が家事をやるべきなのだろうが、この女は俺が何もしなくても文句一つ言わずに何でも卒なくこなしてしまう。
誰かがやってくれる環境があるのに、わざわざ自分が動く必要はないだろう。
しかし感謝の言葉はかけるべきだ。
なぜなら、そうすることで相手もやりがいを感じ、こちらとしても長く利用できるからだ。
「いつもありがとうな」
俺は、女の頭にそっと手を乗せ、軽くぽんぽんした。
頭を撫でるとセットした髪が乱れるからといって怒る女もいるが、髪型が崩れないように加減して頭を撫でる分には大丈夫だろう。
「んっ」
女は嬉しそうに目を細める。
俺が離れて二、三秒経つと、
「……奏夜、もっかい」
と、“再ぽんぽん”を要求してきた。
今度は盛大にくしゃくしゃにしてやった。
別に怒られなかった。良かった。
彼女の料理のセンスは良い。
仕事の合間の僅かな時間で簡単に作ったため、具材はネギとソーセージに卵のみだったが、米はパラパラで、油で程よくコーティングされて黄金に輝く。
中華スープの素は邪道だと切り捨て、塩コショウと醤油のみのシンプルな味付けに。
にもかかわらず店で出されても許せるくらいのクオリティがあった。
いただきます、と間髪入れずに一口目を放り込む。
控えめに言って最高。
そのまま二口目を口に運ぼうとしたとき、女は言った。
「あのさ奏夜、チャンネル変えて良い?」
俺はれんげを持った手をピタリと止めて聞き返した。
「なんで?」
「内容がエグくて見てらんなくてさ」
言われて、テレビを見た。
“恋人の聖地に衝撃 突然の凶行”という感じで、仰々しいテロップが表示されていた。
恋人の聖地として有名な、海の見える丘の上のブランコ。
そばには小さな鐘のモニュメントと南京錠をひっかける鉄柵が据え付けられている。
二人の名前を書いた南京錠を「二度と離れないように」との願いを込めて、柵に引っ掛けたあと鍵を海に投げる……というドラマのワンシーンで有名になった場所だ。
犯人は恋人の聖地を訪れたカップルに襲いかかり、男性の足の腱を切断するなどして動けなくしてから、女性を目の前で暴行したという。
その事件の詳細が、フリップなどで事細かに紹介され、コメンテーターがあーだこーだと持論を述べている。
「絶対アレだって。サイコパスってやつじゃない?」
──サイコパス。最近、どこかで耳にした。
「どうしてそう思うの?」
「だってめちゃくちゃ酷いじゃん。彼氏の目の前でやられた女の子とか気の毒だよ」
「酷いことをするのがサイコパスなのか?」
「だって普通そこまでしないでしょ?」
なるほど。きっと彼女の中では“酷い事件を起こす奴=サイコパス”という図式になっているんだ。
最近じゃ大きな事件が起きるたびにサイコパスだなんだと騒ぐ層がいるし、案外世間一般の認識ってそんな感じなのだろうか。
サイコパスっていうと、もっとこう、違う意味でぶっ飛んでいるようなイメージがあるんだけどな。
例えば今回の犯人の場合、動機がなんとなく想像できる。
わざわざ恋人の聖地を犯行現場に選んだ点や、カップルを狙った点、女を男の目の前で犯したという事実から、彼はきっと性に恵まれない人生を歩んできたんだろうと思う。
性的に抑圧されていたものが爆発し、八つ当たり的な犯行を選ばせたわけだ。
本当におかしいやつは、動機を聞いても決して理解できないものなんだぜ?
子供を殺しました、う●い棒を買いたかったからです。みたいな?
──キミはサイコパスだ。
誰だかに最近言われた言葉。
俺も、そんなに頭のおかしい連中の一人だというのか。
「……? 奏夜? どしたの」
「ん、いや……ちょっとボーッとしてた。ごめんねトモミ」
「 ユ カ ! ! 」
マジで少しは人の名前くらい覚えたほうがいいのだろうか。
***
それからしばらくの時が過ぎて、午後一時を回った。
テレビの中では、芸能人が横並びになってダラダラと何かを駄弁っている。
流行のファッションだの巷で人気のスイーツだの、割とどうでもいい情報がシャワーのように浴びせかけられる。
女はそれを、楽しそうに笑って見ていた。
やがてテレビに飽きたのか、俺に向かって友達の恋愛事情だのスーパーの特売だのと話を始めた。
俺も、一応何かに使える情報かもしれないので概要だけは覚えておく。
何に使えるのかといえば、それはもちろん女へのご機嫌取りである。
それ以外に価値のない話だ。
やがて暇を持て余した俺は、女の話に適当な相槌をうちながら、自分自身の事について考え始めた。
俺は、一体何者なんだろう。そんな思考で頭の中が徐々に占領されていく。
お前はどこかおかしい、そんなふうに言われ続けてきた人生だった。
ひょっとしたら答えがそこにあるかもしれないと、猟奇殺人者の自伝や記録を読み漁った時期もあった。
しかし自分と彼らはやはりどこか違う気がするのだ。
俺は俺なりに善良に生きてきたつもりである。
俺がやった悪事なんてものは、せいぜい人を使って拉致させた女どもを太平洋上の小舟に置き去りにしたくらいだ。
ちゃんと食糧や水、防寒具も用意したし、海流まで考えてパラオかフィリピンあたりにたどり着くようにしたんだから、もし仮に死んでしまったとしてもそれは彼女たちの運がなかっただけだろう?
だから俺は猟奇殺人者とも違う。
「なあユカ。俺ってサイコパス?」
「なに、突然?」
女はきょとんとした様子で俺を見る。
「さっきニュースでやってた犯人がサイコパスっぽいって言ってただろ? 俺もそう言われることが多いからどうかなって」
すると女は大口を開けてあははと笑った。
「ないない! 奏夜はちょっと人たらしなだけだよ。変わってるのは確かだけど、すっごい優しいじゃん? 愛されてる感じ、伝わってくるもん」
「ありがとう、そう言ってくれて安心したよ」
……この女に聞いたのが間違いだったか。
そもそもこいつには俺という人間をまるで見せたことがなかった。
俺が過去にどんな生き方をしてきたのかも、俺の本当の年齢すらも。
上手くおだて、母性をくすぐってやれば、自動的に生活環境を用意してもらえるという一種の装置に過ぎないからだ。
もし目の前にいるのが《彼女》だったら、ちゃんとした答えをくれるのではないだろうか。
あるいは本当に殺人者に成り下がってしまえば、世間に評価でもしてもらえるのだろうか。
「──!」
そこで、あ、とひらめいた。
俺が世間一般で言うところのサイコパスなのか、それともいたって普通の人間なのかを簡単に判別できる方法を見つけたのだ。
別に自分が犯罪に手を染めなくても良い。
誰かにやらせれば良いのだ。その事件が全国区のニュースにでもなれば、勝手に世間が評価をはじめる。
あいつはおかしい、狂ってる、いやいや気持ちはわかるよ、なんて書き込みがSNSにあふれるに違いない。
その書き込みこそが俺自身の人格の写し鏡になる。
しかし誰かにやらせるのは良いとして、逮捕後に俺との繋がりを自供されたら意味がない。自分が捕まったらSNSとか見れないし。
と、なるとどこかで俺自身が引導を渡してやる必要がありそうだが、そこで証拠を残したら元も子もない。
遠隔で、跡形もなく消しとばす方法でも考えよう。
そうだな……実行犯はやはり《彼女》がいい。
俺の心の中にずっと居座りつづけている初恋の人。
うろ覚えだが夢の中で見たのも《彼女》だったのかもしれない。
犯罪行為に加担するのを《彼女》は嫌がるだろうが、俺に従わざるを得ない状況に追い込んでやろうか。ずっと前に居場所は見つけてあるし、何とかなるだろう。
ん。
って事は俺の初めての殺人相手は《彼女》と言うことになるな。
おお、なんというすばらしい発想だろう。今日は冴えているぞ!
「なあ、ユキ」
俺は椅子から腰を上げると、棚の上に置いてあった長財布を手に取る。
そして女に背を向けて玄関の方へ向かった。
「おしい! ユカだし。って、どこ行くの?」
「世話になった。もう帰らないから。それじゃあ」
「は? え??」
俺は意気揚々と部屋を後にした。