魔女編最終話 彼らの未来
暗く昏い底なしの闇に色とりどりの星屑を散りばめて、鮮やかに着飾った無限の空間。
無論、これはボクの脳内でそう再現されているだけで、実際には空間などではなく平面ですらない“点”なのだけども、これが今のボクにとっての11次元の姿だ。
星屑達が寄り集まって光り輝く水となり、巨大な大河を形成する。
ひとたび水面を覗き見れば、そこに見えるは無数の生命達の躍動。
宇宙が誕生した約千二百五十億年前を源流に、時の大河は遥か宇宙の終焉に向かって流れていく。
世界が11次元へと綺麗に分化してからの百三十八億年の営みを乗せて、ボク達を運んでいく。
「黒の魔女アルカ・ノール」
「……やあ、白の魔女ルクス・アルカディア♡」
ボクの11次元に現れた乱入者、白の魔女と笑顔で挨拶を交わす。
白と黒、対極の色を名乗る魔女であるボクらは、奇しくも二人共“アルカ”だったわけだ。
生い立ちも性質も真逆だと思っていたボクらに、性別以外の共通項があるだなんて思ってもみなかったよ。
「のう、昨日の話の続きなんじゃが……」
ボクは鼻で笑った。
「昨日? ボクにとっては最後にキミと会ってから百年は経過しているけどね☆」
「百年か! それはまたすごいのう! それにしてはお主、見た目の変化が無いようだが」
「キミだって一万年も生きているくせに少女の見た目のままじゃないか★」
「むぅ。それもそうじゃ」
ボクは“繭を作って休眠状態に入り、体の細胞を若返らせる”という白の魔女のやり方を参考にさせてもらっただけなんだけどね。
「それより、大浅 奏夜はあれからどうなったんじゃ? 過去改変で死の運命を逃れることは出来たのか?」
「あはは! キミの記憶が書きかわっていないということは……そういうことだよ白の魔女♪」
「むぅ……そうか」
ボクがそう言うと、白の魔女は少しだけ残念そうに眉尻を下げた。
彼女には奏夜……いや、カンナが主人公の物語を聴かせていたようなものだから、“主役が死んで、はいおしまい”という展開がご不満なのだろう。
そりゃそうだろう、ボクだってそんな結末の話は見たくないよ。
だけどこれは虚構ではなく現実、小説ではなく事実だ。
どう頑張っても不可能なことだってあるものさ。
そこは受け入れなくちゃ。
「でもね、白の魔女。面白い話を聞かせてあげようか♡」
「面白い話?」
ボクはニヤリと笑いながら頷いた。
「たぶん、いや十中八九、今この瞬間が“過去改変された世界”なんだよ。しかも、カンナが転生したかなり初期の頃から“二周目”は始まっていたんだ☆」
「既に歴史の修正は行われていた……いや、お主が起こしていたのか、黒の魔女」
ボクはニヤリと笑う。
時の流れというのは無限大のエネルギーを秘めており、その流れを変えることは絶対に不可能。
故に、時間を巻き戻したり遡ったりということは普通は出来ないはずだ。
ところが、川の流れそのものは変えられずとも、その水面を指で突いて漣を起こすことは比較的容易なのだ。
だから歴史の大局を変えないレベルであれば、人間一人程度の命運を捻じ曲げることだって出来るのさ。
カンナ・ノイドの立てた仮説は正解だったわけだ。
「残念なことに、歴史は修正された瞬間に正史として扱われてしまい、改変したボク自身でさえその事実に気付けないんだ。ほんの少しの記憶の断片だけを残して元の歴史は消え去ってしまう。だから、ここからの話はボクの勘と推測によるものだ。それでも聞いてくれるかな★」
「いいとも」
白の魔女が頷いたのを確認して、ボクは語り始めた。
「ボクの中には朧げながらに存在する、不思議な記憶があるんだ。……その記憶では、母とボク達きょうだいはカンナ・ノイドに拉致されていた。母と姉は見知らぬ誰かに犯され、兄もカンナに貞操を奪われた……って、それはどうでもいいのだけど、とにかくボク達はカンナに相当酷い目に遭わされて、その後、ボクは家族を目の前で殺されたんだ」
「それは随分と実際の出来事とは異なっておるのぅ。お主は“家族の死を誤認して魔女と成った”のだろう?」
「その通り。だからこれは、多分“一周目”の記憶なんだ」
ボクはあまりの絶望の深さに魔女と成り、やがて自ら歴史をやり直すための算段を付けたのだろう。
その方法が、過去の誰かと積極的にコンタクトを取ること。
時間を飛び越えて魂を接続できるという魔女の能力を最大限に利用し、人の行動に変化を起こさせるのさ。
もちろん、その人と接触するためには魂の波長を合わせなければならないなどの制約はあるのだけど、ボクはやり遂げたんだと思う。
母を助けることはできなかったけれど、他の家族は全員無事。
ボクにとっては十分及第点と言える結末を迎えることが出来た。
百年も経つうちに父は病気で他界してしまったけど、家族仲良く幸せな余生を送れたに違いない。
「じゃあ、お主はもう自分自身の目的を達成したから、カンナのために歴史を捻じ曲げることはないというのか」
「んー、どうだろうね♡ 今のところは……このままでも良いかなって考えているよ♪」
「むうう。なんだか、納得しかねるぞ」
ボクだって二周目のカンナのことは嫌いじゃないよ。
彼女の葛藤や決断、自己犠牲に触れたからね、情も移るというものさ。
だからボクは彼女の犯した罪を軽くするために、二周目からさらにほんの僅かな歴史修正を行った……気はする。
スラム街の大火災の事実が消えてしまったのもそれだ。
きっと今の世界は“二週目のオリジン”ではなく、マイナーチェンジされたものなんだろうね。
だけど、過去を根本から修正することが、本当にカンナの幸せに結びつくのかは甚だ疑問なんだ。
試験の記述を見直して修正をかけた結果、元の解答が正しかった……なんて、よくある話だろう?
カンナが未来に光を見出し、納得して逝けた今が最良。
そう考えることだって出来るのさ。
もっと言えば……彼女の“今”を知っているボクにとっては、なおさらだ。
百年後の今を壊しかねない過去改変を、ボクは頼まれたってやりたくはない。
「いいかい、白の魔女。確かにたくさんの悲劇があった。多くの人が亡くなって、憎み、悲しんだ。でも、その先に待ち受けているものの中にささやかな幸せが存在した時、キミはその幸せを犠牲にして全てをやり直す決断が出来るのかな」
「どういうことじゃ」
ボクは思う。
人と人との軋轢も、利害の不一致による対立も、それによって引き起こされた事件や戦争も、大きな川の流れの中では些細な出来事に過ぎない。
当人達の感情はさておき、起きた事実は事実として正面から受け止めて、その思いを引き継いでいくべきだ。
時には悲劇の先に、幸せが待っていることもある。
何でもかんでもをやり直せば良いということはないのさ。
「ねえ白の魔女。物語の──続きを見ないかい?」
「続き? ……なるほど、彼らの運命には先があるのじゃな」
その通りだ。
普通、人間は死ぬと魂をこの11次元に吸われて個を失っていく。
数々の生き物達の死から集まった魂の残滓は時の大河に散らばり、いずれ新たな生命の礎となる。
ところが稀にいるのだ、魂が濃すぎて生まれ変わった後も個を保ち続ける存在が。
異次元転生のようなイレギュラーとはまた違う、魂を受け継いだ存在としてその世界に転生する者が。
「ボクはね、もう少し見極めたいんだ。そして、今を生きるカンナたちが幸せな生涯を送ることが出来たのなら……過去改変なんて必要ないと思っている」
「だからお主は今まで黙って見ておったと」
ボクは白の魔女の言葉に首の動きで肯定した。
視界いっぱいの満天の星空の下、ボクと白の魔女は時の大河のほとりに腰を下ろす。
「ご覧、あのあたりだよ。彼らの未来は♡」
ボクは川の中の一点を指し示した。
白の魔女にも少しだけ見せようじゃないか、彼らの夢の続きを。
──
─
「ライナ、いたよ、そこの草の下!」
「あ! 本当だ! いたね、カンナ!」
野原を駆ける二人の幼い女の子。
少女の一人は額に小さな傷があり、もう一人は右目に眼帯を付けている。
どちらの子も共通して空色の髪に青い瞳。
二人は双子の姉妹なのだ。
「ぎゃー! そっち、そっち行った!」
「え、どこどこ! いやああ、服に入ったぁぁあ」
二人はキラキラした笑顔で虫網を片手にバッタを追い回していた。
いざ捕まえるのは良いのだけど、虫が怖くて手で触れることが出来ず、キャーキャーと騒いでいる。
触れないなら虫取りなどよせばいいのに、子供達は無我夢中で原っぱを走り回っていた。
彼らを見守るのは、青い髪に紫紺の瞳を持つ中年の女性。
それと、紅の瞳をした初老の金髪女性も、車椅子に腰掛けた状態で少女達を見つめている。
保護者達は原っぱを見通せる丘の上の木立の影に陣取って、子供達の姿を微笑ましく眺めていた。
「あの子らは本当に元気だな。元気すぎるくらい。一体誰に似たのやら」
「ふふ、お義母さんも若い頃は相当なものだったでしょう? 復権派の……なんでしたっけ」
「き、切り札だ。わ、私はただ、騎士としての修行でだな……その、やんちゃだったわけでは……」
初老の女性は頬を赤らめながら慌てた様子で答えた。
そんな彼女の反応を見て、青髪の女性がくすくすと笑う。
初老の女性もまた、その笑顔に応えるように頬を綻ばせた。
「母様も、もう少し長生きしてくれていたら、あの子達に会えたのに」
「仕方が無いさ。私が言えた口では無いが、無茶が祟ったんだろう。でもきっと、どこかで彼らを見守ってくれているさ」
「そうですね。わらわも、そう思います」
しばらくすると、遠くから旅人の格好をした一団がやってくる。
彼らの先頭に立っていた男性は子供達を見つけると大きく手を振った。
子供達は彼を見とめると、虫網を放り出して駆け出した。
「お父さん!」
子供達は父親に飛び込むようにしてしがみつく。
父親は青髪の女性よりも少しだけ若い見た目で、母親譲りの美しい金髪をしている。
彼は子供達の頭をくしゃくしゃと撫でると、自分の後ろに控えていた旅の一行を示しながら、言った。
「カンナ、ライナ。お母さん達に声を掛けてきてくれないか。この人たちを紹介したいんだ」
「ふーん? おばさん達だぁれ?」
彼の後ろに続いていた一行の中に、馬に跨った初老の女性がいた。
彼女はブロンドの髪をした麗人で、質素な装いの割にどこか高貴な雰囲気を持ち合わせていた。
彼女は子供達に呼びかける。
「私は昔、貴女達のお祖母さんとお友達だったのよ。少し声をかけてきてくれるかしら」
「おともだち?」
「そう、お友達。百年も前に離れ離れになってしまったけれど、ね」
「ふーん」
子供達にとっては、この麗人と祖母との関係について考えるのは少し早かったかもしれない。
二人は首を傾げ、よくわかっていない様子だ。
それもそのはずで、この村には同世代の子がいない。
友達という存在についても彼女らはよく知らないのだ。
「おばーちゃんにこう言えばわかるよ……えーとね、」
父親は子供達に麗人の名前を教えた。
すると子供達は“はーい!”と元気よく返事をして、丘の上まで競争みたいなことを始めるのだった。
「ばーちゃん! “かろーら”さんが会いに来たよ!」
「違うよカンナ、“くろーる”さんだよ!」
そんな彼女らの様子をにこやかに見守りながら、旅の一行も丘の上を目指してゆっくりと移動を始める。
子供達が祖母の元へと到着し、一行を指さすと、初老の女性は車椅子から立ち上がった。
まもなく青髪の女性に支えられながら腰掛け直したが、初老の女性の目には涙が浮かんでいた。
祖母が何故泣いているのかもわからないまま、子供達は早く早くと大人達を急かす。
母親達は彼女らの底抜けの明るさに苦笑しつつ、旅の一行との距離を縮めていくのだった。
それは、陽光煌めく昼下がり。
運命に翻弄された者達が、自らの性と向き合い対立した者達が、新たな光となって世界に返り咲いている。
もしかすると、彼女らにもいずれ過酷な運命が襲いかかってくるかもしれない。
それでもきっと、彼女達は持ち前の強さで困難を乗り越えていくのだろう。
貧しくも、確かな幸せがそこにある。
ボクは願う。
彼らがこれから先、いつまでも幸せでいられますように。
最終章・魔女編 END
▶▶▶ … and their future continues ever after




