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魔女編37話 全てを乗り越えた先に

 やあやあ、ボクの名前はアルカ・ノール。

 人呼んで黒の魔女。

 11次元より世界を俯瞰(ふかん)し、観測できる超越者の一人さ。


 ボクは今、マムマリア王国のスラム街を意気揚々と歩いている。

 ボクが用があるのはスラム街の三番地、海に程近い廃倉庫の中にあるジャンク屋だ。

 ジャンク屋があるなら廃倉庫じゃないだろうって?

 いやいや、店主の彼は潮風でボロボロになった倉庫を勝手に間借りしているだけなんだから、廃倉庫で間違っていないのさ。


 道ゆく人たちは身なりこそ汚いが、皆が活気に(あふ)れている。

 つい一ヶ月前に銀の魔女による“小火(ぼや)騒ぎ”があったばかりだというのに、全く呑気(のんき)なものだよ。

 誰のおかげで死なずに済んだのか、誰一人覚えていないのだから。


 かくいうボクもどこか記憶があやふやで、誰かが懸命に延焼を防いだとしか覚えていないのだけどね。

 しかも小火とは別に、起きてもいない“大火災”の記憶もあるのだから不思議なものだよ。


 さてさて、ボクは目的地付近に到達すると、廃倉庫群へのバリケードをくぐり抜けた。

 ()びた資材の山を踏み越えて倉庫の中に侵入したのだが、そこにはジャンク屋の親父の他に先客もいた。


「あ」

「げ、兄貴」


 我が兄セシル・ノールが鉄屑(てつくず)片手にボクの方を(にら)んでいた。

 彼は持っていた鉄屑を店主の方へ投げ返すと、大股でボクの方へと近づいてくる。

 まるで殴りつけるような勢いで、兄はボクの胸ぐらを掴み上げる。


「わわ、やめてくれないかな。服が、(えり)が伸びるじゃないか☆」

「うっせー、テメェしばらく見ないと思ったらどこをほっつき歩いていたんだ、アルカ! ちょっと前にいきなり帰ってきたと思ったらすぐいなくなるしよォ!」

「あははは、ごめんね。少し自分探しの旅をしていたんだよ★」


 兄は怪訝(けげん)そうな目でボクを見つめる。

 ボクはにへら~と笑ってその場をやり過ごそうとした。

 すると、数秒間の沈黙ののちに、彼は深い溜息を吐いた。


「お前、なんか変わったよな」

「まぁね♪ なにせボクは生まれ変わったんだから、性格が違って当然なんだよ♡」


 兄はボクのから腕を離し、ズボンで手を(ぬぐ)う仕草を見せた。

 なんだよ、汚い物に触れたような反応じゃないか。


「き、気持ち悪りぃ」

「……あっそ☆」


 まあ、仕方がないよね。

 今のボクはアルカとしての記憶をほとんど持たない、似て非なる存在。

 魔女に成る瞬間、すぐ近くにあった二つの濃密な魂にかなりの影響を受けて、(ゆが)んでしまった存在だ。

 兄の知る妹アルカは抜け殻と共にどこかへ行ってしまったのさ。

 一時期は本当に自分自身に関する記憶を失くしてしまったしね。


 だから、自分探しの旅というのは比喩(ひゆ)でもなんでもない。

 自分のルーツを探るために、11次元の世界で時の大河を眺め続けていたんだ。

 現実時間だと二、三週間と言ったところだが、体感時間で言えば四十年以上もあの空間の中に意識を置いていたんだ。


「ところで、お前は何しに来たんだよ」

「そういう兄貴は……義手の強化かな★」


 兄は今、右腕の(ひじ)から先を失っていて、代わりに金属製の義手が装着されている。

 生体移植手術を勧められたのだが、(かたく)なに断っているらしい。

 曰く、“先生を守った時の名誉の負傷だ”だってさ。


「お、オレのことはどうだっていいんだよ。それよか、お前がこの場所にいることの理由が全くわかんねぇ。魔法の研究以外に興味なさそうなのによ」

「ああ……それがね、面白そうなガラクタがあるって聞いたからさ♪ ねえおじさん、最近海で拾ったものがあるだろう? それを譲っちゃくれないかい」


 ジャンク屋の色黒オヤジはボクの台詞(せりふ)に驚いて目をまん丸くした。


「えぇ!? 海で何か拾ったことなんざ、誰にも言ってねぇってのに」


 そりゃそうさ。

 ボクは11次元からおじさんの行動を観測しただけなんだから。


「しっかし、ありゃあマジモンのガラクタだぜ。耳当てにしか見えねぇが、別に暖かくもねぇしよ」

「じゃあ、安く譲っておくれよ♡」


 おじさんは不思議そうな顔をしたが、結局、交渉の末に二束三文でそのガラクタをボクに売ってくれた。


 ガラクタというのは耳当てのようなガワに配線が繋がれていて、別の端末に接続することで音を聴くことができる装置だ。

 つまるところ、ヘッドフォン。

 こいつはいわば《科学世界》よりもたらされた異次元転移物だ。

 奏夜(そうや)達の世界とは別の場所からの漂着物なのは残念だけど、良い土産(みやげ)にはなるだろう。


「アルカ、そいつをどうするんだ?」


 ボクは親指を立てて言う。


「もちろん、お前の先生のところへ届けてやるのさ」


 ***


 ボクが兄と一緒に町外れの寺院跡へ向かうと、そこには先客がいた。

 白地のワンピースに百合のコサージュを身につけた、赤い髪の女性だった。

 以前は長かった髪をバッサリと切ってミディアムショートになった彼女は、花束を手に、銀の魔女の隠れ家の前に立っていた。


「ごきげんよう、マイシィ・ノイドさん♡」


 ボクが声をかけると、彼女は振り返った。

 彼女の顔は酷く疲れているようだったが、しかしどこか肩を撫で下ろしているような、達成感みたいなものも感じられる。

 マイシィは右胸に手を当てて、スカートの端をつまみ上げ、軽く(ひざ)を折るポーズをした。

 魔法国の貴族式の礼だね。


「こんにちは。あなた、もしかして黒の魔女さん?」

「……まじょ?」

「ボクは一部の人達からはそう呼ばれているんだよ、兄貴♪」


 ボクがそう説明すると、兄は納得したようなそうでないような妙な表情を浮かべた。

 きっと銀の魔女と呼ばれた自分の師匠を連想した結果だろう。


「お姉さんは、元気なの? あ、お姉さんってエリスさんで合っているよね」

「ああ。姉さんも元気だよ☆ ちょっと入院が長引いてるけど、今は父さんが着替えを持って様子を見にいっているはず★」

「……お前、家に帰ってないのによく知っているな」


 直接見聞きしなくても直接見聞きしてしまえるのがボクが魔女たる所以(ゆえん)なんだよ、兄貴。

 なんだったらキミが毎晩師匠を想って一人でイタしていることだってお見通しさ。


「そっか。じゃあ、アディーネの……エメ君の想いはちゃんと届いたんだね」

「うん、そうだね。彼、あるいは彼女の心はこれからもボクの姉の中で生きていくのだと思うよ」


 ボク達は寺院跡の奥にある、古臭い鋼鉄の扉を見つめた。

 あの奥に、彼女らの隠れ家がある。

 でも今は、そこには誰も居ないんだ。


 扉の前。

 仲良く隣同士で並べられた墓標の下に、二人は眠っている。


──


 カンナ・ノイドの死後、彼女の本当の意思を理解したエメダスティ・フマルは、ボクを懸命に蘇生させようと試みた。

 魔女化の前段階として蛹化(ようか)したボクを死んだと誤認したのだろうね。

 だけどもその結果、物理的にボクに近付きすぎたんだ。

 彼女はボクが覚醒する際に起きた“時空震”に引っ張られ、元いた世界へと魂を連れ戻された。

 死体の中とはいえ、彼女は一時帰宅を果たしたのだ。


 ところが彼女は《魔法世界》への帰還を願った。

 確かに荒木(あらき) 美園(みその)があちらの世界で体験してきた不条理に比べれば、こちらの世界の方を望むのも無理はない。

 カンナの遺志を受け継ぐという目標もあったしね。


 しかし事件が起きる。

 彼女が《魔法世界》へ戻る際にボクの魔女化のエネルギーが逆流し、あちらの世界でもボクの力が暴発してしまったんだ。

 その時に発生した次元断裂に巻き込まれる形で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 大浅(おおあさ) 奏夜(そうや)及びカンナ・ノイドの行動の結果、ボクという魔女を覚醒させてしまったことを原因とした偶発的な事故。

 ────それが彼らの異次元転移の正体だ。


 ふふ、いや、そうでもないか。

 彼にサイコパスというレッテルを与え、事件を誘発したボクこそが根本であると言って良いのかもしれない。


【キミは、サイコパスだ】


 そう告げて彼を()き付けたのは、ボクが確実に魔女になるための布石だったのだから。


 ──さて、話をボクの誕生後に戻そう。

 エメダスティは我が姉と兄の救護に向かった。


 ただ、兄は比較的軽傷で、肘から先を切断した事に伴う失血により気を失っていただけだった。

 重体だったのは姉だ。

 失血死ギリギリのラインまで血を失った事に加え、元より弱っていた心臓に負担がかかったからだ。

 姉はエメダスティによって病院まで運ばれ、間一髪で一命を取り留めた。

 だが、心臓の衰弱は余命幾許もない彼女をさらに追い詰める事になる。


 遠くないうちに心移植が必要だ。

 だけど今から臓器培養しても間に合わないし、都合よくドナーが現れるはずもない。

 だから、エメダスティは姉に、自らの心臓を差し出した。

 それはちょうど、カンナが姉にしようとしていた行為の代行のようだった。


──


「結局、カンナちゃんが望んでいたような過去改変は起きなかったって事だよね。ロキ先輩の事とか、お腹の子供のこととか、帝国派とのいざこざとか、《銀の鴉(シルヴァクロウ)》の顛末(てんまつ)とか……何も解決していないもの」


 そう言って二人の墓に花を手向けるマイシィに、私は笑いかけた。


「いや、実はそうでもないかもしれないよ♡」

「……どういうこと?」


 しゃがんだまま首を傾げて私を見上げるマイシィに、私は両手を広げ、歌劇のように唄う。


「ここが既に、改変された未来かもしれないってことさ♪」

「ここが? 本来の未来じゃないって言うの?」


 ボクは目を細めて口角を上げた。

 否定も肯定もしない。

 何故ならば、ボク自身も記憶が曖昧(あいまい)だからだ。


 だけど思い当たる節はある。

 ボクが悲しみという負のエネルギーを爆発させて魔女に成ったというのに、ボクの家族は母親以外の誰も死んでいない。

 これには何者かの意志が働いたとしか思えないんだ。


 もしかしたら他にも元の歴史と異なっている部分があるのかもしれないが、今となっては観測も出来まい。

 ──まあ、ボクの中にある記憶の断片との矛盾がある時点で過去改変は確定だと思う。


「じゃあ、どうして二人は死んでしまったの? やっぱり、死の事実は変えられないってことなのかな」


 いいや、変えられる。

 本来死んでいるはずのボクの家族の生存が証拠さ。

 それに、ボクの中の“スラム街の大火災”の記憶……あれが前の周の出来事なのだとすれば、大多数の住民の命は歴史改変によって救われたことになる。

 以上のことから、時の大河に干渉することは人間の生死にすら影響を与えることができるのは間違いないと確信できる。


 一方で魔女であるボクでさえ改変に気付けないのだから、時の修正力とは恐ろしいものだ。

 不用意に手を出しては駄目(だめ)だろうね。


「もしかすると、ボクがこれから過去にアクセスすることで、さらに何かが動くのかもしれないよ? 今はまだ、準備段階ってわけだね☆」


 ボクがそう言うと、マイシィはにこりと微笑(ほほえ)んだ。

 今の発言でいくらかはマイシィを安心させてあげられたかな。

 本当のところを言うと、今のボクは歴史修正にかなり慎重になっているのだけれど、そんな本心などもちろん秘密だ。


「そっか。準備段階……か」

「そうそう。今の段階でどの程度の歴史修正ができているか分からないから、数年の経過を見ながらゆっくり進めないといけないのさ★」


 数年──いや、数百年の経過観察は必要だろうけどね。


「二人の犠牲は無駄にならない?」


 笑顔の中に心配や不安といった色を混ぜ、(わず)かに震える声で尋ねるマイシィ。

 ボクはわざとらしくも大きく頷きながら言った。


「ああ、きっと」


 ボクの言葉がどれくらいマイシィに届くのかはわからない。

 だけど、ほんの数ミクロンだけ彼女の笑顔は本物に近づいたように思えた。


「安心したよ。じゃあ、私も胸張って二人と再会できるように、強く生きなきゃだね」


 彼女はさっと髪を()き上げると、二人の墓の方へと向き直った。

 目の端に涙を溜めたまま、二人の魂に向けて、笑顔を作り続けていた。


 ──なるほどね。この横顔を守りたくてキミは戦いを始めたんだね、カンナ・ノイド。

 幼き頃のカンナが守ろうとして必死にもがいた結果、いつの間にか指の隙間からこぼれ落ちてしまっていた宝物。

 強くて(もろ)い、美しくも泥臭い、“彼女の世界”の象徴がボクの目の前にあった。


「……。ねえ兄貴、帰ろうか♪」


 ボクは兄に問いかけた。

 兄は若干不満そうな様子でボクの言葉に異を唱えてくる。


「はぁ? でも、オレはカンナ先生ともっと一緒にいたいし、それに……」


 名残(なごり)惜しいのかなんなのか知らないが、空気を読めない男はダメだね。


「兄貴は馬鹿なのかな♡ マイシィを一人にさせてあげるんだよ!」


 ボクは兄の膝裏に自分の膝を押し当てて思い切り突き出してやった。

 瞬間、彼はバランスを崩して地面に転がる事になる。

 見よ、これは異次元より仕入れた“膝カックン”という技術なのだよ。


 そんなボク達兄妹の様子を見ていたマイシィは苦笑しながら頬を()いた。


「あ、あの……別に私に気を使わなくても。セシル君だってカンナちゃんにご挨拶したいだろうし」

「で、ですよね! ほら、マイシィさんもそう言ってるし、もう少しくらい良いだろ!」


 兄よ。

 そんなことを言っているけど、どうせキミはマイシィとお近づきになりたいだけだろう?

 よりにもよってカンナの墓前で……。

 残念ながら、彼女は既婚者だぞ。キミでは万に一つもニコルには勝てないから、諦めるのだな。


「あのねぇ、ボク達は近所に住んでいるんだからいつだって来られるだろう? 彼女はそうはいかないんだ。気の利かない男はカンナにだって嫌われるぞ!」

「くっ……クソ妹の分際で……」

「ああもう五月蠅(うるさ)いな」


 ──結局ボクは兄を雷魔法(スタンガン)で気絶させ、彼を引き()って久々の帰宅をする事になった。

 邪魔者はさっさと退散するに限るね。


「……あはは、なんか魔女というだけあってカンナちゃんとやり方が近いというか……」

「その洞察はきっと合っているよ、マイシィさん♪ ボクはある意味アルカ・ノールの魂がカンナ・ノイドに汚染されて出来上がったと言っても過言ではないからね」

「ああそういう仕組み! どうりで似てると思った!」


 マイシィは屈託(くったく)のない笑顔をボクに向ける。

 その顔が見られただけでも、ボクは満足さ。


「さてと、ボク達は帰ることにするけど、この後都合が良ければノールの家に遊びに来てよ☆ 父とは積もる話があるだろうし、兄もキミとお話ししたいみたいだからさ★」

「うん、そうするね。ありがとうアルカちゃん」


 礼を言うマイシィに会釈を返し、ボクは帰路につく事にした。


 夜になったらたくさんマイシィの話を聞いてあげようじゃないか。

 もっとも、最近食べた昆虫の味からニコルとの夜の大運動会に至るまで、ほとんどの話はボクが11次元から観測済みだろうけど。


 ──今は邪魔者のことなど放っておいて、墓前で旧友と存分に語り合うが良いさ。

 カンナもエメダスティも、きっと喜んでくれるよ。

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