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魔女編36話 羽化

「あああ……ボクは……私は大馬鹿者だ……ッ! な、何も出来ない。ななな何も成し()げられない! わたっ、私がやったのはたたただの、ふ、復讐だけじゃないか!」


 私はアルカの亡骸(なきがら)を前にして、独り、泣きじゃくっていた。

 克服したと思っていた吃音(きつおん)症も、隠すことが出来ない。

 私はいつの間にか、ただの荒木(あらき) 美園(みその)に戻っていた。


 エメダスティ・フマルとしての誓いも、アディーネ・ローラットの名を受け継いで(つむ)いできた絆も、全部が無駄(むだ)になってしまった。

 私のやったのは、奏夜(そうや)に対する復讐だけ。

 これでは、帝国派に対して復讐を実行したカンナと同罪ではないのか。


「わだしは……なんで、こんなにも」


 無力。あまりにも無力。

 これなら、私が死んでカンナが生き残った方がより良い未来が築けたはずだ。

 きっとそうだ。


「く、黒の魔女……あ、あな、あなたは前に言ったよね。そ──……うやを止められるのは、私だけだって」


 私はアルカの肩を掴んだ。

 まだほのかに暖かさを残す彼女の肌に、ギリギリと爪を立てる。

 死体の皮膚は呆気(あっけ)なく裂けて、しかし血が(にじ)み出す事もなく傷跡だけを残した。

 何のことは無い、これはただの八つ当たりだ。


嘘吐(うそつ)きッ、わわ、私は彼を止めるには力不足だった。彼をみみ導くことも、か、彼に愛されることですら中途半端で……こんな、こんな結末って、無いよ……!」


 私はアルカの胸に顔を埋めて、泣いた。

 泣いて泣いて、泣きじゃくって、目を開けた時。




 ────ようやく異変に気が付いた。



「へ……? あ、るか……いや、これは────」


 私は狼狽(うろた)えた。

 死んだはずのアルカの目が開いていたからだ。

 しかし、その瞳は明らかに生気が無いどころか、全体的に薄く曇っていて無機質じみていて、不気味だ。

 心なしか、彼女の皮膚(ひふ)にもひびが入って体から浮き上がっているような。


「うわっ」


 私は思わず()()った。

 アルカの()()()()()()()()()()からだ。

 正確には、彼女の顔の皮膚が真っ二つに割れて、その中から瑞々(みずみず)しい新たな顔が出現したのだ。

 この現象を、私は見たことがある。


 “脱皮”だ。


 私は何故だか、美園の頃に持っていた自分の店を思い出した。

 夏の頃になると蝉の抜け殻が店の壁面にくっついていることがあった。

 こんな都会で一体どこから()い出してきたのかと不思議に思ったものだ。


 あれと同じ現象が、目の前で起きている。

 背面でなく正面が割れたのが少々不気味だが、アルカは今まさに羽化(うか)の真っ最中なのだ。


「黒の魔女……! 良かった、ちゃんと条件はクリ




 瞬間────目が、合った。


 脱皮中の魔女の眼がいきなりギョロリと動き、彼女を覗き込むようにしていた私と視線が交差した。

 あ、と思った次の刹那(せつな)、魂まで凝視されているような強烈な不快感に襲われる。

 黒の魔女は表情を変えぬままに口を大きく開き、そして────。




「いいいいイイイいイイいあああアアあアアアああああああアああああああああああああああああああああああ!!」




 黒の魔女は聞いたこともないくらいの声量で奇声を発した。

 その声に大気が、いや、空間が震える。

 彼女を起点にして同心円状に波が拡散していく。


 私は思わず耳を塞いだけど、彼女の声は直接的に脳に響くようで、なんら効果は無かった。

 “空間震”は収まるどころか激しさを増していく。

 視覚的にもありとあらゆる物が(ひず)み、伸び縮みを繰り返すように脈動しているように見える。


 空間自体の揺らぎだ。

 誰にも防ぐことは出来ない。

 もしもこの揺らぎが破壊を伴うものだったら、私の命も、セシルやエリスの命もバラバラにされてしまっただろう。

 幸いにも見た目ほどの破壊力はないみたいで助かった。

 だけど、この、魂まで引っ張られるような振動には、心が、耐えられない──!


 黒の魔女がアルカ・ノールの殻を破って上体を起こす。

 するといよいよ私の意識は激しい“空間の濁流(だくりゅう)”へと呑み込まれていく。

 巨大な渦を前にした人間が無力であるように、逆らうことすら許されず、翻弄(ほんろう)されるのみ。


 ああ、もうッ……駄目(だめ)、だ!


 (あらが)いきれない次元の波に、私はついに意識を手放した。




────

──




 気が付くと、私は地面に転がっていた。

 顔にぬめっとした液体の感触、(さび)の匂い。

 真っ赤な血溜(ちだ)まりの上に、私は転がっているのだった。

 目の前には頭から胸元までが消失している私の体が横たわっている。


 え、あれ、私、今、首だけ?


 どうりで体に力が入らないわけだ。

 何かの力で上半身ごと吹き飛んじゃっているんだもの、当然だよね。


 しかし、痛みを感じない。

 致死性のダメージに、脳内麻薬が(あふ)れているからだろうか。

 いや、そもそも即死していないのは妙だ。

 何が、起きているんだろう。


 そして私は気がついた。

 この場所は、ノール家の中ではない。

 鉄やアルミで出来た箱状の空間。規則正しく配列された座席。

 遠く前方に(かか)げられているのは行き先を示すモニター。


 ……ここは、バスの中だ。山梨にある遊園地へと向かう高速バス。

 私がバスジャック事件を起こした現場に相違ない。


 すると、床に広がる血液は、私と、私が殺した高校生二人のものに違いないだろう。

 前方のミラーに写っている運転手は……奏夜(そうや)か。

 私はいつの間にか、転生前の世界に戻っているんだ。


 はは、元の世界に帰れても、帰った先が死体じゃ意味がないじゃないか。

 私は心の中で自嘲気味(じちょうぎみ)に笑うが、顔はピクリとも動かすことが出来なかった。


 死の直前のようにゆっくりと流れる時間の中、奏夜は慌てたようにハンドルを切る。

 バスが大きく揺れた。

 中央分離帯を乗り越え、反対車線の防音壁へと突っ込んでいく。

 先程まで地面に転がっていた私の頭は、衝突の際の衝撃で宙を舞った。

 斜め前方へ弾き出されるような形で放り出された私は、運転席の近く、バス内の全部を見下ろせるような高さまで打ち上げられた。


 今まさに、物凄い勢いで潰されていく奏夜が見える。

 ──ああ、彼はこうやって亡くなって、カンナになるんだ。

 ……行ってらっしゃい、奏夜。

 願わくば、そこが“修正後の未来”、カンナがカンナのままでいられる世界でありますように。


 私は……。

 私も、あの世界へ戻りたい。

 こっちの世界で起きた惨劇のことなど何もかも忘れて、カンナやマイシィ達と平和に暮らしていきたい。

 それこそが私の願い。

 悲劇が起きる前の、あの、平和そのものだった世界に戻りたい。

 そして願わくばそのまま、何事もなく時を刻んでいきたい。


 私はすぅっと息を吸い込んだ。

 肺も無いのだから呼吸が出来るはずもないのに、それでも息を吸い込んだ。


「黒の魔女! 私を……ボクを《魔法世界》へ導いてくれぇぇえええ!」


 叫んだ。

 首だけで叫ぶなんて無理なはずなのに、全力で叫んだ。

 叫んで叫んで喉が擦り切れそうになった時、……それは起こった。


 ‟空間震”だ。

 先程の、一万年以上も先の時代の《魔法世界》で体験した時空間の振動が、今度は私を中心に同心円状に広がっていく。

 大気が震え、あらゆるものが歪み、揺れる。


 でも、さっきの空間震と違うのは、空間の振動がヴェール状に拡散して虹色に輝き始めたことだ。

 光のカーテンが空間のゆらめきと共に棚引(たなび)いているんだ。


 えっ……嘘でしょう……虹色に光るカーテンの向こうに、別の世界が透けて見える!

 あれはきっと、《魔法世界》、それとも《もう一つの世界》──?


 そうか。私を震源にして起きた空間震──否、時空震は空間だけじゃなく、次元を超えて三(すく)み世界全体を揺らし、次元の断裂を生み出したのだ。

 おそらく《魔法世界》と《科学世界》を私の魂が行き来してしまったがために、黒の魔女の覚醒の余波が世界全体に拡散したんだ。

 ここまで来ると、もはや災害。

 全世界レベルの大惨事のように思う。


 だけど私は、その次元の断裂に別の感想を抱いた。

 七色に輝く空間のヴェールをうっとりと見つめながら、私は(つぶや)く。


「綺麗……」


 やがて、美しい光に包まれるようにして、私の意識は再び落ちていった。


──


 目を覚ますと、私はノール家の部屋の床に寝そべっていた。

 慌てて体を起こす。

 どれくらいの時間、意識を失っていたのだろう。


 意識を失っていたというか、昔の体に意識を吸い寄せられたというか。

 バスの中で見た次元の断裂は、夢にしては鮮烈すぎた。

 魔女の覚醒に当てられて、魂が元の世界に一時的に戻されたと考えた方がしっくり来る気がする。

 私は確信している、あれは、現実に起きたことだと。


「ねえ、答えてほしいんだ。──黒の魔女」


 私はそう言ってベッドへと目を向けた。


「あれ、いな……い」


 ベッドの上には、アルカの抜け殻だけ。

 魔女の体はすっかり消えて無くなってしまっていた。


「彼女はどこに……」


 窓の外を見れば、泥水だらけの地面の上にクシリトとカンナの遺体が仲良く並んでいる。

 遺体の様子に変化はないから、きっと私が気を失っていたのはごく短時間なんだろう。


 不思議なことに、雨はすっかり止んでいて、空一杯に鮮やかなグラデーションのアーチがかかっていた。

 心なしか、虹に照らされるように空間そのものも七色に揺れているように見える。

 魔女覚醒の余波が続いているのかもしれないな。


「そうだ、エリス達を助けないと」


 私は部屋を後にして、エリスとセシルの救護へ向かった。

 彼らを死なせるわけにはいかない。

 例え魔女による歴史の修正が叶ったとしても、“今”を懸命に生きなければならないことは、変わりがないのだから。

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