魔女編34話 神様のプロット
エメダスティが自らの正体が荒木 美園だと囁いた直後、私の胸の真ん中に、これまで感じたことも無いほどの強烈な痛みが走り抜けた。
体じゅう全ての力を奪われていくような、とんでもない激痛だ。
「お゛ッ……」
何とか声を絞り出そうとしても、下腹部に力が入らず、発声できなかった。
胸の穴から大量の血液が流れ出すのが分かる。
四肢の末端から胴体にかけて、皮膚の色味が失われていく。
体に残っていた熱量と共に、体のどこかに引っかかっていた命と共に、外へ外へと抜けて行ってしまう。
「──そ、の」
私は彼女の名前を呼んだ。
返事は無い。
彼女はただ、満足そうに私が死にゆくのを見つめているだけ。
「──の」
美園、美園!
私は懸命に名前を呼ぼうとした。
だけど、声にならない。
喉から空気を吐き出すことすら出来ない。
「──」
痛みを感じなくなった。
急に心まで冷え込んでいく感じがして、そのうち、なんの感情もかんじなくなった。
これが死か
そういえば死ぬのはにかいめ だ な
わたしはなにもなしとげられずに死ぬのか
ああ、せめてもういちどだけ
アロエに あいたかった──
「どけェぇえっ、エメダスティ!!」
──だれかにからだをつかまれた
そのひとはわたしのむねのあなにてをいれて
いたい
いたい
いたいいたい
いたい いたい 痛い 痛い!
魔法剣で貫かれた傷口に腕を差し込まれ、私の心臓は彼の掌で刺激される。
まさかの、直接心臓を握り込む形での強制心臓マッサージだ。
彼は、ありったけの魔法力を込めて治癒魔法と止血を試みつつ、私の命を何とか繋ぎ止めようとマッサージを続ける。
「ア゛あああァあ!! 痛い、いたいぃぃいああああ」
「堪えてくれ、カンナ・ノイド! 今僕が助けるから!」
とんでもない苦痛だ。
恐るべき拷問だ。
さっきエメダスティに心臓を破壊された時よりも何十倍も、何百倍も苦しい。
こんな苦痛を味わいたくはない、早く、早く殺してくれ……。
──私を逝かせてくれ、クシリト・ノール!
私のかけた昏睡の魔法の影響を振り解いて駆け寄ってきたクシリトは、どういう理由か知らないが、私の救命を始めたのだ。
しかも、使えなくなったはずの魔法を併用しながらの荒療治ときた。
「あ゛んだ、なにやっでんだ、アがッ、脳が、焼き切デッ……ちまう、ぞ」
「うるさい! 僕のことなんか知った事か! 僕は初めから君と相打ちになる覚悟だったんだ!」
クシリトの脳は、長時間の戦闘により蝕まれ、二度と魔法が使えないくらいの損傷を受けているはずだった。
だのに彼は今も限界を超えた魔法行使を続けており、私の蘇生を試みるのだ。
私もクシリトも、体全体を突き抜けるような痛みと戦っている。
こんな、お互いにとって苦行でしかない行為を続ける意味はあるのだろうか。
「いやだっ、いだいんだ、逝かせて……お゛ッ──あっ──し、死なせでぐれア゛ッ」
「逝かせない! せめてこの状況を説明してから死ね! なんで、どうして僕を殺すフリをした、カンナ!」
クシリトの両目から血の涙が滴る。
鼻からも、口からも、耳からでさえ出血が止まらない。
胸部からの流血を繰り返す私の体に、クシリトの流す血の雫もまた染みを作っていく。
「ガハッ……ハァ、カンナ……頼む、教えてくれ。お前の目的はなんだ───なんなんだよ!」
クシリトの手が止まった。
それと同時に私の胸の痛みも数段階和らぐ。
まさか、心臓が貫かれたはずなのに……鼓動が再開している!?
「クシ、リトさん……アンタ」
私が彼の名を呼びかけると、彼は私の頬を軽く叩いた。
痛くない。
全身が痛すぎて、頬への衝撃なんて大したことが無い。
でも、なんだか屈辱的だった。
クシリトは一度二度と咳き込んだ後、私に言う。
「ガンナ、話してくれ。もうあまり時間がな゛い」
直後、力の抜けたクシリトが私の横に崩れ落ちた。
肩で息をしている彼に、エメダスティが駆け寄った。
「クシリトさん!」
エメダスティはクシリトに治癒を施そうとするが、クシリトは彼女の腕を掴むと、首を横に振った。
「僕はもう駄目だ、カンナ゛をだのむ」
「どうして、あなたは
「黙れエメダスティ。わか、った────話すよ。クシリト、さん」
私はエメダスティの言葉に被せるようにしてクシリトに答えた。
その様子を見たエメダスティは、渋々といった感じで私の胸の傷を治癒し始める。
彼女にとってみれば、折角自分で与えた致命傷を治癒するなんて納得がいかない行為だろうな。
だけど今はエメダスティの気持ちを汲んでいる場合ではない。
クシリトに全てを打ち明けるのだ。
「過去を修正する方法があるかもしれないんだ。ケホッ、そ、の鍵になるのがアルカだった。彼女は魔女の素質を持つ超越者だ」
私の言葉にエメダスティが頷いた。
エメダスティ……美園もまた転生者。
どこかのタイミングで黒の魔女には出会っていたのだろう。
「アルカが魔女化すれば、過去の時間軸を生きる誰かに、時を超えて干渉できる。そうすれば……過去改変だって可能かもしれない」
「そんなごとが、できる……のかい」
「分からない、だけど、私はアルカに縋るしかなかった。誰も死なない未来に襷を繋ぐには、この方法しか思いつかなかったんだ」
直後、私とクシリトは同時に咳き込んだ。
クシリトは大きく吐血をし、私も胸の傷が少し開いて、結局二人共が多くの血液を失う。
「ああ゛ッ、アルカのッ……魔女化の条件を、私は、魔女に成った未来のアルカ本人から聞いていた。それが、私がアルカの家族を、皆殺しに、すること。だから、私は───わた、し は……」
──
────
「カンナちゃん!」
私はエメダスティに頬を叩かれて気つけされる。
血を失いすぎて、意識が途切れてしまったみたいだ。
「ごめ、さ、ぃ、──はっ、はっ……私は、ノール家の人達を手にかけるために、ここに来た。だけど、本当に殺してしまったのでは駄目なんだ。それでは“正しく”魔女が生まれ、このまま“正しい”歴史……を続けるだけになってしまう。だ、から──」
私は、神様の描いていた構想を破壊してやることにしたんだ。
「……もしかしてキミは……本当に、歴史をやり直すつもりだったの。だから今日に限ってこんな無茶をした、ってこと……?」
「信じで、なかっだのかよ……アディ」
それは少し悲しいな。
私はお前が私の意志を理解してくれていると思っていたのに、上辺だけだったなんて。
それもそうか。
彼女は生まれる前から私に憎しみを抱いている。
美園として奏夜に利用され、命を奪われた経験から、肝心な所で私を信じ切ることなど出来なかったのだろう。
にしても、アディがエメダスティで、美園だなんて……。
ずっと近くにいたのに、どうして気付いてやれなかったんだろう。
私の頬を、涙が伝っていく感触がした。
どう伝えれば良いか分からないけど、こんなに辛いことはこれ以上無いというくらいの深い悲しみが、頭の中でいっぱいになるんだ。
私は恐る恐る、自分の隣にいるはずのクシリトに目をやった。
彼は目を閉じて……既に、呼吸をしていなかった。
「クシリトさん……どうして」
アディ……エメダスティ……美園。
泣かないでくれよ、まだ、私は全部を伝えきれていない。
はは、それにしても、クシリトの死を偽装したのも全部無駄になっちまった。
私はアルカの前で彼の胸を貫くフリをして、本当は自分の腕の血管を弾けさせたんだ。
私の血を滴らせて、彼の胸に傷が無いことを隠すために。
アルカに父親の死を誤認させ、誰の命も奪わずに魔女化を成功させるつもりだったんだけど──結局死なせてちゃあ、世話ないな。
私は、過去改変の鍵とはアルカの信頼を勝ち取ることだと思う。
家族を殺された悲しみから魔女に成ってしまった彼女に、実はそうではなく、家族は生きているというところを見せてやる。
『ドッキリ大成功、ついでに魔女化おめでとう』……ってな。
やりようによっては本来想定されていた未来を覆せるのだというところを先に証明してやるのさ。
そうして後から黒の魔女と協力して歴史の修正作業に入るつもりだった。
最終的にクシリトは死んでしまったが、まだ、間に合う。
一人でも多く、アルカの家族を救うのだ。
「なあ、聞いてくれ……エメダスティ。家のなかの、セシルとエリスは、まだ生きている。エリスは自殺しようとして、その血が飛び散ったせいで……部屋がああなった、んだ。でも、いきてる。いまはぶじ、だ」
「本当に? 彼らは生きているの!? あああ……だとしたらボクは……なんてことを……」
仕方ない。
仕方ないさ、エメダスティ。
お前は何も知らなかったんだから。
情報屋のくせに、私のことは、何も。
「きいて、くれ……蘇生はしたが、エリスのしんぞうが、たぶん、長く持ちそうにないんだ。だ、から────」
私はある事実に気が付いてしまった。
この計画の成否にかかわる大事なパーツ。
それがもう、半分機能しなくなってしまったということに。
「ああっ、どうしよう。エリスに、私のしんぞうを……あげよう、って……思ったのに」
エメダスティはハッとして、すぐに悲しそうな顔になると、下唇を噛みしめた。
彼女の瞳がキラキラと揺れている。
間もなくして、熱い雫が私の頬に落ちた。
彼女は目を腕でこすると、笑顔を作って見せた。
やれやれ、演技が下手糞だなぁ。
眼が全然笑えてないぞ、馬鹿ダスティ。
「大丈夫だよ、カンナちゃん。ボクが何とかするから」
「そうか、へへ、あんしんした」
私は目を閉じた。
どのみち、もう視界が掠れて前が見えていなかったからな。
最期に見れたのが大好きなお前の顔で良かったよ。
「ごめん、ごめんねカンナちゃん。ボクは……僕は君を信じてあげられなかった。君はこんなにボロボロになるまで戦ったっていうのに」
私は左手を挙げて、エメダスティに触れた。
昨日、はじめて体を重ねた時に感じたあの温もりを、今もまた、感じている。
「み、その……」
「なぁに、奏夜」
「ゆるしてなんて、言えたぎりじゃない、けど……ごめん。おれは、みがってすぎた。今になって、たぶん、しっぺがえしをくらったんだよ。ばかだよな、おれは」
「うん、本当に大馬鹿だよ。奏夜は」
「えめ、だすてぃ」
「なんだい、カンナちゃん」
「まいしぃに、ことのてんまつを伝えてほしい。ノールけのみんなのことも……たのんだ。だけど……アロエには、わたしの死をかくしてほしい。かなしませたく、ないんだ」
「──ううッ。わがったよ、そうするね。僕に任せて」
「……ああ」
「それから、あでぃ」
「ん。……な、に、カンナ・ノイド……ッ」
「だいすき、だ。……ああ、これも、アロエに……ないしょ」
「わかったの。カンナ……ボクも、ボクもキミのことが大好きだよ」
「あり、がとう」
よし、これで言い残すことは──何もないな。
あとは黒の魔女……未来を頼んだぞ。




