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魔女編33話 美園の追憶

「……あのね、エメ君。流石(さすが)にそれはやりすぎだよ」

「どうしてさ」

「だって、いくらカンナちゃんを止めたいからって、手脚に強化筋肉を移植するなんて危険度が高すぎるよ」


 七年前、世界歴一〇〇〇二年の夏。

 あの日、マイシィは私を引き止めようとしていた。

 当時、逃げたカンナを捕まえる為に私達はあらゆる場所に情報収集に出かけたのだけど、それでどうやら彼女はマムマリア王国とエイヴィス共和国の国境付近に滞在しているらしいことが判明した。

 でも、彼を捕まえるには力が足りない。

 だから私は肉体を改造しようとしたんだ。


「マイシィ、僕は探していたんだ。自分の生まれた意味を、生まれ変わった意味を。……どうして男に生まれ変わったのかも、意味を探してしまうんだよ」

「うん……」

「それで、やっぱり奏夜(そうや)を……カンナちゃんを止めるのが自分の責務だと考えるようになったんだ。そのために男の肉体が必要だったのかなって。だけど」


 だけど、結局はカンナとなった奏夜には敵わない。

 誕生時に人造人間(ホムンクルス)の技術で肉体を強化されたカンナは、同時に魔法の天才でもあった。

 “自分では世界の強者には敵わない”と、いつか本人が(なげ)いていたけれど、私はそうは思わない。

 どんな強敵でも情け容赦ない策を用いて破滅に追い込むのが奏夜という男、カンナという女だ。


「だから、僕はもっと強くならなくちゃ。たとえどんな危険があろうと、僕は彼女を必ず捕まえる」


 マイシィの手前、捕まえると言ったけど、本心は違う。

 私は奴を、自分の手で殺すつもりだ。


「……止めたって、やるんだよね。エメ君──いや、ミソノは頑固だから」

「うん、ごめんねマイシィ。それで、もしも僕に万が一のことがあったら──」


 その後は、マイシィに任せる。

 あの日の私はそう言ったんだ。


***


 それから二年ほどが過ぎ、今から四年半前、世界歴一〇〇〇四年の冬。

 度重なる肉体改造によって、ついに私は倒れた。

 筋肉という筋肉を培養筋肉に置き換え、ありとあらゆる臓器を入れ替えて、全ての皮膚を強靭(きょうじん)な人工皮膚に貼り直していったツケだった。


「それじゃ、お見舞いありがとうクレマスティ」

「兄さん、どうかこれ以上は……」

「うん。わかってる。心配をかけてごめん」


 私はベッドに横たわったまま、見舞いに来た弟が帰っていく背中を見送った。


 私は弟にも、自分が異世界からの転生者であることは話していない。

 その事実を知り、私が肉体改造に(こだわ)る理由を真に知っているのはマイシィとクシリトさん、そして奏夜の妻役であるアロエだけだ。


 アロエはカンナが奏夜であることを知りながら、なおも愛し続けることを選択した純愛の人である。

 その姿勢は羨ましくもあるけど、前世での奏夜を見てきた私には理解し(がた)い生き方でもあった。


「エメ君、ちょっと良い?」


 ノックの後、マイシィが扉越しに声をかけてきた。

 私は返事をする。


「どうぞ」


 部屋に入ってきたマイシィは、珍しい客と一緒だった。

 彼女に連れられて入ってきたのは二人の男女。

 上級魔闘士のクシリトさんと、もう一人はこの地方には珍しい褐色系の肌を持つ少女だった。


「ハジメマシテ。あでぃーね・ろーらっとトモウシマス」


 片言の魔法国語で話す彼女の紅い瞳に吸い込まれそうになる感覚を覚える。

 それくらい、彼女は綺麗だった。


「エメダスティ、彼女が先日電話で話した子だよ。アエリウスの忘れ形見。カンナに次ぐ、完成された人造人間(ホムンクルス)だ」


 カンナが特別視されるのは人造人間(ホムンクルス)の肉体にたまたま宿ったのが転生者の奏夜だったからだと思うのだけど、世間的には一応あの子が人造人間(ホムンクルス)完成品第一号とされているらしい。

 それに対して眼前の彼女は正真正銘の人工生命だ。

 ゼロから感情を獲得した最初の個体。

 狂気の研究者アエリウス・ローラットの(のこ)した最も価値ある成果物だ。


『こんにちは、アディーネさん。大陸語は大丈夫?』


 私が尋ねると、アディーネはにっこりと笑った。


『はい! むしろ大陸語は得意です! これから()()()お願いしますね、エメダスティさん!』


 彼女はもう間も無く、私に体を譲り渡して死ぬ予定なのである。


──


 科学者アエリウスが狂気と言われているのは、まさしくアディーネへのこだわりからである。

 若くして死した幼馴染(おさななじみ)の肉体を病院から盗み出し、彼女の蘇生の為に一人研究室に(こも)って実験を繰り返したのだ。


 三十年の時を費やし、彼が辿(たど)り着いた方法が、人造人間(ホムンクルス)化した彼女の脳波を増幅することだった。

 感情に関わる思念を増大させて、魂を再現する。

 その実験のためにあらゆる国から新生児を盗み、育て、実験台として消費した。

 幼馴染の脳を何度も取り替えながら調整を繰り返し、ようやく生まれたのがアディーネだった。


 アディーネが生まれてからのアエリウスは非常に穏やかだったという。

 二人の生活は、まるで新婚夫婦のような幸せに満ち足りたものだったらしい。


『最終的に、彼はクシリトさんに捕まってしまいましたけどね。……でも、彼は覚悟していたんです。いつか幸せに終わりが来ることも、ちゃんとわかっていました』


 獄中にてアエリウスは自殺した。

 食事用のフォークを胸に突き刺した彼は、死に際、自らの血を使って壁にメッセージを遺した。

 “クシリト、娘を頼む”と。


『それから一年、私はクシリトさんの庇護(ひご)下で平穏に暮らしました。でも、いよいよその時が来てしまったんです』

『その時というのは、脳の……』

『はい。活動限界、ですね』


 人造人間(ホムンクルス)の脳は消耗品だ。

 一般的な人造人間(ホムンクルス)でも十五年に一回程度は交換した方が良いと言われている。

 まして、アディーネの場合は魂の完成された特別な個体だ。

 カンナのようなイレギュラーな存在ならまだしも、脳波を増幅させるというアディーネの方式では脳の消耗率が段違いとなってしまう。


『私はもう十分に生きました。他の方達より少し短い人生でしたけど、大切な人と過ごすことが出来ただけでも満足なんです』

『……本当に、良いんですね? 僕は結構無茶をするタイプです。その体をボロボロに痛めつけてしまうかもしれません』


 アディーネは優しく微笑んだ。


『構いません。魂は体に宿るのでは無く、心に宿るのです。私の心は魂と一緒に彼の元へ行きます。だから、お好きに使ってくださいエメダスティさん』

 

──


 一ヶ月後。世界歴一〇〇〇四年の十一ノ月の二十四日。

 深々と雪が降り積もる夜に、エメダスティ・フマルは過度な肉体改造に伴う多臓器不全で死去した。


 まあ、本当は使い物にならなくなった身体から、アディーネの身体に脳を移し替えたのだけど。

 元の体は死んでしまったことに違いはない。

 今、あの体にはアディーネの脳が収められている。

 私はクシリトさんに車椅子を押されながら、アディーネ・ローラットとして葬儀に参列した。

 

「馬鹿野郎、ダスティ! お前、本当に馬鹿だよ。死ぬ必要なんてなかったじゃねぇか! それに、お前俺の結婚式にも来てくれるって言ってたよなぁ、相手はまだ見つかってねぇけど!」


 私の(ひつぎ)にしがみつくようにして、ニコちんが泣いていた。

 彼を(なだ)めるようにして肩を抱いているタウりんもまた、少し涙ぐんでいる。

 二人とも私の大切な男友達だ。


 弟のクレマスティなど、泣き過ぎて過呼吸を起こし、母に連れられて控え室に引っ込んで行ってしまった。

 いつも笑顔だった父も、口を真一文字に結んだ表情のまま、弔問(ちょうもん)客と話をしていた。

 私は皆を傷つけた。

 このことはきちんと受け止めなければならない。


「エメ……じゃなかった、アディーネ」

「なんですか、クシリトさん」


 クシリトさんは私にだけ届くくらいに絞った声量で言う。


「これが、君の罪だ。君はこれだけの人を悲しませた。その事実は忘れてはいけない」

「……はい」


 それはきっと、クシリトさん自身の懺悔(ざんげ)でもあったのだろう。

 彼もまた、自分の家族を取り返しのつかないレベルにまで追い込んでしまっているのだから。


「僕はこの罪に向き合います。そしていつの日か……」


 ────いつの日か、一緒にカンナちゃんを殺しましょう。



***


 その後、私は壮絶なリハビリを経て、以前よりもずっと自由の()く体を得た。

 筋力、魔法力、どちらを取っても申し分ない。

 流石(さすが)は完成された人造人間(ホムンクルス)の肉体だ。


 しかし、全てが完璧とはいかないもので、私は右目の視力を失った。

 正確には、瞳孔が開きっ放しで全くピントが合わない。

 辛うじて明暗が分かる程度であった。


「カンナちゃんの額の傷といい、僕の右目といい、前世で負った怪我はいずれ引き継がれてしまうものなのかな」

「何かの因果、的な?」

「うん、そうそう」


 私とマイシィはコリト南岸の港町にいた。

 いよいよ私がカンナを探しに旅立つ時がやって来たのだ。


 これまでもマイシィの仕事に付随(ふずい)する形で何度も海外を探し回ったことはあったけど、ここから先はもう一人。

 リハビリと並行して訓練を積んだ使い魔の技術を駆使(くし)しながら、一人で生きていかなくては。


「一年に一度はマイシィのところに報告に行くよ。それか、もしこっちに来る用事があったら現地で落ちあうとか」

「今は電話が普及したから便利だもんね」


 携帯電話があったらもっと便利なんだけど。

 以前スマートフォンの話をしたらマイシィに笑われたっけ。

 それは流石に嘘でしょ、だってさ。


「そうだ、アディーネ」

「うん?」


 マイシィは私に、何やら大きな包みを手渡した。

 開いてみると、それは狼をイメージしてデザインされた仮面だった。


「今のアディーネの表情が、どうしてもエメ君に見えちゃう時があるんだよ。あのカンナちゃんのことだから、そういうのは目ざとく気付いちゃうと思う」

「これで顔を隠して生活しろって?」

「そうそう」


 仮面をしていると悪目立ちしちゃいそうな気もするけど、マイシィの言うことも一理あると思う。

 カンナがカナデとして活動していた際に狐の面をしていたという話もあるし、対になっている感じはアリかもしれない。


「あと、口調も変えた方がいいかもね。もっとこう……みすてありす? な雰囲気とか」

「……みすてありすじゃなくて‘ミステリアス’、なの」

「 そ れ だ 」


 マイシィが指を鳴らして表情を明るくする。


「ん……なんか、少し恥ずかしいの」

「 良 い 」


 ……なんだかマイシィの性癖に突き刺さるものがあったらしい。

 まあ、無口なキャラを演じていれば、口数も少なくて口調で正体を勘付かれにくいと思うから、これはこれで正解な気もする。


 かくして、私はアディーネ・ローラットとして生まれ変わり、マムマリア王国へ出発した。

 世界歴一〇〇〇五年八ノ月のことであった。



──




『私は荒木(あらき) 美園(みその)だよ。久しぶりだね、奏夜』


 私がカンナの耳元で(ささや)くと、彼女は一瞬、何を言われたのか理解出来ないと言うふうに表情を固くした。

 彼女にとっても久々に聞く日本語のはずだ。

 暗号として利用していたとはいえ、四十年近くも耳にしていない言語だから、咀嚼(そしゃく)に時間がかかるのも仕方がない。

 その思考時間が、油断の元だ。


 私はカンナの胸に魔法剣を突き刺した。

 先程は少し()れてしまったが、今回は大丈夫だ。

 ちゃんと、彼女の胸のど真ん中を貫通している。


「み……その」


 カンナが(うめ)くように私の名前を呼んだ。

 瞬間、私は言葉に表せない高揚感に包まれた。


 ──ああそうだよ。

 君が命を奪った女が、今度は君の命を奪うんだ。

 因果応報というやつか。


「……ぅか、 お えが……」


 カンナが何かを言おうとしている。

 今更なんだと言うのだ、まだ生きることにしがみつこうと言うのか。

 お前が生きていると、これから何度だって罪も無い人が殺されてしまうだろう。

 だから諸悪の根源であるお前を、私が殺して負の連鎖を止めなければ。



 子供の頃のカンナは、すごく輝いて見えた。

 周りの子とは全然違っていて、いつの間にか私はカンナのことが好きになっていた。

 今思えばあれが、魂に()かれるという現象だったのだろう。


 時が経って、カンナが子供を身籠(みごも)ったあたりから雲行きが怪しくなった。

 日記を読めばわかるが、カンナが奏夜を取り戻したのは十歳から十一歳の頃であり、私が記憶を取り戻すより数年早かったようだ。

 しかし、そのサイコパス性が顕著(けんちょ)に現れ始めたのはロキ先輩の死を境にしていた。

 だけど子供のことがあったから、カンナはまだ正気を保っていたように思う。

 ……その子が流れてから、カンナの(かせ)は外れてしまった。


 そこから先はもう、奏夜そのものを見ているようだった。

 自身に敵対する者を徹底的に排除し、自らの王国を作り上げる。

 そのためには無関係の第三者を罠にかけることも(いと)わないというカンナの悪い側面が顕在化(けんざいか)してしまったんだ。


 この頃から私は、カンナの暴走を止めるのが自分の義務のように感じていた。

 その義務感は、今もなお私の生き方の軸となっている。


 クシリトさんを騙して殺害しようとしたカンナを、私達は追い詰めた。

 戦には勝利したけど、彼女はあっさりと逃げ延びてしまった。

 私は悔しさに歯噛みすることになったけど、カンナはこの一件の後、不思議な生き方をし始めた。


 世界を旅して周り、さまざまな地域のさまざまな風俗に触れて、さらに、色々な人を救った。

 人が変わってしまったみたいだった。

 ──いや、余計なモノが()ぎ落とされたというべきか。

 アディーネとして彼女に接触した私は、またしても彼女に心惹かれてしまった。

 クシリトさんとの約束を反故(ほご)にしてしまうことになっても、カンナと共に過ごす日常を幸せに感じていたんだ。

 


 だけど、今日になって全部が吹き飛んだ。

 結局カンナはカンナ、奏夜は奏夜だった。

 私は当初の目的を取り戻した。


 ────私の手で、カンナ・ノイドに引導を渡してやる。



「死ね、カンナ・ノイド!」


 この台詞(せりふ)が口を突いて出ていたかは自分でも分からない。

 ただ間違いなく、私は彼女を殺すつもりで剣の柄に力を込めたんだ。



 その、刹那(せつな)


「──!?」


 それは、たまたまだった。

 私がカンナの死相を見届けてやろうと顔を上げた時、それに気が付いた。


 彼女は薄れ行く意識の中、口をぱくぱくと動かしていた。

 うっすらと笑顔を浮かべながら、涙をこぼしながら、彼女は声も無くこう言っていたんだ。


 “みその、よかった”


 何が良かったのか。

 私が私のまま生きていたことか、それとも、こうして巡り会えたことか。

 分からないけど、きっとそれが彼女が伝えられる限界だったんだ。


 私はたじろいで、彼女から剣を引き抜いた。

 そのまま剣を地面に打ち捨てて、一歩二歩と後退(あとずさ)りをした時、背後から叫び声が聞こえた。


「どけェぇえっ、エメダスティ!!」

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