魔女編29話 口移し
目が覚めると、そこは古びた木造の家だった。
築何十年になるのかもわからない、廃屋をかろうじて住めるように改造した程度の粗末な家。
そんな部屋の片隅に、俺は寝かされていたらしい。
床に直置きされていたからか背中が痛い。
起きあがるために右腕を支えにしようと突っ張ると、今度は肩口から先に激痛が走る。
支えを失って再び床に転がった俺は、ここで右腕の状態をようやく把握した。
右腕には服を割いて作ったような布が巻かれている。
折れた骨を固定する際の添え木のつもりなのか、何かの木片が布で固定されていた。
骨折や火傷による損傷が酷かったが、幸い切断には至っていないようだ。
切断──そうだ、腕は大丈夫でも、脚は──。
俺は目視しなくても自分の足の状態にはなんとなく気がついていた。
と言うのも、脚の感覚が全く無く、代わりに疼くような痛みが永続的に襲ってくるからだ。
ともあれ出血具合などを確認する必要はあるから、俺は溜息混じりに下半身を確認したが、結果は言わずもがなである。
脚は止血され、傷もある程度塞がっているようだが欠損部位が戻ることはない。
失われた両脚を補うには、医者の力がどうしても必要になる。
俺は立場上、闇医者を利用するしかないが、その治療費は想像を絶するほどに高額だから、考えるだけで頭が痛くなる。
「それにしても、ある程度治癒されてるな。あの状況で、一体誰が……」
流石に完治とまではいかないが、命の危険を脱するレベルにまでは手当されていた。
誰の手によるものかは分からない。
クシリトは魔法使用の限界に達していたし、エリスはきっと、俺よりも弟の治療に専念するだろう。
普通であれば、俺なんか放置されて当然じゃないだろうか。
「弟……そうだ、セシルはどうなった」
俺はそう口に出してみるが、大体の居場所は見当がついていた。
何故なら、壁を挟んだ向こう側からエリスの啜り泣くような声や、誰かの話し声が聞こえてくる。
隣の部屋にノール家の面々が集結しているようだ。
と、いうことはここは彼らの住居の中か。
セシルと喧嘩という名の稽古をした後、彼を家まで送り届けることはあったが、こうして実際に敷居を跨いだのは初めてだな。
クシリトと戦っていた場所に近いから、とりあえずここに運び込んだって感じだろうか。
俺は試しに水魔法にて空気中から水分を集めてみた。
うむ、問題無く魔法が作用する。
ついでに喉を潤した。美味しい。疲労困憊の肉体に染み渡っていくようだ。
続いて魔法力場の整形による魔法腕や魔法翼が使えるかどうかのチェックだ。
あれらを形成するにはある程度の魔晶濃度が必要。
他の魔法の使用が出来る環境でも、体を持ち上げられる程の力場強度が得られないことが稀にある。
俺は魔法腕を作り出し、それを床に押し当てて自分の体が浮かせられるかどうかを試してみた。
結果、何事も無く成功。
どうやらクシリトによる魔晶分散による影響は残っていないか、そもそもこの場所は件の魔法の効果範囲外だったかのどちらかのようだ。
俺は右腕に治癒魔法を使いつつ添え木を取り外し、手を握ったり開いたりして挙動を確かめた。
今のところは問題なく動く。
脚以外は治療完了といっても差し支えないだろう。
「……とりあえず移動するか」
俺は氷の魔法で即席の義足を作ることにした。
空気中の水分を凍らせて欠損部位の長さ分を補ったのだが、関節の動きまで再現するのは難しく、自立歩行は困難に思われた。
俺は結局義足を用いることは諦め、使い慣れている魔法腕で身体を支えながら移動を行うことにする。
向かう先は隣室だ。
──
─
隣室にはベッドに横たえられているセシルと、彼の横で膝立ちになって手を握っているエリス、そして、セシルの頭頂眼に手を当てて治癒魔法をかけ続けているアルカがいた。
クシリトの姿は見当たらない。
「おはよう。目が覚めたんだね、カンナ・ノイドさん」
「──アルカ。お前が助けてくれたのか」
アルカは頷いた。
黒い衣装がよく似合っている。
俺が意識を失う寸前に見た黒い服の女は、彼女だったのだ。
話を聞けば、数時間前までノール家の旧宅にいたアルカは、屋外で騒ぎが起きていることに気が付き、早めに旧宅を後にしたらしい。
道行く人に話を聞けば、スラム街が大規模火災に見舞われているという。
それで、どちらかと言えば王都の市街地よりもスラム街の方に近い現在の住処が心配になり、慌てて戻ってきたようだった。
そうして丘の上に差し掛かった時、衝撃的な場面を目撃する。
家の近所の林が跡形もなく消失していただけでなく、自分の父親が仇敵である俺を殺そうとしていたのだ。
しかもあろうことか、俺を庇うように立ち塞がったセシルが致命傷を負ってしまった。
アルカが現場へと走っている間にセシルの火は消えていたが、誰も彼を治療出来ないでいた。
俺も意識を失ってしまったからな。
そこでアルカはエリスと協力して俺達の体を家まで運び、手分けして俺とセシルを治癒したらしい。
本来ならばノール家にとって俺が死ぬことは喜ばしいことのはずだが、状況が状況なだけに見捨てることは出来なかったそうだ。
病院に連絡することも考えたが、スラム街の大火災のせいで緊急搬送用の魔動車も全然足りていない状況なのだという。
魔動車も不足するような状況だから、当然病院のベッドなど空いているわけがない。
「アンタより兄貴の方がどう見ても重傷だったから、アンタの治療は応急的にしちゃったけど」
「いや、構わないよ。助けてくれてありがとう、アルカ。……セシルの治療、替わるよ」
俺は椅子を借りてセシルの枕元に腰掛けた。
アルカと入れ替わるように、俺は自分の頭頂眼をセシルの頭頂眼にそっと重ねた。
額と額を寄せる様は、横から見ていたアルカにはキスの角度に見えたかもしれない。
それで、彼女は言った。
「わ、大胆」
「この方が手で治療するより効率が良いんだよ」
俺はぶっきらぼうにそう答え、治療に専念するために目を瞑った。
セシルの浅い息遣いが聞こえる。
息苦しそうで、今にも消えてしまいそうなくらいにか細い。
そっと頬を撫でてみたが、体はかなりの熱を持ってしまっているようだ。
だが、その割には皮膚が乾いている気がする。
俺は目を開けて額を遠ざけ、掌からの治癒に切り替えると、空いている方の手でセシルの体に巻かれた布を解いていった。
案の定、セシルは汗をかいていなかった。
つまるところ彼は体温調節が自発的に出来なくなっている状況なわけだ。これはかなり危ない。
「水は飲ませたのか?」
アルカは首を振った。
「ううん、コップを近づけても飲んでくれなくて」
「──そんなの、口移しで良いんだよ」
俺は魔法で水塊を作り出すと、自分の口にそれを含み、セシルに口付けた。
舌を使って彼の唇をこじ開けると、その口内に少しずつ水を注いでいった。
はじめはほんの数滴。
やがてセシルが自発的に嚥下を始めたのを確認すると、彼のペースに合わせて水を送り込んでやる。
「ぷはッ。ごちそうさまでした」
「……ごちそうさまってアンタね……」
緊急時とはいえ、イケメンとのキスはやはり良いものだ。
ちゃんと生き返ってくれたらなおのこと良いのだけれど。
それにしても、セシルの体温が高い。
汗をかいていないから水分不足かと思ったけど、これはもしかすると汗腺が熱によって機能を失っている状態なのかもしれない。
彼の負った火傷による損傷の多くが、治癒魔法によって表面上は塞がっているように見える。
けれど皮膚移植をせずに無理矢理に傷を治したせいで、全体的にケロイド状になってしまっているから、汗をかくという体温調節機能が失われたとしてもなんら不思議ではない。
これは、第三者が補助する形で早急に体外へ熱を逃がしてあげる必要がありそうだ。
「エリス、桶とタオルを持ってきてくれないか」
俺は、セシルの手を掴んだままずっと啜り泣いているエリスに声を掛けた。
先程から、エリスの様子がおかしい。
彼女にも何かの役割を与えたほうが良い気がしたんだ。
じっとしているよりは悲しみを紛らわせることが出来るだろう。
「……」
「……エリス?」
エリスは無言で立ち上がると、俺の方へ何か言いたげな視線を送る。
俺の方から声を掛けようとするが、彼女はそのまま何も言わずに部屋を出て行ってしまった。
「あれは、重症だな」
「お姉ちゃん……」
仕方がないので、俺はアルカに手伝ってもらい、セシルの肌を可能な限り露出させた。
主にセシルの額や頬、首元やわきの下にかけて冷気を混ぜ込んだ霧を吹きかけてやる。
少し表面がしっとりしたところに風魔法を当て、強制的に体温を冷却するのだ。
体が冷えすぎて低体温症になっては元も子もないから、そこは上手く調節しないとな。
それから、もう少し水分を飲ませてあげよう。
俺は先ほどと同じように自分の口に水を含んでから、セシルと唇を合わせた。
今度は最初の頃よりも勢いよく水を飲み干していくセシル。
「ケホッ、ケホ」
「ああ、ごめんよセシル。大丈夫か」
「……ンナ、──ぃ」
すると、セシルはうっすらと目を開けた。
まるでキスで目を覚ますお姫様みたいだ。性別は逆だけど。
「兄貴! 目を覚ました! 目を覚ましたよ!」
セシルの回復を感じ、アルカは子供のように喜んだ。
俺もほっと一息ついて、セシルの頬を優しく撫でた。
──そして気が付いた。
俺は、俺の中の母性をセシルにくすぐられているのだと。
水子になってしまった俺の子が無事に生まれていたとしても、セシルより幾分か若いはずだ。
だけど彼の天性の才能なのか、俺の中の“母親”がひょいと顔を覗かせるのだ。
うん、アレだな。
男性アイドルにハマる、おばちゃんの気持ちだな。
って誰がおばちゃんじゃい。
「カン……せ、せい」
「お前、いつから俺のことを先生なんて呼ぶようになったんだよ」
俺はふふ、と笑みを零した。
そんな俺の顔をじっと見ながら、セシルは言う。
「よか、た。せんせ……が無事で」
俺は口角を上げたまま、顔をくしゃくしゃにした。
なんだか、言葉にはしえない複雑な気持ちが胸の奥に火を灯したみたいだ。
「うん。ありがとうな、セシル」
実際、あそこでセシルが割って入ってくれなかったら、今頃俺は死んでいた。
この子には感謝しても感謝しきれないくらいの恩が出来てしまったな。
俺はセシルのおかげで改めて強く思った。
‟黒の魔女が言うように、ノール家を皆殺しにすることは決してしない。何か別の道を模索して、全部をハッピーエンドに導いてやる”と。
ところが、セシルは再び目を閉じる。
折角目を覚ましたのに、何も喋らなくなってしまう。
「……」
「……セシル?」
「お兄ちゃん!」
アルカがベッドの上に膝を乗せ、若干寄りかかり気味でセシルの頬に手を伸ばした。
彼の頬に彼女の指が触れた瞬間、その指がピクリと跳ねた。
「え、嘘──ッ」
アルカが息を呑みこみながら驚きの声を上げた。
彼は、セシルは……。
「────兄貴、寝てる」
耳を澄ませば聞こえてくる、微かな寝息。
俺が体を覚ます前まで聞こえていた苦しそうな呼吸は、もう鳴りを潜めて、非常に穏やかな物へと変化していた。
俺もアルカも肩の力が抜けて、その場でへたり込んだ。
アルカは床に、俺は腰かけていた椅子の背もたれに体重を預ける。
「良かったぁ」
「本当だね。ありがとう、おねーさん」
「……馬鹿、こうなったのも全部俺の責任じゃないか。お前は責めるべきで、感謝するのは違うはずだ」
アルカは首を横に振り、俺の方を見上げながら笑った。
「ううん。あなたは、凄いと思う。まあ……確かに善人ではないのだろうね。でも、自分の罪にも真摯に向き合っている感じがするし、なんか思ってたのと違うなって」
「罪には向き合うが、責任を取って死ぬ気はないぜ」
「あはは、そうね。アンタはそういう人だったわ」
アルカはくすくすと笑う。
初めに会った時に感じていた黒い感情が全部抜け落ちて、なんというか憑き物が落ちた感じがする。
これから黒の魔女に成ってしまうのがもったいなく感じるくらい、アルカは純粋だった。
「……ねえ、今なら父さんと話ができるんじゃないかな」
急に、彼女はそんなことを言い始めた。
「クシリトと?」
「ええ。あなたが前に言っていたじゃない。私が魔女に成れば、全てを変えられるって。その話を父さんにもしてあげたいの」
なるほど、その話か。
アルカには魔女への進化条件のことは伝えていないものの、11次元の世界についてとか、時の流れを遡った連中の話だとかはあらかた話していた。
全部、黒の魔女に聞いたことだ。
真の魔女であるアルカから聞いた話を、魔女の卵であるアルカに返しているのだから奇妙だよな。
「そのクシリトはどこにいるんだ」
「表で待機してるよ。兄貴に合わせる顔が無いって、外でずっと祈ってる」
なんだ、割と近くに奴はいたらしい。
アルカはベッドの縁を支えにゆっくりと立ち上がる。
彼女はスカートの裾を手で払ってから、俺を見下ろすようにまっすぐ見つめてきた。
「私、父さんを呼んで来るね。だからおねーさん……逃げないで、待っていてくれる?」
俺個人の感情で言えば、どちらかというとクシリトには会いたくは無い。
だが恩人アルカの頼みであるから、俺は逃げるわけにはいかないだろう。
「ああ。俺はもう少し、セシルの体温を調整してみるよ」
アルカは軽く微笑みながらこくりと頷くと、小走りで部屋の扉に向かっていった。
美しい黒髪を揺らしながら外へと出ていくアルカを、腰かけたまま見送る。
いやはや、一時はどうなることかと思ったが、だんだん希望が見えてきた気がする。
しかし油断はできない。
肝心なところでポカをやらかすのが俺のジンクスだ。
最後まで油断をせず、これから起こりうるあらゆることをシミュレートしながら、俺はアルカがクシリトを連れて戻るのを待った。




