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魔女編25話 急襲

 世界歴一〇〇〇九年四ノ月朔日(ついたち)

 それは清々しい朝だった。


 隠れ家には採光窓が存在しないが、通気口から朝の新鮮な空気が流れ込んできて、それで目を覚ました。

 照明用の魔石による薄明りの中、俺は現状を知覚する。


 目の前にはすやすやと眠る褐色肌の少女。

 俺もアディも生まれたままの姿で、抱き合うようにして眠ってしまったようだった。

 昨晩の交わりはどちらかといえば(なぐさ)め合いに近く、あまり激しいものではなかったはずだが、途中から記憶に無い。

 二人とも疲れて眠ってしまったのだろう。


 俺はアディの黒髪をそっと撫でる。

 なんだか、黒の魔女より黒っぽい娘だと、今更ながらに思う。

 話し方もどことなく“魔女味”があるし。


「ん……どうしたの、カンナ・ノイド」

「ごめん、起こしちゃったか」


 アディが薄く目を開ける。

 まだ半分くらい微睡(まどろ)みの中といった感じで、彼女は再び目を閉じる。


「ん……昨日はお楽しみでしたね……」

「お前が言うんかい」


 寝惚(ねぼ)けているのか有名なゲームの台詞(せりふ)を言うアディ。

 もちろんそんなゲームの存在など彼女が知る(よし)も無いから、同じ台詞になったのは偶然だろうが。


「ふふ、可愛いな。アディは」


 そう言いながらアディの鼻をつつく。

 彼女は「むい」と言いながら身を(よじ)って顔を(そむ)けてしまった。

 間も無く聞こえてくる彼女の寝息。

 もう少し寝かせてあげることにしよう。


「さて、今は何時だ?」


 俺は簡易ベッドから起き上がると、軽く腕を上げて背伸びをし、床に脱ぎ捨てられたアディの衣服を(まさぐ)った。

 俺は時計なるものを持っていないから、アディの懐中時計を借りようと思ったのだ。

 この世界、時計はかなりの高級品なんだぜ。

 地方貴族である実家にだって大きな柱時計が一台あるだけで、自室の目覚まし器も重力によって小球がスロープを降りていくのを利用した単純なものだった。

 普段は日の傾き加減や教会の鐘の()で大体の時刻を知るのだが、隠れ家の中ではそれも無理だ。


「えーっと、時計時計……ん?」


 アディの荷物の中から、一枚の紙が床に落ちる。

 随分(ずいぶん)と劣化して、茶色くなってしまったボロボロの紙切れ。

 俺はそれを拾い上げて裏返してみた。


「こいつは──」


 それは、一枚の写真だった。

 裏面には世界歴九九八〇年二ノ月と手書きされている。

 もう三十年くらい前のものだ。


 満開の桜を背景に撮影したと思われる、モノクロの写真。

 そこに写っているのは、幼い頃の俺と、マイシィと、エメダスティ、それから兄と黒髪の少年。

 黒髪の奴は──名前を忘れてしまったが、昔、俺が師匠と呼んでいた男のはずだ。


「何でこんなものを、アディが……」


 マイシィから預かったものだろうか。

 それにしても預ける理由が見つからない。

 なんだかアディの特殊な事情を垣間(かいま)見ている気がするのだが、いかんせん見当もつかないのでこの件は一旦保留にしよう。

 俺もなんだかんだで寝起きだから、いまいち思考が働かないって言うのもあるし。


 俺は懐中時計を探り当てると時刻を確認し、目を()いた。

 一気に目が覚める。

 もう既に、正午近くだったのだ。


 ──どれだけ眠っていたんだ。

 と、言うより、どれだけ慰め合っていたんだっていうね。


「あちゃ、もしかしてセシルを待たせちゃってるかもな」


 セシルとの魔法の訓練なんて、別に約束はしていないんだけど、ここ二週間くらいはなんとなく日課になっていた。

 おかげで彼との距離もぐっと近づいたように思う。

 もう少し仲良くなれれば、事情を話し、複製体の為の因子抽出(ちゅうしゅつ)にも協力してもらえるかもしれない。

 遅刻したからどうということは無いけれど、念のため謝っておこう。


 俺は脱ぎ捨てられていた、昨日と同じ衣服に(そで)を通す。

 綺麗に(たた)んでいなかった為にしわくちゃ状態だがしょうがない。


 俺はアディの髪に少し触れ──キスするのは思いとどまって、そのまま部屋の扉へと足を向けた。


「行ってきます、アディ」


 扉を閉めて、寺院の保管庫に続く手掘りの階段を進む。

 床板を持ち上げて保管室内に出て、外部へ繋がる扉のかんぬきを抜いた。

 ここの扉自体には施錠する機構も鍵も無いから、外からロックをするにはコツがいる。

 魔法腕を使って扉の内側にかんぬきを()し直すのだ。

 アディがまだ中にいるのだから、封印だけはしっかりしなきゃ。


 ところが、俺は扉を開け放った瞬間、非常にマズいことになったと気付かされた。

 外の空気が保管庫内へ流れ込むのと同時に、とてつもない熱波が俺に襲い掛かってきたのだ。


 炎のエフェクトを(まと)灼熱(しゃくねつ)の空気は、明らかな殺意をもって隠れ家内部へと流れ込んで来る。

 俺は炎の奔流(ほんりゅう)をどうにかしようと、必死で風魔法を練り上げた。


「ああああああッ!!」


 俺の絶叫が響くと同時に炎はその動きを大きく(ゆが)め、寺院跡の瓦礫(がれき)の方へと拡散していく。

 瞬間、(あら)わになったのは目の前に立っている敵の存在だった。

 奴は俺の方を見据(みす)えながら、たった一人、仁王立ちしていた。


「やっとお目覚めかな、カンナ」

「──クシリト・ノール」


 アジトに襲撃をかけてきたのは、宿敵クシリトであった。

 つまり、これから会おうと思っていたセシルの父親だ。


「お前、王都(レオ)に戻っていたのか」


 俺がクシリトに尋ねると、奴はしれっと言う。


「もうずいぶん前にね。ここ一カ月ほどは君の居所を探っていたんだ。ようやく見つけたよ銀の魔女」

「自分の子供達にも会わずに、そんなことをしていたのかよ」


 折角(せっかく)王都に帰ってきたのなら、真っ先に子供達に会うべきだろう。

 セシルはともかく、エリスやアルカは父親を嫌悪している素振(そぶ)りは見せていないのだから。

 仮に全員から(うと)まれていたとしても、彼らを援助するのは親の義務ではないか。

 どうしてそこまでして俺にこだわる。


「僕は子供達からあまり良く思われていないからね。だから──君の討伐を手土産にして、もう一度家族をやり直すんだ」

「それをあいつらが望んでいるとでも?」

「“あいつら”?」


 クシリトは俺の言葉の機微に気が付いた。


「子供達に会ったのか、カンナ」

「だったらどうした」

「手を出しちゃいないだろうな」

「ああ。今はまだ、な」


 クシリトの表情が険しくなる。

 今更になって子供が巻き込まれる危険性に気が付いたらしい。

 こういうこともあるから早く会いに行くべきなんだよ。

 俺がサイコパスのままだったら彼らは今頃薬漬けになっているか、浮浪者に強姦されているかのどちらかだぜ。


「お前、ちょっと盲目になりすぎだぜ。俺の討伐を手土産だぁ? あいつらがそんなことを喜ぶはずが無いだろう。つまりお前は言い訳をしているのさ。我が子ををないがしろにして俺を追う言い訳だ。……俺にはお前が妻の復讐に取り憑かれているように見えるぞ、クシリト・ノール上級魔闘士」


 思えば、こいつは《銀の鴉(シルヴァクロウ)》の一件以降、執拗(しつよう)に俺を追いかけ続けていた。

 どこで情報を仕入れてくるのか分からないが、国境を超えて四六時中俺を()ぎまわっているようだった。

 魔闘士には仕事に対してノルマを課せられているはずだが、クシリトはそのほとんどを無視しているんじゃないかとも思うくらいだ。


「──君が、妻を語るなよ。子供達を、語るんじゃない」

「ハン! だが事実だろうが。今、あいつらがどうやって日々を過ごしているか知っているか? 援助はしているのか? ……最低限の義務も果たせないような奴が、それこそ子供を語るんじゃねぇよ」


 そもそもの元凶である俺が何を言っているんだという感じだが、まあ、言いたいことを言わないほうが精神衛生上よくないと思う。

 クシリトは怒るだろうけど。


「カンナ・ノイドォォオ!」


 ほら、怒った。


 クシリトは風魔法を使い、膨大な量の魔晶を大気中から集めていく。

 奴の体を中心にして、竜巻のようにありとあらゆるものが吸い上げられる。

 物凄い吸引力に、俺の体も引っ張られそうになった。


 っていうか、これってマズイ攻撃なんじゃないか?

 奴は大気中の魔晶をかき集めているわけだが、そうすると俺が魔法に用いることの出来る魔晶の絶対量が減ってしまう。

 もしも魔晶がゼロになったら魔法の行使が不可能になり、肉弾戦にもつれ込んで──これだけの体格差だ、ひとたまりも無いだろう。


()ッ──」


 俺はバックステップをしつつ魔法翼を展開すると、クシリトの起こした竜巻から距離を取る。

 良かった、ギリギリ魔法を放てるだけの魔晶濃度を保っていた。

 だが、急いでこの場を離れないと。

 魔晶吸引だけが問題じゃない、あそこには、アディが眠っているんだ。

 彼女を戦闘に巻き込むわけにはいかない。


 俺は寺院跡から出来るだけ距離を取るべく上空へ逃れた。

 それを追ってクシリトも風魔法を纏い、高度を上げる。

 国境越え以来の空中線の幕開けだ。


 だが、あの時とは違って、今はクロウがいない。

 クシリトにとって脅威となりうる一撃必殺の攻撃方法の持ち主がいないから、プレッシャーを掛けつつ逃亡の隙を計る、なんてことは出来ない。

 不用意にクシリトに攻撃を加えようものなら、それをきっかけに手痛い反撃を食らう可能性すらある。

 生半可な戦術は通用しないと考えたほうが良いだろう。


「──だったら!」


 俺はあえてスラムの直上を通過するようなコースを選ぶ。

 バラック街スレスレの高度を、魔法翼の羽ばたきで飛び回るのだ。


「く、カンナ、卑怯だぞ」

「あはははは! ホラ、どうした! 魔法を撃ってみろよ、遠距離攻撃の手段なんていくらでもあるだろう?」


 しかしクシリトは手を出してこない。

 俺に続く軌道を追い回すだけで、魔法攻撃を仕掛けない。


 それもそのはずで、今この場で魔法を使えば間違いなくスラムの人間達を巻き込むことになる。

 魔闘士であるクシリトにとって、一般人への被害は極力抑えなければならないのだ。

 映画なんかでヒーローがやけに苦戦する原因の一つが、被害範囲を考慮する必要性があるからだ。

 どれだけ殺しても平気なヴィランにとって、他者を盾にするのは最も効率の良い戦闘手法なのさ。


 ……って、誰がヴィランじゃ。


「おいおいクシリトさん。そんなに低空飛行して良いのか? 街が壊れるぜ」

「くッ」


 魔法翼を扱う俺と違って、風を纏うクシリトの飛び方では、周りへの風圧の影響が大きくなる。

 廃材を集めたようなスラムの街では、それが甚大な被害に結びつきかねない。

 魔闘士の立場からすれば、風力は極力抑えるに越したことはないはずだ。


「なら僕はこうするだけさ」

「うおっ」


 突然クシリトの動きが変化した。

 風を纏う飛行法ではなく、空中に魔法力場の足場を作り出し、空を走り回る手法。

 これならば確かに街への影響がほとんど出ない。考えたな。


「“炎熱の攻城槍”!」


 クシリトが炎魔法を展開、巨大な炎の槍を作り出して俺に向かって刺突(しとつ)を繰り出してきた。

 なるほど、リーチの長い手持ち武器を使用すれば近接戦闘の要領で立ち回ることが出来るから、街に危害を加えなくて済むという考えか。


 俺は刺突を右へ左へと回避しながら、ひたすらにクシリトから距離を取る。

 反撃しようにも、(すき)が無い。

 長槍の怖いところは、刺突だけでなく薙ぎ払いの範囲も広いことだ。

 油断すれば横っ腹を撃ち抜かれる────


「らあアぁぁァッ!!」

「ぐうううゥゥゥッ!!」


 予期していた通りのことが起こる。

 クシリトが炎の槍を横方向に振るったのだ。

 骨の軋むような鈍い音と突き抜けるような痛みを伴って、俺の左肋骨のあたりに炎熱と衝撃が叩きつけられる。

 振るわれた攻撃の勢いのまま、俺の体はより上空へと打ち上げられた。


 おっと──クシリトより高度が上がるのはまずい。

 何故ならば、上には破壊して困るものが何もないからだ。

 低高度における“戦闘による周辺被害に対するクシリトのためらい”という優位が、一瞬にして消滅する。

 高度の上がった今ならば、奴は人的被害を何も考慮することなく遠距離魔法のラッシュをかけられるんだ。

 これこそ、奴の待ち望んでいた展開。





 ……に、俺が誘い込んだ結果だ。


「カンナ・ノイドォォォオオオ!!」


 さあ、撃ってこいクシリト。

 お前の全力を俺にぶつけてみろ。

 彼にとっては俺が攻撃を食らって空へと打ち上げられたこの瞬間が千載一遇(せんざいいちぐう)のチャンスのはず。

 奴は好機をみすみす逃すようなヘマはしない。

 ここで全力を出さずして、いつ出すのだ。今だろう!



【クシリト・ノールにはこれといった弱点は無い。でも、狙い目はある】

【狙い目? なんなんだよアディ】

【ん。彼は頭頂眼を義眼にされて以降、致命的なハンデキャップを背負うことになったの。それが──】


 義眼による魔晶操作の限界。


 今のクシリトはかつて見晴台で戦った時とは大きくコンディションが異なる。

 義眼が体に馴染(なじ)んだ結果、本来の頭頂眼と同等の魔法を練ることが出来るようになった上に、連続して義眼を使用しても問題が起きることは少なくなった。


 だが、ここに落とし穴がある。

 普通の人間の頭頂眼は、過度に使用し続けて気力が限界に達すると“頭痛”の形で危険を知らせて来る。

 これ以上魔法を使用しないように呼び掛けてくるのだ。


 ところがクシリトの義眼はその機能が弱い。

 気力の限界に達してもしばらくは頭痛が起きず、そのまま魔法が使えてしまう。

 限界値が判断しづらいのだ。

 その結果、やっとのことで義眼が“危険信号”を発した時には既に手遅れになっている可能性が高いのだとアディは言う。


 しかも、なまじ体と義眼が完全に一体化したことで悪影響の度合いもかつての比ではなく、魔法の行使をし過ぎれば視神経だけでなく脳内の神経すらズタズタになってしまう。

 あくまで計算上は……という話だが、確かに対クシリト戦においてこれを狙わない手は無いように思われる。



 さあ、クシリト。

 全力で魔法を使って、義眼の限界値に達するのだ。

 俺はそれを(さば)き切って、逆にお前を殺してやろう。

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