魔女編22話 魔女の才覚
俺は既に、大浅 奏夜としての人生よりも長い時間をカンナ・ノイドとして過ごしている。
心の奥底に男性的感性を残していて、恋愛志向はバイセクシュアルとはいえ、性自認は完全に女性である。
自他共に認める容姿の良さ、そして二十歳過ぎから老化が遅くなるという《魔法世界》の人類の特性から、見た目で弄られることは全くと言っていいほど無かった。
だからこそ。
俺は一層深いダメージを与えられていた。
“おばさん”と呼ばれることがこんなにも屈辱的だとは。
前世にて、コンビニの前でたむろっていた中坊に“おっさん”呼ばわりされたことがある。
その時は煩いガキだと思いつつも落ち着いて聞き流すことが出来たのだが、性別が変わるだけでこうも心持ちが違うものなのか。
俺は今、内心で怒り狂っていた。
“このクソ魔女、ぶっ殺してやる”と。
いやいや、落ち着け。冷静になろう。
俺がアルカを殺すことは現時点では不可能だろう。
時の流れがそれを許さない。
出来るとすれば、それは彼女が魔女に成った後。
時空間における一大イベント、おそらく何度過去を改変したとしても必ず訪れるであろう“特異点”を経過しなければ、彼女の肉体をどうこうすることは不可能だ。
「……ちッ、覚えてろよアルカ・ノール」
「なにが!?」
アルカは大変に戸惑っている様子だった。
俺をおばさん呼ばわりしたのも無自覚だったのかもしれないな。
「今後、俺のことはおねーさんと呼ぶように」
「は、はぁ」
よし、こうやって釘を刺しておけば大丈夫だろう。
「ところでおばさん」
「おねーさん!」
「面倒くさ……カンナ・ノイドおねーさんは何しに来たわけ。先日の一件は偶然だとしても、今回はそうじゃないでしょう」
「お前と話をしてみたいと思っただけさ。ただの気まぐれみたいなもんだな」
純粋に興味関心があるのだ。
魔女に成るとはどういうことか、魔女になる前の人格はどの程度魔女化に影響するのか。
何より魔女化の後、過去に干渉出来る可能性を探ること。
それが一番大事。
「訳わかんない」
「ははは、だろうな。俺自身、よくわかってない」
俺は白い歯を見せつけるように笑って見せた。
敵意なき笑顔を見せることで、少しはアルカの敵対心も薄れてくれるかもしれない。
「ああ、もう。なんなのアンタは」
アルカは溜息混じりに台詞を吐き捨てながらも、態度をやや軟化させた様子だった。
表情がほんの少しだけ柔らかくなり、肩の力も抜けたように感じられる。
「魔女ってのは気まぐれなんだよ」
俺は思い出した。
そういえば黒の魔女も、何も用件が無いにも関わらず俺を呼び出したことがあったなあ、と。
魔女は気まぐれ……自分で言っておいてなんだが、妙に納得してしまうものがあった。
「なあ、ところでこの部屋って昔お前が使っていた部屋なのか」
見たところ、子供部屋というより書斎といった雰囲気だが。
「父さんの部屋よ」
「やっぱり、そうか」
アルカは机の前にあった椅子に腰を下ろす。
背もたれが折れてしまっているその椅子も、昔にクシリトが使っていたものだろうな。
彼がかつてこの椅子に腰掛け、そしてこの机で一生懸命に飛空艇事故の真相を考えていたのだとすれば、今の状況は酷く可笑しい。
ノール家は崩壊したのに、事件の黒幕たる俺は五体満足でこの場所を訪れているのだからな。
クシリトが見たらどう思うかな。
「お前って父親のことはどう思ってるんだ。兄貴の方はあいつのことをかなり嫌っているみたいだけど」
「別にどうとも思っていないわ、興味がないもの」
「その割には父親の部屋に入り浸っているようだが」
「……それは、アンタへの恨みを忘れない為。この部屋は家族崩壊の象徴なのよ」
俺に対して恨みだのなんだのと言っている娘が、そのうちニタニタと笑いながら全裸で俺の前に現れるようになるのだから不思議だよな。
魔女に成るというのは、同時に人格をバグらせるような事象なのだろうか。
それとも何か予兆みたいなのはあるのか。
「私としては、一刻も早くここからアンタを追い出したいんだけど」
「まあそう言うなよ」
まだ情報が足りない。
魔女化に伴う影響を調べるには、もう少し今の人格を観察しないといけないな。
なんならもっと親密になって、普段の様子から食べ物の好き嫌い、男性経験の有無まで徹底的に調べたい。
──あ、そうだ。
要は仲良くなればいいんじゃん?
セシルに対して恋心という種を蒔いたように、アルカに対しても何かしら出来ることがあるはず。
「……仕方がない、本当のことを言うよ。俺はお前達に償いをしたいんだ。俺とクシリトがぶつかったのは互いの主義主張の違いからだし後悔は無い。だが、クシリトの家族を巻き込むなんてのは本意じゃなかったんだ。申し訳なく思っているよ」
心にも無いことを平然と言う俺に、アルカが反論する。
「そう思うならどうしてもっと早くに詫びに来なかったの。矛盾しているじゃない、そんなの」
「確かにそうかもな……本当にすまなかった」
実際には本当に謝意があったとしても容易に詫びに来られる状況じゃなかったのだが、ここで言い訳を並べてもアルカの神経を逆撫でするだけ。
多くは語らずに謝るのがベターだろう。
「だけど、軍や魔闘士に追われながらもやっとここまで来れたんだ。頼む、俺に出来ることなら言ってくれ」
しれっと言い訳の部分を織り交ぜながら一気に言い切った。
俺はアルカの目を真剣な眼差しで見つめる。
悪意だとか敵意だとか、負の感情を少しでも感じ取られてはダメだ。
俺は誠心誠意で向き合っているのだと、アルカに誤認させなければ。
「じゃあ……」
アルカは唇を薄く開いた。
息を少しずつ荒くしながら、小刻みに震える。
そんな彼女の唇から紡がれたのは、紛れもなく自身の心よりの願いだった。
「お母さんを、返してよ……! あの優しかったお母さんを、ここに連れてきてよ!」
うん、想定はしていたよ。
“なんでも言え”なんてことを言ったら、無理難題を突きつけてくるに決まっているって。
──だが、この一言を待っていた。
むしろありきたりな願いの方が、俺にとっては不利益だったんだ。
「わかった、お母さんを取り戻そう」
「……はい?」
絶対無理だと思い込んでいることが、実はそうではないと言い切ってやる。
希望を与えてやることが、俺への憎しみを親しみへと転換させるトリガーになるのだ。
アルカは今、“何を言っているの”と疑心暗鬼の目で俺を見ている。
良いさ、もっと疑うと良い。
俺はそれにもっともらしい解釈を与えて信用を獲得してやろう。
「一つだけあるんだ。お前の母親、メイサを生き返らせる……いや、死ななくても済むようにする方法が」
「ど、どういうことよ」
食いついてきた。
だが、もう少し引き付けないと。
「アーケオ教の教えを知っているか」
「当たり前じゃない。世界レベルの宗教だよ」
「三竦みの世界については?」
「……なにそれ」
アーケオの教えも、三竦みの世界についても、全て黒の魔女によりもたらされた情報だ。
だが当然ながら、現時点でのアルカ・ノールは何も知らない。
知らないからこそ利用できる。
「俺はこの世界の成り立ちの一部を知っている。その仕組みを使えば時を巻き戻すことも可能なんだ」
かもしれない、とは言わない。
本当は俺自身、時の流れの修正がどこまで可能かなんて予測も出来ていない。
だが、可能だと言い切る。
言い切ることで、彼女を騙すのさ。
「と、時を巻き戻す!? そんなこと出来るわけがないじゃない!」
「いいや、出来るさ。詳しい説明が必要か?」
アルカは頷いた。
流石に概要だけで信じる馬鹿ではないということだな。
俺はアルカに語った。
この世は三つの異なる世界が重なり合ってできていること。
それらを俯瞰できる11次元目の世界があること。
そこでは時の流れが大河のような形で観測でき、それを利用して過去に飛んだ人物が存在すること。
そして、11次元に至るには魔女の才覚を持つ人物が不可欠であること。
「クシリトが追っていた飛空艇事故、あれは当時の帝国派貴族の奥方の……なんて名前だったか忘れたけど、そいつが引き起こした物なんだ。彼女は異世界からの転移者で、次元と時間を超えるためにあの飛空艇の中で殺戮劇を引き起こした。俺はそいつに巻き込まれたんだ」
「アンタが首謀者じゃなかったの!?」
俺は頷いたが、すんません、俺が首謀者です。
俺は心の中で舌を出しながらも説明を続けた。
「なんで俺が巻き込まれたかというと、実は俺も異世界からの来訪者だからだ。転移じゃなくて、転生だけどな。アーケオの教えにあるだろう、死者の魂は別次元に運ばれるってさ」
「待って、待ってよ。ちょっと、情報が多すぎて何が何だか……ええっ、アンタが異世界人……時を、次元を超える……?」
……二割くらい嘘は混ぜたが、八割は本当なんだよなぁ。
だが真偽関係なく、何も知らない人間に話す内容としては情報過多だったかもしれない。
少しフォローを入れておこうか。
「まあ、いきなりこんな話をされても受け入れられないのは分かる。今はとにかく時の流れを修正する方法は異次元にあるってことだけ知っておいてくれ」
アルカは親指の爪を噛むようにしながら険しい顔をしている。
目を伏せがちに、視線を左下付近でうろうろさせていた。
きっと情報を咀嚼し、反芻しているのだ。
そもそも、俺の言葉を信じるかどうかも決めかねているのかもな。
今が潮時だ。
ここで、一気に畳みかけよう。
「しかし、異次元にアクセスするにはさっき言った通り、魔女の資質が必要だ」
「アンタが魔女なんでしょ? 銀の魔女の本を出してるくらいだし」
「……あの本のタイトルを付けたのは、俺の妻なんだがな」
「──つまぁ!? え、カンナ・ノイドは男の人……? おばさんじゃなくておじさん」
「お ね ー さ ん !」
いけない、余計な情報を与えてしまった。
彼女はついに頭を抱え、完全に下を向いてしまう。
俺は咳払いをして無理矢理話を繋げた。
「とにかく。俺は巷では魔女なんて言われているけど、真の魔女じゃない。本当に魔女の資質を持っているのは──」
俺は目の前にいる黒髪の女を指さした。
そいつは美しい黒の眼を大きく見開いて、ようやく真正面に顔を向けた。
「お前だ。──黒の魔女アルカ・ノール」




