魔女編21話 おばさん
「ふう。まあこんなもんだろう」
「うう……」
俺は喧嘩屋セシル・ノールを地面の上に捩じ伏せて、倒れ込んだ彼の背中に腰を下ろした。
セシルは天性の頑強さに頼り切りで、防御という概念がおざなりであった。
結局、魔法腕ですらない、魔法力場を纏わせただけの掌底で一発KO。
俺の圧勝である。
なお、筋肉質なセシルの体は座り心地としてはイマイチ。
柔らかなエックスの体の方がお尻が痛くならなくて良いな、なんて、昔の記憶を引っ張り出しながら思った。
「テメェ……ちくしょう。何が目的なんだ、カンナ・ノイド」
「んー? ただ顔でも見といてやろうと思っただけだ」
「はァ?」
本当はこれから殺す相手の戦闘力が知りたかっただけなんだよな、なんて口が裂けても言えないけど。
父親であるクシリトより先に対処すべきなのか、後回しでいいのか。
あるいは他に利用価値があるのかどうか。
知りたいのはそれだった。
「お前さ、なんで喧嘩ばっかしてんのさ」
「べ、別にテメェには関係ねェだろうが! つーか退けよ、重いんだよクソが!」
「綺麗なお姉さんのお尻の感触でも背中に感じとけよ」
昔より筋肉ついちゃったからな。
硬いだろうけどな。
「セシル・ノール。上級魔闘士クシリトの長男。幼少期は明朗かつ活発な性格で、地元のスポーツチームでも活躍、だっけか」
「黙れよ。お前の声も、クソ親父の名前も聞きたくねェ!」
「クソ親父……ねえ」
俺はともかく、父親をそこまで毛嫌いする理由はなんだ?
俺が罠にかけたおかげで一時期冤罪で捕まりはしていたが、奴は基本的に真面目で義理堅い男だ。
家族にまで嫌われる謂れはないだろうに。
「お前のせいで母さんは死んだ。それに、クソ親父がお前を調べ始めたせいだ! そもそも母さんは止めていたんだ、危ないことに首は突っ込むなって。それなのにあのクソは余計な手出しをして、家族まで巻き込んだ! 許せねェんだよ、あいつも、お前も!」
「ふぅん、なるほどね」
妻の助言を聞かなかった。
それがクシリトの罪であり、親子の確執の原因というわけだな。
セシルやアルカの姉、エリスが働く娼館のオーナーがそうであったように、この国では《銀の鴉》のマフィア潰しに恩義を感じているものや、俺を信奉している者も多い。
それ故に、“《銀の鴉》を潰した者”としてクシリトを嫌う者もまた多いと聞く。
つまり逮捕されたのが冤罪だと判明した後でも、ノール家への迫害は続いていたというのは想像に難くない。
正しいことをしたはずのクシリトはむしろ、邪道を進む俺達よりも多くの不利益を被る結果となったわけだ。
ノール家はその一番の被害者。
だからセシルは俺だけでなく父親も母の仇と考えているのだろう。
「世の中は正攻法だけが正解じゃないってことだ。お前の父親がその典型だったな」
「テメェ、偉そうに……!」
俺は“魔法翼”を展開して自分の体を五センチほど宙に浮かせ、そこから自由落下してセシルの背中にヒップドロップ気味に座り直した。
「う」と短く呻き声を上げるセシル。
現状、どちらの方が立場が上なのかこれで理解しただろう。
俺は足を組み替えながら、セシルの尻を平手で叩いた。
引き締まった大殿筋が良い感じに掌を弾き、気味の良い音を立てた。
彼は再び「う」と短く声を上げる。
ああ……これはいけない。何かに目覚めてしまいそうだ。
たまには女王様気分も悪くはない。
「お前、もったいないよ。こんなに恵まれた体格をしているのに」
「何が」
「そこら辺に転がってる不良どもみたいな雑魚相手に八つ当たりしてばかりで、真っ当に鍛えることもしないでさ。俺に恨みがあるならちゃんと力を付けてから復讐しに来るくらいの意気込みを見せろよ」
「あァ?」
はあ、何を言っているんだ俺は。
これから殺す相手に助言みたいな真似をして。馬鹿馬鹿しい。
俺はセシルの体をバネに、反動をつけて立ち上がった。
またしてもセシルがくぐもった声を上げるが気にしない気にしない。
手の甲でさっさと払うように着衣の皺を伸ばすと、魔法腕でセシルの体を持ち上げて強制的に起立させた。
うむ、改めて見てみると、セシルも相当なイケメンだな。
背丈もそこそこあるし、あの父にしてこの子ありって感じ。
「な、なんだよ俺の顔をジロジロ見やがってクソがよォ」
「なあ、お前って童貞?」
「……は、はあああ!?」
お、セシルの耳が瞬間湯沸かし器みたいに真っ赤になり、ピクピクと動き始めた。
顔色は変化していないから、どうやら耳だけ反応してしまうタイプらしい。
そしてこの初心な反応は童貞で確定と見て良いだろう。
俺は──セシルの顔にそっと顔を近づけると、強引に彼の唇を奪った。
「ん、んんんんッ!?」
セシルは慌てて俺を引きはがそうとするが、俺が魔法腕で無理やりに押さえつけると、その後は抵抗出来なくなる。
俺は舌で彼の口内をまさぐりながら、空いている両手で彼の背中や腰を愛撫した。
やがて、彼の股座が膨らんでいるのを確認すると、俺は彼からそっと離れた。
「な、なな、何しやがんだテメェ!」
「ふっふっふ。興奮していたくせに何故怒るのかねセシル君」
「チッ──ふざけんなよクソが!」
今度こそ顔中を真っ赤に染めながら毒づくセシル。
それを見て、俺はほくそ笑んだ。
仕込みは完了。
これで彼の中に、俺を女として意識してしまう心境が生じたはず。
女慣れしていないようなピュアボーイには、こういう刺激が一番効くのさ。
つくづく自分の容姿に感謝だな。
セシルの心の中にあった俺への憎しみ。
そいつのベクトルを少しずらしてやることで、俺の利用しやすい心理状態を作り上げる。
特に作戦も何もないけども、いずれこの布石が生きてくることもあるだろう。
「じゃあな、童貞君。あまり喧嘩ばっかしてんじゃねーぞ」
俺はセシルの頭頂眼に「えい☆」と軽めのデコピンを食らわせた。
痛みに仰け反るセシルの脚を引っ掛けて仰向けに転ばせると、俺は魔法翼で空中に飛び上がった。
悔しそうに睨みつける彼を眼下に見る。
その表情は最初に会った時とはうって変わり、どこか迷いや戸惑いを内包しているようだった。
「近いうちにまた会いに来てやるから家の近くにいろよー。お姉さんによろしくー」
俺は満足して、次なる目的地へと進路を取る。
次に会うべきは、やはり彼女か。
***
「……! 誰?」
彼女は振り返った。
形のいい眉を歪ませて、目を大きく見開いて。
今日の彼女は白っぽい衣装。
黒のイメージが強いのだけど、これはこれでよく似合っていた。
「おー流石はアディ、情報が正確だな。本当にいたよ」
俺は独り言を呟きつつ、彼女の元へ歩み寄っていった。
彼女は手にしていたノートをデスクの引き出しに後ろ手でしまうと、俺の顔を睨みつけてくる。
やはり、俺のよく知る顔だ。
だのに、俺の知らない表情だ。
「何故アンタがここにいるの、カンナ・ノイド」
「お前に会いに来たんだよ。アルカ・ノール」
俺は近くにあった落書きだらけの書棚の上に腰掛けた。
と、いうのも棚が倒れていてちょうどいい高さになっており、かつ、あまり壊れてなさそうだったからだ。
俺達が今いる部屋の中はまさに荒れ放題。
棚という棚は倒されているか壊されているかのどちらかで、書籍は散乱し、壁から天井まで罵詈雑言の並べ立てられた酷い落書きで埋め尽くされていた。
窓ガラスも誰かに割れてしまっていたのか、木の板を窓枠にはめて雑に補修してある。
木の板と窓枠との隙間から入ってきた日の光が、暗い部屋の中を僅かに照らしていた。
「ここはお前達の昔の住処だよな。どうしてこんなところに」
「アンタに答える義理はない」
あ、そ。
まあ良いや。
どうせ家族との思い出に浸りたいとかそんな理由だろうし。
「アンタこそ何しに来たの。どうしてこの場所を知ってるのよ」
おいおい質問が二つあるぞ。
「お前と話してみたかったからだ。それと、優秀な情報屋さんに居場所を聞いた」
「な……」
アルカは呆れて物も言えないといった具合で閉口した。
戸惑いもあったかもしれない。それとも、怒りか。
なにせ親の仇が古巣に現れたのだから、色々と思うことはあるだろう。
──どうかそれをぶつけてみてほしい。
俺は、魔女になる前のアルカという存在に興味関心を抱いているのだ。
だが、彼女は押し黙るだけで何も話そうとはしてくれない。
警戒するあまり、身動きが取れなくなっているのかも。
「そういえば、さっき喧嘩屋のお兄さんに会ってきたよ。言葉は交わしていないけど、昨日はお姉さんの娼館にも行ってみた」
「何が目的?」
「お前の家族のことが知りたかったんだ」
──いつか殺す相手の状況を把握しておくために。
「そう、なんだ。兄貴、アンタに突っかかってきたでしょう」
「ああ。喧嘩してきたよ。‘ワンパン’で俺が勝ったけどな」
「わんぱん……? 何語なのそれ。ちゃんと神聖語で話してよおばさん」
「……」
計画を変更しよう。
黒の魔女を、ぶっ殺す。




