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魔女編19話 共通の敵

 寺院跡に帰ると、隠れ家に繋がる扉の前にアディがいた。

 彼女は使役する(たか)や狼に手紙を(くく)り付けて、ちょうど解き放ったところだった。

 情報屋というより、もはやスパイだな。


「おかえりなさい、カンナ・ノイド」

「ああ。お前、今夜はマイシィのところに行くと思ってたんだが」


 アディとの繋がりは、俺よりもマイシィの方が強固だと思う。

 アディの行動理念の根底にはマイシィからの依頼内容が含まれている気がするし、何より、友人相手ですら敬称をつけるはずのマイシィが“アディーネ”と呼び捨てにしていたことからも彼女たちの親密さが伺える。

 彼女が呼び捨てにしている相手は、俺の知る限り夫である兄ニコルだけだ。

 アディとマイシィがどんな関係なのかは定かでは無いが、少なくとも騎士であったエメダスティよりも深い仲だと思われる。


 だけど今日のアディはありがたいことに、俺のところに戻ってきてくれた。


「ううん。キミのところにいるよ」


 と、嬉しい一言を添えて。


「そ・れ・はー、マイシィより俺を選んでくれたということだよねー? うへへ」

「う゛っ……なんだか卑猥(ひわい)な目で見られている気がするの」

「んー? きのせいだよー」


 卑猥な目?

 見ているに決まっているだろう。

 初めて出会ったあの日から、アディのミステリアスな雰囲気に、仮面に隠された可愛い姿に、そして表情に表さないだけで本当は感情豊かだという事実に、俺の心はすっかり奪われてしまっているのだ。


「アロエ・ノイドに訴え出たら面白いことになりそう」

「ごめんなさい許してくださいもう(よこしま)なことは考えません」


 アロエの名前を出されちゃお(しま)いヨ。

 だって、俺の中での優先順位はアロエが一番であることに変わりが無いのだから。


 しかし、そうか……もしかすると、アロエとは再び愛し合うことは無いかもしれないのか。

 運命の導きによってアルカ・ノールと出会ってしまったからには、既に最終局面は近づいているということなのだから。

 黒の魔女を生み出すために、俺は奴の家族を皆殺しにしなければならない。

 魔女の正体が分かった今、それを実行する機会はすぐそこまで迫っている。


 もしも魔女を介して過去の自分に干渉できたとして、歴史が変わってしまったその時間軸ではアロエと恋仲になることは無いかもしれない。

 一緒に過ごしたあの時間も、無かったことになる。

 ……おそらく改変後の世界でも“魔女の家族を皆殺しにする”という事実だけは変えられないだろうが、それまでの過程や経験も全て消えて、別の物に置き換わってしまうのは間違いない。


 最後に、アロエに会いたかったな。

 くそっ、リリカやマイシィが無理矢理にでも旅行に連れて来てくれていれば。


 いいや、考えていても仕方がない。

 俺は今出来ることを精一杯やるだけさ。


「でも、帰ってきてくれてよかったよ、アディ。ちょうどお前に聞きたいことがあったんだ」

「ん? 何かな」

「……中で話そう」


 俺は寺院奥の鋼鉄の扉を開錠して、アディと共に隠れ家へ入っていった。


──


 アディから購入したクシリト周りの情報により、アルカ・ノールがどうしてあの場所にいたのか、そしてどうして俺に怒りの感情を向けているのかが分かった気がする。


「まさかクシリトが投獄された後、そんなことになっていたなんてな」

「全部、カンナの責任」

「わかってるよ」


 クシリトの妻、つまりアルカの母親は既にこの世にいなかった。


 《銀の鴉(シルヴァクロウ)》の策略によりクシリトが一時的に逮捕された時、マムマリア国内では彼の親族に対して激しい誹謗中傷の嵐が吹き荒れたのだという。

 誰よりも信頼されていた上級魔闘士が実は大量殺人者だったというスキャンダルに、国民が過剰に反応してしまったのだ。

 ノール一家は酷い迫害を受け、王都レオの自宅を離れて宿場を転々としながら暮らしたようだ。


 その後《銀の鴉(シルヴァクロウ)》の存在が明るみになり、クシリトの冤罪が晴れた時にはもう、一家は荒んでしまっていた。

 長男は非行に走り、長女は体を売り、次女であるアルカも暴力沙汰(ざた)を起こした。

 その結果、一家はスラムの半グレ集団に目を付けられ、母親は彼らに強姦された挙句に惨殺されたのだ。


「クシリトはその時何をしていたんだ?」

「彼は脱獄してキミ達との戦いを終わらせるまでは外部に連絡が出来なかったし、戦いの後は傷を癒すため、魔法国で入院していたの。意識を失うほどの重体だったから、目が覚めた時には全てが手遅れになっていたみたい」

「そうか。それは悪いことをしたな」


 悪いことはしたと思うが後悔は無い。

 俺とクシリトでは守るべきものが違っただけなのだから。

 お互いが最善を尽くそうとした結果がアレだ。悔いても仕方がないだろう。


「で、アルカは事件の根っこである俺はもちろん、母親殺しの実行犯……俺が昼間に遭遇したあいつらのことも恨んでいたって感じか」

「たぶんね。心の中まではボクも知りようがないの」


 アルカの動きを推測しよう。

 彼女は母親の復讐を果たす為に適当な女に声をかけ、半グレ集団に(さら)わせて拠点を突き止めた。

 そこまでは順調だったものの、見張りか何かに見つかってしまい、抵抗(むな)しく捕まってしまったのだろう。

 一人だけ拘束がキツかった理由もきっとそれだ。


 無関係の他人を利用するなんてやり方には好感が持てるが、いかんせん力が伴っていなかったな。

 諜報(ちょうほう)隠密(おんみつ)の心得の無い素人が使っていい手段じゃ無い。

 ましてや自らが動くなんて。

 俺ですら、他者を介さずに事を成せるようになったのは帝国派を見据えた壮絶な修行の後からなんだぜ。


「才能の片鱗はありそうなんだけどな……」

「何が?」

「いいや、なんでもないよ」


 いずれ黒の魔女として次元を飛び越える存在だからな。

 まさに磨けば光る原石で間違いない。


 だが、問題はその原石をどのように磨くかだ。

 “家族を皆殺し”……それは俺がまだ大浅(おおあさ)奏夜(そうや)であった時に魔女によって告げられた大ヒント。

 皆殺しリストの中には父親であるクシリトも当然含まれるわけで。

 ……俺は明らかに書く上である彼をなんとかして打倒しなければならない。


 俺は今まで、黒の魔女を生み出すまでは“勝ち確”状態が維持できると考えていた。

 そうでないと時系列に矛盾が生じるからだ。

 だが相手がクシリトであると分かった以上、覚悟しなければならないのは“相打ち”だ。

 “家族は確かに皆殺しにしました。だけど自分も死にました”──ではお粗末すぎる。


「アディ、クシリトについてもう少し詳しく知りたい」


 アルカのことを聞いた流れで家族構成や住所は判明しているが、もっとこう、核心に近づける何かが欲しい。


「例えばどんなことが知りたいの」

「奴の弱点」

「それを聞いてどうするの」


 俺は間髪入れずに答えた。


「殺すんだよ。今度こそ、自分の手で」


 するとアディは目を少しだけ見開いて、その瞳孔は対照的に小さく絞られた。

 アディには珍しくはっきり見てとれるほどに真剣な表情になると、俺を無言で数十秒見つめるのだった。

 まるで、こちらが値踏みされているような感じ。

 実際そうなのだろう。


 ──何故なら、アディは。


「お前の殺したい相手……クシリト・ノールは俺が(たお)す」


 ──俺達は、初めから共通の敵の存在で成り立っている関係だったからだ。



 アディーネ・ローラット。

 俺と同じく人造人間(ホムンクルス)でありながら完全なる魂を得た、“完成された人造人間(ホムンクルス)”。

 彼女が人造人間(ホムンクルス)でありながらファミリーネームを持つのには理由がある。


 初め、彼女はとある科学者の娘として生を受けた。

 いや、嘘だ。

 元々彼女の体はその科学者の幼馴染(おさななじみ)の物だった。

 事故死したその少女の体を、科学者は自らの研究の献体として勝手に持ち出してしまった。

 以降、彼は少女を取り戻す為に一生を費やし、何度目かの脳の交換の際に遂に魂の再現にまで漕ぎ着けたのだ。

 それがアディ。

 狂気の研究者アエリウス・ローラットは自らのファミリーネームをアディに与え、名義上は娘として扱った。


 しかし、アディの元となった少女の両親の執念により、科学者はその居場所を突き止められた。

 彼の違法な研究は魔闘士の知るところとなり、科学者はとある上級魔闘士に捕らえられてしまう。

 獄中で、彼は自らの心臓をフォークで突き刺して死亡した。

 収監室の壁面には彼の血液でメッセージが書かれていたそうだ。


 “クシリト・ノールを許さない”、と──。


 きっと科学者は幼馴染の娘が好きだったのだ。

 狂気じみた愛情が彼を違法行為に走らせた。

 その(ゆが)んだ愛情を、アディもまた幸福に受け止めていたに違いない。


 クシリト・ノールは間違いなく正義の体現者だ。

 だが、(いびつ)な世界に棲まう者達にとって、彼のような正義は悪夢に他ならないのだ。


「もしもあいつに弱点があるなら教えてくれ、アディ。俺はあいつを殺して──」


 殺して、魔女を生み出す。

 魔女に頼んで過去の自分の行動を変える。

 そして今を、未来を変えるのだ。


 かつて、帝国派の奥方は時間遡行(そこう)を試みた。

 自分が転移してきた時間、自分の生まれた場所に帰るために、時の大河を一万年も(さかのぼ)ろうとしたんだ。

 だけど、彼女の取ろうとした方法はおそらく不可能。

 生身の状態で11次元の中に入り込むのがどれほどの奇跡か。


 だが、資質ある者が時の大河の上流の水にそっと手を差し入れることによって、その周囲の水の流れをほんの少し()じ曲げることは可能なはずだ。

 大きな歴史そのものは変動しないだろうが、百年単位で見れば、死ぬはずだった人物が気まぐれに生き残る未来があるかもしれない。


 アディは視線をやや上に向けると軽く首を(かし)げ、やがて元の能面みたいな表情に戻ると俺に言った。


「クシリトにこれという弱点はない」


 そしてほんの少し口角を上げて、上目遣(うわめづか)いで続ける。


「けど、狙い目ならあるよ」

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