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魔女編18話 魔女と魔女

「取り調べの時間だよ♡ お・じ・さ・ま」


 痩身(そうしん)長髪の男は今、床面に大の字で転がされている。

 何度か力を込めて体を起こそうとしているようだが、全ては無駄無駄。

 彼の四肢は氷漬けにされ、既に床に張り付いてしまっているのだ。

 凍傷になりかけた指先は真っ赤に腫れて、鬱血(うっけつ)しているところもある。


 男は炎魔法を起こして状況を打破しようと試みるも、すぐに強大な力で魔法力場を拡散されてしまい、術として練り上げることが出来ていない。


 俺が男の横にしゃがんで頬を指で突っつくと、彼は苦々しい表情で言った。


「くッ……殺せ」


 ほほう、殺せとな。

 どうやらこのまま拷問にかけられるよりも潔く死を選んだほうが楽だと思っているらしい。

 だから俺は笑顔で応えてあげよう。


「うん、わかった」

「──は?」


 男は一瞬、何を言われたのか分からない、といった(ふう)な顔をした。

 言われた通りに殺してあげようというのに、何がそんなにおかしいのだろう。


 ……なぁんてね。

 コイツの考えている事なんて大体分かるよ。

 “自分だけ殺さずに残したということは、何か問い(ただ)したいことがあるということであるから、このタイミングで殺される心配はない。何とか(すき)(うかが)って脱出をしよう”……といった具合だろうさ。

 「殺せ」と言ったのも、俺がそれを拒むと思ったからに違いない。

 少しでも同情を引き出すためのパフォーマンスだ。


 これは、この男が“殺人”を目的に生きてきたからこそ起こしてしまった勘違い。

 価値ある命を奪うことに快感を覚えた彼は、自分の命にも同様の価値があるものと無意識に捉えてしまっていた。

 だからこそ俺に対しても、有益な情報も引き出さないうちに価値ある命を無駄に奪うはずがない、と思い込んでしまったのだ。


 ところが俺にとっては殺しなど通過点に過ぎないのだ。目的達成のための手段ですらない。

 俺の目指す到達点に至る過程でどれだけ第三者が死のうと知ったことではないのさ。


 あー……そもそも、事情聴取も何も必要なかったわ。

 取り巻きの男達は性欲を、痩躯(そうく)の男は殺人欲を満たしたいがために犯行に及んだのは判りきっている。

 本当に無駄な時間だったな。


「さよならー」


 俺は男の口と鼻に氷で(ふた)をしてあげた。

 何か最後までもごもごと言っていたが、知らん。

 数分間苦しんだ後に窒息して逝くと良いよ。


「さて、あとは女達をどうするかだな。……ってニコちんはいつまで吐いてるんだ」


 俺が部屋の(すみ)に目を落とすと、そこには壁に体重を預けながら(うつむ)いているニコルの姿があった。

 凄惨(せいさん)な現場を目の当たりにしたためか、ニコルは嘔吐(おうと)を繰り返していた。


「だって、目の前で人が……死……ウッ」


 まったく、この調子では旦那としてリリカを守ることができるか不安になるな。

 妻であるリリカは自分自身で大量の殺しをしても平然としていたぞ。

 今は記憶を失っているかもしれないが、あの娘だって立派な(?)殺人者なのだ。

 前の夫に洗脳されてのことだとしても、素養があるのは今でも変わらないだろう。


「はぁ、まーいいや。ニコ兄はそっちの子らの介抱を頼む」


 俺は兄に女達の面倒を見るように言った。


「……もうやってるよ」


 兄はぶっきらぼうに返事をする。

 俺のしたことにまだ納得できないようである。

 まあ、価値観の相違って奴だから仕方のないことだ。


 さて、今の状況は……と。


 即席ダブルベッドの、俺から見て手前側。

 目隠しなどの拘束をされた黒髪の女がベッドの(ふち)に身を横たえ、静かに息をしている。

 汗をかいているようだが取り乱している様子は見られない。


 一方、俺から見てベッドの奥側では、アッシュ髪の女と未成年の少女が兄に背中をさすられながら治癒魔法をかけられている。


「うぇっ……おえぇぇ……ッ」

「……ああ。怖かったな。だけど、もう大丈夫だ。大丈夫だからな」


 兄は優しく声を掛ける。


 顔に(あざ)を作るほどに暴行を受けていたアッシュ髪の女は、兄に背中をさすられて一通り胃の内容物を吐き出した。

 嘔吐が終わると口元を(ぬぐ)うこともせずにベッドの上を()うようにして移動し、壁にもたれかかるようにして肩で息をしはじめる。

 彼女は既に放心状態。

 (うつ)ろな目で、宙の(ほこり)を数えているかのように目を泳がせている。

 今日、彼女はトラウマ級の心的外傷を負ったに違いないが、今は大人しくできているだけマシに見えた。


 未成年の少女の方はもっと深刻である。


「ハッ、ハッ、ハッ────」


 彼女はあまりの恐怖感から、苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。

 心が完全に破壊されてしまっているかのようだ。

 涙だとか、鼻水だとか、唾液だとか、汗だとか尿だとか。

 ありとあらゆる体液を垂れ流し、目を見開いて細かく痙攣(けいれん)を続けている。

 やがて彼女は手足の末端(まったん)が痺れてきたらしく、姿勢が維持できなくなって床に倒れた。


「お、おい!」


 兄は彼女を落ち着かせようと必死で(なだ)めている。

 兄は優しいから、たとえ相手が知人でもなんでもない少女だとしても、心配で(たま)らないのだ。


 だが兄よ。

 まずはその凶悪な目付きを隠したほうが良いと思う。余計に怖がっちゃうからさ。

 それに、懸命に治癒魔法をかけ続けるのは逆効果だと思う。

 いっそ意識を飛ばしてあげた方が彼女も楽だろうに。


 ……まあいい、あんな娘に興味はない。

 俺は残る一人、黒髪の女の方へ移動した。


 彼女は目隠しをした状態でもわかるくらいに美人であった。

 この面子の中では飛び抜けて……いや、俺の次くらいには美しい。

 彼女の背格好から判断するに、成人を迎えたばかりと言った感じで、割と若そうに見える。

 今は乱れてしまっている長い黒髪は、きめ細やかで()で心地が良さそうだ。

 拘束に伴う傷が酷い割に、その他の暴行の跡が目立たないのは、もしかすると男達が“最後のお楽しみ”に取っておいたからかもしれないな。


「おい、平気か」


 俺の問いかけに、女はこくりと(うなず)く。


 黒髪女の視覚は布で(さえぎ)られているが、耳が空いているのでなんとなく状況は掴めているはず。

 ──しかし、彼女はそれにしても妙に落ち着き払っていた。

 少し不気味なくらいだ。


 俺が猿轡(さるぐつわ)の布を少しずらしてやると、女は新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込む動作をした。

 鼻を押さえられてたわけでなくとも息苦しかったらしい。


「あいつらを殺してくれたの?」


 不意に、女が問いかけてくる。


 俺は……その声に強烈な既視感を感じ、思わず耳を押さえた。

 記憶の奥底が掘り返されるイメージ。

 不思議な感覚だ。心がざわざわする。


「ああ。その方が今後に遺恨(いこん)を残さないからな。どのみち生かしておくメリットなんてなさそうだったし」

「そうなんだ。ありがとう、殺してくれて」


 俺は女の声に再び胸の奥をざわつかせるも、なんとか平静を装って彼女の腕の拘束を解いた。

 縄がスルリとベッドの上に落ちて、左右の手首が距離を空けはじめる。

 この調子ならば、あとは自力でどうにかするだろう。


 思った通り、彼女は両手が自由になったと分かると、口を塞いでいた手ぬぐいを外して目隠しの布を取り払った。

 彼女はその美貌(びぼう)(あら)わにして、閉じていた(まぶた)をそっと持ち上げ、黒曜石のような眼を俺に向ける。





 ────俺はその瞬間、心臓がぎゅっと握られたような錯覚に陥った。

 呼吸すらできなかった。


 作り物のように整い過ぎた彼女の顔は、美麗なグラフィックをウリにしたゲームのCGキャラクターのよう。

 長いまつ毛に薄い唇、産毛(うぶげ)も無さそうなくらいにキメの細かい白い肌。

 漆黒の輝きを持つ両の(まなこ)と頭頂眼。


 すべてを理解した。

 俺は、彼女に会うためにこの場所に導かれたのだと。


「お前は……!」


 (かす)れるような俺の声に、怪訝(けげん)そうな表情を見せる黒髪の女。

 彼女の綺麗な黒い瞳の焦点が徐々に合い、やがて俺の姿を捉えると、その瞳孔がキュッと小さくなる。


「アンタは……!」


 先程の落ち着きはどこへやら、俺を俺と認識した瞬間から彼女を(まと)う空気感が一変した。

 彼女は徐々に顔を引きつらせ、怒りだとか恐怖だとかを織り交ぜたような感情をその表情に(にじ)ませる。

 長い耳がぴくぴくと動いて、その激情が隠しきれなくなっている。


「なんで、助けてくれたのがアンタなの!? なんでこんな奴に!」

「お、落ち着けって」


 明らかに狼狽(うろた)える黒髪の女に、俺も動揺を隠せない。

 この女は──本当に、あいつと同一人物なのか?

 あまりにも様子が違うものだから、俺は自分の記憶を疑ったくらいだ。


「お前……名前は?」


 俺が尋ねると、彼女は、ずっと昔から知っているその顔で俺を(にら)んだ。

 いつもニヤついたような笑みを浮かべていたその顔を、激しく(ゆが)ませる。


 彼女のことは、ずっと昔から知っていた。

 産まれる前から知っていた。

 ただ、名前だけは分からなかった──何故ならば、彼女自身が知らなかったからだ。

 彼女は自分の名前を知らなかったから、教えられなかったんだ。


 記憶を失う前の、本当の名を。





 ────黒の魔女と成る前の、真の名を。





「私はアルカ・ノール。アンタの宿敵である、上級魔闘士クシリト・ノールの娘だよ」


 ああ、合点(がてん)がいった。

 彼女が底知れぬ怒りの感情を滲ませていたのは、俺が父親の宿敵だからなんだ。

 俺と父親との間に断ち切れぬ因縁があると知っているから怒っていたんだ。


「なあ……君は魔女なのか」


 アルカは目を細めながら言った。


「魔女はアンタでしょう、カンナ・ノイド」


 やがて真の魔女となるはずの彼女は、俺のことを魔女だと呼んだ。

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