魔女編16話 鬼ごっこ
俺は人混みの中を縫うようにして兄達から逃げた。
今すぐにでも通行人共をぶっ飛ばして道を開けたいが、こんなところで目立っても仕方が無いので我慢我慢。
とはいえ追い付かれては元も子もないので、俺は隙を突いて人気の少なそうな路地に飛び込んだ。
「あ、こら!」
兄の叫ぶ声を無視してひた走る。
人目を気にしなくて良い環境ならば俺の独擅場だ。
過電流を利用した俺の脚力を舐めるなよ。
昔ロキから盗んだ電流による身体操作法は、FPS形式のゲームに似ている。
視点は一人称だけど、コントローラーでキャラクターを動かす感覚だ。
違うのは、電流を流すたびに疼痛を生じさせる点。
最近になってアドレナリンで痛みを誤魔化す方法を身につけたから、今は全然気にならないがな。
ところが、予想だにしない事態が起きる。
俺の豪脚にピッタリ付いてくる人物がいたのだ。
それは兄と一緒にいたもう一人の男。
金髪色黒の馬鹿っぽい顔付き……日本のヤンキーの標準タイプみたいな男だ。
「待てやコラァ! この俺に鬼ごっこで勝てると思うなよ、カンナ!」
俺の名前を知っている……?
「誰だよお前! なんだその動き!?」
そいつは多分、脚力では俺には敵わない。
ところがその身のこなしは洗練されていて、壁を三角蹴りで駆け登ったり、高所から飛び降りる際には回転受け身で衝撃を殺したり、あらゆるテクを駆使して本来の道をショートカットし、追いかけてくる。
これはあれか? フリーランニングとか、パルクールと言われるやつではないか?
前世の動画アプリで流れて来ていたパルクール動画なんてのはいわゆる魅せ技かネタが中心の物ばかりだったが、元来あれは某国の軍隊のトレーニング法を起源とするもの。
《科学世界》ではスポーツやエンタメに派生して発展したが、今目の前の男が体現して見せているのはより効率的な身体の使い方を極めた、かなり実用的なものだ。
「タウりんとダスティとっ捕まえるのに磨き上げた鬼ごっこテクはどうよ!」
鬼ごっこでここまで技術が磨けるかよ!
「……つーか“誰”って酷くね!? 俺ら幼馴染じゃんか!」
お前みたいに金髪のヤンキーみたいな馬鹿面の幼馴染はいねーよ?
──待て。
何かが記憶の片隅に引っ掛かる。
“タウりん”“ダスティ”──妙に耳馴染みのある愛称だ。
ダスティはエメダスティのことで間違い無いだろう。
つまり、彼はエメダスティの幼少期からの男友達であり、愛称で呼び合うような仲……。
あ。
「お前、ニコちんか!? マイア地区にいた馬鹿コンビの片割れ!」
俺が逃げながら叫ぶと、奴も追いながら叫んだ。
「ひでー言い方だけど、そうだよ俺はニコル・セッシュだ! 思い出したか!」
いたいた、うちの兄と同じ名前のお馬鹿な同級生。
兄と同名というのが妙に許せなくて、一生名前で呼んでやるものかと心に誓っていた存在である。
その彼がマムマリア王国にいるのはどういうわけだ。
リリカは言っていた。“お互いの旦那とのダブルデートだ”と。
それに、彼の苗字はセッシュ。
……リリカ・セッシュ……まさか。
「まさかリリカの再婚相手ってお前!?」
「悪いかよ!」
事前にアディから仕入れた情報でリリカの結婚相手の名前を聞いていたはずなのだが、いかんせんニコちんという存在を記憶から消していたせいで、その相手が彼だとは気付かなかった。
しかし、ダブルデートと言うかダブル夫婦旅行か。
組み合わせが想定外すぎるぜ。
「さあ大人しく捕まれカンナ!」
金髪馬鹿の叫びで思考が引き戻された。
今はうだうだ考えている場合じゃない。
この状況を解決するのが第一だ。
「それで……お前……ちゃんと、ダスティに詫びろよ!」
「──ッ!」
エメダスティに、詫びる。
そうだった。あいつはもうこの世にはいないのだ。
彼の名を聞くだけで、俺は自身の心に開いてしまった穴を再認識する。
ロキを失った時とはまた違う、言葉に言い表せないような喪失感だ。
建物に挟まれて薄暗い路地裏の中、俺は足を止めた。
捕まる気はさらさらないが、俺はニコルに聞かなければならないことがあった。
エメダスティの死について、だ。
「バッ──急に止まんじゃ──」
俺が急に逃げるのをやめたからか、ニコルが勢い余って俺の方へ突っ込んできた。
これでは大人の男性が女性に全力でタックルをしたのと変わらない。
背中に鈍い衝撃を感じたと思った次の刹那には、俺の体は宙に投げ出され、訳も分からぬうちに路地裏に立てかけてあった資材の山に身を打ち付けていた。
擦り傷だらけになった俺の頭の上に、駄目押しのように角材が倒れかかって来る。
地味に痛い。
「す、すまんカンナ。大丈夫か」
「大丈夫だ、問題ない」
ニコルはオロオロしながら俺に駆け寄って来て、俺の上の資材を払い除けながら謝罪して来た。
俺は角材の間から這い出して、服についた木片をはたき落としつつ治癒魔法をかけた。
苦手な系統の魔法だが、この程度の傷なら痕も残らないだろう。
傷が塞がりかけて来たところで、俺はニコルに向き直る。
よくよく彼の顔を見れば昔より随分と大人びている気がした。
昔から変わらずの知能の低そうな見た目なのだけど、伴侶を守り抜くという覚悟の出来ている奴の面構えをしている。
その妻に置いて行かれて野郎二人で観光する羽目になっていたのは滑稽だが。
「なあニコちん。エメダスティのこと、聞かせて欲しい」
「なんで」
「あいつのことを知りたいからさ」
彼のことは、何故だかアディは話したがらなかった。
死んだという事実は教えてくれたけど、それ以上に踏み込もうとしても首を横に振るのだ。
肉体改造の果てに自壊した、というのが俺の知っている唯一の情報だ。
「……お前、ダスティの葬儀くらい顔を見せると思ってたんだけど、結局来なかったよな」
「仕方ないだろう、あいつの死を知ったのは割と最近なんだから」
「そうなのか? お前、しるべなんちゃらっていう組織のボスなんだから、てっきり知っているものだと」
「組織はもう無い。俺は五年以上ずっとエイヴィス共和国の北の果てにいたんだ」
ニコルは深妙な面持ちになり、「そうか」と一言呟いた。
その後、二十秒くらいお互いに押し黙ると、見つめ合う互いの視線を交錯させる──って、別にこいつと見つめ合いたくないし、睨めっこしているみたいで笑い出しそうになるから早く何か話してほしい。
そうしてニコルは意を決して話し始める。
慎重に、言葉を選ぶように。
「ダスティは、お前と戦ってから変になっちまったんだ」
「というと?」
「あいつは──」
エメダスティは八年前のあの日から、俺を捕まえると意気込んで、無理なトレーニングを重ねるようになったらしい。
マイシィの騎士という職務を放棄したかのように、時には何ヶ月も山に篭って修行を重ねたそうだ。
「俺ぁら見ても明らかに常軌を逸した鍛え方だったよ。だけど、あいつは気付いてしまったんだ。どこまで鍛えても、カンナには絶対に勝てないって」
鍛錬を積む中で、エメダスティは一般人レベルでは計り知れないほどの強さを得た。
だが、ある時から成長に翳りを感じ始め、やがて自分の能力はそこで頭打ちだと分かったのだ。
そして彼は禁断の手法に手を染めたらしい。
「それが……人体の改造、か」
ニコルは頷いた。
多分、エメダスティは俺と同じ状態になりたかったのだ。
魂が人間として完成された、人造人間。
そのために全身の手術を繰り返したエメダスティは、しかし、その負荷に耐えきれなくなり、壊れた。
ガンの治療のためにあらゆる臓器を取り替えた人間なら何人か知っている。
奇形で生まれたために、人工の手脚に付け替えた奴も知っている。
が、それはあくまで“人間”の枠で収まるスペックの臓器を移植しただけで、消化能力の向上だとか、筋力の増強だとかの改造は受けていない。
エメダスティはその枠を飛び越えて、ある種の改造人間を目指したのだろう。
死のリスクを承知の上で。
「火葬される前に見たあいつの体、ボロボロだったよ。どれだけ無茶をしたらこうなるんだってくらいにな」
「どうしてそこまで……」
俺はそう口にしてしまってから、ハッとする。
今のはニコルの前では、このセリフは彼の神経を逆撫でするものだからだ。
思い違わず、ニコルは怒り心頭と言った感じで俺の胸ぐらを掴み、激高した。
「そりゃ、お前のことが好きだったからに決まってるだろうが!! 好きだったからこそ、お前の過ちを正したかった。俺は馬鹿だけどよォ、そんな俺でもこれくらいのことは分かんだよ!!」
好き……だから。本当にそうだろうか。
恋焦がれた相手がどうしようもないクズだった時、人はその恋心を憎しみに変えるのではないか。
思い返せば魔闘大会でエメダスティと戦ったあの日以来、俺と彼との間には取り返しのつかない隔絶が生まれていた。
それは果たしてかつての想い人に対する憎悪か、それとも、なんとしてでも道を正さなければいけないという責務か。
今となっては本人に確認しようも無いことだ。
「ニコちん」
「あァ?」
「お前、良い奴だな」
「……ハァ?」
「すげー友達想いで良いなって思っただけだよ」
俺はニコルの腕を手の甲で払い除けて、掴まれたことで少し伸びてしまった生地を押さえた。
今着ているのは買ったばかりのワンショルダーのトップス。
ただでさえ胸元が見えそうなのに、生地が伸びたら大変なことだ。
まあ新しいのを買えば良いだけの話なのだが。
「だけど女の子の胸ぐらを掴むのは駄目だぜ。さっきちょっと下着見えたんじゃね?」
「女の子っていう歳かよ。だが、まあ、ごめん。見てないけど」
一瞬ヒートアップしかけたニコルの感情が、俺の冗談をきっかけに落ち着いていく。
こんな場所で喧嘩してもしょうがないことは、俺もニコルもお互いに分かっている。
双方にエメダスティの死に関して言い分はあるだろうが、ここは黙っておくのがベストなのだ。
だが、これだけは伝えておこう。
「俺は、もし魔法国に帰ることがあったら真っ先にエメダスティの墓に行くよ。それで、ちゃんと謝る」
「本当だろうな」
「ああ、もちろん。信じてくれ」
まあ、多分真っ先にやるのはアロエに会うことだろうけど。
それはニコルの前で馬鹿正直に言うことじゃない。
「──おお、いたいた! ニコルの声が聞こえなかったら見失ってたぜ」
路地裏に無駄に素敵な声が響いたと思ったら、兄が俺達を見つけ、駆け寄ってきた。
さっき衝突しかけた時に居場所を特定したらしい。
兄も俺と同じように地獄耳な所があるからな。
俺が兄の方へ向き直ると、兄も俺の数歩前で動きを止めた。
「もう、逃げるのはやめたのか」
「……ああ。ここなら一目にもつかないし、良いかなって」
「そうか」
沈黙。
俺がこの世界に転生してから、アロエに次いで最も身近な存在であった兄。
《銀の鴉》の一件があるよりも前から、マイシィと距離を開ける過程で疎遠になっていた兄。
久々に会った彼に、俺はかける言葉が見つからなかった。
それはきっと、兄も同じなのだ。
馬鹿面の方のニコルも空気を読んで、一歩引いたところで黙って見守ってくれている。
つうか、兄も馬鹿面もニコルだからややこしいな。
昔はこの二人のツーショットなんてイメージも沸かなかったというのに、今や二人が並んでいるのは自然なことに思える。
「なあ、ニコ兄──」
意を決して俺が兄に話しかけた、その時だった。
「ちょ……なに、を」
兄は、何も言わずに俺を抱き締めた。
耳元で聞こえるのは嗚咽。彼は泣いているのだ。
俺の腕の上から手を回し、痛いぐらいの強い力で締め付ける兄。
……不思議と悪い気はしなかった。
兄妹だからだろうか、それとも俺が男性の心も持ち合わせているからだろうか、おそらく後者だろうけど異性に抱きつかれているのにあまり気にならない。
むしろ精神年齢的には俺の方が圧倒的に上だろうから、年下の兄を慰める気持ちで、俺も兄の腕の下から軽く手を回してその背中をさすってやった。
「もう。痛いって、馬鹿兄貴」
俺が笑いながら声をかけると、兄は相変わらず涙ながらに答える。
「うっせー、バカンナ。お前、全然顔も見せないし、連絡もよこさねぇしで、家族がどれだけ心配してると思ってるんだ!」
「そりゃあ、犯罪者の娘が帰って来たって困るだけだろ」
「当たり前だ。だがそれでも心配するのが家族だろーが」
兄は俺からそっと体を離す。
だがその手は俺の両肩に残したままだ。
彼は涙に顔を腫らしたそれはそれは酷い顔で俺の顔を見つめた。
懐かしむような、怒っているような、不思議な顔。
いやしかし……父に似て怖い目つきの兄が、充血したことでより凶悪な形相となっているのには少し笑える。
「なんだよカンナ。ニヤニヤして」
「なんか、兄様と顔を突き合わせるのが懐かしいなって」
「だって、何年振りだよ。十年近くになるんじゃないのか」
「……そうだな」
兄と最後に会ったのは、結婚披露宴の時だったはず。
どうりで懐かしいはずだ。
ここが老化スピードの速い《科学世界》であれば、十年の間に顔が老け込んで別人みたいになることがあったかもしれない。
今の兄は多少髭が伸びた程度で、あの頃のままだから、より一層懐かしさが込み上げてくる。
だがいつまでも郷愁に浸っているわけにもいかない。
俺は兄から完全に体を離した。
「俺、行かなきゃ」
「……久々に会えたのに、もう行くのか」
俺は表通りの方へ目配せした。
「保安隊の奴らが俺を探してるんだ。マイシィ達と飯食ってたらさ、誰かが通報したらしい」
「マイシィに会ったのか」
俺が頷くと、兄は「そうか」と一言。
それ以上は何も言わず、ただ泣き笑いみたいな顔つきで俺を見つめるのだった。
「三番街の“エクウスフィリア”ってレストランにリリカと一緒にいるから、後で合流すると良いよ」
「ああ。助かる。昼近くまで寝てたら俺もニコルも置いてかれちまったんだ」
ははは、と脱力気味に笑う兄。
ニコルも苦笑していた。
俺は二人に目配せをすると、魔法翼を展開し、空へと浮かび上がった。
頬に当たる風にほんのり雨のにおいが混じっている気がする。
もうすぐマムマリアも梅雨の時期かな。
さあ、これでまた、兄ともしばしのお別れだ。
今度会う時は出来れば落ち着いた環境で、二人で酒でも飲み交わしたいものだ。
あるいはニコル夫妻やマイシィ、もちろんアロエも加えてワイワイ飲み明かすか。
──そんな日は、きっと来ないだろうけど。
「じゃあ、俺はそろそろ行……」
言いかけて、俺の言葉はそこで途切れる。
兄の表情が凍り付き、長い耳をぴくぴくと動かしている。
ただニコル一人だけが不審げな面持ちで俺と兄とを交互に見ていた。
「おいカンナ。聞こえたか?」
眼下の兄が問いかける。
俺はゆっくりと降下して再び地面に着地すると、辺りを見回しながら返答をした。
「ああ。──悲鳴だ」
「悲鳴? そんなの聞こえたか?」
ニコルは状況が呑み込めない様子で狼狽えているが、たぶん俺達兄妹の耳が良いからこそ拾えた微かな音なのだ。
彼が怪訝な表情になるのも無理はない。
「おい、カン──」
「シッ……まただ、また聞こえた。女の声だ。割と近いぞ」
俺がそういうと、ニコルも首肯した。
「ああ、俺にも聞こえた。この路地の奥じゃないか」
俺達三人は互いにアイコンタクトを送ると、一斉に路地の奥へと駆けだした。
何か、尋常ではないことが起きている予感がする。
本来ならば面倒事は避けたい俺だったが、何故かこの時は悲鳴の主を助けなければという使命感に駆られていた。
同時に、妙な胸騒ぎも……。
俺達は夢中で走った。
路地の奥は更に細く、入り組んだ道になっている。
王都リオが城塞であることの名残。
敵の侵入を防ぐため、わざと迷路状の小路を設けたのだ。
だが、ある一定方向に進むと明らかに騒がしい声がする。
その中には女の悲鳴も混じる。
二人……いや、三人程の女の声だ。
俺は魔法で飛んで迷路を強引に突破する。
一軒の古びた建物……見たところ売春小屋の成れの果てみたいなボロ屋に向かって突撃を敢行した。
「お、お前は……!」
俺が旅を続けた理由。
俺がこの街にやって来た理由。
そして──俺が転生した理由。
全ての答えが、そこに待っていた。




