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魔女編14話 カンナ・ノイドと秘密の部屋

 世界歴一〇〇〇九年三ノ月。

 もう間も無く梅雨(つゆ)の時期に差し掛かりそうなこの季節、魔法国より北に位置するマムマリア王国は今が春真っ(さか)りといった感じで、長雨の気配はまるで無い。


「へい、らっしゃいらっしゃい! とれたてのミルク貝だよ!」

「カンナ・ノイド。キミの好きなミルクなの」

「ミルク貝は確かにクリーミーだけど、ミルクとは違うのだよ、ミルクとは」


 王都レオはマムマリア島の中部東岸に位置する大都市であり、島中から物品が集まる物流の中枢(ちゅうすう)である。

 魔法国の港町セラトプシアと似た雰囲気(ふんいき)だが、大きく違うのは木造建築が多い点だ。

 また、石垣などで床を底上げした、昔ながらの倉庫群も目立つ。

 これらは全て津波被害に対応するための知恵だ。

 要は波に耐えうる強度の確保を諦めて、被災後の復興速度を優先するという考え方だ。

 この国は石材よりも木材の方が入手しやすいからな。


 マムマリア東部には山地が広がり、整備された国有林の面積も広い。

 いざという時の木材を確保するために国が林業を進めているというわけだ。

 実のところ、俺達が歩いて来た古い馬車道も、現在は一部が林道として活用されている。

 ソラン達の住んでいる村も、元は森林事業の拠点だった場所なのだ。


「こっちだ」


 俺とアディは山沿いの商店街、港近くの倉庫街を抜けて、海岸線に沿うように作られた巨大堤防の(そば)までやって来た。


 その場所に広がるのはマムマリアの負の側面、スラムである。

 スラムには大昔の石造りの街並みの名残がそこかしこに見られるが、建物は全て津波で破壊され、基礎部分を残したボロボロの状態である。

 そうして打ち捨てられた基礎の上に、廃棄資材で壁や屋根をくっつけただけのバラックが立ち並ぶ。

 ゴミだらけ、落書き(まみ)れの“いかにも”な雰囲気。

 住まうのは荷揚げの際などに臨時で雇われる日雇い労働者や、物乞(ものご)い、その他ワケアリな方々である。


「ここにはボクの“眼”も潜伏しているんだけど、《銀の鴉(シルヴァクロウ)》の秘密基地なんて知らないの」

「そりゃそうさ。だってあの場所はたった一人の爺さんが何十年もかけて作った秘密の小部屋を、そいつの死に際に俺が個人的に譲り受けたもの。他のメンバーも存在を知らないのさ」


 バラックの町は、通行人の数が意外と多い。

 それもそのはずで、一つの小さな建物に十数人は詰めているため人口密度が高いのだ。

 まるで国の貧困層を一か所に凝縮したよう。

 故に、俺達が道を歩くと五分に一度くらいは誰かにぶつかるほどだ。

 そのうち半分以上はスリなんだけどさ。


「本当に、こんなところに拠点があるの?」

「ある。まあ、見てな」


 俺達が向かったのは、スラムの中でもやや高台にある、昔の寺院の跡地だ。

 作りを見るに、アーケオ教ではない。おそらく土着信仰の一種だろう。


 寺院の壁はやけに頑丈に作られており、石積みの上から漆喰(しっくい)で塗り固められているのが特徴的である。

 津波の避難所として想定されていたのだろうが、大災害には敵わず荒廃したという感じ。

 屋根は木造だったようだが既に崩れ落ちており、今は壁だけになっている状態だ。


「ありゃ、先客がいる」


 壁の内側に入ると、壁沿いにいくつかのテントが張られていて、既に浮浪者(ふろうしゃ)の溜まり場と化していた。

 俺がこの場所を利用していた頃は、誰も住み着いてなんかいなかったのに。


「全然秘密になっていないの」


 アディの声色は少し残念そうな感じだが、俺は自信たっぷりに言う。


「大丈夫、ここは入口に過ぎないから」


 俺は気にも()めずに寺院跡の奥へと歩みを進めた。

 浮浪者のテントとの距離が近づいていく。

 すると次の瞬間には、浮浪者達が突然現れた俺達のことを凝視しながら、鉄パイプやバールのようなものを持ち出し、威圧的に叫ぶ。


「なんだてめぇら! 王府の役人か!」

「こんな格好の役人がいるかよ」


 俺らの衣装はお世辞(せじ)にも綺麗とは言い(がた)い。

 二、三着を常に着回している状態であり、どう見てもボロ布である。


「おォ!? なんだ、メスじゃねぇか! こいつぁ良いや、俺溜まってンだよ!」


 浮浪者の中でもとりわけ体が大きく、そしてとびきり不潔な男がほじった鼻糞のついた指を舐めながら近づいて来た。

 フケまみれの(ちぢ)れ髪をボリボリと()き、(あか)で黒ずんだ指を俺に近づけてくる。


「おっと」


 俺は奴と同じ空気を極力吸いたくなかったので、一歩どころか数歩分飛び退()いた。

 その態度に、明らかに怒る不潔マン。

 彼は頭頂眼で魔法力場を()り始めるが、正直ショボい。

 現役の学生の方が優秀なレベルだった。


「待って待って、おじさん。私達、ボランティアで来たんですよぉ。最近スラムの人達による強姦(レイプ)が多いって聞いてぇ、どぉせだったら私達が抜いてあげよっかなって♡」


 途端に連中はどよめき立つ。

 さっきまでテントの中で興味なさげに眠っていた老人ですらむくりと起き上がり、外に出てくるのだ。

 くそ、現金な奴らだ。


「おいおい、マジかよ!」

「よく見たら上玉じゃねぇか! ヒューッ! ラッキー!」

「そっちの奴も仮面を外して顔見せろぅ!」


 喜び(いさ)んで群がってくる浮浪者共。

 とにかく臭いので、俺はもう一歩後ろに下がった。


「はいはーい、じゃあ順番にするからぁ、とりあえずそこの瓦礫(がれき)の少ないところに集まってくれるぅ?」


 俺がそう指示をすると、彼らは素直に従った。

 ──野獣みたいに飢えているくせに、ちゃんということを聞くんだな。ウケるわ。


「皆さん言うこと聞いてくれてありがとぉ♡ じゃあ──」


 俺は腕を伸ばす。


「皆仲良く()っちゃえよ。“昏睡夢魔(ルナティック・ゲイト)”──“死の絶頂(スペルマジック)”」


 呪文を言い終わる前には、浮浪者全員がその場に崩れ落ちていた。

 この世界の呪文なんてものは、自分のイメージを固めるためのキーワードに過ぎず、本来は不要なものだ。

 故に使い慣れたものであれば、呪文を口にし始めたときには術が既に完成していた、なんてことも日常茶飯事なのだ。


 男共はピンと脚を伸ばした状態で激しく痙攣(けいれん)し、口から泡を吹いて白目を()いている。

 集団になったところに魔晶粉末を散布して、スイッチを入れ、オーガズム時の三十倍くらいの快楽物質を脳に分泌させたのだ。

 脳の神経がイカれてしまうくらいのドーパミン量。麻薬と同じだ。

 しばらくまともな思考判断は難しいだろう。


「カンナ・ノイド……流石(さすが)にこれはマズくないかな」

「大丈夫、ちょっと意識を飛ばしただけだよ」


 アディの前じゃなければ容赦なく殺していただろうけど。

 本当は浮浪者の存在など抹消しておいた方が後々都合が良いからな。

 アディの前では善人ぶっていたいから、仕方ない。

 ……と自分を無理やり納得させることにした。


「さあ行こう。この奥だよ」


 俺が指さしたのは、寺院跡の(はし)にある鋼鉄の扉。

 他の壁はボロボロと崩れているのに、扉の周囲だけは今もなお堅固(けんご)さを保っている。

 この部分だけがやけに頑丈な作りになっているのは、寺院の創建よりかなり遅れて増設された部分だからだろう。

 扉には古い文字で“経典保管の間”とある。

 この寺院の主がどんな教団だったのかは知らないが、きっと大切な教えを守るためにわざわざ追加工事をして造られた部屋なのだろう。


 扉は鎖で繋がれて、南京錠を思わせる形状のゴツイ錠前で封印されている、ように見える。

 実際は鍵は誰かに破壊されて、鎖にブラ下がっているだけになっていた。

 が、扉そのものを開け放った形跡はない。


「よく見たら、鎖も端が切られているの」

「ああ、だが扉は開かない。そいつらはフェイクなんだ」


 俺は観音開きの扉の、真ん中の隙間に手を(かざ)す。

 炎魔法で熱を加えるイメージ。

 しばらくそうしていると、両方の扉が数ミリから一センチ程度ズレ動く。

 地面に重たい物が落下したような、低くて大きな音が寺院跡の石壁に反響した。


 俺が使ったのは、局所的に融点まで()溶かして金属を流体として扱えるようにする、いわゆる金属魔法だ。

 実は、ここは左右の扉を完全に接合させて、決して開かないように細工(さいく)してあったのだ。

 金属魔法の扱える者か、あるいは扉を破壊できるほどの魔法力を持つ者しかこの奥へは進めない。

 先程響いた重たい音は、この接続が解除されて扉が解放された証なんだ。


「さあ、中に入ろう」


 俺は片方の扉を開き保管庫内へと侵入した。

 部屋には書棚以外に何もない。

 盗掘にあったのか、誰かが売り払ってしまったのか、はたまた単に処分されただけなのか……俺がこの部屋の存在を知った時からずっと、ここは伽藍洞(がらんどう)

 ただの広くて(わび)しい部屋だ。


「何も……ない」

「いいやあるさ。だって、ここも、入口に過ぎないのだから」

「へ?」


 俺は念のため鋼鉄の扉を閉め、かんぬきを使って簡易的な施錠をする。

 扉の隙間から外光が(わず)かに見えるが、ほとんど視界ゼロの暗闇だ。

 アディが光魔法を使うと、再び中が見通せるようになった。


「ここは随分(ずいぶん)前から存在が知られていた書庫だ。だが、この場所を拠点に暮らしていたとある老人が、さらに奥に秘密の空間を作り出した。それが俺の秘密基地さ」


 俺は最奥部(さいおうぶ)の重たい書棚を移動させ、その下にあった床材の石を取り外した。

 見えてきたのは手彫りの階段。

 老人が隠れて少しずつ掘り進んでいった地下空間だ。


 俺はアディを手招きして呼び寄せ、先に階段を下るよう指示した。

 彼女は恐る恐る階段を下り始め、俺もあとに続く。

 俺が先に行かなかったのは、階段の存在を隠匿(いんとく)する必要があるからだ。

 魔法腕で床材と戸棚を元に戻してから俺はアディの後を追った。


 階段はそこまで長いものではない。

 すぐに道は平坦になり、やがてちょっとした空間が現れた。


「凄い、本当に秘密基地があった」


 俺がかつて研究者を名乗っていた頃、マムマリア王国滞在時に(まれ)に利用していた小部屋。

 足を運ぶたびに資材を少しずつ搬入し、快適に過ごせるよう簡易ベッドまで作った。

 壁や床は石材とモルタルで補強し、ちょっとの衝撃では部屋が崩壊しないようになっている。


「けどカビ臭いな」


 何年も放置していたのだから当然。

 俺は二つある通気口の一つに向かって風魔法を使い、空気の入れ替えを行った。

 なお、通気口は細いパイプで丘の中ほどの枯井戸(かれいど)に繋がっている。


「そこの木箱がベッド代わりな。……あ、だけどその前に」


 簡易ベッドを構成する木箱は、収納スペースになっている。

 俺は木箱を開けると、中に入っていたあるものをアディに投げてよこした。


「カンナ・ノイド……これって」


 彼女の手の中に握られているのは、マムマリアの最高紙幣である千ミルキィ紙幣が十数枚分交換できる程の価値を持つ、旧魔法帝国のプレシオス金貨だった。


 俺はキメ顔でこう言った。


「そ。俺の……隠し財産♡ これまでの道案内料と、謝礼金だ。受け取ってくれ」


 今の俺にとっては金貨の一枚や二枚くらい、惜しくないのだ。

 この部屋まで辿(たど)り着いたからには貧乏生活は(しま)い。


 何故かって、俺の手元の木箱には同価値の金貨が隙間(すきま)無くビッシリと詰まっているのだから。

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