魔女編12話 ソランとセイカ
雲が空の半分くらいをまばらに隠し、満月の明かりが見えたり隠れたりする、そんな夜だった。
昨日の雨の余韻が空気の中に香る。
だが気温はそこまで低くない。天を行く雲が放射熱を閉じ込めてくれているのだ。
俺は頬をぺしゃりと叩き、気合を入れて歩みを始めた。
「どこへ行くのですか、姉様」
「うわッ、バレたよ」
背後から声が聞こえた。
振り返れば、絶世の美女が仏頂面で俺を睨んでいるところだった。
彼女の少し後ろには、彼女の小さな母親もいる。
──イブのところに宿泊することになった俺は、皆が寝静まったのを見計らって家を抜け出したのだ。
イブの死に目にまで付き合うつもりはない。
最後にちゃんと会ってやったんだ、義理は果たした。
と、思っていたんだが。
「また、あたし達を残して行ってしまうのか」
「シアノ、ビアンカ」
二人に呼び止められたのは、山道に差し掛かり、ちょうど家が見えなくなる頃合い。
二人共、寝巻のまま飛び出してきたという感じではない。
毛皮のコートをしっかりと着込んで、荷を詰めた革袋まで用意している。
俺がこういう行動に出ることなどお見通しだったわけだ。
「仕方ない」
俺は溜息を吐いた。
「なあ、早めに村を抜けたいんだ。歩きながら話さないか」
俺の提案にこくりと頷いた二人は、俺の歩みの三歩後ろを付いて歩いた。
横木の階段を登って盆地から古の馬車道を目指す。
馬車道が山の腹にあるのは、こんな辺鄙な村を通過するのにいちいちアップダウンをしていたのでは割に合わないからだろう。
この道が作られた目的は、北方の都市から王都に向けて最短距離で進むためだと想像できる。
結局は、少し迂回をして平地を抜けていく大街道の方が主流になったわけだが。
「なあ、見送りに来たわけじゃないんだろ」
坂を登りながら俺は聞いた。
二人の衣装を見るに、旅装束のような気がしたからだ。
それにあの大きな革袋。旅の支度でもなければ持ち出すことはあるまい。
「いいえ、見送りですよ姉様。どうせ、わらわ達を連れて行く気は無いのでしょう?」
意外だった。
シアノの事だから、何としても俺についてきそうな気がしていたのだ。
「どうやって二人を撒こうかと考えたたんだけどな」
「無駄な思考だったナ、カンナ」
「まったくだ」
ようやく馬車道に出て、来た方向を振り返る。
狭い盆地に畑が広がる。
家はぽつりぽつりと数軒だけ。
そのうちの一棟から、チカチカと灯りが明滅している。
あの発光パターンは、科学世界で言うところのモールス信号。
昔、電話でなく光魔法通信が主流だった時代に作られた魔法言語だ。
「“良い旅を”……か。あれを送っているのはイブかな」
「おそらくそうだろうナ。なんだ、エヴァも勘付いていたのか。カンナが出ていくことを」
俺も光で返事をしておこう。
“お元気で”。
……発光を数回繰り返すと、向こうの光が消えた。
どうやらメッセージはちゃんと届いたようだ。
「今生の別れって奴か。最近、そういうのが多くて困る」
「誰か死んだのか」
「ん? 言わなかったっけ。ロインだよ。《銀の鴉》に協力してくれていた魔闘士協会の」
正確にはまだ生きているはずなんだけど。
いや、ひょっとすると俺と別れてから程なくして逝ってしまったかもな。
「ああ、彼か」
ビアンカの反応は、やや淡泊であった。
ビアンカ達とロインは同じマムマリア王国にいながらあまり関わらせたことが無かった。
俺にとってはどちらも大切な仲間だが、《銀の鴉》、横の繋がりは意外と薄い。
だからだろうか。
ビアンカが続いて口にしたのはロインへの弔いの言葉でも俺へのねぎらいの言葉でもなく、
「あたしも沢山の死を見てきたが、親しき者の死は何度経験しても辛いものだよ。カンナは、平気なのか」
……という純粋な質問だった。
ビアンカ視点では俺が血も涙もない冷血漢にでも見えているのかもしれない。
「平気かどうかと言われると、まあ、平気だとは思うけど。いなくなって寂しいという気持ちはちゃんとあるよ。ただ、嘆き悲しんでも何も生まれないことを理解しているだけだ」
「そういうところが冷たいんですよ、姉様は」
「……そうかよ」
シアノは半ば呆れたように言い放つ。
そう言えば人造人間八號が死んだときも、シアノは泣きじゃくっていたっけ。
昔は俺以上に血も涙もない殺戮人形だったのにな。
今のシアノを出会った頃のシアノに見せてやりたい。
どんな反応をするだろうか。
“こんなの、ちがう。わらわ、こんなふうにはならない”……こんな感じ?
逆に、今のシアノがそんな風に話しているのを想像して、俺はなんとなく顔がニヤついてしまった。
それにシアノは目ざとく反応する。
「……なんですか、姉様」
「いいや。なんでもない」
俺は笑みをこぼしながら、シアノの頭にそっと手を乗せた。
頭の天辺から耳元を抜けて、顎に至るまでに指を添わせる。
綺麗な髪だ。
かつて、絶対に手に入らないと思っていた存在だ。
それが今や、こんなにも近くにいてくれている。
「ありがとうシアノ……いいや、ソラン。お前、ザルトと幸せになれよ」
「──はい!」
ソランは満面の笑みで返事をした。
眼の端に光るものを隠せてはいないが、まあ及第点だ。
「あの、これ……姉様が使ってください。丈夫だから、きっと長持ちします」
ソランは持っていた革袋を俺に差し出した。
なるほど、コイツを持ち出したのは、俺へのプレゼントだったわけだ。
俺のポーチもサックも随分と年季が入ってボロボロだったから、これは助かる。
俺は革袋の中に手持ちの荷物を全部投げ入れると、袋を背負った。
満足げなソランの表情に、俺の頬も自然とほころんだ。
「ビアンカ。──お前の事も、これからはセイカと呼ぼう。セイカ、あまり無理はするなよ。ソラン達を出来るだけ永く見守ってやってくれ」
「ああ、もちろんだとも。任せてくれ」
セイカは俺に右手を差し出してきた。
俺も手を差し返そうとして、スッと横から出てきたもう一つの手に気が付く。
俺はソランとセイカの二人の手を両手でクロスするように握り返すと、歯を見せるようにして笑顔を作った。
「二人共、元気でな。なんだかんだで会えて良かった。本当に、良かった」
たぶんこれが、俺達の今生の別れ。
イブのように死に別れるということではないけれど、きっと未来の俺達が交わることはない。
──なんて、八年前にも同じ事を思っていたっけな。
人生何があるか分からないものだ。
だから、きっとまた会える、そう思うことにしよう。
ひょっとしたらそれは、今とは異なる時間軸かもしれないけど……今度も今と同じように仲良く出来たら嬉しい。
「じゃあな、行ってくる」
俺は二人に正対しながら数歩後ろに下がり距離を取る。
右手を胸に当て、左手でローブの端を摘まみ上げると、頭を軽く下げつつ膝を折る。
貴族式の礼。
彼女達への敬意の証だ。
彼女達は一瞬お互いの顔を見合った後、同じように敬礼をした。
裾の短い衣服だから、左手は宙に浮かせて布を摘まむフリ。
いつか、イブもこうやってお辞儀をしていたな。懐かしいよ。
俺達は礼の後、顔を上げて数秒見つめ合った。
これ以上、言葉はいらない。
俺は彼女らに背を向けて、進路を南へ定めたのだった。
「ちょっと、待つの」
「!?」
話の腰を折るようなタイミングで、頭上から声が聞こえた。
ややハスキーな少女の声は、つい昨日まで俺の傍にあったものと相違ない。
ハッとして上を見上げれば、木の枝に腰かける真っ黒なシルエットがあった。
白い狼の仮面だけが夜の闇の中に浮き出ている感じがして気味が悪い。
彼女は音も無く木の枝から飛び降りると、風を纏いながらふわりと地面に降り立った。
「情報屋さん!」
「そうなの。ごきげんよう、元シアノ・ニクスオットのソラン・クードさん」
いつも通りの感情の籠らない声で、アディは挨拶をした。
「どこから現れるんだよアディ!」
「……? 上からだけど」
「それは分かってるよ!」
俺達のやり取りを見ながらぽかんと口を開けているソランとセイカ。
全く、感動の別れのシーンが台無しだ。
何だってこんなところで合流してくるのだ、コイツは。
「ボクからソランさん達に渡さなければいけないものがあったのを忘れていたの」
「わらわ達に?」
アディはソランに布の袋を手渡した。
その袋は俺から情報料を徴収する際、金品をしまうのに使っていたものだ。
ソランが恐る恐る袋の中身を覗くと、やはり金目のものが詰まっていたようで、目を丸くしていた。
「これは、どういう」
「言い忘れていたけど、ボクは情報屋であると同時に運送屋なの。それは、魔法国ハドロス領にいるとある人から頼まれていた届け物。若干、カンナ・ノイドからの貰い物も含まれているけど」
若干と言うが、結構な量を手渡した記憶があるぞ。
途中の宿代とかで消えていったのかもしれないが。
「ある人って、誰かナ」
セイカが警戒しつつ尋ねる。
そりゃそうだ、いきなりこんな価値のある物を渡されても、何か裏があるのではないかと勘繰ってしまう。
厄介事の火種になるかもしれないからだ。
アディはしばし間を置いてから答える。
きっと、どこまでを伝えるべきかを迷ったのだろう。
「マイシィ・ノイド・ストレプトとエメダスティ・フマルからなの。元イブリン・プロヴェニアであるエヴァ・プロフェンの治療費に宛ててほしいと」
「──!! それは、本当か!?」
まさかの、マイシィからだと……?
しかも、エヴァの治療費にって──これは、まさか。
「助かるかもしれない! お義母さん、生きられるかも!」
そうだ。
きっちりと治療さえ受けることが出来れば、彼女はこれからも生き続けることが出来る。
高額な医療費の問題さえクリアできれば、癌を克服できるだけの技術は、この世界ににだってあるのだから。
そして……その課題はクリアされた。
少なくとも、助かる見込みが、ゼロではなくなった。
「ここから東に進んだところにあるヘテロ・セファルスの街に癌の治療センターがある。馬と籠は手配済み。明日にはここに仲介人がやって来るから、今日中に準備して」
「おいおい、手際が良すぎないか」
白い仮面の少女は、顔を僅かにこちらへ向けた。
仮面の下はまるで見通せないし、きっと何の表情も浮かべてはいないのだろうけど、胸の角度を見るに、ちょっと誇らしげな感じがする。
「ここまでが、マイシィの依頼。ここからは、エヴァの生命力次第」
そう言い切るアディに、セイカが駆け寄ってきてその手を取った。
「ありがとう、ありがとう! この恩を何と言ったらよいか……」
涙を流しながらアディの手をもみくちゃにするセイカ。
アディは少し困惑気味の声で言う。
「ボクは依頼を受けただけ。礼なら治療が終わった後、マイシィに直接言えばいい。キミ達の未来は、これで繋がったの」
「……そのとおりだネ。では、ちゃんと礼を言いに行くと、彼女らに伝えておいてくれないか」
「ん。わかったの」
アディは頷いた。
そしてあっさりと踵を返し、南の方角へ歩き始めた。
俺もこれ以上は何も言わず、アディの後を追う。
背後ではわんわんと泣きじゃくる母娘の声が響いていた。
八年前と、似た状況。
だが、あの時とは違い、彼女たちの涙は喜びに満ちたものだった。
俺もなんだか感極まって、頬を熱い何かが伝うのを感じる。
だがこんな顔をソラン達には見られたくないから、早足でアディを追いかけるのだ。
「情報屋さん、姉様! 有難うございました! どうかお達者で……!」
背後からの声に、右手だけ挙げて答える。
振り向いてなどやるものか。
何故かって、さっきよりも涙の勢いが増してしまっているからさ。
恥ずかしいじゃないか。
カンナ・ノイドはクールに去りたいのだ。




