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魔女編11話 引き留めた理由

 ザルトは木造の平屋の引き戸を勢いよく開けると、中に入るように俺に(うなが)した。

 俺の後ろにはシアノが控えている。

 俺は土間(どま)でブーツと濡れた靴下を脱いでから、裸足(はだし)で家に上がった。

 靴下は、とりあえず丸めてローブのポケットにでも突っ込んでおくとしよう。


「わらわは母様を呼んで来ますね」


 シアノは隣接する家に住むビアンカを呼びに、一旦(いったん)その場を離れた。

 なんだか母親を呼びに行くタイミングに違和感。

 さては俺が逃げるのを危惧(きぐ)していたのか、靴を脱いで廊下に上がるまで待っていやがったな。

 今逃げようと思ったら、靴を履き直してからになる。

 この状態からであれば止めるのは容易という判断だろうな。


 しかーし!

 俺はここ数年は野生の中で生きてきた身。

 裸足で駆け回るなど日常茶飯事(にちじょうさはんじ)、なんなら後から靴を履けばよいのだ。

 はっはっは、甘かったなシアノ。

 今のうちにスタコラサッサだぜ!


「おいカンナ。言っとくけど、おれも今じゃ母さんより強いからな。逃げようだなんて考えんじゃねーぞ」

「はい。大人しくしてます」


 ……この、良血統(サラブレッド)め。


 田舎で生まれ育っているから忘れがちだが、ザルトの父は魔法国貴族の名門の長、母は復権派の切り札と呼ばれた懐刀(ふところがたな)

 良血中の良血だ。

 貴族というのは元来、魔法を用いて民を守護する立場にあり、遺伝上その基礎能力は平民格のそれを遥かに(しの)ぐ。


 俺なんか、たかが辺境貴族の娘、血統的に優れているところはほとんど無い。

 人造人間(ホムンクルス)の身体、前世からの科学知識によるイメージ力の補強、そして死に物狂いで鍛錬した結果の賜物(たまもの)であるものの、やはり血脈によるハンデは大きいのだ。


 俺は逃走をあっさりと諦めて、素直にザルトに従うことにした。

 どうせここまで来てしまったのだから、家の中でゆっくりと休みたいし。


「母さん、連れてきたよ」

「入ってくれ」


 引き戸の奥の部屋から懐かしい声がした。

 彼女に会うのは、もう十年ぶりくらいか。

 シアノやビアンカと違い、イブはハドロス領での戦いには呼ばなかったからな。


 扉を開けて、彼女と目が合った時の衝撃と言ったらなかった。

 揺り椅子に腰かけるのは長い金髪をストレートに伸ばした女性。

 白い木綿の衣服に身を包む麗人は、しかし、あの頃の面影もかき消すほどに酷くやつれていた。

 眼は落ち(くぼ)み、頬の肉はごっそりと無くなっていて、細い頸筋(くびすじ)にはかつての肉付きを示唆(しさ)するように(しわ)が寄っているのだ。

 明らかに、何かしらの病に(おか)されている。

 言葉を失うとは、このことだ。


「久しぶりだな、カンナ」

「ええ。久しぶりですイブ先輩」

「はは、その名前で呼ばれるのも何年ぶりだろうか」


 イブは立ち上がろうとして体に力を込めるが、それをザルトが慌てた様子で止める。


「駄目だよ母さん。無茶をしちゃ。飲み物ならおれが()れるから」

「ああ、すまない。頼むよ」


 ザルトは引き戸を開けて台所の方へ向かう。

 俺はその後ろ姿を見送ると、再びイブの方へ目線を戻した。


「いつかカンナが来たら、“オチャ”を淹れてあげようと思っていたんだ。故郷の味だろうから」

「俺の事なんか気にしている場合ですか。……一体、何の病気なんです」


 俺の質問に、イブは静かに答える。


(がん)だ」


 癌……細胞分裂の際の遺伝子コピーのミスにより、細胞が異常化してしまう病気。

 この世界においても《科学世界》と同様に恐ろしい病であり、庶民の間では不治の病とされている。

 そう、庶民の間では。


「貴族でいた頃は、癌など大した病気ではないと思っていたのだがな」

「移植用の臓器などいくらでも用意できますからね」


 貴族が癌に冒されたときは、腫瘍部分の切除ではなく、冒された臓器を全交換するのが普通だ。

 よほど手術の難しい部位や全身癌でもない限りはこれで治る。

 人体の切り貼りは《魔法世界》の得意分野だ。


「たぶん、働き過ぎが原因だと思う。少し無茶をしすぎたかもしれない」

「過労……ですか」


 この世界では癌のリスクファクターの一つに過労が()げられることが多い。

 重度の疲労状態が続くことで、細胞に異常をきたすという考えだ。

 実際のところはデータが無いためよくわからない。

 研究者の間では、統計が取られているのだろうか。


 いずれにしても俺達の生活レベルでは、遺伝、生活習慣、自然由来の化学物質……要素が複雑に絡まりすぎて、何が悪かったのかなんてわかるはずがない。

 一つ確実に悪かったものがあるとすれば、それは“運”だろう。


「ソランが麻酔を使えるから、手術で腫瘍(しゅよう)を定期的に取り除いてくれてはいたんだ。だが転移が多すぎて、今では素人では根絶が難しいレベルになってしまったよ」

「助かる方法は無いのですか」


 イブは首を横に振った。

 助かる見込みはもう無いのだと。


 俺はシアノ達が俺をここに連れてくるのにこだわった理由、そして、アディがそう仕向けた理由がなんとなく分かった気がした。


「母さん、オチャ淹れてきたよ」

「ありがとうザルト」


 ザルトが五人分の薬湯と折り畳みの簡易椅子を手に戻ってきた。

 彼は俺達の神妙な面持ちに気付いたのか、俺とイブの顔を交互に見やると、どこか安心したような、それでいて寂しいような表情になった。

 イブが自分の病の事を話したのだと察したらしい。


「カンナも座れよ。あ、ローブだけでも干すか」


 ザルトに促されて、俺はローブを脱いだ。


「全裸になろうか?」

「……お前、ふざけんなよ」

「一緒に風呂に入った仲じゃないか」

「それは子供の頃の話だろ!」


 結局、イブに服を借り、身に着けていた衣装とサックに入っていた予備の服は全部干すことに。


 やがて俺は簡易椅子に腰を掛け、少しぬるくなった薬湯を(すす)った。

 イブも揺り椅子に腰かけたまま薬湯を受け取り、器を傾けながら揺れる液面を見つめている。

 立ち込める茶葉の香りを懐かしんでいるようだ。


 しばらくすると玄関が空いた音がして、二人分の足音が近づいてきた。

 引き戸が開くと、シアノに続いて、あの頃から全く見た目の変わっていないビアンカが現れた。

 碧色の髪をポニーテールにしていて、むしろ昔よりも幼く見える。


「久しぶりだナ、カンナ」

「ああ。久しぶり。全然変わってないのな」


 ビアンカは少し苦笑いになると、肩を(すく)めて言った。


(いま)だにソランの子供に間違われるよ。ただ、最近は肌の張りが少し気になり始めたかナ」


 言われてみれば、地肌のきめ細やかさが若干(じゃっかん)落ちているようにも思える。

 しかしそれは年齢というよりは生活環境によるものかもしれない。


「エヴァの病気のことは?」

「今しがた聞いたよ。大変みたいだな」

「ああ。今はだましだましやっている感じだナ。しかし……エヴァがこうなったのはあたしにも原因がある。今までエヴァの力を頼りすぎていたんだ。本当に済まない」


 深々(ふかぶか)と頭を下げるビアンカ。


「その話はもう良いんだよセイカ。仕方がない、仕方がないさ」


 この二人はたぶん、こういうやり取りを何度も繰り返しているのだろう。

 聞けば案の(じょう)その通りで、罪悪感からか、最近のビアンカは自分の畑だけでなくイブの畑の世話もするようになったのだという。

 また、手が空くたびに、この家に来てイブの世話までこなしているのだとか。

 肌の張りが無くなったのはそのせいではなかろうか。


「我々にもう少し財力があれば……」


 イブは(なげ)く。


 彼女たちに資産があれば、イブの病巣(びょうそう)を全部取り除く大手術にも踏み切れる。

 ビアンカもイブの世話から解放され、シアノやザルトももう少し伸び伸びと夫婦生活を送れるだろう。


 ──《銀の鴉(シルヴァクロウ)》が生きていたなら。

 そう考えてしまうのは、きっと俺だけではないはずだ。

 組織が全国に撒いた利益の種は、結局回収できぬままになってしまった。

 それどころか全く別の第三者が漁夫の利を得たような形になっている部門も多い。


 考えれば考えるほどに、悔しさと憎らしさが積もっていくようだ。

 八年前、あいつらが邪魔さえしなければ。


 憎くて憎くてたまらない。

 クシリトが。

 エメダスティが。

 そして、マイシィが。


「……そう言えばシアノ──ああ、今はソランと呼ぶべきか」

「好きに呼べばいいよ姉様。で、なんですか?」

「お前情報屋に何を支払ったんだ。俺の事を聞くために、余計な出費をしたんじゃないだろうな」


 ただでさえギリギリの家計なのに、相当な対価を払ったのではないかと俺は危惧していた。

 アディの価値基準は良く分からないから、食糧だけで済んでいればまだ良いのだけど。


「失敬な。わらわは何も払ってません。向こうが勝手に、姉様の状況を知らせてきたのですから」


 え、なにそれ。

 ちょっとずるい。

 俺が何か尋ねる度に何かしらの対価を要求してきたあいつが無料で情報を渡すなんて。

 いや、そう言えばクロウの治療の時は街の位置を無料で教えてくれたっけ。

 つくづくあの娘の考えが分からない。


「まあ、失うものが何もないのならば良かった」


 俺がそう言うと、イブが口を挟む。


「お前に会えたんだから、私は費用が発生していようがいまいが気にしないのだけどな。どのみち私の手術費は間に合わないだろうし」


 まるで自分の死期を悟っているかのような物言いだ。

 実際、そうなのだろう。


 シアノ達はおそらく、身を削ってイブの治療費を貯蓄している。

 衣服が以前にも増して粗末なのはそのためだろう。

 しかし、その貯蓄ペースよりもイブを(むしば)む病魔の方がより速い。

 だからこそ自分にかけるムダ金よりも、俺を探して最期の挨拶をするための情報料の方が安いと、イブはそう考えたのだ。


 シアノはイブの元に(ひざまず)き、カリカリに()せ細った腕を手に取る。

 今や、イブはシアノの義理の母。大切な家族なんだ。

 ニクスオット家で暮らした十三年間よりも、イブと共に過ごした十八年の方が、比重としては大きなものになっている。

 イブを失うことは、最早(もはや)、親族諸共を亡くした飛空艇事故の衝撃よりも重たいのだ。


 シアノは叫んだ。


「そんなことを言わないでよ、お義母(かあ)さん!」



 お か あ さ ん !



「ブッ」


 ……いやね、分かってはいたんだよ。

 シアノのイブに対する思い入れだとか、家族としての重みだとか。

 しかしシアノがイブの事を義母と呼ぶのが何だか無性におかしくて、思わず薬湯を噴き出してしまったのだ。

 ザルトが凄い形相(ぎょうそう)(にら)んできたものの、イブは肩を揺らして笑っていた。


「ははは、カンナは驚いただろう。ソランの“お義母さん”呼びには」

「あはは……イブと呼び捨てている印象が強くて、つい」


 俺はビアンカから雑巾(ぞうきん)を受け取ると、自分で床に(こぼ)した(しずく)を拭き取った。


「つーかさ、普段から偽名の方で呼び合っているとか、おかしな組み合わせで結婚していたりだとか。なんか俺置いてけぼりを食らった気分だよ」

「置いてけぼりにしたのは姉様でしょうに。わらわ達とは(たもと)を分かったのに……エス達の事は放っておかなかったみたいですし」

「いや、なんか、すまん」


 ふてくされるシアノにぺこぺこと頭を下げる俺を見て、イブも、ビアンカも、ザルトですらも笑っていた。

 楽しそうに、声を(そろ)えて。


──


 色々な話をした。

 イブ達の暮らしぶりや、シアノとザルトの夫婦生活。

 ビアンカの(なま)りが薄くなっている事、エトセトラ。


 シアノの奴、ザルトとは仮面夫婦だなんだと言っておきながら、実は夜な夜な二人で星を見ながら語り明かすのが日課になっているらしい。

 ビアンカとイブはそれを部屋の中からニヤニヤと眺めるのが日々の(たの)しみなのだとか。


「ず、ずっと見られてたの!?」


 シアノ夫婦には寝耳に水な話だったようだ。

 リア充かよ、畜生め。


 俺も今までに経験した様々な出来事をかいつまんで話す。

 とはいえ、“銀の魔女の風土記”はこの村にも複写本が届くようなので、まだ刊行されていないはずの最新エピソードを少々。


「そう言えば、エイヴィスの北端付近に“ロキト”って名前の子供に会ったんだよ」

叔父(おじ)さんの名前だな」

「もしかして……クローラ様の?」

「わからない。顔は全然似てなかったよ」


 顔だけならば、クローラやロキにそっくりなのはザルトの方。

 なにせ、クローラとは腹違いの姉弟、ロキとは叔父と(おい)の関係だからな。

 流石(さすが)は貴族の血筋、複雑すぎる。


「そうか。元気でいてくれると良いな、クローラ様も」


 イブはきっと、クローラにも会いたかったのだろう。

 死を目の前にすると、人恋しくなるもの。

 エイヴィスにいるロインもそうだった。

 思い残すことなく逝けたらそれが理想なのは間違いないが、人生そうは上手く行かないものだ。


 生きてさえいれば、いつかはまた会える。

 生きてさえいれば……。


 あるいは、過去を変えることが出来たなら──。


「どうした、カンナ?」


 ビアンカが心配そうに尋ねてくる。


「いいや、何でもないよ」


 俺は静かに返答した。

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