入学編08話 ロッカーホール
マイシィへのサプライズから一日が経って、十弐ノ月の二日になった。
昨日の気持ちの良い小春日和はどこへ行ったやら、北風の冷たい一日になった。冬に入って随分と久しく、秋の終わりにはとうに片づけられて消えていたはずの枯葉たちが再び現れ、旋風を描いて校庭内を駆け抜けていた。
たくさんの落ち葉がかさかさと乾いた音を鳴らす。空気が乾燥しているんだ。私のお肌もカサカサになってしまう……嫌だわ。
「さっむいねー」
「芯まで凍っちゃうよぉ!」
「ねー」
実際は凍るほどには寒くないのだが、女子は話を否定されるのより同調された方が嬉しいものなのだ。故に、心にも思ってもないことでもねーねーと頷きあって会話を進めるのだ。
今回に関して言えば、肌を刺すような不快な寒さのため、凍ると言いたくなる気持ちもわからなくはない。だから私も全力で首を縦に振るのである。
「ほほほほんとううにににさささささむいねぇぇ」
「カンナちゃんが一番寒そう」
「歯ぁカチカチ鳴らしすぎぃ! ウケるわ!」
訂正しよう。やっぱり凍り付くほどに寒い。
ところで、私たちは今、魔法の実習授業の帰りである。
更衣室にて運動服から制服へと着替え、荷物を持って自分のロッカーへと歩みを進めている最中だ。
学校のロッカールームは……ルームというかロッカーホールなのだけれど、校舎に入ってすぐの広間にあるので遮蔽環境はない。なので面倒だけれども更衣室に移動して着替える必要があるし、着替え終わったらロッカーに戻って荷物をしまわなければならない。
貴重品でなければ更衣室にそのまま置いておけば良いのだけれど、よく出るらしいのだ。あれだ。盗むやつが。
そんな理由もあるものだから、大体の子が授業前に自分のロッカーに一式しまっておくのだ。
ところが屋内から更衣室とロッカーとの移動にはコの字型に配置された校舎をぐるりと遠回りせねばならない。この時、最短ルートとなるのがいちど屋外に出て、中庭の脇を掠め通るコース。移動時間は格段に短くなるが、当然屋外を経由するため寒いのだ。
「カンナちゃんは昔から暑い寒いが苦手でねー、夏なんか溶けちゃうんだよ」
「と、溶けちゃうの? ふふ、かわいー!」
マイシィからのプチカンナ情報をきいて、黒髪おかっぱの娘が笑った。
私の隣ではブラウンのおさげ髪の子が、
「ウケるー」
と、こちらもくすくす笑っていた。
して私カンナ・ノイド、この度ようやっとこのクラスメイトの名前を覚え始めてきた。あまり興味のない人の名前を覚えるのは苦手な私だが、さすがに半年も同じグループ内にいると自然と覚えるものなのだ。
まず、黒髪の子はアロエ。
私はおかっぱと言っていたのだけど、本人に言ったらこれはショートボブだって。違いがよくわからない。
最近タウりんと良い感じだけど付き合っているというわけではないようだ。これもよくわからない。
そしておさげの子はリリカ。たぶん一番能天気。賢そうな見た目の割に、頭の中は空っぽのようだ。
最近はマイシィの愚痴を聞く係になっている。
「もももう。ああああアロエもりリリカも笑いすぎ。ささささむいとここうなっちゃうんだよ。しししかたななないんだよ」
するとリリカが言った。
「そう? ウチ、リリカほど笑ってないしぃ~。ぷぷっ!」
アロエが言った。
「あたしアロエちゃんの笑い方が人をおちょくっているようにしか見えないんだよねー」
……もしかして、私が覚えている名前は逆なのかもしれない。
もう、名前を覚えるのはあきらめるべきなのだろうか。
──
─
そうして少しの間歩いて、校舎内に入ってようやく一息。全身がぽかぽかとした暖気に包まれ、かじかんだ手足の先をじんわりと溶かしてくれているような温もりを感じる。炎魔法の術式が刻まれた魔石が、館内を温かくしてくれているのだ。
ホールの天井部分には風魔法を仕込んだ魔石が配置され、昇ってきた暖気が天井付近に滞留しないように、下向きの風を送り込んでいた。
暖かいものは上昇し、冷却されると下降する。これは水でも空気でも同様であると、授業で習った。こういった自然科学の知識は魔法形成のイメージづくりに欠かせないのだ。
ちゃんと覚えてて偉いでしょう? 褒めて。
暖房が効いているとはいっても入り口付近は扉の開閉のたびに冷たい冷気が吹き込んでくるので、さっさとロッカールームへ退散しよう。
「それにしても今日は災難だったわ……」
マイシィがため息をつく。朝方マイシィの胸元にあった貝殻のペンダントは、今はない。魔法実習の授業中にもつけたまま出席したのだが、そこで教師に、実習の邪魔になるから外してくるようにと怒られたのだ。
そのせいで彼女は運動場とロッカールームを再度往復する羽目になったのである。
「この寒い中を余計に走ることになったからね」
私がそう言うとマイシィは小さく頭を振って、
「別にロッカー往復するのは大したことじゃないんだよ」
と言う。
彼女曰く、兄に貰ったペンダントをずっと身に着けていたかったのに、外さなければいけなかったことがショックらしい。
恋する乙女だねぇ。
そのペンダントをデザインして注文したのは私で、かつマイシィもそれは承知の上なのだが、彼女にとってあれは間違いなく兄からの初めての贈り物なのだ。しかも手渡し。兄の赤くなっている表情も間近からしっかり見ていただろう。
乙女の妄想が加速しそうなシチュエーション。ああ、この人も私の事を想ってくれてたらいいな……くらいの事は考えたに違いない。
そんな特別なペンダントは、今はロッカーにしまってある。もう、目の前だ。
「ほら、またすぐにつけよう。大事なものだもんね」
「う、うん……」
何故だか、マイシィは浮かない顔をしていた。
私はその時、少し疑問を感じながらも特に気にせずに自分のロッカーの方へと向かった。ロッカールームは同じでも、あてがわれたロッカーの列は違う。私はマイシィのロッカーのさらに奥、自分のロッカーのある列へと向かった。
──瞬間。
そこにいた人物に驚愕して息が止まる思いをした。
「クローラ先輩……いえ、クローラ様」
私より六つも年上の大先輩であり中央貴族のご令嬢、クローラ・フェニコールその人であった。
ウェーブのかかった長いブロンドの髪の毛をさっとかき上げながら、機嫌悪そうな目線を送ってくる。
私はすぐに貴族式の礼をした。
クローラがそこにいたことに驚き、挨拶がワンテンポ遅れてしまったのを詫びる。彼女はなんというか、そういう事に厳しそうだ。
「良いですわ、カンナ・ノイド。今はそれどころではないのですから」
「……? はあ……」
クローラに止められ、礼を中断。
それどころではないとは? そもそも、彼女はなぜこんな所にいるのだろうか。
ここはロッカールームの中でも割と奥の方であり、自分のロッカーがある者くらいしか足を踏み入れない。
クローラ達のような復権派の中央貴族は平民格と設備を共有するのを嫌がるから、ロッカーも別に用意されているため、自分のロッカーがここにあるというのはありえない。
なんだか、ロッカーの裏に隠れていたという方が納得でき───
「痛ッ───!」
思考を中断。今の声は、マイシィだ。
私は声を聞いた瞬間、一列手前のマイシィのロッカー側へと飛び出していた。なにか良くないことが起きた気がするとの咄嗟の判断だ。
果たしてその予感は、外れてくれなかった。
「いや……あああああああぁぁぁあッ!!」
絶叫。
腹の中の空気を全部吐き出すような、そんな叫び声。
マイシィの、悲鳴。
「!? ───マイシィ、それ……」
マイシィの指からポタポタと血が滴っていた。




