魔女編10話 数奇な運命
シアノ達との気まずい再会の後、俺達三人は鍾乳洞を連れ立って歩いた。
服は若干湿ったままであるが、仕方がない。
完全に乾くまで火を使えば、洞窟内の酸素を使い果たし、再び酸欠のリスクが高まってしまうからだ。
村に着いたら改めて乾かすとしよう。
鍾乳洞内はありとあらゆる奇岩・奇景の宝庫だ。
さらに、化石や天然魔石が露出している場合もあるため、注意深く観察しながら歩いた。
今の俺には可愛い情報屋に支払うだけの資産もないから、目ざとく見つけて回収しないと。
「そういえばザルト、おねーさんの裸に対する感想は?」
俺は前を歩く長身の青年・ザルトの背中を拳でぐりぐりと刺激しながら、我が肉体に対する評価を求めた。
彼とは知らない仲では無い。
ただし、前にあった時には彼は今よりもずっと子供だった。
ザルトはこちらを一切振り返ることなく、光魔法で辺りを照らしながら一言、
「う、うっせー! カンナなんかおねーさんじゃなくておばさんだし!」
と、後ろからでもわかるくらいに真っ赤になって答えた。
「はいはい。そんなおばさんの裸体に興奮してズボンにテントを張ってた奴に何を言われてもなー」
「だ、誰が! 言っとくけどもうちょっと胸がないと興奮なんかしねーからな」
おーけー、コイツ、後でブッコロガス。
心なしか大股で先を行くザルトを、俺は青筋を立てながら追いかけるのだった。
俺は時折、振り返って後続の様子を確認する。
ちょっと、今のペースでは早足過ぎると思う。
運動慣れしていない者は、もたついている間にたちまちおいてけぼりを喰らうだろう。
いくら構造が把握できている洞窟とはいえ、置き去りにしてしまったら可哀相だ。
「ついてきてるか、シアノ」
「当たり前です。わらわだってそれなりに慣れていますから」
首のすぐ真後ろくらいの位置から声がした。
本当に大丈夫なようだ。
むしろ、このペースを早いと感じているのは俺だけなのか?
なんて考えていると、後ろにいたはずのシアノが俺の横にひょいとステップし、そのまま軽やかな足取りであっという間に俺を追い抜いて行ってしまった。
彼女は少し歩いた先で立ち止まって俺を見やり、したり顔で笑う。
“ふふん、どうですか、見ましたか。わらわは姉様よりも素早く動けるようになりましたよ”
シアノは何も言わないが、彼女の目つきからはそのような言外のメッセージを感じる。
だから俺も何も言わず、微笑みだけで返事を返してやった。
“成長したな、シアノ”ってな。
「シアノって今年で三十になるんだっけ?」
「もう三十一ですよ。あれから八年も経っているのですから」
八年経っても見た目はあの頃の美少女のまま。
若い期間が長いのが《魔法世界》の人間の特権である。
だが彼女の表情であったり、堂々とした雰囲気だったりはあの頃とはまるで別物だ。
……そうか、そうだよな。
時の流れというのは思いの外早いものだ。
シアノだってもう立派な大人なのだ。
いつか別の次元で見た、轟々と流れる巨大な“時の大河”を思い出す。
人はあの激流に逆らうこともできずに、ひたすら揉まれながら生きていくしかない。
「結婚は?」
聞いてしまってから、質問のチョイスとしてはあまり褒められたものではないことに気が付いた。
シアノは昔、俺に好意がある感じだったし、何よりデリケートな部分に突っ込みすぎたように思う。
後悔したところで遅いから、もうどうでもいいんだけど。
「一応、していますよ。そこのザルトと」
「え、お前ら結婚してるのか」
まさかの組み合わせに少し驚いた。
ザルトは確か、まだ十八歳。歳の差は十三。一回り以上もかけ離れている。
歳を取ってもある程度は見た目の変化が少ない世界だから、組み合わせとしては無きにしもあらずと言ったところか。
だが、ザルトの出自を考えると感慨深いものがある。
「……まあ、仮面夫婦みたいなものですけどね。結婚して二年ですが、未だに手を繋ぐより先のことは何もしてません」
「じゃあどうして」
俺の問いかけには、ザルトの方が答えた。
「かーさんが煩いんだよ。村に若い男はおれくらいしかいないんだから、ソラン……あー、えっと、シアノ? の面倒は俺が見ろってさ」
ソランというのはシアノの現在の名前だ。
マムマリア亡命組は飛空艇事故で死亡したことになっているし、本名を隠して生きる必要があったから、確か戸籍情報ごと偽造したんだったか。
当時はまだ名もなき《銀の鴉》が生きていたからこそ出来た荒業。
故に、犯罪者と成り果てて隠れ里で細々と暮らすロインやエスらと異なり、シアノ達はクソ田舎ではあるものの、割と普通に生活を営んでいるのだ。
「ザルトは村の外に出ようとは思わなかったのか?」
「興味ないね」
「……ふぅん」
今現在の彼についてはあまりよく知らないが、初等学校時代のザルトは母親譲りの魔法の才をいかんなく発揮していた。
生まれのせいで魔闘士にはなれないだろうが、きっと村を出て街に行けばそれなりの職には就けるのではなかろうか。
それに、その恵まれた容姿のおかげで女など選び放題だろうに。
もっとも、シアノより良い女などこの世に存在しているかも疑わしいから、歳の差を無視すれば結婚相手として申し分は無いのだろうけど。
「……母さん、五年前に体を悪くしたんだよ。だからおれが村を出て行ったら、セイカさんやソランに負担をかけちまう。おれが支えなくてどうするんだ」
体を悪くしたって……あの頑丈そうな母親が?
誰よりも強くて、俺に体術から魔法まで鬼のように叩き込んできたあいつが。
「きっと心労が祟ったんでしょうね。ザルトを育てるために慣れない畑仕事に害獣駆除、街への荷運びから物資の買い付けなど、一人でこなしていましたから」
《銀の鴉》からの仕送りが無くなってからは、特に大変だったろうな。
辺鄙な田舎で女手一つ。知人といえばシアノ母娘だけ。
正体を隠す必要性から、大きな街に出稼ぎに行くことも出来ない。
……あれ、彼女の境遇の大半は俺のせいか?
だとすれば、やはり。
洞窟の出口、古い馬車道の側に開けた崖の上。
俺は足を止めた。
「どうしましたか姉様」
シアノが不安げに尋ねる。
俺は山の麓、遠くに見えるシアノ達の村を木立の間に垣間見ながら、答えた。
「俺は、村へは行かない。本当はお前達にも会うべきじゃ無かったんだ」
「どうして、そんなことを言うのですか」
シアノは戸惑っているのか、怒っているのか、複雑な感情をごちゃ混ぜにしたように顔をしかめる。
夫であるザルトは不安がるシアノの背に手を添えてやっていた。
シアノとザルトは目線を合わせて頷き合って、二人して俺の方へと向き直る。
──ああ。なんだかんだでこいつらは夫婦なんだな、と思う。
本来なら敵同士であったはずの二人だけど、互いに気遣っている様子が見て取れる。
何が仮面夫婦なものか。
しっかりおしどり夫婦をやっているではないか。
シアノは魔法国における帝国派貴族代表であるニクスオット家の令嬢にして、ロキを殺害したビアンカの遺伝子上の娘。
一方のザルトは──復権派貴族であるイブの息子。
殺されたロキの甥っ子にあたる。
そう、俺が帝国派の乗る飛空艇を爆破したあの時期に、イブの胎の中ですくすくと育っていたのがザルトなのだ。
そのイブを孕ませたのは当時の復権派のトップであるフェニコールの家長であるから、ザルトはフェニコールの直系でもある。
つまり現在、帝国派と復権派の直系の子供同士、しかもロキ殺しの加害者家族と被害者遺族が婚姻関係にあるというわけで、これを奇妙と言わずになんと言う。
数奇な運命とはまさにこのことだ。
俺はそんな彼らの奇妙な絆を、傷つけたく無いと思う。
何故なら、彼らは“俺の世界”の住人だからだ。
俺が守るべき大切な繋がりの一つだからだ。
ぶっちゃけ、俺に無関係な奴がどこで何人死のうが興味はない。
戦争によってどれだけ死んだとか、災害による被害額がどうだとか、“凄い”と感じることはあっても“だから何?”で済ませてしまうのが俺だ。
だが、“俺の世界”は違う。
俺はそれを守るためならば、自分自身に不利益がない範疇であればどんな手段を講じても構わないと思っている。
《銀の鴉》はそういう組織だった。
だが組織の壊滅以降は、俺と関わることそのものが彼らに危険をもたらしてしまうことになった。
だから俺は八年前のあの日、臭い演技までしてシアノやビアンカとの絆を断ち切ったのだ。
「俺が村まで行ってイブ達に会えば、必ず迷惑をかける。俺は今や国際指名手配犯だからな。それに、言っておくけど今の俺は全盛期のイブなんかよりずっと強いぜ。今更会ったところで教わることは何もない。俺にメリットがないんだよ」
「おい、カンナてめぇ──」
いつぞやのロキみたいに眉間に皺の谷をはっきりと浮かべながら、俺に詰め寄ろうとしたザルト。
こいつ、口は悪いが雰囲気はロキに似ているんだよな。
しかし妻であるシアノは彼の服を引っ張って引き留め、代わりに自分が一歩前に出て俺に物申すのだ。
「そうやって損得で考えるところ、相変わらずですね姉様。ですが、もう少し人間の気持ちというのを考えてくれませんか」
無理だよ。
俺、サイコパスらしいからさ。
他人の感情を理解することはできる。寄り添うこともできる。
だけどもそれは表面上の話で、自分の行動理念まで捻じ曲げるように共感してやることは、まだまだ難しいと思う。
前世の頃よりは随分マシになったとは思うけど、圧倒的なデメリットを前にしてなお人を慮るなんて俺には無理だ。
「でも、実際俺が言ったら迷惑がかかるのは事実だろ。それとも、どこかの情報屋から俺を家に連れて行くように言われたか?」
「そこまでは……言われてませんが」
ムッとしたように口を尖らせてシアノが言う。
言い方から察するに、情報屋と接触したのは確定と考えて間違いない。
おそらく魔闘士連中が俺の居場所に勘付いたのも、シアノ達が俺の前に現れたのも、一人の少女の仕業だろう。
「とにかく俺はこのまま王都に向かう。イブやビアンカには俺には会えなかったと言っておいてくれ」
俺はそう告げて馬車道に降りようと坂に一歩踏み出し──そして、シアノに進路を塞がれた。
俺が彼女を避けようと右にステップすると、彼女も俺から見て右へと移動し、左に抜けようとすれば彼女も腕を広げながら左へ。
お見合い状態がしばらく続き、埒が明かないと判断した俺はやむなく最終手段へ出る。
「“催淫の女神”」
俺が唱えたのは性的な絶頂を与える精神魔法。
八年前にシアノの肺の中に仕込んだ魔石の効果はまだ続いているのさ。
俺が魔法力場を展開し、イメージを込めればそれで終い。
結婚して二年も経つくせに未だに処女を貫く堅物め。
旦那の前で恥ずかしい姿を見せてみろ。
しかし予想外のことが起きる。
「甘いですよ……姉様」
「!?」
一瞬。ほんの一瞬で俺の魔法力場はシアノの力場に掻き消され、精神魔法は不発に終わったのだ。
俺にはわからなかった。
シアノが力場を展開し、掻き消すプロセスが全く視えなかったのだ。
あまりにも速く、そして精密な魔法操作。
こいつ、まさか。
「姉様は全盛期のイブを超えたとおっしゃいましたね。……ふふ、奇遇ですね。わらわもかつての自分よりずーーっと強くなったのですよ」
そう言って、魔法力場操作の発展形である“魔法腕”を次々に展開するシアノ。
それも、目にも留まらぬ生成速度で、俺の限界を遥かに超える本数をだ。
「あの、シアノさん……?」
俺はビビって数歩後退する。
それを追うようにして、シアノもじりじりと前に詰めてくる。
気がつけば、目の前には頭頂眼からの力場感知というレベルを凌駕して、肉眼ではっきりと視認出来る程の強度を持って完成された魔法腕が、数百本という驚異的な数をもって視界を覆い尽くしていた。
その本数──俺の限界値の、ざっと十倍。
さらに、その腕の一本一本の先端で生成が始まっている水滴は、猛毒の含まれた水溶液に違いない。
シアノの奴、意志の力で自由に動かせる触腕と、毒魔法を併せて来やがった!
「ふふふふ……絶対に来てもらいますよカンナ姉様。もちろん、拒否なんてしませんよね? ふふ……!」
シアノはどこか産みの母親を彷彿とさせるホラーな雰囲気で俺を脅すのだった。
俺は何も言い返せずに、静かに頷くしかなかった。
「はい。行きます」




