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魔女編08話 傷と秘密とフルヌード

 “キミに、殺して欲しい人がいるんだ”


 “だれ、を”


 “秘密、なの。今はね──”


 あの日、あの時、あの場所で彼女は俺に微笑(ほほえ)みかけてくれた。

 彼女にとってそれは笑顔なんかではなく、ほんの少し口角(こうかく)を緩めただけだったのかもしれない。

 でも、俺にとってはとびきりの笑顔だったのさ。


 くそッ、なんだってこんな、胸が締め付けられるんだ。

 苦しい……苦しい。

 あれから何度か彼女の素顔を目にすることはあったが、その度に体の真ん中の方が(うず)くのだ。

 触れたいのに触れられない、話しかけたいのに尻込(しりご)みしてしまう。

 昔、マイシィの笑顔に胸を撃ち抜かれたのとは比べ物にならないくらいの衝撃が俺を貫くのだ。


 この感情の名前など、俺はとうに理解している。

 理解はしているものの、認めたくない自分がいる。

 なんだってあんな、年端(としは)も行かないような少女に──俺は。


「……風呂場に行って、シャワー浴びよ」


 冷静にならねば。

 思いっきり冷たい水を浴びて、思考をクールに保つのさ。


 俺は部屋の引き戸を開けて、廊下に出た。

 俺が現在宿泊している宿は、部屋ごとのシャワー室が無い代わりに大衆浴場があり、そこで体を洗うシステムなのである。

 靴を脱いで室内に上がるのも含めて、どこか懐かしい日本の風習のようだ。

 流石(さすが)畳敷(たたみじ)きでは無いが、木造建築なところも風情があって大変よろしい。


 ──この辺りは津波が多く、建物の再建効率も考えてあえて木造にしてあるという裏事情を知ると、元日本人としては複雑な気持ちになるのだけど。


「おっんな湯おっんな湯ー♪ は、こっちか」


 暖簾(のれん)をくぐり、引き戸を開けると脱衣場があった。

 なんと、魔法国とは違い、マムマリア王国の大浴場は裸が基本なのだ。

 やはり日本っぽくて好きだ。

 昔マムマリア王国に日本人が転移して文化を持ち込んだのだろうか。知らんけど。


 俺は一瞬で服を脱ぎ捨て素っ裸になると、貸出用のタオル片手に意気揚々と風呂場へ突入した。

 やっぱり解放感が違うよね、混浴ならなお良かった!

 なんと言ったって今の俺は、鍛え上げられた(をとこ)の肉体にも、豊満な(おなご)肢体(したい)にも、両方興奮できてしまう特殊個体だからな。


「とは言ってもいるのはどうせジジババばかり────」

「あ」


 大浴場の隅の方、湯けむりに隠れるようにして、彼女はいた。


 アディーネ・ローラット。

 現在(なか)ば強制的に旅を共にしている情報屋の娘であり、この状況下において絶対に視界に入れてはいけない存在である。


「なんで同じタイミングで風呂に来るんだよ」

「ん。なにか、まずかったの」

「……い、いや。ごめん、俺やっぱり後で入るわ」


 アディのことで頭を冷やしにきたのに、これではより一層火照(ほて)ってしまうではないか。

 さっさと退散するに限る。

 いっそ、海辺に出て水浴びでもしようか。


「ねえ、待ってカンナ・ノイド」

「な、なんでい!」


 不意に呼び止められ、思わず振り返ってしまう。

 後ろを向けば(いや)(おう)でも生まれたままの姿の彼女が視界に入ってしまうというのに。

 人造人間(ホムンクルス)に対してそのような表現はおかしいのかもしれないが、ともかく、彼女のあられも無い姿を見れば冷静でいられなくなるのが分かっていたのだから、俺は振り向くべきではなかったのだ。


 案の(じょう)、俺の目線は彼女の肩に、首筋に、瞳に吸い込まれていく。

 心なしか、彼女はその凝り固まった表情筋をいつも以上にこわばらせているような。


「その、一緒に……お風呂入りたい、の」


 なんだろう、表情はガッチゴチに硬くなっているのに、耳元まで真っ赤になっているのは卑怯じゃありませんか。

 のぼせて赤くなっているのか、俺を意識してくれているのかは知らないんだけどさ。


「あ、うん」


 深く考えることもせずに、反射的に返事をしてしまった。

 これで逃げることもできなくなってしまった。

 よく考えればさ、俺と彼女は同性なんだし、風呂くらい何の問題も無いじゃないか。

 俺の魂が男性だったとしても、それは言わなければバレることは無いのだ。


 俺はあえて冷たい水を魔法で生成し、頭から引っ(かぶ)ると、気合を入れて浴槽内に足を踏み入れアディの隣に腰を下ろした。


「……」

「……」


 ああ、畜生。ここが露天風呂ならば頭が冷えたかもしれないのに、目の前に広がるのは石の壁と木の天井。

 湯気(ゆげ)が浴室内に停滞して、天井からはぽたりと背中に──。


「ひゃうッ」


 今のは俺じゃない。

 声の主は、すぐ隣にいる。


「か、可愛い声出すじゃん」

「ん。気のせいなの」


 アディは肩まで湯に浸かると、気恥ずかしそうに壁を向いた。

 なるほど、彼女の場合は表情じゃなくて、微妙な態度の違いを見ていれば感情が分かりやすいのか。

 今は分厚い黒装束も、狼の白い仮面も無い。

 裸だからこそ、ちょっとした体の動きから心の機微(きび)が読み取れるのだ。


「何を見ているの」

「えー? 可愛いなって思ってさー」


 言い終わってからハッと口を押えた。

 いかん、つい本音が漏れてしまった。

 これじゃあまるで口説いているみたいじゃないか。


 俺はアロエを裏切る行為だけは絶対にしたくない。

 ……そうだ、アロエだ。

 彼女と比べたら、目の前の少女なんて、どうだ。

 胸は小振りだし(俺よりはあるけど──ってやかましいわ)、顔つきも幼いし、不愛想だし、何より立場が怪しいし、百ゼロでアロエの完勝じゃないか。


 うん、大丈夫だ。

 最愛の人を思い浮かべれば、この煩悩(ぼんのう)は簡単に打ち消せる。

 ああ、良かった。

 危うく間違いを犯すところだったぜ。


「か、可愛いって言うけど、ボクなんかより、か、カンナちゃんの方が可愛いし……」


 口元まで湯に沈んでコポコポと音を立てるアディ。

 か わ い す ぎ だ ろ !


 瞬間、俺の中の何かが切れた。


 周囲を索敵。

 よし、今しがた出ていったおばちゃんで最後、この空間には俺とアディの二人だけ。

 ターゲットを補足。

 褐色肌の少女は俺に背を向けて深く深く湯に沈み、小さく丸くなっている。

 俺は舌なめずりをしながら彼女の背後にそっと近づいた。


 その胸を揉みしだいてやりたい。

 紅色の瞳を見つめながら、柔らかそうな唇を奪ってやりたい。

 そしてそのままうっすらとした茂みを掻き分けて下半身をまさぐり……。


 だが、次の瞬間には俺の(よこしま)な考えは吹っ飛んでいた。


 それは、彼女の全身を縦横無尽に走る、沢山の手術痕を見たからだ。

 気持ち悪さに性欲が引っ込んだのではない。

 その、逆だ。

 俺は彼女の身体に今にも壊れてしまいそうな(はかな)さを見出し、同時にこう思ったのだ。


 ──綺麗だ、と。


「なあアディ。お前さ、随分(ずいぶん)と苦労してきたんじゃないか」

「どうして?」

「いや。その身体の傷」


 アディは俺の方へと体の向きを変え、俺と視線を絡ませた。

 その視線の交錯はごくわずかな時間で終わり、彼女は微かに目を伏せる。

 どこか寂しげな雰囲気。


「気味が悪い、よね」

「いいや。アディはとっても綺麗だよ」

「嘘、だよ」


 俺は自分の出来る限りの優しい顔を作ってみた。

 初めて愛を知った日にロキに後ろから抱きしめられた時、炭になったと思っていたアロエに再び再会できた時。

 そういう時に浮かべていた顔をアディに投げ掛ける。


 アディはたぶん、人造人間(ホムンクルス)の身体を維持するために、数多くの調整を(ほどこ)されてきたんだろう。

 見えない右目のこともあるし、すごい頑張ったんだと思うんだ。


「ボク、魂は完全だけど、肉体と噛み合わない部分が多くて。だから、こんなにボロボロになっちゃったの」

「ああ。確かに傷だらけだな。すごく、カッコいいと思う」


 アディはもう一度俺に目線を向けた。

 首の角度が(わず)かに傾く。


「カッコいいの?」

「そ。カッコいいし、美しいよ」


 そう言うと、俺はアディの前で立ち上がった。

 自慢の裸体をこれでもかと見せつける。


 無表情のアディは、口を半開きにして固まっていた。きっと、戸惑(とまど)っているのだ。


 俺は額を指さして言った。


「これは、俺が友達のために戦った時に付けられた傷」


 次に、俺はお尻を向けて、太ももの裏を示す。


「これは、帝国派と戦って、湖に落ちた後に出来てた傷」


 いつ付いたのかもわからないような、戦いの痕跡。


「それから背中と、ほら、肩にあるのが上級魔闘士クシリトと戦った時の傷だ。それから、こっちにあるのがエイヴィスの野盗に襲われたときの奴で、それから二の腕のこれは、クロウと喧嘩して引っ掻かれたときの奴な。あとは、ええと……」


 最後に、下腹部をそっと指で押さえた。


「……俺の(はら)の中にあるのが、流れた子供を掻き出したときの傷だ」


 流産してから色々と体がバグってしまい、生理周期が乱れに乱れたのはずいぶんと懐かしい記憶だ。


「というわけて、隅々までお見せした俺の渾身のフルヌード、どう思う、アディ」


 アディは少しだけ目を丸くして、それからいつもの顔に戻ると俺に告げた。


「綺麗、だと思う」


 俺はアディの評価を聞くなり口をわざとらしく横に開いてニッと笑った。

 そのまま彼女の方へ前かがみになって、出来るわけもない胸の谷間を見せつけながら、しっとりと濡れた彼女の黒髪をわしゃわしゃと()でる。


「俺達、お(そろ)いコーデ、だな!」


 先程、アディは言った。

 俺の傷だらけの肉体を見て、綺麗だと。

 ならば、俺と同じように傷だらけのアディの身体も、俺と同様に美しいのだ。

 自分自身で認めたのだ、自らの価値を。


「あ、あの……ボク……は」


 口籠(くちごも)るように何かを言いかけたアディは、結局言葉の続きを飲み込んでしまう。

 彼女の中にある重く大きなコンプレックスが、口を(つぐ)ませたのだ。


 んー、駄目、か。

 この子はこんなにも綺麗なのに、どこまでも自分が醜いと思い込んでいる。

 それは悲しいことだけれど、これ以上俺がとやかく言っても仕方がない事でもある。


 いっそ、本当に夜通し愛してやろうか。

 自分の身体がどれだけ魅力的なのかを、心に叩き込んでやりたい。


 いやいやいや。

 俺はぶんぶんと頭を振って、邪念を払いのけた。

 代わりに、アディに向かって手を伸ばす。

 彼女の二の腕を掴んで、湯の中から引き揚げてやる。


「……そろそろ上がった方が良いよ。いい加減のぼせちまうぜ。そうだ、あっちで洗いっこしよう! あわあわのヌルヌルにしてやるよ!」

「ひ、ひぃ」


 ひぃという割に全く抵抗しないアディを連れて、シャワースペースへ向かう。

 石鹸(せっけん)を泡立てて、アディの身体を好き放題に撫でくりまわしてやるのだ。


 その後。

 下衆(げす)な笑みを浮かべながら執拗に責め立てる俺の石鹸攻撃に、くすぐったそうに身を(よじ)るアディの顔は、なんだかいつもよりも楽しそうで、笑っているように見えた。

 かくいう俺も、いつの間にかすっかり童心に帰って、久々に心の底から笑うことが出来たんだ。

 それはもう、涙が出るくらいに。

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