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魔女編06話 仮面の情報屋

 国境越えの戦いに勝利し、無事に追っ手を振り切った俺達だったが、実のところ深刻な事態に陥っていた。


「クロウ、大丈夫か」

「グルル」


 クロウの調子がどうもおかしい。

 羽ばたきの力が弱々しくなり、徐々に高度を下げていく。

 今はまだ滑空状態でいられるから墜落は(まぬが)れているが、段々と風を受け止める体力も無くなっているように思う。


「あの山の(ふもと)に降りよう」


 俺はやむなく、近くの山地にクロウを降ろして様子を見ることにした。

 先ほどの戦闘で何処(どこ)かを負傷してしまったのかもしれない。


 あるいは、長い時間飛び続けてスタミナが切れた……いや、それは考えられないか。

 きちんと休息は取っていたし、餌も十分に与えている。

 元より異界生物であるドラゴン種は底なしの体力の持ち主なのだ。

 そう簡単に過労状態にはならない。


 では何故弱っているのか。

 その答えは、着陸後にクロウを見るとすぐにわかった。


「お前、その傷……どうしたんだ!」


 クロウの腹部には鋭利な(もり)のような金属の棒が深々と突き刺さっていた。

 その上、傷口は火傷のようになっており、酷く(ただ)れてしまっていた。

 血の匂いに加え、焦げ臭さも混じったような異様な臭気を放っていて、素人目にも尋常ではない事態だとわかる。


 俺はクロウを精神魔法で昏倒(こんとう)させてから、金属棒を慎重に引き抜いた。

 途端に血が(あふ)れてくるのを、氷魔法を使って止血する。


「待ってろ、すぐ治してやる」


 俺が傷口に手を当てて治癒魔法をしようとした、その時だった。


「──傷を閉じては駄目」


 背後から声がかかり、俺は慌てて振り向いた。

 振り向きざまに、氷の剣を作って武装する。


 なにせ、ここは山地の奥深く。

 こんなタイミングで人間が現れるなど都合(つごう)が良すぎるし、今の今まで気配すら感じさせなかった奴が並の人間だなんてあり得ない。


「そう警戒しないで欲しいの」


 そう言って茂みの中から現れたのは、全体的に“黒”を感じさせる奴だった。

 黒のボロ布をマント……いや、ポンチョにして上半身を隠し、黒のダボついたズボンに黒い登山用ブーツを合わせた、黒い髪の人間。

 顔には白い狼の仮面が装着されていて顔は見えない。

 肌の露出は極めて少ないが、首筋や耳を見れば、そいつが褐色肌であることが分かる。

 旧魔法帝国領ではあまり見ない肌色だ。


 怪しい。怪しすぎる。

 黒の中に白い仮面が浮いて見えることから、どこかアニメ映画に出てきた“顔無しの奴”を想起させる、そんな印象。

 声の調子からして、まだ成人前の少女だろうか──それにしては落ち着いていて、年齢すら不詳。


「何者だ、お前」


 女はピクリとも体を動かさずに答える。


「通りすがりの怪しい人」

「……そのまんまだな」

「そう、そのまんま。ちょっとその子の傷を見せて」


 彼女はクロウに近づくと、しゃがみこんで傷の様子を確認していた。

 外傷の奥まで覗き込むようにして、念入りに。


「お前、傷の具合が分かるのか」


 俺が尋ねると、彼女は首の動きで否定した。

 いや、分からんのかい。


「どう治療すべきかは分からない。けど、表面を(ふさ)いだだけでは駄目(だめ)なことは分かるの」

「どういうことだ」

「この銛、さっきの戦闘中に下から至近距離で撃ち込まれたものだと思うの。たぶん相手はボウガンのような武器を携帯していて、魔法戦闘に見せかけてこの傷を──」

「ちょっ、待てよ。お前、どうして戦闘の事を知っている」


 俺の中の警戒レベルが数段階引き上げられる。

 国境越えの戦いは一時間以上前、まだ日が昇る前の出来事だ。

 現場付近の住民ならともかく、ドラゴンの速力で飛んで来たこの場所においてはまだニュースにもなっていないだろう。

 ならば、それを知る者、イコール戦争の当事者と言うことにならないか。


「……ボクは情報屋だから。大抵の事は知っているの、カンナ・ノイドさん」

「俺の名前もご存じって訳だ」


 すると仮面の少女はこちらをじっと見つめながら呟いた。


「やっぱりカンナさん本人。駄目なの、不用心に肯定しては」

「……」


 げ、カマをかけられたのか。

 確かに不用心だったかも。


「なーんて。本当は何年か前に会ったことがあるの」

「は?」


 コイツ、なんて掴み処のない奴。

 情報屋……東京にも何人かいたが、こんなあからさまに怪しい恰好の奴は見たことが無いぞ。

 しかも、会った事があるだって?

 俺の記憶の中に、褐色肌の女は存在していないのだが。


「この子の怪我の話、続きして良い?」

「お、おう」


 全くもって意味不明。

 会話の流れもガン無視で、思った通りに行動する仮面の女に俺は動揺を隠せなかった。

 だからとりあえず(うなず)くことしか出来(でき)なかった。


「この子は直下から銛を撃ちこまれた上に、傷に向かって電流を浴びせかけられた。その上、この子自身が電撃を放ったことで、電熱が体表に(とど)まらずに臓器まで傷つけてしまったの」


 間違いない。そんなことが出来たのはクシリトだけだ。

 アイツひょっとして“夜闇のドラゴン”の特徴を知っていたな。

 これが偶然だとしたら、俺達の運が無かったということになるが。


「電熱が銛を伝って体の内部まで焼いてしまったってことか」

「そう。熱による損傷だから、ちゃんと治療しないと臓器が再生してくれない」


 熱でタンパク質が変性してしまっているから、それを残したまま再生したところで臓器機能は破壊されたまま。

 このまま傷を塞いでも、いずれ臓器不全で死んでしまうというわけか。

 人間の場合はたとえ臓器に回復不可能な損傷を受けても、一旦治癒魔法で傷を塞いで、後日培養臓器を移植することで無理矢理治せる可能性がある。

 しかしドラゴンの臓器など用意されているはずもない。

 損傷部の交換が不可能ならば、別の手段を講じる必要がある。


「どうするの」

「……待て。今考えている」


 変性したタンパク質を体内に残すのが良くないのだとすれば、それを除去すれば良い。

 変質部位を取り除いた上で治癒魔法をかけてやれば臓器の機能を損なわずに済むのではないか。

 それに、バーベキューで焼いた肉のように、あるいはバーナーで(あぶ)ったカツオの切り身のように、損傷部位はわかりやすく変色して硬くなっているはずだ。

 魔法を駆使すれば素人手術でもなんとかなるかもしれない。

 しかし、後先考えずに闇雲(やみくも)に切開して、菌でも入り込んでしまえば最悪。


「──この近くに、街はあるか。村でもいい」

「それは情報屋としてのボクに対する依頼かな」


 ……まさかコイツ、こんなところで商売を始める気か。

 こうなることを計算ずくで、ここで待ち構えていたんじゃあるまいな。


「ほらよ。そいつで足りるか」


 俺はポーチから希少鉱石を一つ投げてよこした。


「ん」


 仮面の少女はそれをキャッチすると、鉱石を摘まみ上げるようにして朝日に翳し、角度を変えながら色味をチェックした。

 そしておもむろに仮面を外すと、今度は首から下げていた十徳ナイフみたいなツールから小さなルーペを抜き出し、レンズを覗いて鉱石を鑑定し始めた。

 仮面をしているのは顔を見られたら困るからだと思っていたが、そういう意図は無いらしい。

 均整のとれた、はっきりした目鼻立ちの可憐(かれん)な横顔が見てとれる。


「光竜石……しかも自然金の割合が高そう。でも、これは駄目(だめ)


 俺の持つ鉱石の中では最も価値がありそうなものだったのだが、これでもいけないのか。

 この自称・情報屋、やけに吹っ掛けてくるな。

 彼女は俺の元に歩み寄り、鉱石を手渡すと続けてこう言った。


「情報料としては高すぎる。相場を超える仕事はできないから返すの」

「あ、そういう意味の“駄目”ね」


 しかし少女は追加で金品をを要求してくることは無かった。

 高価な宝石を投げてよこすような俺は、物価も知らない愚か者と(あき)れられたのかもしれない。

 俺が代わりの鉱石を取り出そうとすると、少女は手でそれを制し、ご親切にも光魔法で地面に地図を投影して街の場所を教えてくれた。

 って、結局無料(タダ)で良いのかい。


 だが俺は恩を恩のままにしておくのが嫌いだ。

 それは人生においての負債に他ならず、いつか返さねばならないものだからだ。

 俺はチップ代わりにエイヴィス共和国の銅貨を袋ごとを少女に押し付ける。

 これが情報料として適正価格かは、知らん。


「街に行って、何をする気なの」

「酒を貰って来るんだよ。とびきり度数の高い奴をな」


 俺は彼女にそう言い残し、魔法翼を展開して空に浮かび上がった。


「ああ。風も無く空を飛んだという報告は、こういうことなんだね」


 少女がブツブツと(つぶや)くのを無視し、俺は街へと急いだ。

 早くしないと、相棒が死んでしまうからな。


──


 半刻ほどが過ぎ、俺はクロウの元へ舞い戻る。

 魔法腕で樽一杯の蒸留酒を抱えて、静かに地面へ降り立った。

 あの少女は、まだそこにいた。


「まさかと思うけど、手術でもする気なの」

「当然。できることは全部やるのさ」


 俺は樽を開けると、炎魔法と氷魔法を駆使し、さらにアルコールの濃度を上げるべく作業に取り掛かった。

 熱で気化させた酒の蒸気を冷却し、純度の高いアルコールを得るのだ。

 宙に浮かぶ形で消毒液が生成されていく。

 ある程度量が集まったところで、その半分程度の量をクロウの体に塗布(とふ)した。

 これでとりあえずの消毒はできただろう。


 よし、第二段階へ移ろう。

 俺は魔法腕で体を宙に浮かせながら、身に着けていた衣服を全部脱いだ。


「人前でよくも裸になれるね」

「同性の前で何を恥ずかしがるんだよ」


 俺は少女に文句を言いながらも水で全身を清め、風で水分を飛ばした。

 続いてクロウの肩に取り付けられていた(くら)から金属部分を鋳潰(いつぶ)して成形し、刃物を仕立てる。

 俺の全身と、即席の刃物にアルコール消毒を施したら、準備完了だ。


「んじゃ、行ってくる」

「一体なにを」


 少女を無視して俺はクロウの腹を開いた。

 (あふ)れてくる血液は全部氷魔法で止血する。

 人間一人が入れるくらいの開口部を作ると、俺は大きく息を吸い込んでクロウの内部へと進入した。


「嘘、直接体内に侵入して施術するなんて」


 ──なんて声が背後から聞こえるが、むしろこれ以外に方法などあるのか。

 いや、無い(反語)。


 俺はクロウ内部を光魔法で照らしつつ、変色部位を見つけるために奥へ奥へと進んでいった。

 腹膜と内臓に押されて、狭くて苦しいことこの上ない。

 息を止めているのに酷い匂いが鼻腔内を侵食してくる感じ。

 それでも俺は懸命に臓器をまさぐっては、変色部位を刃物で切除していった。


 臓器の間に潜り込む。患部を切除する。外に運び出して息継ぎをする。

 これを数往復繰り返し、大方の作業を終えた俺は、()うようにしてクロウの内部から脱出した。

 やっと十分に呼吸ができる。

 大きく息を吸って、一言。


「くっせえええええ!!」


 いや、もう悪臭なんてものではなかった。

 体中の至る所から鉄の匂いやら排泄物の匂いやらが漂ってくる感じがする。

 案の定、俺が出てくるなり仮面の少女は後ずさって距離を取るのだ。


「早く体を洗って欲しい」

「わかってるけど、まだだ!」


 俺はクロウの傷に直接手を入れて、治癒魔法を使い始めた。

 体の細胞を活性化させ、細胞分裂を促進するのだ。


 ──ああくそ、本当なら傷を縫い合わせた後で治癒魔法をかけるのが正解なのだろう。

 しかし、俺にはそこまでの技術も器用さも無い。

 しかも治癒魔法は昔から苦手な系統だ。が、ここはクロウに頑張ってもらうしかない。


「がんばれ、クロウ。がんばれ……!」


 仮面の少女も、俺の遥か後方で固唾(かたず)()んで見守っている。

 出来る事ならば彼女にも治療に参加してほしいところだが、複数人で魔法行使すると力場が干渉しあって逆効果になると聞いたことがある。

 だから、ここは俺が踏ん張るしかない。


「ごめん、ごめんよクロウ。俺がもう少し治癒魔法を練習していたら、もっと早くに楽にしてあげられたのに」


 俺の力不足を許してくれ、クロウ。

 そして生きてくれ、クロウ。


──


 一時間後、そこには無言で血を洗い流す俺と、呆然(ぼうぜん)と立ち尽くす少女。

 そして、物言わぬ黒き龍の亡骸(なきがら)があった。


「ごめんね、ボクが余計な口出しをしたせいなの」


 少女が小さく呟いた。

 一見悲しげな台詞だが、酷く淡々とした、感情の(こも)らない声だった。


「良いよ。あのまま傷を塞いでいても、きっと長い事苦しませただけだ。クロウにとってはこれが一番いい死に方だったんだ」


 精神魔法で眠らされたまま逝けたのだからな。

 きっと死んでしまった事にも気付かなかったろう。


 俺はあらかたの血液が洗い流せたことを確認して、体を乾かし、服を着始めた。

 丈の短いパンツにベルト付きのロングソックス、片方だけ肩を出したワンショルダータイプのトップス。

 ひと通り着込んだうえで、全てを台無しにする黒いローブを羽織ってしまえば、いつものスタイルの完成だ。

 黒装束に銀髪スタイルの俺に、黒装束に白い仮面の少女。

 なんだかお揃いコーデみたい。


「なあお前、良かったら飯でも食うか」


 俺が声をかけると、少女は(わず)かに首を(かし)げる。


「その子は埋葬しなくていいの?」


 俺は答えた。


「とりあえず食えそうな部分は食っちまって、残った部分は焼却するよ」

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