魔女編02話 森の魔女さんⅡ
ぼくは魔女さんが焼いてくれたクマ肉を頬張りながら、彼女とたくさんのお話をしました。
住んでいる村の話、幼馴染の女の子達の話、どうして森の奥まで来ようと思ったのか。
とくに魔女さんが気にしていたのは、ぼくの名前でした。
僕が魔女さんに自分の名前を教えたとき、彼女はクマ肉にかじりつくのをピタリと止めて、僕の顔をじっと見つめてきたのです。
「どうかしたの、魔女さん」
「……いや。なんでもない」
何でもないというのはきっと嘘です。
魔女さんは明らかに気難しそうな顔をして、首を傾げながらぼくの顔を眺め続けているのですから。
「ちなみに、お前の母親ってクローラ・フェニコールって名前だったりしない?」
ぼくは首を振って違うと言いました。
ぼくのお母さんは、そんなおしゃれな名前ではありません。苗字すらありません。
この国では、貧しい村ではあえて苗字を持たないようにしているそうです。
理由はよくわからないけれど、お母さんはきっと、そういう村の出身だったのでしょう。
だからこそ、町はずれに捨てられていたぼくの事が放っておけなかったんだと思います。
「そっか。じゃあ、たまたまかもな」
「なにが?」
魔女さんは、ふっと微笑むと、
「こっちの話だよ」
そう言って、クマ肉に豪快に食らいつくのでした。
魔女さんの姿はどう見ても綺麗な女の人なのに、どうしてこうも男の人みたいな身振りをするのでしょう。
今だって、口の周りの肉汁を指で拭ってぺろぺろと舐めています。
お母さんだったら、お行儀が悪いと言って叱り飛ばしそうです。
「それよりどうだ、クマ肉、旨いだろ!」
「うん。ちょっとスジっぽくて臭いもあるけど、食べられるよ」
「んー? なんか贅沢品に慣れた奴の感想だな」
魔女さんはそう言いつつ、どんどん肉を食べ進めていきました。
パンも無い、スープも無い、ただ肉の塊だけと言う食事ですが、本当に美味しそうに食べるので、ぼくはいつの間にか彼女の食べっぷりに見惚れてしまいました。
なんて綺麗な人なんだろう。
なんて豪快な人なんだろう。
「村の人達も、魔女さんの事を知ったら、きっと歓迎してくれるよね! ねえ、一緒に村で住もうよ、そしたらさ──」
魔法の事を教えてもらおう、そういう風に言おうとしていたのですが、僕の話を遮るように、魔女さんは言うのです。
「それは出来ねー。俺は、あまり人に姿を見られたら駄目なんだ」
「どうして? 魔女さん、良い人なのに」
「良い人? ……ハッ!」
彼女は、急に少し怖い感じになりました。
顔は笑っているのですが、何か、怒っているようにも見えるのです。
「俺は悪い人だよ、少年。前世も、現世も、そして多分……来世だって」
「それってどういう……」
「あーもう、黙って食え」
「うん……」
それからしばらくは、無言が続きました。
二人で黙々と肉を食べ、余った分は魔法で冷凍にして、川原の石を積み上げて作った即席の保管庫の中にしまいました。
それら全てが終わって、いよいよ僕を村まで送り届けてくれるという時。
夕暮れから夜の世界に移り変わるその時に、魔女さんはようやくぽつりぽつりと語り始めたのです。
「俺にはさ、どうしても人を傷つけてしまう悪い癖があるんだ。今のままでは、きっとこの性質を断ち切ることは出来ない。本当の意味で幸せを手にすることが、難しいんだ」
ぼくには、彼女の言おうとしていることが、多分半分もわかっていませんでした。
それでも、なんだか寂しそうな魔女さんに声をかけてあげようと、子供ながらに頑張って頭を捻ります。
「悪いことをしたら、反省をすればいいんだよ。お母さんがいつも言うんだ。反省をして、次に生かせばいいって」
ぼくの必死の言葉に、魔女さんは力が抜けたように微笑んでくれました。
そしてどこか困ったような、寂しいような目をして言うのです。
「ありがとう少年。……だけど、俺は違う選択肢を選びたいんだ。子供の頃……あの頃だったら、まだ道を間違えずに済むんじゃないかって思うから。だから俺は、それを成すためにこれからを生きるのさ」
やっぱり魔女さんの言うことはひとっつもわからないけれど、なんだか悲しいことを考えているんだな、と感じました。
だからぼくは、ちょうど靴ひもを結び直していた魔女さんの頭を、よしよしと撫でてあげることにしたのです。
すると、魔女さんは急に悪戯っぽくにぃっと笑って、
「こんのー、生意気なマセガキめぃ!」
そう言って今度は、ぼくの頭がくしゃくしゃにされてしまうのでした。
このあと、めちゃくちゃになったお互いの髪の毛を見合って、二人で大笑いをしたのは言うまでもありません。
──
─
魔女さんの駆る黒いドラゴンの背に跨って、森の上を飛び抜けていくのは想像以上に怖かったです。
高いところから色々なものを見渡して楽しい気分に浸れたのはほんの一瞬だけで、ドラゴンが移動を始めると、途端に恐怖がぼくの心臓を掴みます。
怖さのあまりに目を閉じてしまい、気が付いたときにはもう村外れのため池のほとりにいました。
「俺が送ってやれるのはここまでだな」
ここから村までは少し離れていますが、確かにいきなりドラゴンが飛んできたら村の人達はたちまちパニックになってしまうでしょう。
ぼくはこの場所でドラゴンを降りるしかないのです。
魔女さんは僕を抱えるとドラゴンから飛び降りて、魔法が何かでふわりと着地しました。
地面に降ろされた僕は、再びドラゴンに乗り込もうとする魔女さんの裾を掴みました。
「ねえ! また会えるかな」
でも、彼女は目を伏せて首を横に振るのです。
「森に行ったら、そこにいる?」
「いないさ。俺はもう少ししたらあの森を出ていくつもりなんだ」
「そんな」
何ということだろう。
これが、今この場所が、ぼくと魔女さんのお別れの場になっちゃうんだ。
「それに、あの森にはもう少し魔法が使えるようになるまで近づくな。あのデカいクマみたいな怪物がうじゃうじゃいるんだ。お前が今日無事だったのは奇跡だよ」
「ううっ」
魔女さんは怖いことを言います。
でもきっと本当のことなんです。
あの森には、森の主みたいな怪物が、本当にたくさんいる。今日の僕は神様にイジワルされたように感じていましたが、本当は運が良かったのです。
魔女さんは僕に釘を差したあと、そっと右手を差し出してぼくに笑いかけてきました。
その手をどうしたらいいのかまごまごしていると、魔女さんは言います。
「俺の生まれた世界だとさ、挨拶のときにお互いの手を握るのさ。そこには色んな意味が込められていて、時と場合によるけど、そうだな……一番の意味は、“信頼”かな」
魔女さんは左手で僕の右手を誘導し、魔女さんの右手と握り合う形に持っていきました。
……あれ、この仕草、昔お母さんがどこかで──。
「元気でな、少年。もう危ないことはするんじゃないぞ」
「うん……うん! あ……ありがどう、まじょざん。う、うわぁあん」
たった一日会っただけなのに、魔女さんと離れ離れになるのが本当に辛く感じます。
大泣きするぼくの頭にもう一度軽く手を乗せた魔女さんは、間もなくドラゴンの背に舞い戻っていきました。
これで、本当の本当にお別れ。
ドラゴンが軽く羽ばたくと、その大きな体は空中へと浮き上がります。
魔女さんの姿が、ドラゴンの背に隠れて見えなくなりました。
だけどもぼくは、一生懸命に手を振りました。
「さようなら! どうか……おげんぎで!」
ぼくは鼻をすすりながら彼女を見送りました。
ドラゴンの姿が遠く離れて小さくなったとき、空の上からあの美しい声が聞こえました。
「元気でなー! ロキ! あまり母親を心配させんなよ!」
その言葉を最後に、ドラゴンは遥か遠くの空に消えていってしまいました。
それにしても……最後の最後で名前を間違えられてしまったのは少し悲しいです。
僕の名前はロキじゃなくて、ロキトなのに。
お母さんの大切な人の名前だっていうのに。
でも、いつまでもくよくよしてもいられません。
早くお家へ帰らないと、お母さんが心配してしまうから。
魔女さんの最後の言いつけを破ってしまうことになるから。
ぼくはため池から村の方へと走っていきました。
やがて家が見えてきたとき、ちょうど家の方に向かって歩く、長い金髪の女の人を見かけました。
ぼくの、お母さんです。
お母さんは僕を見つけると、小走りで駆け寄ってきました。
そして、
「いったいどこをほっつき歩いていたの!」
そう叫んで、ぼくのほっぺたを思い切り叩いたのです。
ですが、すぐに僕を抱きしめて言いました。
「良かった……ロキト……私はてっきり、魔女の森にでも入ってしまったのかと」
「うう……ッ、お母さん、心配かけて、ごめんなさい」
ぼくは泣きながら謝りました。
夜になるまで出歩いていたこと、それからもう一つ。
「本当のお母さんじゃないなんて言って、ごめんなさい! ぼく、ぼくは……お母さんはお母さんが良いです!」
ぼくはお母さんの胸の中に顔を埋めて、泣きに泣きまくりました。
その声に近所の人達も集まってきて、みんなくちぐちに“良かった”“心配した”と声をかけてくれました。
どうやら、村の人達総出でぼくを探してくれていたようです。
ぼくとお母さんの二人で、村のみんなに謝りました。
誰も僕のことを攻めたりしませんでしたが、ぼくの胸の中は申し訳無さでいっぱいになるのでした。
──
─
家の中に入ると、ぼくは疲れて眠ってしまいました。
明日になったら話そうと思います。
“しんようじゅ”の森での冒険と、僕を助けてくれた優しい魔女さんの話を。
短編として投稿いたしました「銀の魔女と黒き龍」はこの話の数ヶ月前、同じ場所での出来事になります。




