魔女編01話 森の魔女さんI
その日、ぼくは森に遊びに行っていました。
いつもならウナちゃんやキンカちゃんたちと一緒に遊ぶのだけれど、二人はその日、ダイノス魔法国のおばあちゃんの家に遊びに行ってしまい、しかたなく一人で森へ行ってみることにしました。
“森の奥には魔女が出るから行ってはだめ”。
お母さんはぼくにうるさく言うのだけれど、ぼくはどうしても、普段遊んでいるブナの森の奥がどうなっているのか知りたかったのです。
そうだ。今日は怖がりのウナちゃんもいないから、ぼく一人で森の奥まで行ってみよう。
そう心に決めて、ブナの森から“しんようじゅ”の森へと入っていきました。
“しんようじゅ”の森は、今までとは全然違う風景でした。
下草はあまり生えていなくて、沢山の木が真っ直ぐ伸びてお日さまの光を隠しています。
どこか薄暗くて不気味です。
ブナの森で感じられたリスの気配も、鳥たちのさえずりも、どこか遠くへ行ってしまったよう。
ははん、そうか。
この森が怖いから、魔女だのなんだのと言って入りたくなかっただけじゃないのか。
ぼくはかえって強気になり、森の奥へとずんずん進んでいきました。
大丈夫、真っ直ぐ行って、真っ直ぐ帰るだけさ。
下草が少ないぶん見通しは悪くないので、心配いらないさ。
木の実が落ちていないか探したり、木の根に生えたキノコをつついたりして遊び、そろそろ帰ろうと思ったその時です。
「あれ」
思わず声が出ました。
来た道を振り返ってみると、そこに道はなく、ただひたすらに同じような“しんようじゅ”の景色が続いているだけでした。
帰りの方向が合っているのか自信が無くなってしまい、その場でしばらく立ち尽くしてしまいました。
じっとしていると、ゴウゴウという山鳴りがまるで怪物の雄叫びのように聞こえてきて、恐ろしくなった僕は帰り道を急ぐことにしました。
ところが、行けども行けども元のブナの森には辿り着けません。
「そうだ。高いところに登れば方角がわかるかもしれない」
ぼくは思い立って、辺りを見回します。
でも、木登りの得意なぼくでも、“しんようじゅ”の木を登ることは難しそう。
だって、下の方に枝は一つもないんだもの。
困ったぼくは、とにかく少しでも高い場所へと思い、崖を登りはじめました。
体じゅう土まみれになりながら、山の上の方へ。
そうして振り返ったぼくの目に飛び込んできたのは、どこまでも続く、広大な魔女の森。
どうすれば良いのか分からなくなったぼくは、またとぼとぼと森を歩くのでした。
一時間くらい先に進むと、大きな川に出ました。
「もしかすると、これを下って行ったら村へ帰れるかも!」
ぼくは嬉しくなって、小走りで川べを進みました。
でも、今日の神さまはどこまでもイジワル。
すぐに滝に行き当たって、先へ進めなくなってしまいました。
川は宙に途切れて、水がうなりをあげて崖を落ちていきます。
おそるおそる崖の上から下を覗いてみましたが、大きな岩がまるで麦つぶのように小さく見えて、怖くなったぼくは、そのままへたりこんでしまいました。
「ごめんなさい、お母さん、ごめんなさい!」
言いつけを守らなくてごめんなさい。
このあいだ、本当のお母さんじゃないのにって言って、ごめんなさい。
会いたいよ。
今すぐお母さんに、会いたい!
その時です。
「こんな所で何をしているんだ、少年」
上から綺麗な声が聞こえてきました。
心の中まですうっと入ってくるような、女の人の美しい声。
見上げると、そこには黒くて大きなドラゴンが空を舞っていました。
ドラゴンはその口に、これまた大きなクマを咥えています。
きっと、狩りの帰りなんだ。
そう思った次の瞬間には、ドラゴンはぼくの目の前に降りてきたのです。
ぼくは尻餅をついたまま後退りをし、なんとかして逃げようとしましたが、足に力をこれっぽっちも入れることが出来ず、ブルブルと震えることしか出来ませんでした。
たぶん、腰が抜けていたんだと思います。
「こらクロウ。ダメじゃないか、いたいけな少年を怖がらせちゃあ」
またあの美しい声がして、ドラゴンはその声に返事をするみたいに“ガウ”とひと声吠えました。
その時に咥えていたクマの死体を地面に落としてしまったのだけれど、ドラゴンは別に気にしていない様子です。
ドラゴンはそのまま伏せて、黒くて大きな羽をおりたたむと、大きくあくびをひとつ。
まるで大きなペットのようでした。
すると、ドラゴンの背中から一人の女の人が降りてきました。
その人はドラゴンの顎の下をそっと撫でると、今度はニコリと微笑みながらぼくの方へ歩いてきました。
黒い衣装に銀色の長い髪。
ぼくは、あの綺麗な声の主に違いないと思いました。
「やあ、少年。こんなところでどうした、道に迷ったのかい?」
女の人は髪の毛を手でかき上げながら、ぼくの前にしゃがんで、手を伸ばしてきます。
その時に、顔が少し見えました。
両目は金色なのに、おでこの目だけは赤色で、へんな感じ。
しかも、おでこの所に大きなキズがあったので、ぼくはもうびっくりしてしまいました。
ぼくが恐る恐る手を握り返すと、女の人はぼくの腕を引っ張って、立ち上がらせてくれました。
さっきまで腰が抜けていたのに、不思議と今は平気です。
ぼくが“ありがとう”とお礼を言うと、女の人はぼくの頭をくしゃくしゃに撫でてくれました。
「何があったか、聞かせてくれるかな」
女の人に言われて、ぼくはどんな事があったのか、どうやってここまで来たのかを教えました。
その人は初め、頷きながらぼくの話を聞いていましたが、やがてポンと手を打ち鳴らすと、
「じゃあ、俺が少年を家まで送ってあげよう」
と言いました。
その人は、どこか男の人に似た話し方をしていました。
「男の人ですか?」
「かもしれないな」
「魔女、ですか?」
「そう言われることもあるけど、俺は魔女じゃない。魔女はこれから作るのさ」
よくわからないことを言う人だな、と思いました。
でも、おうちまで送ってくれるなんて、親切な人です。
やっぱりお母さん達は怖がりすぎなだけで、本当は魔女の森なんてこれっぽっちも怖くないところなのかもしれません。
だけど、そんなぼくを見かねたのか、森の神さまはまたしてもイジワルをしてくるのでした。
「ん、なんだ?」
女の人が川の上流を見たので、ぼくもつられてそちらを見ました。
女の人は立ち上がると、さっき見た方角に向かって歩き始めました。
ぼくも付いて行こうとしましたが、女の人は手を広げて、ぼくに“来ちゃダメ”の仕草をします。
どうしたのだろうと思って女の人を見ていると、突然、森の奥から大きな大きな、黒いドラゴンと同じくらい大きなクマが飛び出してきたのです。
ドラゴンが口に咥えていたクマなんか、目じゃありません。
二頭のクマを見比べてみると、石ころと大岩くらいに体つきが違っていました。
恐ろしい怪物が、ぼくたちを目の前にして立ち上がります。
絵本で見たことがある。あれは“いかく”のポーズだ。
怪物は何かに怒っているように見えます。
「まったく、子供の一頭や二頭くらい食わせてくれたって良いじゃないか。どうせ来年にはまた身籠るんだろう?」
どうやら女の人がドラゴンに運ばせていたのが、あの怪物グマの子供だったようです。
そりゃあ、子供が殺されたらお母さんは起こるよなぁと考えつつ、ぼくはドラゴンの陰に身を隠しました。
あんな怪物に比べたら、ドラゴンなんて怖くないからです。
「残念だけど、お前じゃ俺に勝てねえよ、森の主。お前はせいぜい……」
女の人が何かのそぶりを見せました。
「……来年の食糧の為に交尾でもしてろ」
何をしたのかは、わかりません。まったく見えませんでした。
一つ言えるのは、その後に怪物グマが後ろに大きく吹き飛んで、起き上がるなり怯んで逃げて行ってしまった事です。
女の人は肩をぐるぐる回しながらぼくの方へと戻ってきました。
彼女は何かをやり切った時みたいな清々しい笑顔で、ドラゴンを撫でくりまわし始めます。
やっぱり、この人が魔女なんだとぼくは思いました。
「運動したら、腹が減って来たな。……おい少年、良かったらお前もクマ肉食べないか? サクッと調理しちゃうから」
ぼくはもう、頷くことしか出来ませんでした。




