暗躍編28話 墓を掘る
──逃げてください、姉様!
──カナデ様、どうか逃げてッ!
仲間達に言われるままに、俺は逃げた。
関節の外れた腕をそのままに、魔法腕でアセットとの死闘を演じていた俺だったが、あと一歩のところで気力が尽きてしまいそうになっていた。
そんな時、仲間達が俺を庇ってくれたのだ。
──カンナ、地下通路へ行くんダ!
俺はグシャグシャに壊れた建屋内に飛び込み、応接間の床板を壊して地下通路に逃げ込んだ。
後ろからマイシィとエメダスティが追ってくる気配がしていたが、地下通路は簡単な迷路のようになっているから、出口まで一本道で通り抜けられる俺の方が有利だ。
丘を下った先にある隠し出口から外に出ると、振り返ることもなく山道を走った。
靴はボロボロ、服もズタズタで、ほとんど半裸に近い感じになっていて、体は擦り傷だらけ。
打撲の痕や脱臼、骨折した箇所も多い。
それでも治癒している暇はないから、満身創痍のまま港を目指した。
普段、ビアンカ達が入国するのに使っているコリト湖にある隠し港。
ここから走って一時間くらいの場所を目指し、薄明かりの中を一陣の風となって駆けた。
なるべく道無き森の中を抜けて、人に見られないようにしないと。
身も心もズタボロだったためか、到着する頃には日が昇ってしまっていた。
朝日が空をオレンジに染め、大地を白く照らしている。
俺は体に絡みついた蜘蛛の巣を払いながら、空を見上げた。
あんな惨劇の夜だったというのに、今日の空は気持ちがいいくらいの快晴だ。
「姉様!」
ふと、シアノの声を空耳した。
と、思ったら。
「やはりこちらの方面に逃げてきたナ。追いつけて良かった」
「ビアンカ……シアノ……お前ら無事だったのか」
人造人間八號に抱えられた血塗れの二人が寂しそうに笑った。
痛みだとか、疲れだとか、そういうものが織り混ざった不思議な感情の表れだろう。
俺が、エスはどうしたのかと尋ねると、二人は揃って首を横に振る。
どうやら捕まってしまったか、あるいは──。
「俺たちの負け、だな」
気にしていないつもりでも、こう、口に出してしまうと辛いものだ。
シアノも、ビアンカも泣き出してしまった。
俺は涙こそ見せなかったが、代わりに鼻水を啜り上げて天の向こうを見上げた。
俺の生まれるずっと前に航空機事故で死んだ歌手が、こう歌っていたな。
──上を向いて歩こう、だっけか。
その時だった。
「……!? 八號!」
シアノとビアンカを抱えていた八號が、急に二人を地面に落とし、そのまま倒れ込むような形で膝をついてしまったのだ。
八號は動かない。
何事かと背後に回ってみると、彼の背中は肉が大きく抉れ、肋骨やそれに包まれた臓器が露出している程であった。
そして既に、彼の呼吸は停止していた。
「八號……お前」
不思議なことに、出血はほとんどしていない。
それもそのはずで、この時の彼は既に殆どの血液を流し切ってしまっているのだ。
つまるところ、走っている時にはもう、彼は────。
「……お前、二人を守ったんだな」
以前から、八號の中には自由意志があるように感じていた。
二人を守りたいという強い意志が。
跪いた姿勢で静止する彼の亡骸の前に、シアノが泣き崩れた。
小さくなったシアノの背中を包むように、ビアンカは小さな体をいっぱいに広げて抱きしめている。
俺は──以前の俺だったら、彼の姿を見て“結局死んでるんじゃ意味無いじゃん”などと面白おかしく笑い飛ばしていただろう。
あるいは体を損傷しつつも走り続けた事実に驚嘆し、“すっげー、カッケーじゃん八號”と、手を叩いて喜んでいただろう。
でも今の俺は、死に物狂いで大切な者を守り抜いた彼の生き様に、どこか羨ましさを感じていた。
俺には絶対に出来ない生き方だ。
何度転生したって、彼のように自己を犠牲にしてまで何かを成し遂げることは、俺には出来ない。
誰かが、俺のことを“完成された人造人間”と言っていたが、それは違う。
俺なんかよりも、純粋な人造人間であるはずの八號の方が、よほど人間らしく生き抜いたじゃ無いか。
「……」
俺は、一体何者なんだ。
前世での俺は、大浅 奏夜は間違いなくサイコパスだったと思う。
だが、この世界での俺、カンナ・ノイドは何だ。
サイコパス的な性質を持ちつつも、非情には徹しきれない曖昧な存在。
人間としても欠陥品。人造人間としても欠陥品。
「……姉様?」
俺はシアノの頭をくしゃくしゃと撫でる。
彼女は涙を拭いながら、くすぐったそうに目を細めて俺を見つめた。
「八號は、ここに置いていこう」
「連れては行けないの? ここまでわらわ達を守ってくれたんだよ……?」
「冷たい言い方になるかもしれないが、連れて行くとなると色々と不都合が出てくるだろうからな」
これから船旅になる。
氷魔法を使えば遺体を腐らせずに運搬することは不可能ではないけども、正直なところ重荷にしかならないから、二人の心情はどうであれそう提案するしかない。
言い方は悪いかもしれないが、邪魔なんだ。
──だけど。
「墓を作ろう」
今の俺には、彼女達が感じているであろう喪失感を理解できてしまう。
それが“他者への共感”かというと少し違うかもしれないが、上辺だけでも悲しみに寄り添ってやることはできるだろう。
「本当なら荼毘に伏してやりたいが、火を起こすと追手に見つかるリスクがある。だから、せめて墓だけでもと思ったんだがどうだろうか」
逃走のことだけをを考えれば、遺体など放置してさっさと移動した方が良いに決まっている。
だがそれでは二人は納得しないだろう。
このことが遠因となって互いの信頼にヒビが入るかもしれない。
だからこれは必要なことなんだ──と、俺は自分に言い聞かせる。
本音を言えば、八號を丁重に弔ってやりたいという気持ちは心のどこかに存在している。
そのような、これまでの自分の考え方とは異なる感情の芽生えに、俺は今まさに困惑しているところだ。
結局、“互いの信頼にヒビが入る”だなんて八號の墓を作る理由付けにシアノ達を用いたのは、自己矛盾を隠すために自分自身を騙したいからなのだ。
「ああ、そうダナ」
ビアンカは俯いたまま、言葉だけで墓作りに同意を示した。
俺には大袈裟に泣いていたシアノよりも、ビアンカの方が辛そうに見える。
誰よりも長い時間を八號と共に過ごしたのだから、当然か。
俺達は森の中へ移動し、三人で深めの穴を掘る。
八號の遺体を横たえると、俺達は手を合わせて祈った。
彼の魂が、どうか安寧の来世へ繋がっていますように。
──
─
さて、俺には考えなければならないことがいくつもある。
まずはここから先の逃走経路。
いつもならマムマリア王国にあるイブの亡命地へ向かうところなのだけど、マムマリアの魔闘士協会が敵の手に落ちたとあれば、彼の地も安全ではないだろう。
ビアンカが昔住んでいたというエイヴィス共和国まで行ければ良いが、いかんせん遠すぎる。
それに、アロエに会うべきかどうか。
連れて行くべきかどうか。
俺と一緒にいれば、彼女は間違いなく《銀の鴉》の一派としてみなされる。
一方でこのまま会わずにいれば、もしかすると言い逃れができるかもしれない。
だが取り調べの中で拷問を受ける事になる可能性だってある。
俺は、どうすれば良い。
「姉様、何をうじうじと悩んでいるのですか」
「……俺、悩んでいるように見えるか?」
「当たり前です。即断即決で物事を決めてしまう姉様が、そんなに考え込むなんて珍しいじゃないですか」
逃走に使うための木材集めの手を止めて、シアノが俺に鋭く指摘してきた。
俺、割と思考する方だと思っていたんだけどな。
周りからはそういう風に見られていたのか。
「誰にも相談しないところなんかは相変わらずですけど」
「相談してほしかったのか?」
「……そりゃあ、わらわだって少しは姉様の役に立ちたいですし」
不服そうに口をとがらせるシアノは、表情とは裏腹に頬を微かに紅潮させている。
それを見て、俺はハッとした。
彼女には、“その方が都合が良いから”という理由で、俺に好意を抱くように仕向けていたのだ。
俺へ抱く憎悪をひっくり返すのは、なんの感情も抱いていない人間から好感を得るよりは容易い事だった。
何故なら、相手の求めるものが理解しやすいからである。
今まで、シアノは俺に対してつんけんした態度しか見せてこなかったが、どうやら俺の目論見は成功していたらしい。
俺を見捨てずに助けに来てくれたのも、これまでの布石が上手くいった証。
だが、俺はシアノに謝らなければならない。
俺自身は、彼女に“俺の所有物”としての感情以上のものは抱いていないのだ。
「なあ、シアノ」
「なんですか姉様?」
「俺の事は……」
──どうか、忘れてくれ。
そう告げると、シアノは悲しそうに顔をしかめる。
どうしてそんなことを言うのですか、と顔に書いてあるようだ。
「──決めたよ。俺は、お前らとは一緒には行かない」




